太った中年

日本男児たるもの

ダンピング工事

2010-10-31 | weblog

さて奥さん、フランシス君に頼んであったダンピング工事(妻が買った土地の廃屋解体)をした。

フランシス君から紹介された町のセンターにある資材店で整地するための土砂を発注、その店と付き合いのある作業員に解体を依頼した。ダンピング工事は2日で無事終了。ややこしかったのはその支払い。

日本なら簡単な工事の場合、請負業者から見積もり金額を取り、作業が終了して一括で支払う。

しかしフィリピンでは、材料と人工(にんく、作業員の手間)に分け、施主がそれぞれ個別に交渉して支払う習慣だから面倒でやっかいだ。見積もりという制度がなく、その場の交渉だから予算通りにならない。

ダンピング工事は父52が暴走して木の切り出しを発注してあったので材木を保管するスペースが欲しく、そのため小さなプールの上に解体した廃屋の廃材を利用して倉庫を建てることまでが全工程だ。

作業は順調に進んだ。ただ、倉庫を建てる段階で廃屋のクギでは足りなくて、急遽、紹介された資材店に少しのクギを発注、支払いに行った。クギ代よりも往復の交通費のほうが高くついた。さらに2日目、4人いる作業員のボスが施主である妻に明日支払う人工代をアドバンス(前払い)して欲しいと言ってきた。

フィリピンは人件費が安く、そのときは人工代を持ち合わせていたので支払った。けれども持ち合わせがない場合、クギのように交通費を使って実家まで取りに行くか、断るかの二者択一。断ればもう1日作業日程が延び、さらに人工代を支払う可能性がある。それが嫌なら多少プラスして支払いを約束するかである。

こうした交渉事の支払いにまったく経験のない妻にはストレスだ。そして更なる試練が待っていた。

 

フィリピンにはミリエンダ(午後のティータイム)つー習慣があって(日本もそうだが)施工のミリエンダはお施主が茶菓子を用意する。ダンピング工事のミリエンダは父52が茶菓子を用意した。で、2日目はちょうどミリエンダのとき工事が終わった。前日、作業員のボスと意気投合した父52はビールを用意してボスと飲み始めた。さすが、昔アル中だったことはある。気分がいいとジュースなんて飲めない。

そんな父52を後目に実家へ戻ると今度は木の伐採業者が支払いが待っていた。業者と言っても木を切るチェーンソーを持っているだけのボスがいた。聞けばこっちの支払いはより細分化され面倒である。

まず材料費に当たるのがチェーンソーのレンタル料になる。料金の査定が本数なのか期間なのか定かでない。それから人工代が面倒で、伐採代、製材代(同じチェーンソーで仕上げる)、運搬代に分かれている。レンタル料と伐採代はフランシス君に支払ってあるため、今回は製材代のアドバンスを直接請求に来た。

妻はフランシス君の実家を見学したときからマメにノートに記録していたが、支払いの件となるとメモしていてもチェックと計算が面倒この上ない。しかもチェーンソーのボスは予告なしに数百ペソのアドバンスを請求しに来るため妻のストレスはピークに達し、木の伐採とダンピング工事だけでマイッテしまった。

しかし、お施主妻への試練はまだ続くのだ。


父52、暴走する

2010-10-30 | weblog

 

弟19たちと漁から戻る父52

*

ブルース・ウィルスが顔面パンチを喰らったような2枚目の父52は12歳のときから4つ上の兄56の手伝いで漁に出たこの道一筋40年のベテラン漁師である。父52は20歳で自分のボートを持ち、2年後母48と結婚した。そして2年後、長女の妻が出来たとき現在の家を買い、10年後には建て替えたのだから金を稼ぐ腕のいい漁師なのだ。聞けば当時、爆弾漁で魚を獲っていたというから魚も豊富にいたのだろう。

ところが10数年前から突然魚影が薄くなった。なんでもチャイニーズ系が経営する大型漁船の底引き網が近海の漁場まで荒らし始めたせいで漁獲量が3分の1にまで激減した。当然、家計まで圧迫する。それまで豊漁なら漁師仲間と毎晩町のセンターまで飲み歩いていた父52は思いもよらぬ不漁に神経をすり減らし、今までのように酒が飲みたくて、それで母48が実家を改装してサリサリ(雑貨店)をモグリで始めた。

