まるで去年の夏を見ているかのようだった。違うのは、惨敗したのが自民党ではなく民主党だということ。「死に体」に陥った菅政権を見て、一度は「死んだ」はずのあの男が再び動き出す。真夏の政変、生き残るのは誰か。
この歴史的大敗は、民主党のみならず、政界全体のメルトダウンのきっかけとなるだろう。
「44議席」という、信じがたい惨敗を目の当たりにし、民主党の議員たちは例外なく動揺し、ある者は言葉を失い、ある者は菅直人首相ら党幹部に対しキレていた。
「これほどの惨敗を喫しておきながら、誰も責任を取らないという理屈があるか。せっかく民主党の支持率がV字回復していたのに、消費税の話なんて持ち出せば、負けるのは当たり前だ。菅総理は、何を考えてあんなことを口走ったのか。枝野幸男幹事長は、なぜ責任を取ろうとしないのか」(民主党・斎藤勁代議士)
菅首相は参院選前、目標を現有議席と同数の「54議席」としていた。しかし、7月11日の参院選の結果は、その目標を10議席も下回る悪夢のような大敗。これで民主党は、国会で1本の法案も通すことができなくなった。
社民党と決別して衆院での勢力が3分の2に満たなくなっている以上、参院で法案が否決されれば、それで終わり。ただでさえ難航が予想される予算案の審議すら覚束なくなり、政権は完全に「死に体」に陥ったのである。
民主党内では、菅・枝野執行部に対する怨嗟の声が渦巻く。火に油を注いでいるのは、いちはやく続投を表明した菅首相の態度だ。投開票日の11日、すでに惨敗が明らかになりつつあった中、首相は選挙区の長野にいた北沢俊美防衛相に電話をかけ、こう明言した。
「私は首相を辞めませんから」
この日、首相は自宅のある東京・武蔵野市で投票を済ませ、伸子夫人らと鉄板焼きで昼食を摂った後は、公邸に籠った。そこで仙谷由人官房長官や側近議員らと選挙情勢の検討を行ったが、結論は出ていた。
「どのような結果が出ようと、現体制を維持する」というものだ。
実は、選挙の最高責任者である枝野幸男幹事長は、事前に自党の大苦戦が予想されたことから、「自分がやはり責任を取ることになるのか」と、思い悩んでいた。
「投開票日が近づくにつれ、口数がめっきり少なくなっていました。表情は暗く、最悪の事態に陥った場合は、クビを差し出さざるを得なくなると覚悟をしていたようでした」(民主党若手議員)
だが、辞任すべきかどうかで苦悩する枝野氏を押し止めたのは、菅首相と仙谷官房長官だった。
枝野 40議席台で惨敗するようだと、私や安住(淳)選対委員長が辞めなければ、党内の反対派を抑えられなくなるでしょう。
仙谷 辞任は早計だ。幹事長が辞めれば、結局は菅総理の責任ということになる。ドミノ倒しが起きる。
ただし、選挙で大敗を喫すれば、枝野氏を蛇蝎の如く憎悪している、党内の小沢一派の追及が激化する。小沢グループは、ボスが失脚して以来、現執行部が失策を犯すのを手ぐすね引いて待ち構えているのだ。枝野幹事長で惨敗となれば、世紀の無能幹事長として、血祭りに上げられるハメに陥るだろう。
そこで菅首相らは、選挙前から敗戦を見越し、「予防線」を張ることにした。その象徴的なものが、選挙前日に発表された「民主党声明」である。
〈 民主党がまだ、国民の)ご期待に十分応えられていないこと、そして、政治とカネ、普天間基地問題、税制改革の道筋で、混乱と不信を招いたことを率直にお詫びします 〉
政治とカネ、普天間の問題は、鳩山由紀夫前首相と小沢一郎前幹事長の負の遺産だ。つまり、「参院選敗北は前任者たちに大きな責任がある」と仄めかし、責任転嫁を図ったわけだ。
「菅は権力欲、保身だけの男」
