ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ

レバノンを拠点に、アラブ諸国を股にかけた過去を持つベリーダンサーASYA(アシア)の今と昔の奮闘日記

ロクム

2014-04-20 00:46:53 | 気持ち
ロクム。
トルコのお菓子、ロクム。
砂糖にでん粉とナッツを入れて作ったお菓子。
ご想像の通り、甘くて歯にくっつくような食感で、ピスタチオナッツを入れたり、ローズウォーターを入れてフレイバーにしたりと色々な種類があり、英語では別名、ターキッシュ・デライトとも言う。

さて、そんなこんなで今(2日前のその時)、トルコです。

連れに会いに向かっています。

連れの住むアフリカの地は、乗り換えなしで行けるところではなく(ってかアフリカはエジプト以外どこも乗り換えなしじゃ行けない気がするけど)、この度唯一のオプションとしてトルコ航空が名を上げた。

トルコ航空、乗り換えの便がトルコ航空で、イスタンブール空港での乗り継ぎ便のトランジット時間が長いとホテルの用意をしてくれるだの、無料の観光ツアーを用意してくれるだのあって(太っ腹だなぁ)、何だか最近色々力を入れているみたいだし、昔よく通った(?)トルコが経由地なら何となく心細くなく、という理由から。

ま、一番は値段だったのだけど。。。

ということで木曜日、成田空港に向かう。

久しぶりに総武線快電車速に乗って成田空港へ移動。
途中車内アナウンスで「行き先が二手に分かれますのでこの駅で車両切り離しを行います。11号車はまでは成田空港行き。その後の車両は他方面行き。」

11両まで?

それ結構後ろだよね?と思うけど、自分が乗っている車両が何番目だか分からず、焦る。

不確実を確実にするため、パンパンに詰め込んだ27キロの大きなスーツを抱えながらホームをとにかく前の車両を目標に進みひとまずセーフ。

以前、成田空港じゃなくて成田で降りてしまった苦い経験がある。
なんでそんなアホをするかって?
だってほとんど皆成田で降りちゃうから。
成田から先に行く電車で残っていた人は、平均して大体1車両につき2、3人。
「成田です、成田空港じゃないです」、ってアナウンスで言って欲しいと本気で思った若かりし頃。

なんだかんだでトルコに着く。

イミグレで係りのおじさんたちがsimit(スミットというトルコのパンの一種で、ゴマが沢山乗っていてほのかに甘い、朝ごはんに食べることが多い)を頬張っている姿を目撃する。日本では絶対見ない光景に、自由だ。。。

観光ツアーは帰りに申し込もうと思っていたので、行きのトランジットに関しては、空港で時間をつぶすつもりでいた。

到着が早朝5時。待ち時間、9時間。

あれ、ホテルで休むってオプション、使えるよね?と問うも、エコノミークラスだとそのサービスは10時間以上のトランジット時間じゃないとダメなのよ、と教えてもらう。

ガーン

1時間の違いでサービスが受けられないってなんだか損した気分。
ま、決まりなのでしょうがない。。。

それでは、と空港内を散歩してみる。

特に何があるわけではないし、おまけに座席の数の少ないこと。

9時間は、辛い。

そこで私は思い立つ。

そうだ、鯖サンドを食べに行こう!と。

お前はグルメ特派員か。

鯖サンドはサウンドの通り、パンに焼き鯖を挟んだサンドイッチ。
エミノニュという船乗り場エリアにある海沿いの露店のおじさんたちがこぞって鯖を焼き、パンに挟んでいるというもの。
美味しいの?と思うのも無理はないが、トルコの美味しいパンに、脂がのった焼き鯖、玉ねぎとトマトのスライスが入っていて塩加減は抜群。できたてホヤホヤの温かいそれにレモン汁をかけて頬張る。実は意外に美味しいのだ。いや、本当に美味しいのだ。

