バッハと音楽についての道草日記

~気になる音楽、ドラマ、書籍、雑誌等についての雑記帳~

ド・ニースの第3弾

2011-10-13 21:58:38 | ヘンデル

Scan10002 DECCAから、待望のダニエル・ド・ニースの第3弾が発売されました。「オンブラ・マイ・フ~ビューティー・オブ・ザ・バロック~」(UCCD-1300)です。演奏は、イングリッシュ・コンサート、指揮:ハリー・ビケット、カウンターテノール:アンドレアス・ショルです。
このCDで、ド・ニースのオンブラ・マイ・フがやっと聴けました。また、ペルゴレージ、バッハ、モンテヴェルディ、タウランド、パーセルの曲も収録されています。
興味深かったのはペルゴレージの「スターバト・マーテル」です。ド・ニースの肉感的な声がこの曲の雰囲気に合うかどうか興味津々で聴いてみました。草食系男子のショルと肉食系女子のド・ニースといった感じの組み合わせが何とも言えず新鮮で、繰り返して聴いてしまいました。バッハのカンタータも彼女が歌うと、モノクロ的な雰囲気が華やいだ感じになります。
歌唱力はどうであれ(第1弾に比べると、少し丁寧にはなったようにも思いますが......)、ド・ニースの魅力がたっぷりのCDです

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ナタリー・デセイのクレオパトラ

2011-10-09 22:03:26 | ヘンデル

Scan10001 Virgin Classicsから、「クレオパトラ~ヘンデルのジュリオ・チュザーレよりクレオパトラのアリア集~」(TOCE-90183)が今年始めにリリースされていてましたが、やっとゲットしました。演奏は、ル・コンセール・ダストレ、指揮:エマニュエル・アイム、ソプラノ:ナタリ-・デセイです。
つい最近まではまったく興味がなかったヘンデルに、しかもオペラに嵌るとは、私自身もビックリしています。やはり、ダニエル・ドゥ・ニースの功績が大きいのではないかと思います。
デセイの声はとても澄んでいて美しくて繊細です。どのアリアも美しくて何回も聴いてしまいました。ただ、ドゥ・ニースの魅力的で、馬力のある歌声に慣れていると(彼女の歌声はやや大味で、音程が外れるようにも感じますが.....)、デセイの声が繊細で迫力に欠けるようにも思います。
このCDにはヘンデルが初期の草案でお蔵入りになった貴重なアリア2曲が収録されています。トラック9<アリア:私のあこがれの人に命をささげようと>とトラック13<アリア:あまりにもあなた方は残酷です>です。しかも、現行版と原案の曲が並べて演奏されています。
ヘンデルの「ジュリオ・チュザーレ」はバロック・オペラの頂点と考えられていますが、一般的にはクラッシック愛好家でもあまり知られていないように思います。このデセイのクレオパトラのCDを聴いて、益々この曲の魅力を再認識しました

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エイシスとガラテア-その4-

2010-11-03 11:49:54 | ヘンデル

Scan10014_2 NAXOSからも、「エイシスとガラテア」のCDが発売されております。左図の「ヘンデル・アシスとガラテア<2幕のマスク>」(8.553188)(スコラーズ・バロック・アンサンブル)(録音:1993年9月、オール・セインツ・チャーチ、イースト・フィンチリー、ロンドン)です。CDジャケットの裏面には、HWV49bとなっているので、1732年の改訂版と思われます。解説によると、後から加えられた曲を省略して、2幕になっているので全曲ではないようです。1718年の初演版とどう違うのか、これからぼちぼち聞き比べてみます。NAXOSはLINN(SACD)と比べてやはり音質が今一です。