それだけではない。開票が始まり敗色が濃厚になった11日には、菅首相側近が、公然と執行部の批判を始めた小沢一派の動きを封印しようと、「3点セットの小沢氏への反論ペーパー」を用意している。
「その内容は、選挙の敗因について(1)小沢・鳩山の政治とカネの問題があった。(2)2人区で2人の候補を擁立した小沢氏の戦略はことごとく失敗した。(3)選挙期間中にもかかわらず、小沢氏が消費税問題等で菅首相を批判したことが混乱を招いた・・・というもの。もし、鳩山・小沢体制のままで参院選に突入していたら、30議席台も考えられた。だから44議席なら、十分に健闘したというのです」(民主党中堅代議士)
開票が進む中、午後9時前に民主党の開票センターが置かれたホテルニューオータニに到着した菅首相は、そのまま3時間以上も姿を現さなかった。他党の党首・代表らは午後10時過ぎからテレビ出演していたが、首相がようやく姿を現したのは午前0時30分。
「ここでも、枝野幹事長は弱気になっていて、辞任するかどうかという話になったそうですが、やはり菅首相と仙谷長官が『早まるな』と、枝野氏を説得したといいます」(同)
こうして首相はいかなる批判を浴びようと「強行突破」することを決意。未明に始まった会見では、
「選挙結果は真摯に受け止めるが、あらためてスタートラインに立った気持ちで頑張りたい」
として、公式の場であらためて「続投」を表明したのだった。
しかし、この会見が、選挙で苦杯を舐めさせられた民主党議員ら、中でも、特に苦戦を強いられた小沢系議員の感情を、より逆なでしたのは言うまでもない。
「すいませんとか、申し訳ないとか言うならまだしも、『新しいスタート』とか、枝野氏を含めて全員続投だとか、落選した千葉景子法相まで続投とか、これはもう血迷っているとしか言いようがない。われわれを舐めるにもほどがあります。会見には、首相の本性が出ていたと思う。『権力を手放したくない』という感情しか見えない。
あの人は、国民のことを思って・・・などと考えてはいない。ひたすら、レベルの低い個人の権力欲、保身だけが露になっている。見ていて非常に不快でした」(小沢グループ若手議員)
会見終了後、首相は報道陣の問いには完黙したまま、公邸へと帰った。同じく、ふだんは多弁かつ能弁で知られる枝野氏も無言。どういうわけか、いつもは着けないメガネをかけ、記者らと視線を合わせないようにして専用車に乗り込むと、開票センターを後にした。
翌12日、枝野氏は定例記者会見で、「辞めたくても辞められない」という、自身が置かれた苦しい立場について、生気を失った表情を浮かべながら、綿々とこう話している。
「(惨敗の責任について)私個人としては、さまざまな思いがある。また、いろいろなところから意見が上がっていることも承知している。しかしその上で、総理から『しっかりと改革を実らせるため、職務を全うしてほしい』という強い指示があった。個人的な思いは、個人的な思いだ」
民主党の「黄門様」こと、渡部恒三元衆院副議長は、菅・仙谷・枝野トリオを、こう庇っている。
「勝負には、絶対というものはない。むしろ、負けたときこそ一致協力していかなければならない。ここで、誰の責任だ、誰が辞めるんだと言い出せば、党が潰れてしまう。党内抗争なんか始めれば、ますます国民に笑われてしまう。いまこそ一致結束が必要なんだ」
だが、6月の鳩山「抱きつき心中事件」以来生じた、党内の亀裂は大きく深い。死に体に陥った菅政権を見て、あざ笑っているのが小沢系のグループだ。小沢グループ中堅の代議士の一人はこう話す。
