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デイヴ・ボール

2025-02-23 10:54:59 | guitar

デイヴ・ボール Dave Ball


 【出生名】
   デヴィッド J. ボール/David J. Ball

 【パート】

   ギター

 【生没年月日】
   1950年3月30日~2015年4月1日(65歳没)

 【出生地】
   イングランド バーミンガム市

 【経 歴】
   
The Rockin’ Perfidias 1962~1963
   The Deadbeats 1963~1965
   Thomas Paul’s Blues Disciples 1965
   The Little People 1965~1966
   The Madding Crowd1966~1967
   Chicago Hush 1967~1968
   Ideal Milk 1968
   エース・ケフォード・スタンド/Ace Kefford Stand 1968~1969
   ビッグ・バーサ/Big Bertha 1969~1971
   プロコル・ハルム/Procol Harum 1971~1972
   ロング・ジョン・ボルドリー・バンド/Long John Baldry Band 1972
   ザ・ビースト/The Beast → ベドラム/Bedlam 1972~1974
   Duffo 1980~1981
   Nicole Barclay Band
   Melnourne To Memphis
   Euro Trash


 1950年3月30日、バーミンガム市ハンズワースに生まれる。
 兄のデニス・ボール(bass)、ピーター・ボール(keyboard)もミュージシャンである。

 ロー・ティーンの頃にはすでに音楽活動を始めている。
 1962年に兄のデニスやピーターらと「ザ・ロッキン・パーフィディアス」(のちの「ザ・デッドビーツ」)に加入。
 1965年にザ・デッドビーツが解散すると、兄弟は別々のバンドで活動を続ける。デイヴは「ザ・マッディング・クラウド」というバンドに加入して、ドイツに渡る。
 1967年、デニスとともに「シカゴ・ハッシュ」というブルース・バンドに加入するが、翌1968年4月にはデニスとともにバンドを離れ、「Ideal Milk」という名のリハーサル・バンドを組む。このバンドのメンバーは、デイヴ、デニスのボール兄弟と、コージー・パウエルの3人である。コージーは、デイヴのもうひとりの兄ピーターと「ザ・ソーサラーズ」(のちの「ヤングブラッド」)でのバンド・メイトであり、デイヴともドイツ時代から家を借りてシェアするなど旧知の仲だった。

 「Ideal Milk」は、1968年秋に元「ムーヴ」のエース・ケフォード(vocal)と合流し、「エース・ケフォード・スタンド」に改名する。彼らは翌69年4月にヤードバーズのカヴァー「フォー・ユア・ラヴ」でシングル・デビューを果たしたが、同年8月にはケフォードが脱退して活動を停止。パウエルは「ベイカールー」に加わり、ボール兄弟は新たなバンドの結成を計画するが、秋にはパウエルが戻ったため、10月に新バンド「ビッグ・バーサ」を結成した。このバンドのメンバーは、デイヴ・ボール(guitar)、デニス・ボール(bass)、ピーター・ボール(keyboard)、コージー・パウエル(drums)、ピーター・フレンチ(vocal)であり、ボール三兄弟が勢ぞろいしている。
 ビッグ・バーサは、「Big Bertha featuring Ace Kefford」名義で1969年10月にデビュー・シングル「This World’s An Apple」をリリース。1970年には西ドイツでシングル「Munich City」をリリースしたが、この2枚のシングルを残して1971年夏には解散した。

 1971年4月、コージー・パウエルがビッグ・バーサを離れて「ジェフ・ベック・グループ」(第2期)に加入。そしてデイヴ・ボールも同年「プロコル・ハルム」へ加入し、ビッグ・バーサは短い歴史に幕を下ろす。デイヴは、脱退したロビン・トロワーの後任を必要としていたプロコル・ハルムが「メロディ・メイカー」誌に出したギタリスト募集広告を見てこれに応募、1971年8月にバンドの一員となった。
 1971年11月18日、プロコル・ハルムはカナダのアルバータ州エドモントンでエドモントン交響楽団と共演した。このコンサートにデイヴも参加しており、その模様はライヴ・アルバム「プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ」として1972年4月にリリースされている。

 1972年9月、デイヴはアルバム「グランド・ホテル」の制作中にプロコル・ハルムから脱退する。アルバムの完成を目の前にしてのことだったため、後任のミック・グラバムがギターをオーヴァー・ダヴィングした。ただしデイヴは、2015年に受けたインタヴューで「収録されている『スーヴェニア・オブ・ロンドン』のギターとスプーンの演奏は自分自身のものだ」と述べている。また2009年にリリースされた「グランド・ホテル」のリマスターCDに収められているボーナス・トラック「ブリンギング・ホーム・ザ・ベーコン」のギターは、ボールの演奏によるものである。

 脱退後すぐロング・ジョン・ボルドリー・バンドに加入し、
ここで再びデニス・ボールと合流してボルドリーのソロ・アルバム「グッド・トゥ・ビー・アライヴ」(1973年リリース)の録音に加わった。

 1972年11月、弟デニスとともにコージー・パウエルと再び合流し、ハード・ロック・トリオ「ザ・ビースト」を結成。このバンドはまもなく名を「ベドラム」に改める。
 ベドラムは、フェリックス・パパラルディをプロデューサーに迎え、1973年8月にアルバム「狂人どもの舞踏会」を発表したが、短期間で解散した

 1980年かr1981年にかけてはオーストラリア人シンガーDuffoのバックを務めたほか、1980年代にはロンドンのニコール・バークレー・バンドにも参加している。
 その後は
ニュージーランドを拠点として、オーストラリアでも活動。さらに1988年頃はオマーンに居を移し、「ラシッド・ゴーズ・トゥ・ニズワ」というバンドで演奏したほか、サウジアラビアなどでも音楽活動を行った。また、彼は陸軍に入隊していた時期もあったようである。
 2007年7月、ロンドンでゲイリー・ブルッカーとライヴを行っているが、これがブルッカーとの最後の共演となった。また、プロコル・ハルムのトリビュート・バンド「ザ・ペイラーズ」とも時々共演していた。
 2012年には、ソロアルバム「Don't Forget Your Alligator」をリリースしている。

 2015年4月1日、イングランドのスタッフォードシャー州バートン・アポン・トレントで、大腸ガンのため死去した。65歳の誕生日の2日後であった。


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ>
  2012年 Don't Forget Your Alligator

 <プロコル・ハルム>
 ☆1972年 プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ
      /Procol Harum Live in Concert with Edmonton Symphony Orchestra(UK48位, US5位)

 <ロング・ジョン・ボルドリー・バンド>
  1973年 Good to Be Alive

 <ベドラム>
  1973年 狂人どもの舞踏会/Bedlam

 <Duffo>
  1980年 The Disappearing Boy

 <レコーディング・セッション>
  *Jonathan Kelly
  1972年 Twice Around The Houses


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