ジョン・ハイズマン Philip John Albert "Jon" Hiseman
【パート】
ドラムス、パーカッション
【生没年月日】
1944年6月21日~2018年6月12日(73歳没)
【出生地】
イングランド ロンドン、ウールリッチ
【経歴】
イアン・バード・クインテット/Ian Bird Quintet
ウェス・ミンスター・ファイヴ/The Wes Minster Five(1960~1962)
ニュー・ジャズ・オーケストラ/The New Jazz Orchestra(1964~1970)
マイク・テイラー・カルテット/Mike Taylor Quartet(1965)
ピーター・レマー・クインテット/Peter Lemer Quintet(1966)
ピーター・ブラウン&ヒズ・バタード・オーナメンツ/Peter Brown & His Batterd Ornaments(1966)
グラハム・ボンド・オーガニゼイション/Graham Bond Organisation(1966~1967)
ジョージー・フェイム&ザ・ブルーフレイムズ/Georgie Fame & The Blue Flames(1967~1968)
ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ/John Mayall's Bluesbreakers(1968)
コロシアム/Colosseum(1968~1971)
テンペスト/Tempest(1972~1974)
コロシアムⅡ/ColosseumⅡ(1975~1978)
グリーンスレイド/Greenslade(1977)
ザ・ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル/The United Jazz+Rock Ensemble(1977~2002)
バーバラ・トンプソンズ・パラフェナリア/Barbara Thompson’s Paraphernalia(1979~)
コロシアム/Colosseum(1994~2015)
JCM(2017~2018)
ジョン・ハイズマンは,、1960年代から2010年代にかけて活躍したイギリスのドラマー、バンド・リーダー、音楽プロデューサー、音楽出版者、レコーディング・エンジニアである。
テクニカルかつパワフル、そしてタイム感覚の正確さを兼ね備えたドラマーである。
ジャズとロックの両分野で活動し、プログレッシヴ・ロックを形作った源流のひとつであるジャズ・ロック・グループ「コロシアム」のほか、「テンペスト」「コロシアムⅡ」を率いた。
音楽プロデューサーとしての評価も高い。
プロデューサーといて活動しはじめたのは1970年代でる。妻であるサックス奏者バーバラ・トンプソンのプロジェクトや自身の作品などのほか、ディック・ヘクストール=スミスのソロ第一作『ア・ストーリー・エンデッド』や、イアン・カーの在籍していたバンド「ニュークリアス」のアルバムなど、数多くの作品を手がけている。
バーバラ夫人とは1967年に結婚し、2018年に亡くなるまでともに暮らした。
シンガーソングライターのアナ・グレーシーはハイズマンの娘である。
ジョン・ハイズマンは、ロンドン南東部のウールリッジで、キャンバーウェル美術工芸学校の講師である父フィリップとイングランド銀行の音楽図書館司書として働いていた母リリーの間に生まれた。
母リリーはピアノとフルートを演奏することができた。また父方にはミュージック・ホールの芸人や、ダンス・バンドのミュージシャンがいた。
名前の綴りは、芸名は ’Jon’ だが、本名は ‘John’ である。
これは、メロディーメーカー誌が1964年のある記事で、ハイズマンの名前を「Jon」と綴ったことに端を発する。これをきっかけとして、ハイズマンは以後名前の綴りを「Jon」としたのである。
アディ・アンド・スタンホープ・スクール通うようになったハイズマンは、ヴァイオリンやピアノのレッスンを受けるようになる。そしてコルフェス・グラマー・スクールに進むとドラムを始め、クラスメイトだったデイヴ・グリーンスレイド(piano)やトニー・リーヴス(contrabass)とアマチュア・バンドを組んで演奏するようになった。
1960年、ジョン・ハイズマン(drums)、デイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、トニー・リーヴス(bass)、クライヴ・バロウズ(sax)、ポール・マクドウェルの、高校の仲間5人によって「ウエス・ミンスター・ファイヴ」(Wes Minster Five ロンドンのウェストミンスターをもじっている)が結成される。このバンドがのちの「コロシアム」の母体である。
また1960年代の前半には、トニー・リーヴスやクライヴ・バロウズが在籍していたロンドンのジャズ・バンド「イアン・バード・カルテット」に加わっている。
