鳩山首相、「東アジア共同体」を説明
タイのアピシット首相(右)と会談する鳩山由紀夫首相。自らが提唱する東アジア共同体構想について「ASEANが中核となる。その中で日本がしっかりとした役割を果たしていきたい」と説明した。
(以上、時事通信より引用)
当面意義が見出しにくい東アジア共同体
あぶり出される経済外交の課題
鳩山首相が「アジア・太平洋版のEU」である東アジア共同体を構想し、10月10日の日中韓首脳会談では同構想を3カ国の長期的目標とすることで合意した。鳩山首相の考えでは、特定の加盟国を決めず、アジア域内での連携事業の進展に応じて東アジア共同体の枠組みが決まっていくとのことである。
今回の東アジア共同体構想については、賛否両論がある。賛成論としては、アジア諸国との経済連携の深まりは今後も進むものであり、将来的に東アジア共同体につながっていく方向は否定できないとする。一方、反対論あるいは消極論は、経済の発展段階が大きく異なり、経済政治システムも異なるアジアの国々がひとつになるのは当面現実的ではなく、遠い夢に過ぎないとする。
東アジアで経済共同体を構想すること自体は、ASEAN諸国が2015年までに経済共同体の実現を目指しており、ASEANプラス3(日中韓)やプラス6(日中韓+オーストラリア、ニュージーランド、インド)の連携が深まりつつある中では、すでに考えられる方向となっている。
しかし、ASEANの経済共同体構想でも、加盟国の経済発展段階が異なることが統合作業の遅れにつながっている。統合すれば域内の貿易投資は自由化されるが、農業保護などの観点から全面的な貿易自由化に進みにくい国もある。日本の場合も、東アジア共同体を主唱するのであれば、農業をどう位置づけるのか、自らの問題を処理することが先決である。
EUのような基盤も危機感もない東アジア
経済以外の面でも、EU的な共同体を念頭に置くといくつか合点がいかないところがある。ヨーロッパが第二次大戦後に経済共同体形成の方向でまとまっていった背景には、(1)米国・ソ連に対する小国による劣勢を共同体化することで巻き返す、(2)キリスト教文明およびギリシャ・ローマ文明という共通の歴史文明基盤、(3)民族的な近似性、(4)民主主義体制の共有、といった価値の共有もあるとされている。
戦後まもない時期には、第三次大戦が起こるとすれば再び仏独を中心とした欧州大陸になる可能性が強く、そのような惨禍を絶対に起こさないようにしなければならないとの危機感と切迫感も、独仏両国を融和と融合に突き動かし、ヨーロッパ諸国の共同体形成につながった。
一方、東アジアであるが、共同体としてまとまる基盤となる共通価値はヨーロッパほどには見つけにくい。アジア文明といっても、欧州以上に多様であるし、民族的にもインドまで含めればヨーロッパ以上に多様であろう。また、政治体制も多様である。
さらに、米国、ロシアに対抗して一枚岩となる必要性についても、経済面では域内経済利益をまず域内で分配するというリージョナリズム的な発想以上の理由に乏しいし、政治的にも東アジアとして単一の発言力を強化すべきとの理由以外は見いだしにくい。
危機防止が目的なら、東アジア共同体が先ではない
価値があるとすれば、ふたたび日本や東アジア諸国が互いの政治的軍事的緊張の高まりで危機に陥ることを防ぐということであろう。しかし、この基準では、なぜ日本が直接紛争相手になる可能性が薄い東南アジア諸国と共同体を形成すべきなのか分かりにくいし、米国、ロシアといった日本を取り巻く軍事大国と融和しなくて良いのかということにもなる。
東アジア域内での危機防止となれば、より分かりやすくなるが、やはりなぜ紛争防止に政治的枠組みではなくて経済共同体といった経済的枠組みが優先されなければならないのか、いまひとつ釈然としない。ちなみに、ヨーロッパの場合、経済共同体の嚆矢となる1952年設立の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に先立って、1949年に北大西洋条約機構(NATO)が結成されている。