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エイシスとガラテア-その3-

2010-11-03 11:25:51 | ヘンデル

Scan10013 ドゥ・ニースのファンで、検索したらこのDVDが見つかりました。ちょうど、「エイシスとガラテア」の嵌っていたところなので、願ったり叶ったりです。左図の「ヘンデル《エイシスとガラテア》」(OA 1025D)(指揮:クリストファー・ホグウッド、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)(録音:2009年4月8日、コベントガーデン王立歌劇場、ロンドン)(ライヴ収録)です。
ダニエル・ドゥ・ニースの元気溌剌な演技は魅力的です。ただ、ガラテアという役の雰囲気からして、もう少し繊細でちょっと細めの方がいいかも...と思ってしまいました。
冨澤ひろ江氏の解説に分かりやすくこの作品の背景が書かれております。台本は、ジョン・ゲイ(1685-1732)、アレキサンダー・ポープ(1688-1744)、ジョン・ヒューズ(1677-1720)といった高名な詩人が手がけたと推測されています。原作は古代ローマの詩人オウィディウス(紀元前43-紀元17)の「変身物語」第13巻です。ヘンデルは、イタリア時代に同じ題材でセレナータ「アチ、ガラテアとポリフェーモ」をナポリで作曲していますが、「エイシスとガラテアア」との音楽的関連はないようです。
とにかくこの作品はとても魅力的で、ヘンデル自身も何度となく手直しをしながら、イタリア人歌手がいない時には英語だけで歌われ、度々上演されていたようです。総譜も出版され、ヘンデルはこの作品にかなりの愛着を持っていたようです。多くの合唱が取り入れられており、どの合唱も美しく、また壮大で、各アリアもとっても聴き応えがあります。「メサイア」と比べても遜色がなく、メサイアを彷彿とさせるところもあります。飽きが来ない作品です。

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エイシスとガラテア-その2-

2010-11-03 10:07:00 | ヘンデル

キャノンズ時代の1718年に作曲された「エイシスとガラテア」は、私的上演のみで、その後、かなりの間は一般公開はされませんでした。1719年初めにロンドンに新たなオペラ企業「ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック」が設立されると、ヘンデルはすぐにイタリア・オペラの世界に戻っていきました。この企業は、ヘイマーケット国王劇場においてイタリア・オペラを恒常的に上演するための株式会社でした。
 その後、ヘンデルは英語による作品を発表していませんでしたが、偶発的に、1731年3月26日に「エイシスとガラテア」がリンカーンズ・イン・フィールズ劇場において、ヘンデルの許可なく上演されました。キャノンズでは私的な上演であったため、これが公的な場での初演でした。この上演は衣装、背景、演技付きの舞台上演でした。その1年後の1732年3月23日にはキャノンズ時代のもう1つの英語作品「エステル」が、やはりヘンデルに無断で、ストランド街の「クラウン・アンド・アンカー・タヴァーン」で上演されています。その後も、1732年4月20日ヴィラーズ街のヨーク館で「エステル」が、5月17日にはヘイマーケット小劇場で「エイシスとガラテア」の海賊上演が行われています。
 ヘンデルはこれらの海賊公演の対抗措置として、アン王女の勧めもあり、1732年5月2日に「エステル(第2稿)」がヘイマーケット国王劇場で上演されています。
 1732年6月10日には、やはり海賊公演の対抗措置として、「エイシスとガラテア(第2稿)」が全3部からなる拡大改訂版で、ヘイマーケット国王劇場で上演されています。この時は背景幕と衣装はありましたが、演技はほとんどなかったようです。ヘンデルは同じ題材でイタリア時代にセレナータ「アーチとガラテアとポリフェーモ」を作曲しており、新たに付け加えられた音楽は殆どこの作品から採用されています。「エイシスとガラテア(第2稿)」では、イタリア人歌手の英語の発音がひどかったため、原曲の英語の歌詞をイタリア語に替えたり、英語のアリアはイギリス人歌手に歌わせるなど、二ヶ国語作品になったようです。しかし、実態は8割がイタリア語で占められており、基本を構成しているのはセレナータ「アーチとガラテアとポリフェーモ」でした。
 三澤寿喜氏によると、≪これまで「エイシスとガラテア」第2稿はのちのギリシャ神話に基づく世俗的オラトリオ(もしくは「音楽劇」)を準備した作品ととらえられてきた。しかし、この作品の実態はむしろイタリア・オペラに限りなく接近しており、ヘンデルが英語のオラトリオとは正反対の方向、すなわち、充実した合唱を含む新様式のイタリア語の劇的作品を模索した最初の作品と位置付けられるのである。....≫と述べている。まさしくそのように思います。
 これらの「エステル」第2稿、「エイシスとガラテア」第2稿は大成功に終わったようですが、1732年の秋にはイタリア・オペラの世界に戻り、新作オペラ「オルランド」の作曲に取り掛かっています。