空港で高くて味気ない食事をするのなら、いっそのこと表へ出てこよう、と、人の流れに逆らってトランジットの待ち合い空間から出る。

入国する。

とりあえず、インフォメーションセンターで、メトロ、そしてトラムの乗り方を確認しようと錆び付いたトルコ語で会話を試みる。案外イケる。話が弾むに連れ、案の定、対応してくれたお兄ちゃんは私の年齢を問う。なんかもうお決まりみたいなので、こちらもお決まりのように5歳ほど鯖を読む。失礼、サバを読む。するとまたお決まりのようにもう既に5歳もサバを読んでいるにもかかわらず、冗談でしょう?ぜーんぜんもっと若く見えるよ、と言ってくれる。もうここは素直に受け入れようと思う大人になった自分。

30分ほどのいらないインフォメーションの交換。
軽く無駄に時間を費やしたところでまた思う。
人生無駄なことなんてないはずさ、と。

と、いうことでこの調子で書いてしまうと時間がかかってアップロードに支障をきたすので、この後の話は簡潔に絵付きでどうぞ。

いざ出かける前にトイレに行く。
手を洗った後に使うペーパータオルを発見。
Motion Activated(動作で作動するよ!的な表示)にあの絵が描いてあるので、黒い部分前で一生懸命手を振ったり掌をかざしてみたりする。
反応がない。
仕方がないので持ってるハンカチで手を拭く。
(はじめからそうしろ)



だいぶ長い間観察してて分かったのが、何人も私と同じことをして諦める。
結局あの黒い部分は押さないといけないらしい。
あの絵も字も間違ってるでしょう。
どこの会社だよ、あれ作ったの?笑

空港から市街へメトロ、トラムを乗り継ぎ移動。

これは帰りのメトロから空港に向かった時の写真。



エミノニュに行くつもりが、乗ったトラムが4、5駅前が終点だったため、ブラブラしながら歩くことにした。

降りた駅が観光地の一つ、グランバザールだったため、グランバザールを通ることにする、、、鯖サンドを食べに行く前にこれからの長い(?)道のり駅広場でペイニール=チーズのボーレッキ(パイのようなペストリーで、中にはチーズか挽肉か、はたまた中身なしの甘いバージョンでも食べられる)とざくろジュースで乾杯。





おいおい、鯖サンド食べに行くのでは?

バザール内。







トルコは写真撮っても文句言われないのが良い!

イスタンブールといえば、通称ブルーモスクというスルタン・アフメット・ジャーミィ(ジャーミィ=トルコ語でモスクのこと)も歩いて通る。

ブルーモスク周辺でも、全く客引きに合わない。

もはや日本人に見えないのだろう。汗

がしかし、ブルーモスク周辺で、3人の中学生くらいの子に声をかけられる。
観光客にアンケートを取るんだって。
学校の宿題らしい。
うんうん、おばさん協力するよ。



ここの前に行ったところは?
グランバザール。

この後行くところは?
鯖サンドを食べに行くの♪ 恥

と答え終わって後しばらくして考える。。。もし彼らがスリなどだったら、私完全にアウトだったかも、と。
もちろん違ったけど。

時間に余裕がなくなってきた。

少し、雨が降ってくる。



パスターネ(お菓子屋さん)が気になる。

立ち寄る。(写真忘れた)

おじさんが味見にロクムをくれる。

バクラバというこちらもあっまーいお菓子を詰め合わせにしてもらい購入。

トラムの駅で、あと2駅。
エミノニュに向かって歩く。

雨がもっと降ってくる。

空港に戻らなければいけない時間が近づく。

時間がおす。

あと1駅まで来ていたにもかかわらず、強まる雨、寄り道しすぎたという二つの要因の結果、諦めてもと来た道をトラムに乗って帰っていく。

帰り道での写真パレード。

トルコはチューリップの起源の地。


鯖サンドのショックからのやけ食い。


私の好きなvisne suyu(ヴィシュネ スユ)は、さくらんぼジュース。


空港にてトルコののびーるアイス屋さん。(食べてはない)


なぜロクムを取り上げたかというと、食べたら虫歯の被せ物が取れたから。

美味しいけど、ロクムよ。。。ってかロクム勧めたおっさんよ。。。

というわけで歯がかけたままコンゴ民主共和国に出発となる。


若干トルコ航空の宣伝をしたような気もする。。。笑


疲れすぎて今日は文章が良いとは思えません。
とにかく、読んでくれてありがとう。
コメント (4)
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Life goes on

2014-03-31 01:51:54 | 気持ち
Life goes on.