「やっぱり弁護士上がりのヤツ(仙谷・枝野両氏)はダメだな。選挙結果より、法律のほうが重いと思っているんだろう。法律に違反してさえいなければ、民意を無視して居座ろうが何をしようが構わないと考えている。市民派上がり(菅首相のこと)も、自らが獲った位を自分で捨て去るようなことはしない。しがみつきたいんだよ、地位に」
別の小沢派若手議員も、菅政権の命運をこう「予言」してみせる
「菅首相はピンチに陥り、少ない味方を集めて密集隊形を作り、敵陣を一点突破しようというんでしょう。でも、(300人のスパルタ軍が100万のペルシャ軍に抵抗した姿を描く)『300(スリーハンドレッド)』という映画と同じですよ。最後は全滅するんです(笑)」
行方をくらました小沢
その去就が注目される小沢一郎前幹事長は、選挙の直前から、姿をくらませていた。それ以前は「一兵卒」と称して精力的に全国各地を回り、自分の息がかかった候補の選挙応援に勤しんできた。ところが7月8日頃から消息をプッツリと絶ち、結局、投開票日もどこに小沢氏がいるのか、ほとんど誰も分からなかった。
「ある新聞社は、小沢氏をつかまえるために記者とハイヤーを動員し、東京・世田谷区の自宅や赤坂の個人事務所、さらには『持病の心臓系疾患に関係があるのでは』と、主治医がいる病院まで張り込みをしましたが、結局、どこにいるのかわからずじまいでした」(全国紙政治部記者)
前出の渡部氏は、「大事なときは姿を現さないのが小沢君」と言う。実際、小沢氏が行方をくらますのは、後に「何事か」を起こす際の前兆であることが多い。'93年7月、小沢氏は周囲に「オレは潜る」と言って姿を消し、4日後に再び姿を現した時には、細川政権ができあがっていた。
小沢氏周辺の一人はこう話している。
「小沢氏は側近に、『12日から政局だ』と漏らしていました。菅政権が参院選で大惨敗するのを見越し、準備を始めろということです。小沢系のグループは、これまで4つに分かれていました(一新会、一新会倶楽部、参院小沢系、旧自由党系)。
これを参院選後、1つにまとめる予定です。6月の代表選挙ではグループがバラバラだったため、候補の一本化がうまくいきませんでしたが、今度は違います。9月の代表選挙では、小沢グループが一丸となって代表の座を争うのです」
雲隠れを続ける小沢氏は何を狙っているのか。小沢氏のお膝元である岩手県の県政関係者は、こんなエピソードを本誌に語った。
「5月末に小沢さんの有力後援者の一人だった花巻市の後援会幹部が亡くなったのですが、選挙直前の7月初め、多忙の中、小沢さんはわざわざ、線香を上げに地元を訪れました。小沢さんは冠婚葬祭に関しては非常に律儀な人ですが、今回はある種の『決意』を秘めているように見えました」
果たして小沢氏の決意とは―。岩手の小沢氏後援会関係者はこう語った。
「小沢さんは昨年、西松建設問題で民主党代表の座を降りざるを得なくなったとき、周囲にボソリと、『やっぱりオレは、総理になれない運命なのかなあ』と呟いたそうです。小沢さんにとって、菅首相の劣勢が明白な9月の民主党代表選が、自身にとって最後のチャンスだと思っている。側近には『オレが出る』と話していると聞いています」
選挙戦の序盤、小沢氏は側近の輿石東参院議員会長の応援にかこつけ、山梨県にある師匠・金丸信元自民党副総裁の墓参りもした。68歳の小沢氏が、「総理」に向けたラストチャンスを前に、並々ならぬ執念を燃やしているのは、もはや明らかだと言ってもいい。
実際、関係者を困惑させた「行方不明」に関しても、こんな情報が流れている。