幸か不幸かこのサリサリが当たって家計は潤ったが、父52はいつしか酒に溺れる日々となった。漁に出ても魚が少ししか獲れないから、潮が悪ければ朝から寝るまで家で酒を飲み続けアル中になってしまった。そんな父52に天罰が下ったのか、5年前、母48が病気で入院手術をした。そして翌年、母48は妹4を出産。これが転機となって生まれ変わり、父52は魚が少ししか獲れなくとも昔のように朝夕漁に出るようになった。

*

フランシス君が父52と会ったのはアル中末期のときで、とにかく2人はソリが合わない。父52はフランシス君を「庄屋のボンボン、バカ息子」、フランシス君は父52を「アル中で程度の低いバカ親父」とお互い思っているようだ。2人の間に確執があることはミーティングを終え妻の実家に戻ったとき表面化した。

夕方、実家のテラスで妻と家の相談をしていると突然、父52がやってきて妻にいろいろ言い始めた。後で妻に聞いたところ「変な噂が立つからフランシスがいる隣村へは行くな」「フランシスに家を頼んだのか、あんなヤツに頼むと好き勝手にやられるゾ」。そして父52は実家の壁をドンドンと叩いて「家を建てるときはなぁ木が必要だ、オレの山の木を使うようフランシスに言っておけ、いいな」。すごい迫力だ。

慌てた妻はすぐさまフランシス君に連絡した。翌々日、フランシス君から木を伐採する連絡が入いるや、父52は再び妻に「それで木は足りるのか、もっと切ったほうがいい、フランシスに伝えろ」と言った。このとき妻に「設計図ができ、見積もりを取ってから発注」と言ったが妻は混乱してワケワカラン状態。

父52の「フランシスに好き勝手にやられる」という指摘は正しく、せっかく家で用意できる材木をわざわざ業者から買うことはないと考えたのだろう。しかし見積もりも取らずめくら発注するのは暴走で、やはり父52はフランシス君を快く思っていなかった。そして妻の思惑とは別次元になってしまった。

その後、木の伐採問題はダンピング工事と重なってより混迷の度を深めることになる。


家を建てるなら

2010-10-29 | weblog

妻の実家に到着して4日目。朝、フランシス君と会い、お昼に再び妻が買った土地にあるバンブーハウスでミーティングをした。マニラ・ミ-ティングでjet師範は「知り合いに家を頼むと予算の30%オーバー、ボッタクられる」と箴言してくれたが、ウータン問題同様、家造りもまたjet師範の予言通りの展開になるのか。

しかしながら、

妻は弟分でパシリのフランシス君が女王様の自分からボッタクリをするなんて夢にも思っていない。

「家なんてパシリのフランシスに任せれば充分よ、私の夢が叶う、ウッシッシ」

であるから、

気の強い妻はマニラ・ミ-ティングでのjet師範の予言を信じないばかりかまったく気にしてなかった。

それから奥さん、

別に隠していたワケじゃないけど妻の夫プリンスは日本で20年近く不動産業をやっていたので土地や建物ならフィリピンでも大体のことはわかる。それに前の彼女のときは家の建築に関わり、妻と出会う前はプリンス自身もコンドミニアムの購入を検討したこともあった。そのことはズーと前から妻に伝えてあった。

ミ-ティングはまず妻からフランシス君にそのことを教えた。フランシス君の講釈を聞くのもカッタルイ。

だから近くで建築中の家を指さし、

プリンス 「あんな感じの標準的な3ベッドルームの家でいい。予算1M(200万円位)で出来るの?」

フランシス「もちろんプリンス、おつりがありますよ。僕に任せて下さい。」

プリンス 「そうか、君に任せるのは妻の希望だ、いいだろう。君への報酬は1M×5%でいいか?」

いきなりフランシス君への報酬の切り出しに困惑したのは他ならぬ妻だった。最初にお金の話をするなんてマナー違反だと言った。どうも歯車が噛み合わない。妻へ設計士に家を依頼する場合、建築確認までの設計なら総額の3%、家の完成まで面倒みる設計管理なら5%という報酬基準があることを苦労して教えた。