まだ10代の頃、失恋に傷ついた私に、2つほど年下の友達が言った。

実は、あまり好きになれない言葉だった。

好きで好きで仕方がなかった彼が、私を長いこと裏切っていた上、別れを告げてきた。

随分後になって、大した奴じゃなかったな、と思ったけど、ティーンエイジの女子が渦中にいると余計に周りが見えなくなるものなのだろう。

そんな時に言われた言葉。


悲しみと悔しさと、まだどうにかなるんじゃないか、いや、どうにかしてみせる、と執拗に思うくらい私には納得出来ず、1週間で体重が7キロ落ちるほど崩れてしまうくらいもろかった。

人生は続いていくもの、仕方がない。

そんな意味のその言葉を、あの時の私は、到底受け入れることができなかった。



実は先日、流産した。

ショーやレッスンなど、色々とお休みさせていただいていたのは、妊娠が分かり、切迫流産の危険性から安静を言い渡されたから。

すぐにその報告をしなかったのは、妊娠初期でまだ早すぎたため。

安定期に入るまでは、と思ってた。

戸惑いながらも妊娠の喜びを実感し始めたものの、間もなくして出血がおきた。

体中から血の気が引いた。

それでも赤ちゃんは少しずつ大きくなり、寝たきりで安静にしていたのが功をなしたのか、心拍の確認もとれ安心した。

Made in Africa。

強い子のはず。

そう思って信じてた。

それでも、どんなに安静にしていても、出血が完全に止まることはなく、来る日も来る日も不安で仕方なかった。

トイレに行くのが、怖くて怖くてたまらなかった。

まだ分かるわけのないお腹の赤ちゃんに、それでも毎日話しかけ続けた。

そんな日が続いた。



今まで自分のお腹の中で生きていたはずの赤ちゃんがお空に還ってしまったことは、何だかとても空虚で、信じ難かった。

悲しかった。

一人でいる時、事あるごとに涙が出た。



長い間歩くことも出来なかった私は、術後1週間、外を何時間かほっつき歩いただけで筋肉痛になった。

余計に虚しかった。



今までは避けていた流産という言葉を、調べてみた。

怖くて積極的に読まなかった本の中の流産のセクションもきちんと読んでみた。

流産は、悲しい出来事だけど、身近に起き得ること。

どうしようもないことであること。

ある本には、年賀状には赤ちゃんが生まれた報告はするけど、赤ちゃんがお空に還ってしまった話はしないもの。

話すことがないだけで、周りにも、辛い思いをした人がいるかもしれない。

そんな事も書いてあった。



勝手な解釈だけど、短いながらも赤ちゃんが自分の命をかけて私に何かを伝えに来てくれたのだろうなと思う。

その何かはまだ分かってないけれど、いつかそれが分かる日が来ると思う。

自分なりに理解して、納得して、自分なりに気持ちを整理する。

急がないでいいし、焦らないでいい。

人それぞれなのだから。

そうしたら、何だか今はこう言える。

Life goes on.



辛いことがあった時、その出来事やその時を、悲しいままの状況でも、辛いままの状況でも、その時から一秒でも過ぎたなら、もう既に人生は続いているものだと思う。



すぐには到底書けなかったことも、時間が経って落ち着いて、独り言のように書ける不思議。



実は、妊娠してると知らずに撮った写真がある。


これは、赤ちゃんが私と一緒にいてくれた時を撮った証。

いつかまた赤ちゃんが戻って来てくれることを願って。



各方面の皆さまにはご迷惑をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。

私を応援してくださっている皆さま、レストランショーにお越し頂いておりますお客さま、サライさん、ボスボラスハサンさん、スタジオエルサラームさん、ノアダンス教室さん、レッスン代行を引き受けて下さったり、ご理解ある対応を下さったKaguraさん、Kanariさん、Kahinaさん、Malihaさん、Nisaaさん、そして生徒の皆さま、