「実は小沢氏が、大阪に潜伏していたというのです。目的は太いパイプを持つ関西創価学会幹部と面談し、選挙後の公明党との連携を模索するためと見られています。さらに小沢氏は水面下で、自民党の長老・森喜朗元首相や古賀誠元幹事長とも接触を図っています。その狙いが、自身を中心にした政界再編にあることは明白です」(全国紙政治部デスク)
菅からの電話を無視した小沢
こうした小沢氏の動向に、菅首相や仙谷官房長官ら反小沢派は、神経を尖らせている。起死回生のためには、国民新党以外の政党とも何が何でも連立を組んで、参院での与党過半数を回復し、求心力を取り戻すしかない。そのため仙谷氏や枝野氏は、小沢氏の向こうをはって、大躍進したみんなの党との交渉に望みを託している。
しかし、その前途は極めて厳しい。みんなの党の江田憲司幹事長はこう語る。
「民主党との連立の可能性は、ゼロです。みんなの党は、小さな政府で大きなサービスを目指す政党です。役人の組織は徹底してスリム化し、民間の活力を高め、経済を成長させていく。しかし民主党は、理念なきバラマキと大企業の国営化という、・超大きな政府・路線です。われわれとは違いすぎて、連立はあり得ません」
菅首相サイドには、みんなの党の渡辺喜美代表が「アジェンダ(政策課題)が一致するならば、協力を考えてもいい」と発言していることから、「行革担当相などの大臣ポストを明け渡し、渡辺氏を一本釣りする」という楽観的構想もある。だが、民主党・菅政権を批判して10議席を獲得している以上、みんなの党が、おいそれと菅政権になびくとは考えにくい。
しかも、もしみんなの党との連立に成功したとしても、負けすぎた菅政権は、参院の過半数にまだ1議席足りない。視野に入って来るのは、参院で19議席を保持する公明党。ところが、その選択肢もうまくいく保証がほぼゼロだ。
「仙谷氏と枝野氏がいる限り、学会が相手にしない。彼らは池田大作名誉会長の証人喚問を要求したこともあり、公明党は彼らと話はできない。今回の参院選でも、公明党は民主党を過半数割れに追い込むことを最大目標として動いた。公明党が民主党と組むとするなら、その際の窓口は、やはり小沢氏しかいないのです」(公明党中堅議員)
菅首相にとっては、まさしく手詰まり。そこで「現実主義者」として知られる首相は、驚くべき行動に出ようとした。いまや仇敵となっている小沢氏に対し、接触を求めたというのだ。
「選挙戦の終盤で敗北の色が濃くなってきた頃から、菅首相は小沢氏に対し、『敵対するのは本意ではない』と釈明しようとし、何度も連絡を取ろうとしました。ただ小沢氏が、電話を無視しました。
いちばん驚いたのは反小沢急先鋒の仙谷氏で、『選挙で(自民党を支持して)時計の針を戻すようなことはやめよう、と国民に訴えているのだから、総理が針を戻す(小沢支配の復活)のはやめてほしい』と、慌てて説得したのです」(首相官邸関係者)
あまりに調子が良すぎる菅首相のラブコールを無視している小沢氏は、周囲にこう語っているという。
「菅は、放っておけば自滅する。代表選までに、政権支持率は20%台に落ち込む。その時が勝負だ」
進むも退くもままならなくなった菅首相と反小沢グループ、そして逆襲の機を虎視眈々と窺っている小沢氏とそのシンパ・・・。激化する民主党の内紛劇の中で、次第に「次のシナリオ」が見えてきた。
まず、一か八かの強行突破を図る菅首相らだが、7月末までに、政権運営が行き詰まる可能性が高い。
「過半数割れの菅政権が国会を運営するためには野党に頭を下げて協力を求めるしかないが、昨年来、民主党は衆院での数を頼みに強行採決を繰り返して来たため、野党はその復讐を果たす気満々でいる。
加えて、自民党が改選第一党となったため、参院議長の座を要求し、すでに中曽根弘文元外相を候補にしている。議長が野党になったら国会の開閉もままならなくなり、完全に政権は死に体となる」(自民党幹部)