フランシス君とは英語、妻とは英語、日本語、タガログ語チャンポンのやり取りだ。

フランシス「5%の報酬は多すぎます。僕への報酬は気持だけでいいですから。」

注意深く妻との会話を聞いていたフランシス君の返答に、そらみたことかと満足の笑みを浮かべた妻。

プリンス 「フーン、気持だけでいいのか。ならば設計管理はやってくれるの?」

フランシス「図面は僕が引きます。材料の発注や施工は紹介します。僕に任せて下さい。」

プリンス 「フーン、紹介ねぇ。設計だけなら君への報酬は3%となるがそれでいいのか?」

フランシス「プリンス、気持だけでいいのです。差額は家具や備品に充ててください」

再びフランシス君への報酬を口に出すと妻が「日本のシステムとは違う、気持だけでいいの」と言って会話を遮った。この時点で、まともな設計士とのミ-ティングではなくなった。しかし妻は、フランシス君に頼んでこそ安くていい家が建てられる、そう確信したようだった。フランシス君との会話はこれにて終了。

その後フランシス君は建物は道路の幅員に応じてセット・バックしなければならない等、基本的な説明を妻にして帰った。妻には約束の設計図面とダンピング工事だけフランシス君に発注するよう言った。

そして夕方、妻の実家へ戻ると朝、フランシス君の実家を訪問したことを聞きつけた父52が待っていた。

奥さん、長い1日はまだ終わりを告げないのである。


フランシス君、登場

2010-10-28 | weblog

現地調査の翌朝、散歩がてらフランシス君の家に向かう。妻の実家から徒歩30分、走っても30分。

妻の希望で建て替えをしているフランシス君の家を視察するためだ。

なんたって妻は2年前フランシス君と会ったときアーキテクチャー(建築士)ではなくエンジニアと紹介した。

家の建築なんてまったく興味のなかった妻であるが、いざ家を建てるとなると俄然、学習意欲が湧いた。

 

行く道で出会った子供。デジカメ片手に歩いてると「ピクチャー」といって寄ってくる。

フィリピン人は皆、写真を撮られることが好きだ。

 

朝からの勤労少年、なかなかのポギー(男前)。

 

通学中の子供たち。なかなかのマガンダ(美人)、ビコラーナ(ビコール地方の女性)は美人揃い。

 

彗星の如くフランシス君、登場。2年ぶりの再会。

 

 

フランシス君の実家は大地主のお百姓。日本でいうところの庄屋である。

2階建て、5ベットルームの豪邸を建築中なのだ。

 

まず、基礎工事について説明を受ける妻。地盤が悪いせいなのか全面セメントのベタ基礎。

 

続いて床スラブとブロック積みの壁。熱心に講義するフランシス君は妻と同じ年(26)。

ただ、近い将来姉弟の関係になる予定で、気の強い妻はフランシス君をパシリとしか思っていない。

 

フランシス君は30分くらい講義した後、最後に庄屋の息子らしく実家にある精米所をとにかく自慢。

フィリピン人を読み解くキーワードに「嫉妬」があるけど、それに「見栄」と「自慢」も共存する。

 

この日のお昼、妻の買った土地にあるバンブーハウスでミーティングすることを確認して別れる。

 

帰り道。右手は山、左手は海。山の奥にはマフィアと呼ばれる無法集団がいる、と妻が説明。山賊ですな。

 

集落入口のバンブーハウスに到着。「家を建てることは内緒」のハズだったが、近所の人に自慢する妻。

この日のうちにフランシス君の実家を訪ねたことが父52の耳に入りちょっとした波乱を巻き起こす。

奥さん、フィリピン人を読み解くキーワードには「噂話」(チスモーソ)もあるのだ。


住宅分譲地の真実

2010-10-27 | weblog

さて奥さん、妻の実家到着3日目、妻の住宅分譲地を現地調査した。フィリピン妻はそう甘くなかった。まず、目の前に現れたのは住宅分譲地ではなく荒れた土地だった。しかも妻の住宅分譲地には廃屋と小さなプールがあった。この土地は今年3月、アンヘレスで外食レストランチェーンを営む叔母さんから買ったものだ。つまり、妻は金持ちのさん叔母から使わなくなって朽ち果てた別荘を買ったのだ。いきなり暗雲が垂れ込めた。



