ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ

レバノンを拠点に、アラブ諸国を股にかけた過去を持つベリーダンサーASYA(アシア)の今と昔の奮闘日記

寝ても覚めても

2024-10-30 12:01:00 | 気持ち
実は私、帰国子女です。

子どもの頃、アメリカとシンガポールに住んでいました。


今日は、私の生い立ちについて。

ではなく、これから話すことのバックグラウンドを伝えたいと思ってお話しします。


高校の3年間を、シンガポールのインターナショナルスクールに通いました。

大多数は親の仕事の関係でシンガポールに住み、そこには、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど東南アジアはもとより、日本、中国、アメリカ、カナダ、インド、韓国、イラン、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、トルコなど、ありとあらゆる国から子どもたちが通っていました。

その数七十数カ国。
文字通り、インターナショナル。


そしてそこにはイスラエルの子たちもいました。


青春真っ只中の3年という年月をその学校で過ごし、卒業した暁には、イヤーブックといって、卒業アルバムをもらえるのですが。

きっとそれは卒業してから眺めたイヤーブックで気付いたのですが、同じ学年にいたイスラエルの子たちの名前の後に出身国が書いてないことに気付きました。

他の子たちの名前の後には、必ずカッコ内に出身国が書いてあるものの、その子たちだけ、国名がなかったのです。

その時は、どうしてだろう?

Typo(タイプミス)かな?なんて思っていたのですが。。。



それから間も無くして、私はオーストラリアにいます。

紆余曲折あり、オーストラリアの大学に進学したわけですが、そこで私はまたもや不思議と思う経験をします。


大学で仲良くなった友だちに、イスラエルから来た子たちがいました。

彼らは、自由で、ヒッピーで、ハッピーで、一緒にいるのが楽しかった。

そう覚えています。

既にベリーダンスを始めていた私は、彼らから音楽も教えてもらい、アラブの音楽だけではなく、ペルシャの音楽にも触れました。

当時の自分では、辿りつかなかった情報や音楽に。

彼らは、ヘブライ語のこんにちは「シャローム」は、アラビア語の「サラーム」。

シャロームもサラームも平和という意味で同じだということ。

そんなことも教えてくれました。


そして、彼らは学校で習うと言っていたか、アラビア語が読めたり書けたりすることも。



そんなある日、そのうちの1人と一緒に出かけた先で、たまたまアラブ料理の小さなお店がありました。

そこで腹ごしらえをすることにした私たち。

オープンな彼は、きっと「サラーム」と挨拶をしてお店に入ったのだと思います。

そして、店主に質問されます。

「君たちはどこから来たの?」

と。



「私は日本」

と答える私に続いて、彼は

From your area=「そのエリアから」

と言いました。



その時私は、なぜイスラエルと言わないのだろう?と無知ゆえに不思議に思ったことを覚えています。


彼は、自分を守るためか、又は良心の呵責からか、

「そのエリアから」

という言葉でそれ以上を語ろうとしませんでした。



私は、もっともっと後になって、それがどういう意味を指しているのかようやく解る訳なのですが。


そしてイヤーブックで国名が表示されていなかったのは、国際社会の責任あるインターナショナルスクールという立場から意図的なことだったのか、と。


これらは、時、2000年前後のことです。



2006年、私はレバノンで最も有名なベリーダンサー・アマーニのベリーダンスフェスティバルに参加するため、はじめてレバノンを訪れます。

が、帰路に着くや否や、イスラエルによるレバノン侵攻が始まりました。

自分が過ごしたその街が、画面の向こうで空爆に遭っている。

その当時のレバノン滞在はせいぜい10日ほど。

それでも、やはりショックでした。



今回のイスラエルによるレバノン侵攻は、3年近くの年月を、レバノンを拠点に現地や周辺諸国でベリーダンサーとして活動した私にとって、胸がえぐられるように悲しく、歯がゆく、憤り以外の何者でもありません。

同じくイスラエルが何度となく行っているパレスチナ、ガザの人々への執拗なまでの虐殺、戦争犯罪を見聞きするたび、許せない気持ちと、なぜ国際社会はイスラエルの残忍な行いに何も出来ないのか、それともしないのか。

現地には友だちも沢山います。

無力感と、これからどうなってしまうのかという不安が、頭をよぎります。

自分が、平和なこの地で今過ごしていることに、罪悪感さえ感じてしまいます。



私にとって、レバノンは今や第2の故郷。


レバノンがなければ、レバノンに行っていなければ今の私はない、今の私を作ってくれた、そんな特別な場所。

願うのは、イスラエルによる即時停戦。

パレスチナでも、レバノンでも、そしてイスラエルでも恐怖に怯えながら過ごしている人々が安心して少し先の未来を考えられる平和、家族や友だちと過ごす、当たり前の日常が取り戻されること。

戦争したって良いことなんて何一つない。

考えるのは寝ても覚めてもそのことばかり。


もし最近、私が物思いにふけっているなと感じたら、きっと寝ても覚めてもそのことばかりを考えているからかも知れません。



「そのエリアから」


と言った彼は、今何を思うのだろうか。



Praying for nothing but world peace.