国会もまともに開けないとなれば、政権維持はどうあがいても不可能。民主党内では、「代表選の前倒し」論が高まると予想される。
その時こそが、菅首相を担ぐ反小沢派と小沢氏との決戦の時だ。
「実は鳩山前首相が、自分のグループの議員が菅政権で干されていることもあり、最近小沢氏に対して、道連れ辞任に追い込んだことを謝罪しました。小沢氏サイドは『最初からそう出ればよかった』と謝罪を受け入れ、いまや小沢グループと鳩山グループは同盟関係です。両グループを合わせると、約400人の民主党議員の中で200人近い勢力になる」(民主党ベテラン代議士)
結局、衆院解散しかない
野党時代に自分が自民党攻撃の口実に使っていた「直近の民意」によって否定された菅首相は、まともに戦えば、小沢氏本人か、同氏が推す候補を代表選で打ち破ることは難しい。しかも、仮に何とか代表選で小沢氏の攻勢を凌ぐことができても、「第二段の構え」が待っている。
「'93年、宮沢喜一政権に対して野党から内閣不信任案が出された際、当時まだ自民党にいた小沢氏の一派が賛成に回って不信任案が可決され、宮沢内閣は崩壊した。同じことが、民主党政権でも起きる可能性がある。小沢氏は菅首相を退陣させて衆院解散に追い込み、当時と同様、民主党を脱党して一挙に政界再編に持ち込む。
荒業が得意な小沢氏は、みんなの党の渡辺代表を総理に担ぐことも想定しています。一大臣なら民主党への合流はあり得ない『みんな』でも、総理の座と重量閣僚のポストを複数用意されたりすれば、何が起きるか分かりません」(前出・ベテラン代議士)
最後の大勝負を仕掛ける小沢氏の前に、まったく打つ手はないかに見える菅首相。もはや、座して死を待つしかない―のか。
菅首相周辺は、「唯一、手段があるとすれば首相自らの意思で、衆院を解散してしまうことです」と語る。
「'07年の参院選で惨敗した安倍政権がジリ貧になり、結局崩壊した事例の二の舞にはなりたくない、という意思が首相にはある。だったら、参院選で掲げた財政再建を大義名分に、近いうちに解散に打って出る。
その時には、自民党内の改革派にも同調者を募る。小沢氏が自民党の旧保守系と手を結ぶつもりでいるなら、反小沢派は、リベラル保守の自民党勢力と協力し、逆に先手を打って、政界再編を仕掛けるのです」
首相が自らの意思で解散を打った場合、カネと公認権を持つ首相(党代表)のほうが圧倒的に有利であることは、'05年の郵政選挙で小泉純一郎元首相が証明した。小沢系の議員は、昨年の衆院選で当選したばかりの新人など、若手が多い。党本部から排斥された上で、再び勝ち残れる議員は数えるほどしかいない。
「今回の参院選で、落選した候補は小沢氏肝煎りの候補ばかり。その点で小沢氏は菅首相に激怒していますが、逆に言えば、小沢氏はその分、勢力を削がれて計画に狂いが生じた。仙谷氏は、それが付け込む隙になると考えているから、枝野幹事長の辞任を容易に認めないのです」(民主党幹部)
最後の大勝負を目前にして、小沢氏には検察審査会という、大きな壁もある。7月末もしくは9月に出ると目される検察審査会の結論が、起訴議決となれば、小沢氏は強制起訴となる。
小沢氏側近は、「たとえ裁判になっても判決には10年かかる。その間、政治活動は続ける」と、小沢氏の「黒幕化」をあえて示唆するが、現実的には、師匠の田中角栄元首相や金丸氏のように、政治家としては死んだも同然だ。
まさしく、生きるか死ぬか。日本政治の行方を決める血みどろの抗争の幕が、切って落とされた―。
(以上、現代ビジネスより転載)