住宅分譲地のゲートに入ると開発計画の看板を掲げる案内所があった。これまた15年以上は過ぎた廃屋だ。看板を見ると300余のロット(1ロット90㎡が主、妻は4ロット、90㎡×4=360㎡の土地)があるからタウンが完成すれば100棟余の住宅が建ち並ぶはずだった。ところが市長名の公共事業とはいえ、総8ブロックの開発行為は途中で頓挫してゴーストタウン化した。タウン内の道路は2ブロックで止まっている。

 

タウン内は幹線道路に面して妻が購入した土地と同じブロックに建築中の家が2棟(両方とも日本人の爺さんがオーナーとの噂)、古い家が2棟(両方ともスクワッターらしき人が10人位住んでいる)、トタン屋根の家が4~5棟(道路がないので確認できない)点在していた。またブロック塀を途中まで囲って放置してある土地も何か所かあった。さらにタウン内の土地は手抜き造成工事のため至る所で地盤沈下している。酷いところは道路より1.5m以上陥没していた。日本男児たるものここで家を建て家族が暮らすには余程勇気と決断がいる。

 

境界確認をしながら見た妻の土地も地盤沈下している。したがって、ここで家を建て家族と暮らすことは別にして、まずは廃屋を解体撤去、土砂を入れて整地(ダンピング工事)をしなければならない。

その昔、日本のフィリピンパブで働くフィリピーナは、稼いだお金で家を建て(家のない子は家を建て親にプレゼント、家のある子は自分の家を持つ)、サリサリ(雑貨店)を経営することが夢だった。妻もまた然り。そして多くのフィリピーナは家もサリサリも夢は夢で終わった。妻もまた然り。

奥さん、叶わないから夢といい、当たらないから宝くじという。

つまり夢の宝くじサマージャンボ3億円は絶望を意味する。

しかし買ってハズれるのは当たり前なのに失望するのはこれいかに。

で、「こんなとこで家を建て、暮らすなんて、とんでもねぇ」つー現地調査の結果は胸に秘め、まだ夢を見ている妻には「まず、ダンピング工事をしなければどうしようもない、家のことはそれから」とだけ伝えた。

そして翌朝、隣村のフランシス君を訪ねる段取りをしてゴーストタウンを後にした。


2つの集落

2010-10-25 | weblog

妻の実家に到着した翌日の午後、集落を探検した、と言ってもメインストリートを散歩しただけ。

まず、町のセンターから曲がりくねった幹線の山道をオートバイで20分ほど走ると集落の入り口。

人のいないバンブーハウスが目印、ここを右手に折れる。

 

入り口より勾配の急な舗装された坂道を下ると右手にロースクールがある。

 

広い敷地のロースクール、のどかだ。

 

ロースクールの入り口から200m先にこの集落のゴールとなる広場がある。

メインストリートの右手は海岸端でバンブーハウスが立ち並ぶ。左手にはブロック造の住居。

 

メインストリート左手、ブロック造エリア最初の建物は妹4が通う保育所。

 

続いて妻の実家。敷地は80坪位で3ベッドルーム。

この集落では2番目の豪邸なのだ。

 

妻の実家から20m先にあるこの集落の長の豪邸。

センスのない外壁の塗装にめまいがする。

 

集落の長の豪邸の隣は建築中の生意気な息子の家。

センスのない外壁の塗装をするだろう。

 

海岸端にはご近所の寄合所となるバンブーハウスが数多くある。

ここで朝から日の暮れるまで噂話をするのだ。

 

海岸端には井戸も何か所かある。共同の洗濯場となる生活水。

飲み水は山の湧水をパイプで引いて各戸に割り当てられている。

硬水のミネラルウォーターだから旨い。

 

広場近くにある教会。そういえばキリスト教だったな、と思い出すくらい集落の人の信仰心は薄い。

 

そしてゴールの広場。バスケットコートがあり、子供の遊び場。

さらに集落の市場でもあるから朝はここで水揚げした魚が取引される。

この先にもうひとつ同じ集落がある。

 

もうひとつの集落側から広場を見ると樹木で寸断されて見えない。

つまり2つの集落にほとんど交流はなく、それだけ集落は閉鎖的な場所だった。


プリンス、のけぞる

2010-10-23 | weblog

上記はマニラでのけぞる謎の集団。


さて奥さん、妻の実家へ到着していきなりガク然とした。それはちょっと入り組んだ言語の問題。

ルソン島南部にある妻の故郷ビコール地方はビコール語という独特の言語体系がある。で、妻の実家へは過去、結婚前と結婚式のときの2回、計3日間滞在したが、このときは妻が通訳してくれたのでビコール語について気にも留めなかった。それに妻から娘の将来を考えてタガログ語を学習しなさいとオーダーされていた。