  








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いつからか

2024-09-27 14:53:00 | 気持ち
いつからか
思っていることを発さなくなりました。


もう大分前から。


誰かに遠慮して、発言しない。


面倒なことを言われるのがいやで、発言しない。


でもこれって
こわい 
こと。


やっぱり気持ち、考え、思いの丈は発したっていいと思う。


もちろん、誰かを傷つけることがない限り。









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春の日に思うこと

2024-03-15 09:53:00 | 気持ち
今日は、普段あんまり話さないプライベートのことを少し。


明日、息子が幼稚園を卒園します。

3歳の年少さんから通った3年間。

長いようであっという間の3年間。


雨の日も、雪の日も、1日も休まず、がんばりました!

なんて言ってみたいけど、
大雪の日はお休みしたし
(だって急な坂を自転車で下らないといけないんだもの)、
なんなら大雨で寒ーい日だってお休みした
(だって幼稚園には駐車場がなく、幼稚園近くのスーパーの駐車場から体調不良の下の子を一緒に連れて寒い雨の中連れていくには体調悪化のリスクが高すぎた←言い訳)。


なんなら、雪でも雨でもないのに、
どうしても幼稚園に行きたくないと、
交渉の末こちらが根を上げてお休みしたことも。


学年一幼稚園から遠い場所に住んで、大人の足でも自転車で片道20分。

その上毎日お弁当。



朝の幼稚園送迎、

朝のレッスン、

隣駅まで自転車を飛ばしてプライベートレッスン、

帰りに息子を幼稚園でピックアップ。


帰ってご飯の支度をして、

下の子を迎えに行ったら、

今度は夜レッスンに出かけ、

就寝時間はとうに過ぎ、家に帰れば子どもたちは寝顔を見せてくれているという生活。(時々まだ起きてる😓)


きっと私がこんな生活を送っていることは、幼稚園の誰も知らない。



正直しんどすぎて翌朝に影響が出てしまうことも何度もあったけど、それでも、息子が幼稚園のみんなの一員として、大切に受け入れられていたから、なんとか3年間がんばった。

自由で気ままな彼が、一人の大切な人間として受け入れてもらえた、子どもを真ん中にする一貫した保育と、学年を超えた周りの保護者のみんなにも、親も子どもも救われた。

そんな幼稚園生活も、明日で終わり。


なんだか取り止めもない話になってしまったけど、この幼稚園に出会えてよかった。

そう思う。



明日は門出。

心から、みんなの卒園をお祝いしよう。



全ての子どもたちが、幸せな子ども時代を過ごせるようになる世の中になることを祈りながら。













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蕎麦屋で思うこと その2

2023-08-21 22:44:00 | 気持ち
〜「蕎麦屋で思うこと」の続き〜



そんな女の子にお父さんは何度もこう言う。


お水をこぼしちゃったからタオルくださいって自分で言ってきなさい!


一人で出来るようになりなさい!と。



その間女の子は、一人でお店の人がいるカウンターに何度も行ったり来たり。


彼女よりはるかに高いカウンターの向こうからは、小さい女の子が「すみません!」と言っていることにはなかなか気付けない。


それでもお父さんは気付かないのか、


女の子が戻ってきては


「すみませんって言ってるけど、、、」


とお父さんに伝えるも


一人で出来るようになりなさい!の一点張り。



お父さんの気持ちも解る(2度目)


だけど第三者的には5歳の女の子が気になる。


いや、5歳かどうかは分からないけど。笑



そういえば何か失敗しちゃった時に、息子もグラスが割れないで良かったね、って言うようなことそういえばあるなぁ。


と、


ちょっと切なくなった訳です。



こんな時、お父さんと女の子2人それぞれに気の利いた声がけが出来ると良いんだけど。



結局声がけはできなかったので、


おばさん()は帰り際、


まだカウンターでがんばってた女の子に目配せしながら


お店の人に


あの女の子がお水こぼしちゃったみたいで、タオルを貰いにきてますよ



伝えてあげました。


(お父さんは気付いてない)



お店の人がタオルを持って座席に歩いて行ったのを見届けてから蕎麦屋を後にしました。



私はまだまだ青いかも

(声がけできなかったため)


というのが、結論。



帰ったら息子を抱きしめてあげよう。(独り言)


と、思った日曜日の昼下がり。




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蕎麦屋で思うこと

2023-08-21 22:42:00 | 気持ち

よく


蕎麦屋に寄ります。



こだわった、高級な蕎麦屋とかではなく、


立ち食いみたいなところです。



ま、お手頃だし


急いでる時なんかはやっぱり早いから


時にはアサヤなんか担いで入るわけですが!笑



先日もレッスン合間にお蕎麦屋さんに入ったのですが、、、


実はそこでちょっとハッとさせられる出来事がありまして。



正午前、まだあまり混み合ってないあるお蕎麦屋さん。


あ〜!もう〜!何やってんの!!