皆さまのご理解そしてご協力なしには私は安心して横になることが出来ませんでした。

ベリーダンスコミュニティーとそれに関係している人々が、人間的で、愛のある方達で本当に救われています。

心から感謝しております。
本当にありがとうございました。

復帰は5月半ばを予定しています。
詳しくはまた改めてお知らせします。

一番近くにいて欲しい連れにはまだ会えていません。
少し、アフリカの熱帯雨林地帯に住む連れのところに行ってこようと思います。
今の私には相当遠く感じるデスティネーションですが、こうでもしないと会えません。
どうりで、私はどんどん逞しくなるはずです。
ご心配おかけしておりますが、だんだん元気になりますので、安心してください。

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もどかしいような気にならないような

2013-11-25 17:42:59 | 気持ち
ご存知の通りずっとブログ更新できてません。

バタバタしてたり、でも全く時間がないわけでもなかったり・・・

ただ、今確実に言えるのは、書けていないという事実のみ。

そんな事実がもどかしいような、気にならないような。

すみません、こんなんで。

写真はレストランでのレギュラーショー前後の控室でのもの。

先週末のショーは、金曜日も土曜日も異常な盛り上がりで両日とっても良かった!

ま、やることはちゃんとやってます。

の、ご報告。笑

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夜の首都高

2013-10-21 02:36:27 | 気持ち

3週間前の月曜深夜、

6ヵ月ほど(思いがけず長期)帰国していた夫を、

また赴任先のアフリカの地に見送った。

 

前回、何度かあった一時帰国の時も、

向こうに戻る便の出発はいつも深夜。

しかも月曜レッスンの後。

 

その日、レッスン後の質問は一切受け付けず!急いで空港に向かった私。

なんで毎度毎度汗だくで空港に向かわねばならんのだ?

・・・と、途中疑問に思いながら。

 

急いで空港に着くも、出発する張本人、まだ空港に来てないという始末。

あんたさ・・・。(怒)

 

長期間向こうに赴く際の荷物は、

いつも両手で面倒みきれないほどの数のスーツケース。

数にして5つ。

車でやってきて、こっちでは私のヘルプがあるけど、

向こうついてからいつもどうしてんの?と今更ながら疑問に思う。

(向こうでは着くなり人がワサワサやってきて手伝ってくれるそうな←支払いが発生するのかは?)

 

そんなことはともかく、慌ただしくもチェックインを済ませ、旅立つ彼。

これから遠く離れる前に、しばしの !?¥&#&=$%!! な時間。

・・・などというものはもちろんなく。

いつも非常にさっぱりとしております。

よく放置されとりますのでね。

 

それでも帰りは雨で濡れる夜の首都高を、一人泣きながら帰ってきた。

(ちなみに、カーナビないので一人首都高はいつも不安)

 

あぁ、いつの日か、見送った後、

「あーーー、清々した!!!!!!!!!!!!!!」

と思える日が来るのだろうか。

 

・・・ま、もう慣れましたけど。

 

逞しい自分に時々酔いしれます。

 

 

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9/21 Peace day

2013-09-21 03:26:52 | 気持ち

明日、失礼。

今日9月21日はPeace day、国際平和デーらしい。

知ってました?