したがって娘が生まれ、妻が来日して一緒に暮らした1年間は妻からタガログ語を学習したのでビコール語とは無縁だった。ところが妻の実家へ到着するや妻は突然家族とビコール語で会話を始めたからたまげた。

「何をしゃべっているのかさっぱりわからん」

ビコール地方の人がビコール語を話すのは至極当然である。

この当たり前のことを気付かずにいたことに落胆した。思わぬ落とし穴だ。

タガログ語を学習したのは一体何だったのか。

さらに追い打ちを掛けたのはテレビだった。ちょうどビコール地方のローカルニュースを放映していた。ところがアナウンサーはタガログ語を話す。しかし、相変わらず妻と家族はビコール語でニュースを語り合っている。父52を除けば家族は皆タガログ語で学校教育を受けているのに。なにか変だ。

そして極めつけは母48の兄、伯父52が来たとき。伯父52は独身のヤモメ暮らし。父52の仕事のパートナーで朝夕2人で漁に出る。伯父52はまったくタガログ語が分からない。テレビで隣村の民家にトラックが突っ込んで横転したローカルニュースに家族全員が「あー」と驚嘆の声を発した。すかさず妻がビコール語に翻訳して伯父52の伝える。そのちぐはぐで異様な光景に思わずのけぞった。

父52はタガログ語を多少理解するが話すことはできない。

けれども2年半前、初めて父52と会ったとき、父52はビコール語でこう言った。

「プリンス、タガログ語を勉強しろ」

妻がタガログ語に翻訳して教えてくれた。そのときは何気に「そうだな」と思った。

今にして思うとアレは一体何だったのか。

それにしても妻は家族とビコール語でどのような話をしたのだろう。

やはり「面白いからプリンスをヤギと獣姦させようぜ」か。

奥さん、言葉が解からないといらぬ疑念と不安が生じることを思い知らされた。


ウータン攻撃

2010-10-21 | weblog

マニラ・ミーティングの翌々日、妻の実家へ向かった。2年ぶりの訪問だ。昼の便でマニラから飛行機でレガスピへ。そこからGTターミナルつー乗合いのワゴン車で妻の故郷へ。さらにそこから父52のボートに乗る。妻の実家に到着したのは夜の8時過ぎだった。疲れていたのでお土産を渡して挨拶しただけだった。

つまり、jet師範の教え「歓迎パーティーの開催をしなかった」ワケだが、フィリピン人はそう甘くない。

実家の向かいには空き家のバンブーハウスがある。そこで父52が近所の酒飲み仲間を集めて朝早くから歓迎パーティーを開催していたのだ。ビコール地方の酒の飲み方はストレートのジンを小さなグラスで回し飲みする。チェイサーにマンゴージュースを飲む。日本から来たプリンスの歓迎飲み会は盛り上がっていた。

「プリンス、プリンス」手招きをして呼ぶ父52。

「相手にしちゃダメ」妻と母48から昔アル中だった父52と一緒に酒を飲むことは厳禁されていた。

しかし日本男児たるもの挨拶くらいしなければ、と思い、それぞれに握手をして回った。そして実家へ戻ろうとすると、一人の男が英語で話しかけてきた。そいつはこの集落の長の息子で30半ばのポッチャリデブだ。

「おまえ英語は話せるか、日本から金を持ってきたのか」

ぬお、ウータン(借金)攻撃の先制ジャブか。酔っ払っているとはいえポッチャリデブの英語はヘタクソ。

酔っ払いの戯言を無視して答えないでいると第2のパンチを繰り出してきた。

「おまえの着てるTシャツは日本製か、日本製ならオレによこせ。日本製はハイクオリティーだろ」

ジョークのつもりらしいが、生意気な物言いだ。ポッチャリデブの顔もチャイニーズ系でフテブテしい。

「おまえの顔と同じで中国製だ、サーヤン(残念だな)」

ポッチャリデブへ軽くジャブを返して家に戻ると母48が見知らぬオバサンと話し込んでいた。

「プリンス、プリンス」今度は妻に手招きで呼ばれた。

このオバサンは母48の友達でサリサリ(雑貨店)のお客さん。定期的に借金をしてお米で返済するライス・オバサンだった。この人のことは妻よりズーと前から聞いていたのでP2000(4000円)を貸した。お金を貸したのはこの人だけで、なにしろ2ヶ月後にお米4袋分(200kg)が手に入る。ただし、以前少し等級の悪いお米を金利分支払った前科があり、また姑息なことをすれば最後だよと母48は言った。