<三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)からの引用>

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エイシスとガラテア-その1-

2010-11-02 23:06:55 | ヘンデル

Scan10012 最近、ヘンデルの『エイシスとガラテア』に感動しています。「ヘンデル 牧歌劇《エイシスとガラテア》1718年キャノンズ初演版」(LINN CKD319)(2SACDs)(指揮:ジョン・バット、ダンディン・コンソート&プレーヤーズ)(録音:2008年4月29日-5月2日、Edinburgh、UK)を繰り返して聞いています。
以下、この曲の背景を、三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)からの引用します。
 この曲はヘンデルのキャノンズ時代(1717-1718)の作品です。ヘンデルは1711年にイギリスに移住し、同年2月24日のオペラ「リナルド」の初演の成功以来、殆どロンドンでオペラ活動をしていましたが、英国王室の政情不安、経済危機により、1717年6月29日にヘイマーケット国王劇場が閉鎖したため、ヘンデルはオペラ活動を中断しています。その頃に、カーナボン伯爵であるジェイムズ・ブリッジズから保護の申し出があり、1717年夏から1718年末までの約1年半をキャノンズで過ごしています(ジェイムズ・ブリッジズは1719年にシャンドス公爵となっている)。この期間が「キャノンズ時代」と言われています。ブリッジズはロンドン近郊エッジウェアの村近くのキャノンズに私的な礼拝堂を有するキャノンズ邸を建てて、贅沢な礼拝を行っていました。ヘンデルの身分は「住み込み作曲家」で、キャノンズ滞在中はオペラから完全に離れて、私的な礼拝用や娯楽用の英語作品に専念しています。この時代に作曲された作品は、11曲の「シャンドス・アンセム」、1曲の「シャンドス・デ・デウム」、私的な娯楽用に作曲された2つのマスク、「エイシスとガラテア」、「エステル」でした。ヘンデルは、この時代に急速に英語への音楽付けに習熟したようです。その頂点となる作品が『エイシスとガラテア』です。
 キャノンズ邸にはかつてバーリントン邸で活動していた文化サークルのメンバーのほとんど(ジョン・ゲイ、ジョン・ヒューズ、アレグザンダー・ポープ、ジョン・アーバスノット、バーリントン伯爵)が集まっており、彼らはヘンデルに英語の詩への音楽付けの試みを誘っていたようです。オペラの作曲が休止中であったヘンデルは、こういう事情で自ら積極的に英語作品を試みており、「エイシスとガラテア」もこのような状況で生まれています。
 「エイシスとガラテア」の作曲、初演の詳細は不明のようですが、1718年の5月末に完成し、6月10日頃にキャノンズ邸の1室でブリッジスと彼らの友人の前で私的に上演されたものと考えられています。この作品は、レチタティーヴォ、器楽伴奏付きレチタティーヴォ、アリオーソ、ダ・カーポ・アリア、2重唱、3重唱、5重唱で構成されています。初演の際、衣装や背景幕は伴っていたが、演技は伴わなかったと思われる点や多様な様式による合唱が重要な役割を果たしている点において、のちの「世俗的オラトリオ」を予示する重要な作品とされています。
 この曲を最初に聞いた時、本当に新鮮で、ヘンデルとしては特異的な作品のように思いました。冒頭の早いテンポの躍動感のあるリズムは、草原を走る小動物や狩りの風景を思わせます。それに続く合唱も美しく、後半のエイシスが亡くなってからの数々の合唱は深遠で美しいです。バッハさえも寄せ付けない若きヘンデルの恐るべし才能を感じさせます。このCDのダンディン・コンソート&プレーヤーズの生き生きとした演奏、LINNの録音、ジャケット、いずれをとっても素晴らしいと思います。本当に満足できる感動的なCDです

