先日本屋に行ったら、コミックのコーナーに分厚い本がおいてあった。
デビルマンだ。もちろん、永井豪先生の作品。
デビルマンといえば、永井先生の代表作の1つとして有名。
だが私はこれまで、この作品をまともに読んだことはなかった。
アニメ版も見てはいなかった。
デビルマンがアニメ放送されてる頃は、私はアニメから離れていた時代だったからだ。
でも、弟が毎週見てたし、主題歌もある程度覚えてたし、作品の内容もおぼろげには知っていた。
とりあえず、世の中に傑作としてこの作品が君臨しているのは把握していた。
本屋で見かけたこの本。この分厚さは何だ?
・・と思って、手にしてみたら、なんとこの分厚い1冊にデビルマンの漫画が最初から最後まで収録されているという。
普通のコミックなら、数冊分にもなるはず。
で、数冊に分かれていたら、途中の数巻が抜けていたりするのはよくある話。
だが、これは、この1冊で事足りるのか。
ならば・・・せっかくだから、いっちょう読んでみようかという気になった。
ちょっとためらったけど、結局購入。
でも、買ってはみたものの、その分厚さに少し腰が引けていた。
読み始めるなら、何かきっかけが必要かな・・と思っていたのだが、日曜は東京は朝から雪。
とても外に出る気になれない。
ならば良い機会だし、この雪をきっかけにして、「デビルマン」を一気読みしようと思い、読み始めた。
すると・・
いやあ、面白い!これは面白い!
なるほど、傑作といわれるだけのことはある。
永井作品をこうしてまともに読むのって、実は数十年ぶりだ。
絵柄は知ってたし、永井先生の作風の特徴もしっていた。
デビルマンも、私のイメージする永井作品らしさであふれていた。
お色気の要素も、バイオレンスも。
特に、最後のほうで、それまでに築かれてきた世界をぶちこわしてしまう点など。
それにしても・・こんなに苦悩が深いヒーローだったんだね、デビルマンって。
アニメ版と原作版では、ストーリーに若干変更があるというが、まあ、テレビアニメっては、色んな制約がある。
だから、原作をアレンジしてしまうのは、実はよくあること。
アレンジしないと、アニメ放送化できない場合もあるからね。
もちろん、原作通りにやれれば一番良いのは十分分かってる。
だが、テレビアニメ版には、色々口出しをしてくる人が多いのだ。
盟友の飛鳥の正体は、途中からなんとなく分かった。
だが、こんな終わり方をするとは思わなかった・・。
ここで描かれた人間像、救われないね。
こんな人間なら、主人公が愛想を尽かすのも当然。
で、実際、現実の人間は、こうである場合は多いから、余計に救われない。
ヒーローが現れて、人間の味方をしてくれたとしても、ヒーローが命がけで戦って守るだけの価値が人間にあるのか疑問にも思えて来る。
特に、今のリアルな世界情勢を見てると。
ヒーローに守られる価値のある人間だっているだろう。
だが、守られる価値のない人間も多い。
やっかいなことに、絶対的な正義のヒーローに守られるだけの価値のない人間のとる行動のほうが世界を動かしてたり、目立ったりもする。
だから始末が悪い。
絶対的なヒーローがいないかわりに、世界のあちこちで人間は局地的なヒーローを仕立て上げ、あるいは創造し、ある時は演じて、片一方の正義がもう片一方の正義を排除しようとしている。
この場合「正義」というのは実に自分本位なものに成り下がっている。
多重人格の正義、浮気者な正義。もはや、それは正義という名のわがままでしかない。
でも、主題歌は知ってましたし、好きでもありました。
もしリアルタイムで見ていたら、また違った感じ方をしたのかもしれません。
アニメ版と原作版ではけっこう内容が違うみたいで、テレビ版はエンタテインメントに徹した作りになってたみたいですね。
ただ、深みという点では、原作版のほうがありそうな気がします。
このコミック版を読んだのはもうけっこう前で、内容は忘れた部分も多いので、そのうちまた読み返してみたいと思っています。
私はTVアニメ『デビルマン』をリアルタイムにて観ておりました。10代の頃でした。
その後、20代になってから永井豪先生の原作マンガに接しました。
モノ凄い衝撃を受けてしまいました。
世の中には本作のファンの方々が多数おられるとは存じますが、その気持ちは皆さんほぼ同じでありましょう。
ここで本作に関してウンチクを書き出すとダラダラと長くなっちゃいますので省略いたしますが、取り敢えずまだ原作マンガ未読のお友だちに「お前も読め!」と興奮しながらすすめたくなる作品にマチガイナイと思います。(^-^)/