ウエス・ミンスター・ファイヴは、彼らの卒業の年である1962年に解散。その後ハイズマンは、1964年にニール・アードレイらの若手ジャズ・ミュージシャンたちと「ニュー・ジャズ・オーケストラ」を結成して、イギリスのジャズ・シーンで注目されるようになる。ちなみに、このオーケストラは「イアン・バード・カルテット」を母体としたものであった。
1965年には、いずれもリーヴスがベーシストを務めていた「マイク・テイラー・トリオ」や「ピーター・レマー・クインテット」に参加するなど、1960年代半ばまではジャズ・シーンでの活動を中心としていた。
1966年5月、ジンジャー・ベイカー(drums)の後任として、ジャック・ブルース(bass)やディック・ヘクストール=スミス(sax)らが在籍していた「グラハム・ボンド・オーガニゼーション」に加入する。
この頃のハイズマンは、ユニリーバのマーケティング・マネジメントの研修員として日雇い勤務をしていたが、グラハム・ボンド・オーガニゼーションに加入したのをきっかけに、フルタイムのミュージシャンとなった。
この1966年には、「ジョージー・フェイム & ザ・ブルー・フレームズ」にも短期間加わっているほか、「ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」のデビュー・シングル「Devil’s Grip」の録音にも参加している。
1968年4月、ハイズマンはトニー・リーヴスとともに「ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ」に加入する。このバンドにはグラハム・ボンド・オーガニゼイションを脱退したディック・ヘクストール=スミスが在籍していた。
ブルースブレイカーズでは、ジャズ色を強めた名盤『ベア・ワイヤーズ』の録音に参加(1968年6月発表)しているが、同年8月には、リーヴス、ヘクストール=スミスとともにブルースブレイカーズを脱退し、新たなバンドの結成に向けて動き始める。
ハイズマンは、新しいグループの結成に向けて、1968年8月17日付のメロディ・メイカー紙でメンバー募集の告知を行った。これを見て応募してきたのがジム・ローチェ(guitar)とジェームス・リザーランド(vocal)である。このふたりに加え、ローチェとは旧知の中であり元ウエス・ミンスター・ファイヴのメンバーでもあるデイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、そしてブルース・ブレイカーズから行動を共にしていたリーヴス(bass)、ヘクストール=スミス(sax)がグループに参加、計6人でリハーサルを開始する。(なおハイズマンは、ヘクストール=スミスとともに「ニュー・ジャズ・オーケストラ」の一員としての活動も継続している)
このバンドが「コロシアム」である。
コロシアムは1968年10月11日~12日、スカボローのディスコ「シーン・トゥー・クラブ」でデビュー・ライヴを行い、翌11月には英フォンタナ・レコードと契約したほか、クリームの解散コンサートにも出演している。
12月に録音が始まったファースト・アルバムは、1969年5月に「コロシアム・ファースト」として発表されたが、これは全英チャートで15位まで上昇するヒットを記録した。
コロシアムはこの後1971年にかけて「ヴァレンタイン組曲」「ドーター・オブ・タイム」「コロシアム・ライヴ」を発表するが、すべて全英アルバム・チャートで30位以内を記録しており、アート・ロックが席捲していた当時のロック界にあって注目に値するグループとして活躍した。
1970年8月にはナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァル出演している。
コロシアムは、ジャズ、ブルース、ロックなどを融合させたユニークなスタイルと圧倒的な演奏力でイギリスを代表するジャズ・ロック・グループとして大きな存在感を示していたが、1971年11月に解散する。
1971年11月6日付のメロディ・メイカー紙は、コラシアムの解散を報じ、これを惜しんでいる。
コロシアム解散後、ハイズマンはジャズ・シーンでその存在を知られつつあった新進ギタリスト、アラン・ホールズワースと知り合う。
ハイズマンはホールズワースを迎え入れ、ポール・ウィリアムズ、コロシアムのメンバーだったマーク・クラークのふたりを加えて、1972年6月にハード・ロック色の濃いストレートなロック・バンド「テンペスト」を結成した。
テンペストはデビュー・アルバム「テンペスト」をリリースした後にウィリアムズが脱退し、後任にオリー・ハルソールが加わって一時的にツイン・ギター編成となったが、今度は自分の音楽的指向を追求するホールズワースがバンドから離脱し、それに伴いハルソールがギターとボーカルを兼ねるロック・トリオになった。
テンペストは、2枚のアルバムを残して1974年5月に解散する。
1975年、ハイズマンはギタリストのゲイリー・ムーアに出会い、「Peter And The Wolf」のロック・バージョンをレコーディングする。これがきっかけとなって、ハイズマン、ゲイリー・ムーア(guitar)、ドン・エイリー(keyboard)、ニール・マレー(bass)、マイク・スターズ(vocal)の5人でフュージョンの影響を受けたハード・ロック・バンド「コロシアムⅡ」を同年結成。