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ヘンデルのイタリア修行-その3-

2009-09-22 20:18:38 | ヘンデル

ヘンデルがローマに到着したのは、1706年12月か1707年1月とされています。
最初に滞在したのは、パンフィーリ枢機卿の邸であったようです。
パンフィーリ枢機卿は、教皇インノケンチウス十世を大おじにもち、美術や音楽を保護し、コレッリ、フランチェスコ・ガスパリーニ、ボノンチーニ兄弟などを雇い、日曜日毎に演奏会を開き、また、自らもオラトリオの台本やカンタータの詩を作っていました。前回の記事で紹介したCD、パンフィーリ作詞の器楽伴奏付きカンタータ「愛の妄想」(HWV99)は、ヘンデルがパンフィーリ邸に滞在し始めた1707年1月か2月頃の作品と考えられています。
パンフィーリは、自らの台本によるオラトリオ「時と悟りの勝利」(HWV46a)を1707年5月頃にヘンデルに依頼しています。この曲の初演の場所、日時は不明ですが、パンフィーリ枢機卿の邸またはオットボーニ枢機卿のカンチェッレリーア宮殿で初演されたとも言われています。この曲のリハーサルで、コンサート・マスターのコレッリは激しいフランス風序曲が理解出来ず、ヘンデルはイタリア風の序曲に置き換えたとされています。
また、パンフィーリ枢機卿はヘンデルを賛美するカンタータの詩を書いて、ヘンデルに作曲させています(「ヘンデルよ、私のミューズは」(HWV117))。(続く)。
(出典:三澤寿喜著「ヘンデル」、音楽之友社、2007年)

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イタリア語カンタータ「愛の狂乱」他

2009-09-21 21:46:32 | ヘンデル

Scan10399ローマでのヘンデルの最初の保護者は、ベネデット・パンフィーリ枢機卿(1653-1730)で、詩人として才能があった人物のようです。パンフィーリ枢機卿はヘンデルに、最初のオラトリオ「時と悟りの勝利」やカンタータ「愛の狂乱」(HWV.99)の詞を提供しています。
Virginから、『ヘンデル:イタリアン語カンタータ「愛の狂乱」他』(TOCE55786)が出ています(ソプラノ:ナタリー・デセイ、指揮&ハープシコード:エマニュエル・アイム、演奏:ル・コンセール・ダストレ)(録音:2005年6-8月、フランス)。
①「愛の狂乱」(HWV.99)/
②「アーチ、ガラテーア、ポリフェーモ」(HWV.72)から
  アリア「ここでは小鳥が喜ばしげに木から木に飛び回り」/
③「心が躍る」(HWV.132b)/
の3曲です。
「愛の狂乱」(HWV.99)は非常に魅力的で、愛らしいカンタータです。オーボエの旋律が楽しく、何回も聴きたくなります。後期の作品といってもいいような感じです。
「アーチ、ガラテーア、ポリフェーモ」(HWV.72)はイタリア語のカンタータで最も長いもので、1708年6月にナポリを訪問した時に作曲されています。

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やっと休暇....

