バランスのある空間

体のこと、心のこと、環境・空間のことの体験談!ワークショップ案内!自分が見たり、感じて想った事を書いてます

アーシング登山

2016-12-07 16:30:45 | 体の気づき/動き

高尾山登山途中~頂上~城山~小仏峠中間まで
アーシング(裸足)でラン&ウォーク

裸足だと足底がより敏感になるので、体をしなやかにしていかないと出っ張ってるものを踏んだ時痛いし、怪我をする。
いかに踏んだ時逆らわず抜くか!
言い方を変えれば、丁寧に地面に触れるかという感じでしょうか。

さらに蹴ろう踏ん張ろうとすると、石や根などに足底が刺さったり、ぶつかったりして傷める時もありそうです。
いかに力を使わず体の重心を機能的に移動させるか!
そこら辺もポイントなのかもしれません。
(例えを変えると地球とい一体になるとか、調和するとか、流す通すと言えるかもしれません)

裸足の場合いかに急いでいようとも、凸凹石が出ていたり、砂利があったりすると、無理やり急ぐと傷めるでしょう。
なので、急ぐ気持ちを落ち着かせその状況に合わせていかなければならい。
自分勝手にいけないということです。
そこら辺も面白いです。(砂利を踏んでるときは行のように思えます 笑)

2時間強裸足で歩きましたが、最後の方また靴を履くと、ものすごく違和感があり、逆に体に負担を感じました。
今まで動いていた体の機能が制限をかけられたように機能しない感じなり、疲労も出てきて、裸足の時より脚が重くなり脚の感覚や動きにも制限ができた感じで、何度かコケました(^^ゞ
また、足底に気を使わなくていい分丁寧さがなくなり、無茶ができ自分勝手に動けてしまい、そのためコケたり、滑ったりするように感じました。(靴を履いていた時は気づきませんでした)
ただ、逆から見ると靴に慣れてないから、靴の機能を使いきれてないからという見方もできるかもしれません。

自分が裸足になりたいからということもあるからでしょうが、裸足の方が気持ちよく、色々な反応してくれるので飽きないです。

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高尾山トレイル

2016-12-07 16:15:57 | 体の気づき/動き

高尾山でトレイルやウォークで、前回から今回もですが、股関節、仙腸関節、骨盤底(だけではないですが)の動きがうまく使えると、大腿の筋肉(特に直筋)をあまり使わずにすみ。無理なく歩け(走れ)ます。

また下りの時(階段)、左右の仙腸関節を上下にスライドする(骨盤のスライド?)?様な感じで、さらにその地面からの衝撃を背骨をスライドするというか、脊柱起立筋に衝撃を片脚を踏むごとにそちら側を上に逃がしていく流していくという感じで歩くと大腿に負担がかかりにくいのかなと感じました。
これらも仙腸関節や骨盤底などとも関係しています。
言葉では伝いにくいですが。
着いた足に加わる力を、大腿四頭筋(直筋)や腰、膝、腸脛靭帯(外側荷重などの要因もあるでしょうが)など下腿や腰仙部で受けないようにするということです。
顎も緩んでいるといいような気がします。
いやぁ体で感じる面白いです(^^♪
やはり力んじゃだめだな~。その環境や状況に合わせる感じが良いような気がします。

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名前を紐解く

2016-12-05 22:52:12 | アート・文化

名前を紐解いていただきました!!

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ルール

2016-12-03 19:19:29 | その時の想(思)い、感じた、考えたこと

子供たちが遊んでいて、その遊びに自然発生的なルールができたとき、皆それが当たり前のようにルールに則る!

しかし、誰かが勝手に決めて、強制させられたものだったら、不平不満など歪みが出ることでしょう!!

ルールがなければ無秩序な世界になります。
どのモノゴトや自然にはルール、秩序があるように想えます。
それが自分勝手なものとなったら、色々な歪みができたり、滞ったりして、それが耐えられなくなったとき爆発するのかもしれませんね。

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現代舞踊を観て

2016-12-03 10:23:23 | アート・文化

現代舞踊を観劇させていただいて

今まで、躍りから見える情景や感覚、雰囲気、イメージ、感情、空間的流れや心身に響いたりなどを全体的に感じるようだったり、そう観えるようだと感じていた!

と思っていたのかもしれない?

今回、ある作品を観て、情景やイメージが観えたり、感情が湧いてきたりなどと言う、私が何かが観えたり、感じたりということではなく、その作品そのものの躍り手さんと一体となると言うか調和すると言うか、そこに私が在り踊っているような感じでした。
客席にいて客観的に見てる自分でないので、イメージや感情と言うより、ただ流れていると言う感じです。
今までにない感覚なので(思いかも?)、その違和感に戸惑いながらも、何か心地よい感じでした。

また、作品によって、
イメージや情景が湧いて観えるもの
感情で観えるもの
空間的な雰囲気で観えるもの 
など、それぞれで観えたりもするのだなと
感じました。
(以前別の舞台で観たものは、空間の流れで観えるというのもあったと思い出しました)
さらに、質量の重さを感じられたり、色々な観え方があって面白かったです(^^)

これらは、観てる側のその時その時の状態でも変わるんだろうなぁと想います。
それにも関係していると想いますが、自分の軸の置き所によっても観え方と言うか感じ方も違うなぁと後半は少し軸の置き所を変えて観てみました。(作品にそのようできる雰囲気と言うか、感覚にさせてくださるからこそ、そのようにできるのかもしれません)

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