フェルデンクライスATMレッスン中
「脚(脚)と言われる膝・脚部を付けた状態(両足をくっつけて、脚を縛られている状態とイメージした方が解りやすかもしれません)でも、
脚の中では螺旋的な動きが起こっており脚は動かせるということができるのだなぁと想い
縛られていてもこんなに動かせるんだなぁとか、縛られた状態からなんか抜け出すことも出来るのではないか!?
など、縛られることは多分ないと思うのですが、変な想像が浮かんで来たりもしました(^^)
要は窮屈な状態と思われることでも、そこでパニックや無理やりにならず、落ち着いてゆっくりとか小さくとかで出来ること動かせることを捉えていけば、案外打開策はあるのではないかと想ったりしました。」
という感じと想いの中から
フェルデンクライス プラクティショナーのWakikoさんから
「制限=日常。その中、だから、面白いですよね‼」
というコメントをくださりました
そこから私も
「制限=日常の中で、束縛されるのではなく自由を探求しているような感じ。
面白いですね(^^)」
と返しました 。
その様なやり取りとフェルデンクライスの体験から生まれた感覚や想い、そして今までの経験から感じたことや感情、想いも重なり
日々の生活や家族、地域、国や世界もっと広く言えば地球(宇宙)、職場などの環境に常に暮らしているという日常!
考え方によればそれは制限ともとれる。
(捉え方を変えれば無限にも出来ますが、あえて制限としての捉え方で考えます)
しかし、制限は束縛や縛ること抑えることに囚われるように捉えるのではなく、その中でも無理や力ずくではなく、そこに合わせていけば自由に動けることもできるということなのかもしれないと想いました。
自由に動ける!
決して体だけを言っているのではありませんよ!
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