普段なら数回足を運んで母48からP1000を借金するのだが、今回は一発でしかも倍のP2000を借りることができたからライス・オバサンは有頂天になった。ちょうど朝飯を作り始めたときで余程腕に自信があるのかライス・オバサンは頼みもしないのにビコール・エクスプレスを作った。なるほど旨い。一緒に食べて自慢話をするのかと思っていたらライス・オバサンはビコール・エクスプレスを半分持ってサッサと帰ってしまった。この予期せぬライス・オバサンの行動を妻と母48が唖然として見ていたのは言うまでもない。

ウータン攻撃第2段と朝飯が終了して家の前にある木のベンチに腰かけコーヒーを飲んだ。母48と弟22は町のセンターへサリサリの仕入れに出かけ、父52と酒飲み仲間は別のバンブーハウスへ宴会場を移動した。弟19は高校、妹4は保育園へ行き、妻はキッチンで娘に食事を与えている。一人で過ごすコーヒータイム。

ところが優雅なひとときを楽しむ間もなくウータン攻撃第3段が襲ってきた。フィリピン人はそう甘くない。

朝からの一連の行動を監視していたかのように(実際そうだったようだ)目の前に現れたのは母48の弟の女房、近所に住む叔母だった。この叔母の娘(妻の従妹)は今年2月、結婚相手のアメリカ人との間にできた子供を出産した。3月に帰省した妻が叔母とその子を写真に撮っていたのでその叔母だとすぐに分かった。

驚いたのは叔母がポッチャリデブとは正反対の流暢な英語で話し始めたことだ。プリンスは現地の言葉がまったくわからないふれ込みだから、直接英語で借金を申し出たのは後にも先にもこの叔母ただ一人だけだった。

「マニラに住む娘夫婦の仕送りが遅れた。P500借りたい。仕送りが来ればP700返すから」

そんなことはウソに決まっているから返事に困り、キッチンにいる妻を呼び応対させた。妻は慌てた。何しろ3日前のマニラ・ミーティングではウータン問題を「私のファミリーは大丈夫」と言っていたから。

フィリピン人のファミリーは叔父、叔母、いとこまで含むので妻はウソをついていたことになる。

後で妻に聞いたところ、この叔母は義姉の母48に昔から借金を繰り返し、母の友達、妻や妻の友達にまで借金をして返さないそうだ。叔母の借金被害は親戚中に及ぶ。妻に言わせるとウソをついたワケではなくファミリーの恥を晒すことはできなかったらしい。しかも妻は叔母の孫のニナン(後見人)である。こうなるとフィリピン人のウータン問題は複雑。実害があったワケではないので妻には不干渉主義で対処した。

叔母は母48が戻るとサリサリに来て、母48にP500紙幣を両替してほしいと申し出た。あたかも「別の人から借金したのでアナタたちに頼る必要はない」とでも言いたげな振る舞いだった。

その日の午後、母48に頼んでおいたビールをバンブーハウスで1本飲んだ。町のセンターにサンミゲルはなく不味いレッド・ホース。しかもデカ瓶サイズ。そして朝からのウータン攻撃を反芻しながら昼寝をした。

翌朝、叔母から「昼間からビールとはお金持ちね」と言われた。いつも叔母に監視されいるようで背筋がゾーとしたのだ。この集落のウータン問題は根深いので改めてエントリーしよう。ではでは。


マニラ・ミーティング

2010-10-19 | weblog

フィリピンの首都マニラへ到着した夜、jet師範(御存知アジアの格闘王)とミィーテングをした。場所はマカティ、リトルトーキョーにあるちゃんこ鍋の関取。いやぁ、それにしてもしばらく日本食が食えなくなるとはいえよく食ったなぁ、食った、食った。いやぁ、jet師範、その節は御馳走さまでした。