2009-09-19 22:00:00 | ヘンデル
今年もバタバタとしていたら、もう9月といった感じです。やっと休暇らしきものが取れそうです。今年は、バッハよりヘンデルを多く聴いてみました。ヘンデルのワンパターンと思えるオペラも、じっくり聴いてみると段々彼の世界に引き込まれていきます。人間そのものを生き生きと描いた作風はバッハとは正反対のようにも思えますが、ヘンデルがバッハと同様の立場(カントル)になっていれば、おそらくバッハにも劣らない教会カンタータを作曲したに違いないと強く確信しています。ずーっとヘンデルを聞いて、ふとバッハを聴くと、今まで気付かなかったバッハの奥深さを改めて感じます。





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ヘンデルの「イタリアン・カンタータ集(第2巻)」

2009-09-12 21:03:34 | ヘンデル

Scan10398 GLOSSAのヘンデル:イタリアン・カンタータ集Vol.2「Le Cantate per il Marchese Ruspoli」です(指揮&チェンバロ:ファビオ・ポニッツォーニ、演奏:アンサンブル・リゾンナ)(録音:2005年8月、イタリア)。ソプラノはエマヌエラ・ガッリとロベルタ・インヴェルニッツィです。


収録曲は、1707年にローマで作曲された、
①カンタータ「捨てられたアルミーダ」(HWV.105)/
②カンタータ「女猟師ディアナ」(HWV.79)/
③カンタータ「お前は誠実か、お前は貞節か」(HWV.171)/
④カンタータ「ひっそりと静かな夜」(HWV.142)/
⑤カンタータ「恋する魂は」(HWV.173)
の5曲です。
いずれの曲も魅力ある素敵なカンタータです

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ヘンデルのイタリア修行-その2-

2009-09-06 21:30:42 | ヘンデル

ヘンデルが留学した頃のイタリアは、貧富の差が大きく、孤児や乞食が溢れており、一部の裕福な貴族や枢機卿が進んで芸術を保護し、優秀な音楽家を雇い私邸で演奏会を開き、音楽文化を支えていました。ローマでのヘンデルの保護者は四人いたようで、カルロ・コロンナ枢機卿、ベネデット・パンフィーリ枢機卿、ピエトロ・オットボーニ枢機卿、フランチェスコ・マリア・ルスポリ侯爵(のちに公爵)です。この中で後3者のパンフィーリ枢機卿、オットボーニ枢機卿、ルスポリ侯爵らは「アッカデミア・デッラルカディア」(以下「アルカディア」)の会員でした。イタリアには「アッカデミア」と呼ばれる様々な文化団体がありましたが、「アルカディア」は1690年に創設された文学的な活動をしていた「アルカディア」です。この団体はイタリアの詩を簡素で自然なものに戻すことを目指していたようで、そこでは音楽が重要な役割を果たしており、そこで作られた詩は多くは世俗カンタータとして音楽付けされ、演奏されることを目的とされていました。各会員が輪番制によりホストを務め、私邸で集会を開いていたようです。音楽家はこの団体には入会は認められませんでしたが、例外的にアルカンジェロ・コレッリ、ベルナルド・パスクィーニ、A・スカルラッティはオットボーニ枢機卿の紹介で、1706年に入会しています。ヘンデルは入会を許されなかったようです。音楽家は、カンタータ以外にも、時折大規模なセレナータやオラトリオの上演も邸内で行っていましたが、当時のローマでは教皇令により娯楽性の高いオペラの上演は禁止されていました。ヘンデルもイタリア滞在中に百曲近くの世俗的なカンタータと二つのオラトリオを作曲していますが、これらの曲は以上の状況から生まれています(続く)。
(出典:三澤寿喜著「ヘンデル」、音楽之友社、2007年)

