バッハと音楽についての道草日記

~気になる音楽、ドラマ、書籍、雑誌等についての雑記帳~

ヘンデルの「エジプトのイスラエル人」

2009-02-10 22:34:48 | ヘンデル

Scan10392 このCDは、「ヘンデル:オラトリオ《エジプトのイスラエル人》」(HWV54)(NAXOS:8.570966-67)(ケヴィン・マロン指揮、アラディア・アンサンブル(オリジナル楽器使用))(録音:2008年1月3-10日、聖アン英国国教会、オンタリオ、カナダ)で、最近発売されたものです。《メサイア》の約3年前、《サウル》の同年(直後)に作曲されています。1738年10月1日に作曲にとりかかり、11月1日には完成させており、この曲も何と約1ヶ月間という短期間で完成させています!。初演は1739年4月1日でヘイマーケット国王劇場で、その時は大失敗であったと伝えられています。台本作者はジェネンズか、あるいはヘンデル自身であったとも伝えられています。
このオラトリオの概略を、三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)から引用させて頂きます。題材は旧約聖書の『出エジプト記』で、ヘンデルが最初に完成させたのは「モーセの歌」(一般に第三部と言われている部分)です。これはモーゼの導きにより葦の海を渡ったイスラエルの民が神に感謝を捧げる部分です。次いで、脱出以前のエジプトにおけるモーゼの数々の奇蹟を描く「出エジプト」部分を作曲しました(今日の第二部)。「出エジプト」の発端は、エジプトの奴隷となりながら、宰相となったヨセフの死に行き着く。そこで、1737年(前年)(この年にヘンデルは脳卒中になっています)に作曲した《キャロライン王妃のための葬送アンセム》(HWV264)を「ヨセフの死を悼むイスラエル人の嘆き」に改題し、丸ごと第一部に流用したようです。ちなみに、キャロライン王妃は、ジョージ二世の妻で、聡明な女性で、渡英以前のハノーファー選帝侯皇太子妃の頃よりヘンデルとは友人で、渡英後も娘たちの音楽教師としてヘンデルを厚遇し、資金援助も行っていたようです。このようにして全三部からなるオラトリオが完成したようです。この曲は、宗教色が強く、合唱曲が全体の七割を占めており、ヘンデルの曲としては異例の曲です。また、他人の作品からの借用もあり、この理由は謎とされています。
三澤寿喜氏の記述にもあるように、このオラトリオの成立は、作曲された年代から考えると、「オペラの失敗、脳卒中の罹患、自らの良き理解者であったキャロライン王妃の死去などの様々の苦難から回復した自分自身を、エジプトから救出されたイスラエルの民と重ね合わせて、神への感謝をこの曲を通して表現した」と考える説が妥当なように思います。
この曲はある意味でヘンデルらしくなく、また、成立の点でもまだ解明されていない部分もあり、非常に興味深く聞き入りました。第一部の葬送アンセムの部分は、バッハのモテットを連想し、崇高で神聖な感じがして特に気に入っています。


ヘンデルの「ヘラクレス」

2009-02-05 21:28:12 | ヘンデル

Scan10391 Archivから出ている、「ヘンデル:音楽劇《ヘラクレス》全曲」(HMV 60)(UCCA:1020/2)(マルク・ミンコフスキ指揮、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル)(オリジナル楽器による)(録音:2000年4月 ポワシー劇場におけるライヴ・レコーディング)を以前に買っていたのですが、あまり聴いておらず、今年になり何回か聴いてみました。当初の印象とは違い、聞き重ねていくうちにこの曲の持つ劇的で、迫力ある雰囲気にどんどん魅了されてきます。バッハとはまた違った、ヘンデルの熟練された作曲技法も感じさせます。
この曲にまつわる逸話はライナーノート(ドナルド・バロウズ)に詳しく記載されており、興味深く読みました。冒頭の一部を引用させて頂くと、1730年代、ヘンデルはロンドンでライバルのイタリア・オペラ団との競争に費やされていたようです。この状況は、1741年から43年にかけてほぼ終わりを迎え、その時期はヘンデルが彼自身のイタリア・オペラを上演した最後の時期であり、またダブリン訪問後、オラトリオ形式の英語による作品によって新しいキャリアの基礎を確立した時期でもあります。(ちなみに、1741年に《メサイア》と《サムソン》を作曲しています。)
ヘンデルのことを知るにつれて彼のエネルギッシュな活動には驚かされます。三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)を参考にさせて頂くと、実は、ヘンデルは2回も脳卒中を患っています。いずれも軽かったようで、“一過性脳虚血発作”といったような感じでしょうか。もう少し病状について文献で調べてみたい所です。1回目は1737年8-9月頃、完全に右手が麻痺し、演奏も出来なかったようです。この時はドイツのアーヘンに戻り、リハビリをし、11月にはイギリスに戻って音楽活動を再開しています。その後、その年の年末までに、新作オペラ《ファラモンド》と葬送アンセムの作曲を完成し、次のオペラ《セルセ》の作曲にも取り掛かっています。2回目は1743年4月に脳卒中を発症していますが、同年6月には既に新作オラトリオ《セメレ》の作曲を開始しています。なんというバイタリティー!!。晩年における創作力に関しては、ヘンデルはバッハ以上のように思います。
ヘンデルは1744年(59歳)にヘイマーケット国王劇場と次のシーズンの契約をしています。そのために2つの傑作オラトリオ(《ヘラクレス》と《ベルシャザル》)を作曲しています。《ヘラクレス》は7月19日から8月21日の約1カ月という短期間で作曲しており、「後期バロックの音楽劇の頂点」とも評される傑作で、晩年のヴェルディ作品を思わせるようです。台本はトーマス・ブロートンがソフォクレスの『トラキスの女たち』とオウィディウスの『変身譚』に基づいて作成しています。ヘラクレスの妻、デージャナイラの嫉妬を主題としています。初演は、1745年1月5日、ヘイマーケット国王劇場です。
この《ヘラクレス》もヘンデルの天才ぶり、熟練ぶりを示す傑作で、繰り返して聴いても飽きない作品です