実は私、帰国子女です。
子どもの頃、アメリカとシンガポールに住んでいました。
今日は、私の生い立ちについて。
ではなく、これから話すことのバックグラウンドを伝えたいと思ってお話しします。
高校の3年間を、シンガポールのインターナショナルスクールに通いました。
大多数は親の仕事の関係でシンガポールに住み、そこには、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど東南アジアはもとより、日本、中国、アメリカ、カナダ、インド、韓国、イラン、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、トルコなど、ありとあらゆる国から子どもたちが通っていました。
その数七十数カ国。
文字通り、インターナショナル。
そしてそこにはイスラエルの子たちもいました。
青春真っ只中の3年という年月をその学校で過ごし、卒業した暁には、イヤーブックといって、卒業アルバムをもらえるのですが。
きっとそれは卒業してから眺めたイヤーブックで気付いたのですが、同じ学年にいたイスラエルの子たちの名前の後に出身国が書いてないことに気付きました。
他の子たちの名前の後には、必ずカッコ内に出身国が書いてあるものの、その子たちだけ、国名がなかったのです。
その時は、どうしてだろう?
Typo(タイプミス)かな?なんて思っていたのですが。。。
それから間も無くして、私はオーストラリアにいます。
紆余曲折あり、オーストラリアの大学に進学したわけですが、そこで私はまたもや不思議と思う経験をします。
大学で仲良くなった友だちに、イスラエルから来た子たちがいました。
彼らは、自由で、ヒッピーで、ハッピーで、一緒にいるのが楽しかった。
そう覚えています。
既にベリーダンスを始めていた私は、彼らから音楽も教えてもらい、アラブの音楽だけではなく、ペルシャの音楽にも触れました。
当時の自分では、辿りつかなかった情報や音楽に。
彼らは、ヘブライ語のこんにちは「シャローム」は、アラビア語の「サラーム」。
シャロームもサラームも平和という意味で同じだということ。
そんなことも教えてくれました。
そして、彼らは学校で習うと言っていたか、アラビア語が読めたり書けたりすることも。
そんなある日、そのうちの1人と一緒に出かけた先で、たまたまアラブ料理の小さなお店がありました。
そこで腹ごしらえをすることにした私たち。
オープンな彼は、きっと「サラーム」と挨拶をしてお店に入ったのだと思います。
そして、店主に質問されます。
「君たちはどこから来たの?」
と。
「私は日本」
と答える私に続いて、彼は
From your area=「そのエリアから」
と言いました。
その時私は、なぜイスラエルと言わないのだろう?と無知ゆえに不思議に思ったことを覚えています。
彼は、自分を守るためか、又は良心の呵責からか、
「そのエリアから」
という言葉でそれ以上を語ろうとしませんでした。
私は、もっともっと後になって、それがどういう意味を指しているのかようやく解る訳なのですが。
そしてイヤーブックで国名が表示されていなかったのは、国際社会の責任あるインターナショナルスクールという立場から意図的なことだったのか、と。
これらは、時、2000年前後のことです。
2006年、私はレバノンで最も有名なベリーダンサー・アマーニのベリーダンスフェスティバルに参加するため、はじめてレバノンを訪れます。
が、帰路に着くや否や、イスラエルによるレバノン侵攻が始まりました。
自分が過ごしたその街が、画面の向こうで空爆に遭っている。
その当時のレバノン滞在はせいぜい10日ほど。
それでも、やはりショックでした。
今回のイスラエルによるレバノン侵攻は、3年近くの年月を、レバノンを拠点に現地や周辺諸国でベリーダンサーとして活動した私にとって、胸がえぐられるように悲しく、歯がゆく、憤り以外の何者でもありません。
同じくイスラエルが何度となく行っているパレスチナ、ガザの人々への執拗なまでの虐殺、戦争犯罪を見聞きするたび、許せない気持ちと、なぜ国際社会はイスラエルの残忍な行いに何も出来ないのか、それともしないのか。
現地には友だちも沢山います。
無力感と、これからどうなってしまうのかという不安が、頭をよぎります。
自分が、平和なこの地で今過ごしていることに、罪悪感さえ感じてしまいます。
私にとって、レバノンは今や第2の故郷。
レバノンがなければ、レバノンに行っていなければ今の私はない、今の私を作ってくれた、そんな特別な場所。
願うのは、イスラエルによる即時停戦。
パレスチナでも、レバノンでも、そしてイスラエルでも恐怖に怯えながら過ごしている人々が安心して少し先の未来を考えられる平和、家族や友だちと過ごす、当たり前の日常が取り戻されること。
戦争したって良いことなんて何一つない。
考えるのは寝ても覚めてもそのことばかり。
もし最近、私が物思いにふけっているなと感じたら、きっと寝ても覚めてもそのことばかりを考えているからかも知れません。
「そのエリアから」
と言った彼は、今何を思うのだろうか。
Praying for nothing but world peace.