らしい、というのも実は私、最近知ったのですが…。

お恥ずかしい…

 

先日、「The day after peace」という上映会に行ってきました。余談ですが東大であったわけです。

『「1年に1度でもいいから、戦争や紛争、あらゆる暴力を止めたい」

「ザ・デー・アフター・ピース」は、そんな夢を抱き、強い願望と不屈の精神で国連が定めたピースデー(9月21日)をさまざまな困難を乗り越えて、本当に作ってしまった人(イギリス人のジェレミー・ギリ氏)のドュメンタリー映画です。』(http://peaceday.cc/引用)

『2001年から9月21日には「ピースデー」として、
世界中で平和に対する祈りが捧げられ、
多くの武装勢力がこの日だけは停戦に応じる、そんな日です。

しかし実は1981年からあったピースデーは、
2001年まで固定されておらず、名前だけのものでした。

それを固定化し、実際に意味あるものにしようと活動した、
一人のイギリス人の俳優がいます。
それが今回講演して頂く、ジェレミー・ギリ氏です。

Peace One DayというNPO団体の代表の彼は、俳優としてのキャリアを積んだ後、
一転して平和を訴える活動をはじめ、中でも平和デーの実現に力を入れました。
最初は支持者も身内だけだった彼の活動は、
やがてアンジェリーナ・ジョリー、ジュード・ロウなどのスターをも巻き込み、
ついには国連を動かすまでになります。』

という説明の通り、ジェレミーが翻弄されつつも世界中を回って呼びかけ、実際に意味のある日にしたのです。その後、スカイプにて彼の講演があり、東大の学生たち(であろう)は活発に彼に質問してたりしたものです。

映画はとても興味深かく、感動してたりしたのですが、帰り際、学生の声が聞こえる。

「いいよなー、イギリス人は。俺たちがピースデーって頑張っても絶対世界は動かないよ」

と不満を漏らしている皮膚の浅黒い男性(どう見てもアラブ系だろうか外国人)が数人目に入った。

今まで感動に浸って、「何て良いことを達成したんだ、ジェレミーは。」と思っていた私は、改めて彼ら(学生数名)の肩を持ちたくなってしまった。

こんな私ってひねくれ者ですか?笑

機会があったら映画、ぜひ見てみてください。感動します。


Love & Peace


映画のもう少し詳細は、関根健次さんという方ののブログをどうぞ。⬇

http://sekinekenji.info/archives/98

ピースワンデイ⬇

http://peaceoneday.org/

ピースデイジャパン⬇

http://peaceday.cc/

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思う事

2013-06-10 02:18:17 | 気持ち

スマホがないって時間の無駄・・・

痛切に思う今日(この頃ではなく、今日)です。

あぁ無情。

 

このブログをみに来て下さっている皆さま、

ここ最近の動向を、レッスン後の明日夜にはエントリーアップします!!

乞うご期待 ^^

 

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はずれ者

2013-05-27 00:27:45 | 気持ち

薄々気付いてはいたけど、この頃思う事。

私、世間一般から少しずれてるのでは?と。

いくつか、その理由を述べてみます。

 

  • 携帯電話がプリペイドなこと。

なので、電話とメールしか出来なく、乗換案内など、

終電の時間を携帯で調べることも出来なく、とっても不便(←平穏?)な生活を送っています。

 

  • スタバに行って、平気な顔してほうじ茶を購入すること。

ちなみにその前に別のお店で甘ーいコーヒードリンクを買って飲んだ話は今はじめてしています。

 

  • 寝不足だと不機嫌になる。(ちょっと入れてみた。)

お前は赤ちゃんか?

 

時々、世間の波に逆らって泳いでいる気分がします。

皆さん、どう思いますか?

 

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年に一度の

2013-04-07 23:55:52 | 気持ち

誕生日。

今日、でした。

 

毎年それなりに記憶に残る日になってますが(良かったり悪かったり両方経験してますけれど?)、

今年の誕生日はこの「マジカルDAY」を堪能しました。

 

朝起きればそこにはシャンパン&ブレックファーストが用意されていて・・・

なんて訳ないですけれど。笑

納豆ご飯に味噌汁すすってましたけど何か?