1978年、コロシアムⅡは、ミュージカル作曲家として著名なアンドリュー・ロイド・ウェバーとのコラボレーションを行っている。
弟のチェロ奏者ジュリアン・ロイド・ウェバーをフィーチャーしたアルバムの制作を考えていたアンドリューがたまたまコロシアムⅡのサウンドに出会い、このプロジェクトにオファーを送ったのである。これがアンドリュー・ロイド・ウェバーとハイズマンとの関係の始まりである。
アンドリューは、ジュリアンとコロシアムを起用して、ITVのアート番組の「The South Bank Show」のテーマ曲が収録されているアルバム「Variations」をリリースしている。ジュリアンはこの時の共演について、「普段コンサートで演奏しているチェロ奏者に合わせて、すぐにそのニュアンスを捉えるのは多くのドラマーにとって難しい事だが、ジョンにはそれが可能であり、形にできていた」というコメントを残している。
1970年代半ばのハイズマンは、デイヴ・グリーンスレイドのアルバム「カクタス・クワイア」のツアーに参加して、グリーンスレイドと共演しているほか、1970年代後半からは、妻でサックス奏者のバーバラ・トンプソン(1967年に結婚)が率いる「パラフェナリア」に参加したり、トンプソンやイアン・カーらとともに、英米独混成のジャズ・フュージョン・グループ「ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル」に創立メンバーとして加入するなど、精力的に活動を続けた。
このふたつのグループは長年にわたって活動を続けた。
1982年、ハイズマンは自宅の隣に当時の最先端の設備を取り入れたレコーディング・スタジオを建設した。
ハイズマンとバーバラ・トンプソンは、そのスタジオで映画やテレビのサウンドトラックの制作を手がけたほか、ハイズマンはレコーディング機材の貸し出しも行うレコード・レーベル、「TM」を設立した。
またハイズマンは、有名なドイツ人の音楽家も参加していたグループ、「ユナイテッド・ジャズ・アンド・リック・アンサンブル」の一員にもなった。彼のドラム・ソロが収録されたバンドのアルバム「About Time Too!」は、1991年にリリースされている。
1994年6月、全盛期と同じラインナップ(ハイズマン、クリス・ファーロウvocal、クレム・クレムソンguitar、デイヴ・グリーンスレイドkeyboards、マーク・クラークbass、ディック・ヘクストール=スミスsax)でコロシアムを再結成する。
1997年には23年ぶりのスタジオ・アルバム「Bread and Circuses」を発表した。2003年には『Tomorrow’s Blues」(2003年)をリリースしている。
コロシアムは精力的にライブを行い、バーバラ・トンプソンもさまざまな機会に客演していたが、2004年にディック・ヘクストール=スミスが死去したのちは、トンプソンが後任として正式に加入した。
2007年には初の日本公演が実現、2月17日~18日にクラブチッタ川崎で演奏した。
2010年10月、ハイズマンの伝記「Playing the Band」が出版された。 著者はマーティン・ハンソンで、コロシアムの元マネージャーであるコリン・リチャードソンによって編集されたものである。
2014年、コロシアムは11年ぶりのスタジオ・アルバム「タイム・オン・アワ・サイド」を発表したが、2015年2月28日にロンドンのO2・シェパーズ・ブッシュでの公演を最後に活動を終了した。
その後ハイズマンは、技術を磨いてジャズ・ロックの領域でトップ・ミュージシャンになり、最前線での活躍を続けてきたことが高く評価され、2016年のプログレッシブ・ミュージック・アワードでヴィジョナリー・アワード(「先見の明のある人」に贈られる賞)を受賞している。
2017年には、クレム・クレンプソン(guitar, vocal)、マーク・クラーク(bass, vocal)とともに「JCM」という新しいトリオを結成、同年にはアルバム「Heroes」をレコーディングした。JCMは2018年4月にファースト・アルバムをリリースし、4月7日にツアーを開始した。
2018年5月、家族によってハイズマンが癌性脳腫瘍の治療を行っていることが発表された。
腫瘍の除去手術を行ったが結果は思わしいものではなく、6月1日にはホスピスに入院する。
6月12日午前3時55分、ハイズマンは腫瘍の除去手術後の脳出血により、ロンドンのサットンで死去。74歳の誕生日まであと9日だった。
2022年7月9日、ハイズマンの妻バーバラ・トンプソンが長年の闘病生活のすえ77歳で死去。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ソロ・アルバム>
1982年 A Night in the Sun
1986年 Ganz Schön Heiss, Man!