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ヘンデルの「イタリアン・カンタータ集(第1巻)」

2009-05-29 23:31:22 | ヘンデル

Scan10004 GLOSSAから、ヘンデルがイタリア滞在中に作曲されたカンタータを全曲録音する企画が出ています。指揮&チェンバロがファビオ・ポニッツォーニ、演奏はアンサンブル・リゾンナです。左のCDは第1巻「Le Cantate per il Cardinal Pamphili」で、1706-1707年に作曲された、「炎の中で」(HWV.170)、「フィッリの夜の思い」(HWV.134)、「あの宿命の日から(愛の妄想)」(HWV.99)、「高貴な望みの子」(HWV.113)(録音:2005年10月、イタリア)が収録されており、ソプラノはロベルタ・インヴェルニッツィです。
いずれの曲もミニ・オペラ風で、既にイタリア時代にその後の素晴らしいオペラ群の殆どの基礎が出来上がっているように感じます。魅力ある素敵なカンタータです。恐るべし若き日のヘンデル!

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ヘンデルのイタリア修行-その1-

2009-05-28 22:19:06 | ヘンデル

ヘンデルはバッハとは違い音楽一家ではなく、いつ何処でどのように音楽を修行してきたのかは非常に興味深いものがあります。勿論、天賦の才能(突然変異!?)ですが、イタリアでの修行時代がもっとも彼の将来を決定したようです。三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)を参考にさせて頂き、イタリアでのヘンデルの活動について簡単に触れたいと思います。
 イタリア時代は1706-1710年ですが、彼はイタリアの前にはハンブルグに滞在しています(1703-1706年)。ハンブルグは宮廷を持たない自由都市で、その当時、宮廷以外でオペラを上演する国民オペラが盛んでした。その中心人物がカイザーという人物で、彼からオペラについて大きな影響を受け、ヘンデル初のオペラ「アルミーラ」もこの時に作曲しています。
 当時、ハンブルグには多くの著明人が集まっており、ヘンデルはイタリアのメディチ家のフェルディナンド(1663-1713)と知り合っています(フェルディナンドの弟のジャン・ガストーネであったとういう説もあるようです)。フェルディナンドの父は、トスカナの君主、大公コジモ三世ですが、二人の息子(フェルディナンドとジャン・ガストーネ)にも、また大公の弟のフランチェスコにも世継ぎがなく、500年にわたるこの名門(メディチ家)の危機が迫っていたようです。フランチェスコは音楽に造詣が深く、積極的に保護しており、ヘンデルにイタリアに音楽の勉強に来るように誘ったようです。イタリアは16世紀半ばからスペインの支配を受けており、ヨーロッパでの指導的地位を失っていたばかりではなく、1700年初頭からスペイン王位継承権をめぐり、イタリア北部は戦火が絶えなかったようです。
  ヘンデルは1706年の夏から秋にかけて、このような政情不安定な危険なイタリアに、自費留学で入っています。ヘンデルはそこまでしても本場でオペラを勉強したかったのでしょう。感服!。最初の滞在地はフィレンチェのフェルディナンドの宮殿(ピッティ宮殿)であったと考えられており、フィレンチェ滞在中にヘンデルはA.スカルラッティ(1660-1725)のオペラ《偉大なるタメルラーノ》の上演を観たようです。しかし、フィレンチェには長居せず、1706年の末から1707年1月始めには既にローマに移動しています。
 ヘンデルが滞在していた頃のローマは人口約10-14万人で、ミラノ、ヴェネツィア、ウィーンと同等で、ナポリやライプツィッヒが約25万人、ロンドンの約50万人と比べれば約1/4であり、あまり大きな都市ではなかったようです。(続く)