 

人生色々あるけれど、生きていることが素晴らしい、と思える今日この頃。

 

皆さんからもあたたかいお祝いメッセージを頂きました。

皆さん、ありがとうございました

ちょっと前の写真で失礼いたします。m(_)m

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忘れない

2013-03-11 23:55:38 | 気持ち

先日、オーストラリア人の友人からメールが届きました。

向こうで作成された福島のドキュメンタリーを見たそうで、こう書いてありました。

「2年たった今でも、ある地域では状況がほとんど良くなっていない。政府は人々が差し出した寄付金全てを被災地に送っていない・・・早い復興を切に願う」と。

 

3月11日を、忘れない。

 

 

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アルジェリア人質事件について

2013-02-06 01:58:10 | 気持ち

 

先日、順番待ちしていたオルリー空港のイミグレーションにて、アバヤ(女性が体のラインを隠すために着る一枚の服。通常黒色)とへジャブ(頭にかぶせるスカーフ)をまとった、ずんぐりむっくりしたいかにもアラブのおばちゃんが、後ろを振り返って私に問う。

アルジェリアに行くの?

 

え?

 

何を唐突に。

私の顔には、そんなに色濃くアルジェリア色がのこっているのだろうか。

そしてアルジェリアでの人質事件を思い出す。

 

この件については、事件発生から今までずっと頭にひっかかっていたし、ずっと書きたいと思ってはいたものの、気持が重く、なかなか書けなかった。

とにかく、悲しい。

 

今回、第一報を受けた際、私は事件の詳細がいまいち掴めず、人質を拉致して、これから長い時間をかけて交渉に入るのではないかと、素人ながらに思ってた。

とにかく助かって欲しい。

けれど、その思いはすぐに叶わぬ願いに変わってしまう。

 

ここでは、事件の話をするつもりはない。

そんなこと、ニュースをみればいくらでも分かるから。

でも、話さずにはいられない私の思いをつづろうと思う。

 

私の色々をご存知の方は、知っていることだと思うけれど、私は、一年半ほどアルジェリアに住んでいた。

2008年から2009年にかけてのこと。

ベリーダンサーとして、単身派遣、アルジェのホテルで踊る毎日。

 

その間に知り合った人たちの中には、日本人もたくさんいて、日本が請け負ったアルジェリアの高速道路を作るプロジェクト関係者もいた。

そんな繋がりで、周りに何もない地域に高速道路を建設するため、長期間アルジェリアに滞在している日本人の人たちのために踊って欲しいというリクエストを受け、建設に携わる全てのスタッフが暮らす、コンパウンド(壁などで囲まれた地区=ここでは居住区)を訪れたことがある。アルジェから、飛行機に乗って移動する距離である。

この高速道路建設の居住施設は、プロジェクトを構築する上で携わる大勢のスタッフが安心して暮らすことの出来るはずのコンパウンド。敷地内には食堂があったり、ビリヤードや卓球などが出来る娯楽室があったり、各々の部屋があったりと、そんな施設にはじめて足を踏み入れた私は、その光景を今でも鮮明に覚えている。

家族をおいて、そして日本を離れ、長期間に渡り、アルジェリアの片田舎でプロジェクトに取り組む。孤独で、過酷な環境だと思う。それでもなお、人々は仕事に打ち込む。そんな中で、自分の部屋がある居住コンパウンドは、わずかでもホッとできる環境だったかもしれない。

 

今回のイナメナスの居住コンパウンドがそれと全く同様だったかは分からないけれど、少なくとも、遠いアルジェリアの地で仕事をする人たちの、束の間の安らぎの場であったのではないかと思う。

安心できるはずのコンパウンド内にて起きた悲惨な事件。

 

どんなに怖くて、どんなに辛かっただろう。

どんなに無念で、どんなに生きたかっただろう。

可哀想で可哀想で、考えるだけで苦しくなる。 

居酒屋で飲んでいるスーツ姿の方を見るたび、犠牲になってしまった方たちも、こんな風に皆とお酒を飲んでいるはずの人たちだったと思うと涙が出る。

 

今回犠牲になってしまった方の一人は、高速道路建設にプロジェクトにも携わっていた事があるという。

もしかしたら、私の踊りを観てくれた方かもしれない。 

分かりえないことではあるけれど、中には、アルジェリア繋がりで私のブログを読んでいてくれた人もいるかもしれない。

 

心から、ご冥福をお祈りします。

 

 

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