1991年 About Time Too! Drum Solos
<コロシアム>
1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(UK15位)
1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(UK15位)
1970年 グラス・イズ・グリーナー/The Grass Is Greener ※アメリカのみ発売
1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(UK23位 ドイツ36位)
☆1971年 コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(UK17位 オーストラリア48位)
☆1995年 LiveS The Reunion Concerts 1994
1997年 Bread & Circuses
2003年 Tomorrow's Blues
☆2003年 コロン1994-リユニオン・コンサート/Live Cologne 1994
☆2003年 The Complete Reunion Concert
☆2007年 コロシアム・ライヴ!05/Live05
☆2009年 Theme for a Reunion
2014年 タイム・オン・アワ・サイド/Time on Our Side
☆2015年 Live At Boston Tea Party, August 1969
☆2020年 Live At Montreux Jazz Festival 1969
☆2020年 Live At Ruisrock, Turku, Finland, 1970
☆2020年 Live At Oioer Club, Rome, Italy 1971
☆2020年 Live '71, Canterbury, Brighton & Manchester
<テンペスト>
1973年 テンペスト/Tempest
1974年 眩暈/Living In Fear
2005年 Under The Blossom:The Anthology
<コロシアムⅡ>
1976年 ストレンジ・ニュー・フレッシュ/Strange New Flesh
1977年 エレクトリック・サヴェイジ/Electric Savage
1977年 ウォーダンス/War Dance
<参加アルバム>
*ニュー・ジャズ・オーケストラ
1965年 Western Reunion London 1965
1969年 Le Dejeuner Sur L’herbe
☆2008年 Camden ’70 ※1970年のライヴ
*ピーター・レマー
1968年 ローカル・カラー/Local Colour
*マイク・テイラー
1966年 Pendulum ※マイク・テイラー・カルテット名義
1966年 Trio ※マイク・テイラー・トリオ名義
★2007年 Remembered
*ハワード・ライリー・トリオ
1967年 ディスカッションズ/Discussions ※限定100枚の自主制作盤
*ジョン・メイオール & ザ・ブルースブレイカーズ
1968年 ベア・ワイアーズ/Bare Wires
*ジャック・ブルース
1969年 ソングス・フォー・ア・テイラー/Songs for a Tailor(US55位 UK6位)
1970年 シングス・ウィ・ライク/Things We Like
★1972年 アット・ヒズ・ベスト/At His Best
*グラハム・ボンド
1970年 ソリッド・ボンド/Solid Bond
*キーフ・ハートリー・バンド
1971年 Overdog
*ディック・ヘクストール=スミス
1972年 ア・ストーリー・エンディッド
*ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル
1977年 Live Im Schützenhaus
1978年 Teamwork
1979年 The Break Even Point
1981年 Live in Berlin
1984年 United Live Opus Sechs
1984年 Highlights
1987年 Round Seven
1992年 Na Endlich! Live In Concert
1994年 Highlights II
1996年 Die Neunte Von United
1998年 The UJRE plays Albert Mangelsdorff
1999年 X
2002年 The UJRE plays Wolfgang Dauner
2002年 The UJRE plays Volker Kriegel
*バーバラ・トンプソンズ・パラフェナリア
1978年 Barbara Thompson's Paraphernalia
1979年 Wilde Tales
☆1980年 Live in Concert
1984年 Pure Fantasy
☆1985年 Live in Berliner MetropolーTheater
☆1988年 A Cry from the Heart
1991年 Breathless
1993年 Everlasting Flame
1995年 Lady Saxophone
1997年 Nightwatch
1998年 Shifting Sands
2000年 Thompson's Tangos and Other Soft Dances
2003年 In the Eye of a Storm
2005年 Never Say Goodbye
2015年 The Last Fandango
*バーバラ・トンプソン
1978年 Barbara Thompson's Jubiaba
1982年 Mother Earth
1982年 Ghosts
1986年 Heavenly Bodies
1990年 Songs from the Center of the Earth
2011年 George Martin Presents
*Shadowshow
1985年 Shadowshow
*JCM
2018年 Heroes
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