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ヘンデルの「シャンドス・アンセム集」

2009-05-03 23:25:15 | ヘンデル

Scan10002 Hyperionから、「ヘンデル シャンドス・アンセム集」(CDA-67737)(スティーブン・レイトン指揮、ケンブリッジ・トリニティ・カレッジ合唱団、アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック)(録音:2008年6月29日-7月1日、トリニティ・カレッジ礼拝堂、ケンブリッジ)が発売されていました。このCDに収録されているのは、HWV.254、256a、252の3曲です。(アンセムとは、イギリス国教会の礼拝用のための教会音楽を指します。)
NAXOSからも、「ヘンデル:王室礼拝堂のための音楽」(NAXOS:8.557935)(アンドリュー・ガント指揮、王室礼拝堂合唱団)(録音:2005年7月18-20日、Chapel Royal、St James's Palace、ロンドン)が出ていますが、これには、HWV.256b、250b、251d、249a、251aが収録されています。
三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)を参考にさせて頂くと、ヘンデルは1711年にイギリスに移住し、同年2月24日のオペラ「リナルド」の初演の大成功以来、一時期ハノーファーに帰国した以外は、ずっとロンドンでオペラ活動をしていましたが、英国王室の政情不安、経済危機により、1717年6月29日にヘイマーケット国王劇場が閉鎖したため、オペラ活動を中断しなくてはならない状況になったようです。
その頃に、カーナボン伯爵であるジェイムズ・ブリッジズから保護の申し出があり、1717年夏から1718年末までの約1年半をキャノンズで過ごしています(ジェイムズ・ブリッジズは1719年にシャンドス公爵となっている)。彼はロンドン近郊エッジウェアの村近くのキャノンズに私的な礼拝堂を有するキャノンズ邸を建てて、日曜日ごとに合奏団・合唱団「キャノンズ・コンサート」を伴う礼拝を行っていたようです。ヘンデルの身分は「住み込み作曲家」で、キャノンズ滞在中はイタリア・オペラから完全に離れて、私的な礼拝用や娯楽用の英語作品に専念しています。ヘンデルは、アンセムの作曲を通じて、英語作品に習熟したようで、ここでの経験が将来の英語オラトリアの原点になっているようです。
このヘンデルのアンセム集は、30歳代前半に作曲されていますが、本当に美しく、バッハにも劣らない傑作揃いです。一般的にあまり知られていないのが本当に不思議です

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マグダレナ・コジェナーの「ヘンデルのアリア」

2009-04-30 23:09:09 | ヘンデル

Scan10001 Archivから出ている、『「ああ、わが心よ!」-ヘンデル・アリア集』(UCCA-1077)(メゾ・ソプラノ:マグダレナ・コジェナー、アンドレーア・マルコン指揮、ヴェニス・バロック・オーケストラ)(録音:2006年3月、トブラッハ)を聴いてみました。以前、DVDで彼女の歌う姿を見て衝撃をうけてから、お気に入りの歌手の一人になっています。ヘンデルを歌っているとは知らず、このCDを見つけて、やったー、といった感じで即買いました。カバー写真もうまく撮れており、彼女にしては珍しくやや悩ましげな表情が魅力的です。
彼女の迫真の歌唱は、鬼気迫るものがあり、いつも感動させられます。あまりにも感情が入りすぎて息が詰まって(窒息?)、血圧も上がるのではないかと、つい心配してしまう位です。このCDも、細微に至るまで神経を研ぎ澄ました、隙が無く、かつ圧倒的な表現力はすばらしいと思いました。完璧と言えるほどの歌唱力ですが、あまりにも感情が入りすぎて、ちょっと苦しげな息使いが聞こえるのが、ヘンデルの曲によってはやや重苦しく感じることもありますが、これが彼女の特徴で、魅力的な所でもあります。かの有名な歌劇《リナルド》の「私を泣くがままにさせて」を聴いても、彼女の特徴が良く出ています。ドゥ・ニースの天心爛漫な明るい歌声を聴いた後にすぐに聞き比べると、大袈裟ですがまったく違った曲にさえ聞こえます。
ヘンデルのオペラは、歌手や演奏の仕方によって、魅力が全然違ってくると言われていますが、コジェナーの歌を聴くとそのことを実感します。彼女の次の新譜のCDを期待しています

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