声がしてはじめて気が付いた


隣の隣のテーブルに居た父娘。



ちょうど息子(5)と同じくらいの年齢だろうか。


女の子がお水をぶちまけてしまったよう。


お父さんはお仕事かもしれない、はたまた自分時間の案件かもしれない携帯を操作しつつ


自分でお店の人にタオルくださいって言ってきなさい!と


イライラしているのが伝わってくる。



女の子は、その場を取り繕うとしているのか、


グラスが割れないで良かったね


とお父さんに話しかけるも


何がよかったんだよ!と


お父さんはまだまだイライラしっぱなし。



お父さんの気持ちもよく解る。


だって仕事が増えるから。


疲れてるのに。。。







〜その2に続く〜










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復帰上上

2022-06-05 14:51:00 | 気持ち
こんにちは!
日曜日の昼下がり。
レッスンの帰りにこれを書いています。

2人育児をしながらのレッスン復帰。
日々の生活ではとにかく時間がない!!
ってことの連続ですが、レッスンや活動を、今までにも増して効率的に、でも心を込めてしようと一人静かに誓ったのであります。
決して手抜きではないですよ!!

ブログ更新も、すぐやる!(今でしょ!)、完璧を目指さない!(←元々してないつもりだけど)、超大作にしない!(←小説家じゃないし)、を合言葉に、ベリーダンスを通して感じたことや裏情報、お知らせなどをさらさらっと書き綴るつもり。
どうぞお付き合いください。


さて、木曜日に復帰1日目、今日も2レッスンしてきましたが、なんて気持ちの良いこと!!
気分が晴れ晴れしました♪

復帰に際して、リハビリ的トレーニングにお付き合い頂いた既存の生徒の皆さんにも感謝です!
また皆さんと踊れることを心から嬉しく思っています😊

新しくレッスンに来てくれた皆さんにも、ベリーダンスの楽しさや魅力を存分に伝えられるよう、これから更に精進していきます♪

今年は新しいレッスンも増やす予定です。(詳細が決まり次第ここでシェアしますね)
楽しいイベントも開催したいな♪

レッスン来てみようかな…って思ってる皆さん、ぜひカモーン!!
健康や美容、アートな情報もシェアしながら、一緒に踊る仲間を増やしたいです!

乞うご期待!


ASYA





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Hossam Ramzy

2019-09-20 14:27:27 | 気持ち


20年近くも前、初めて受けたワークショップは、彼とSerenaのものでした。

ダンサーとして、彼の音楽で育ちました。

2011年、日本に彼らを招聘し、ショーとワークショップを開催しました。

ブラックジョークがきいた、ユーモアがありました。



彼はまだ、65歳でした。



先日、ベリーダンス界の音楽の巨匠、Hossam Ramzyが亡くなったと知らされました。

しばらく、信じられず、文字に書き起こすことも躊躇われました。



2011年の招聘に際し、何通ものメールのやり取りをし、幾度となく電話連絡をし、イギリスの彼の自宅にも足を運びました。

東関東大震災の義援金に、と、彼の計らいでショーに使用した本人愛用のタブラを、ショー会場でオークションしました。

まだベリーダンスがさほど知られていない当時から、レコードショップには必ず彼のCDが陳列されていました。

数え切れないほどのベリーダンス音楽、そしてベリーダンスではない音楽もこの世に残してくれました。



人はいずれ旅立たなくてはならないことは、頭では分かっていても、さみしさは拭えません。



彼の音楽は、これからも私たちベリーダンサーの中に生き続けます。

R.I.P. Hossam Ramzy
Your music will live on in our hearts forever.




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同感

2017-12-01 12:03:08 | 気持ち
イベント終了の報告などしなければいけないことは山ほどあるけど、こんな記事を見つけたのでシェア。

激しく同意。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S13253240.html?rm=150



そして来週末のハフラ準備に追われる日々。

お越し下さる皆さま、お楽しみに!



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3.11

2015-03-11 22:56:49 | 気持ち
何年経っても、4年前の3月11日は忘れない。

辛い気持ちややるせない気持ち、私なんかが言葉にすることできない思いをしている人がたくさんいる。

それでも、生きていかなければいけない。

今日だけじゃない、これまで毎日毎秒どんな思いをしてきているか、微力ながらも、今日改めて思いを寄せる。

ずっと忘れない。




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ピンチ

2014-11-26 03:22:24 | 気持ち

ピンチかもしれない

いや、ピンチであろう

いや、ピンチをチャンスに。 結局は逆境を逆手に取るタイプなのよ。。。

 

と、信じてやまない。

 

話したいこといっぱい!

 

 

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