ミィーティング内容は妻の実家に滞在して家を建て、商売を始めるにあっての注意すべきことである。jet師範はニノン(結婚したときの後見人、平たく言えば仲人親)なので、フィリピンの仕来りで相談事にはアドバイスしなければならない立場なのである。細かくアドバイスしてもらったが、以下、3つの箴言が要になった。

・歓迎パーティーを開催してはイケナイ

ウータン(借金)のことである。つまり、酒、食い物を買って妻の実家で歓迎パーティーを開くと、金が尽きるまで親戚や近所の人からタカられるのだ。妻は「私のファミリーは大丈夫」と言った。果たしてどうなるか。

・知り合いに頼んで家を建てると予算の30%オーバー、ボッタクられる

妻の希望で妹23の恋人建築士のフランシス君に家の設計、施工を頼むつもりでいる。果たしてどうなるか。

・夫婦円満は相互不干渉主義

これはjet師範の経験による異国人夫婦円満の秘訣。各々やることを持ち、お互い干渉しないこと。

日本男児たるもの心しておこう。

さて、長いミーティングも幕を閉じ、言いたいことを言って御満悦の妻。

いやぁ、jet師範、気の強さではヒクソン・グレーシーにも負けないであろう妻に相互不干渉主義を唱えてもまったく無駄。タクシーのゴロツキ運転手に「金が足りない」と脅かされても「メーター料金だけ」と冷たく言い放ち、運ちゃんを睨みつける妻。そんな妻の言うことは話半分で聞き流し、朝起きてから寝るまで妻による過度の干渉にジィーと耐えることこそが生きる道だと悟った次第です。

それじゃ奥さん、またね。


飼育

2010-10-17 | weblog


大江健三郎の小説で「飼育」という秀作がある。太平洋戦争が終戦する頃、ある山奥の村落に米戦闘機が墜落、生き残った黒人米兵を村人が捕虜として飼育するつー物語だ。高校時代に読んで、村人が面白いがって黒人米兵とヤギを獣姦させる内容にド胆を抜かれた記憶が鮮明にある。初期の大江健三郎はよかった。

さて奥さん、9月初旬に渡航して以来フィリピン人妻の実家に滞在しているワケだが、それは今年3月、妻が帰省して実家近くにある住宅分譲地を購入した。そこに家を建てることと同時に何らの商売を始めて経済基盤を作ることの2つが主な理由で、つまりはフィリピンへ移住して妻子と一緒に暮らすことが目的だった。

したがって家が完成するまでの数ヶ月間は大江の「飼育」の如く妻の実家で管理される運命なのである。

果たして黒人米兵のようにヤギと獣姦させられるのだろうか、期待と不安が入り混じる。

それにしても妻の実家は首都マニラより南へ500km下った風光明媚な片田舎にある漁師町。しかもその外れの集落にあるからフィリピン最大手の通信会社SMARTのエリア外でインターネットも携帯電話も不可のため音信不通になってしまった。改めて都会=便利、田舎=不便の単純な生活様式を思い知らされたのだ。

それでは以下、主たる登場人物。

jet師範(御存知マニラ在住のアジア格闘王、我がニノン=結婚したときの後見人でもある)

bibbly (もうじき50。言うまでもなく飼育される人。妻の実家ではプリンスと呼ばれている)

妻  (26歳。本人は他人に20歳だと言い張る怖ろしく気が強い女房)

娘  (1歳半。とにかくカワイイのだ)

父52(妻の父親、漁師一筋40年。性格はデリケートで神経質。昔はアル中だった)

母48(妻の母親、家でサリサリ=雑貨店経営。性格は明るく温厚でクレバー。プリンスは敬愛している)

妹23(妻の妹、ナース。2年前に会ったとは看護大学生だったから時が経つのは早い)

妹4 (妻の妹、4歳。2年前に会ったとは当然2歳だったから時が経つのは早い)

弟22(妻の弟、ドア・トゥ・ドア=宅配のドライバー)

弟19(妻の弟、未だ高校生。長い間休学していた)

フランシス君(26歳、妹23のショータ=彼氏、建築士。もうじき弟になる予定)

ライカ嬢(16歳、弟22ショータ=彼女。高校生。もうじき妹になる予定)

そんなワケでプリンスの飼育は始まった。

俄には信じがたい驚異に満ちた物語がスタートする、乞うご期待。