結局、東アジア共同体は遠い将来の枠組みとしては否定しないものの、域内にとっては当面意義が薄いと思わざるをえない。その中で、敢えて形成する意義を挙げるとすれば、日本の利益である。近隣諸国と仲良くして経済関係も一層深めようということが第一点であろう。これに加えて、日本にとって、みずからの経済活性化のために成長地域であるアジアを取り込むことは有益であり、経済関係が緊密なアジア諸国との関係を特別に強固にすれば、さらに日本経済の利益にもなるということがあろう。
経済活力を取り込む目的ならまず日米FTAだ
もっとも、最後の点、すなわち日本経済にとっても他国との経済緊密化で活性化を図るのであれば、そのやり方はひとつではない。日中韓3カ国間のFTA締結を推進することでも意義は大きい。しかも、これであれば、将来の東アジア共同体につながる余地も開けている。ヨーロッパの場合も、共同体形成は一様に進んだわけではなく、1957年に独仏伊など6カ国が欧州経済共同体を結成し、その後多くの国が加盟した経緯があるし、現在のEUでも通貨統合にまで至っているのは28カ国中16カ国に止まっている。
東アジア共同体構想を排除せずに日本と経済関係が緊密な東アジア諸国の間で先行して共同体を形成するのであれば、経済水準や政治体制が近似しているオーストラリア、ニュージーランドとの間で共同体を作ることも大いに検討に値するし、一気に東アジア共同体を検討するよりもはるかに実現性は高い。
もっとも、日本に利益となる一層の経済緊密化を図ると言うのであれば、敢えて東アジア地域にこだわらなければならない理由は乏しい。とりわけ、日本と経済関係が緊密ということであれば日米経済関係は筆頭格であり、FTAなどを通じた米国との経済関係の一層の緊密化は東アジア共同体に劣らず重要である。
まして、日本はアジアの一員ではあるが、太平洋国家でもあり、環太平洋諸国のひとつでもある。米国と経済共同体を形成することができれば、経済構造に補完性が強いことから、強力な経済圏を形成することができるし、なにより経済活力が乏しくなっている日本にグローバルスタンダードとなっている経済的枠組みが浸透する意義は大きい。
もちろん、日米で経済共同体を進めることまで言及すると、異論も多い。日本、米国とも経済利害が対立して成り立たないとの見方はさておいても、覇権国で経済力も突出した米国を加えることは、日本とアジア諸国が加わる東アジア共同体の形成可能性を潰えさせ、二者択一しかないとの見方もあろう。
しかし、この場合、どの点に共同体形成の意義を置くのかが問われなければならない。経済大国に対抗する観点を重視するのであれば、リージョナリズム的な発想がつきまとうことは先に述べたとおりである。域内を最優先する経済共同体が形成されては、米国ならずとも域外国にとって好ましいはずがない。また、経済力で突出した国を含めるとその国に引きずられてしまうと言うのであれば、日本や中国も他のアジア諸国から同様に見られていることを見落としてはならない。
桁外れのコストがかかる東アジア共同体は日本にとって最善の策か?
このように見てくると、東アジア共同体の意義としては、日本がどの国、地域と友好的な経済関係の一層強化をとりわけ図りたいかという点がとりわけ強く浮かび上がることになる。しかし、この点でも共同体構想を強く押し出すことは当面得策とは思えない。
というのは、共同体を形成するには、国内市場の開放をどこまでも惜しんではならず、一人勝ちをする国があってはならないからである。日本が農業分野などを例外と言い張り、自国産業に有利となるように自国制度を域内共通制度にしてグローバルスタンダードを握ろうと思っているようでは、共同体などできるはずがない。
なにより、経済共同体は、経済的国境がなくなり、輸出輸入ともに激増して、国内産業・企業が域内企業との自由な競争に全面的に巻き込まれることで実現するのであって、日本が考えているように、農業や中小企業等を保護しながら輸出増で経済が活性化するものではないことを肝に銘じるべきである。
さらに、経済発展が相対的に遅れている域内国への支援も惜しんではならないということも共同体の特徴である。そもそも、圧倒的強者のいない互助的な「共同体」を作るのであれば、経済格差は極力ないことが望ましいし、日本は全力を挙げて、共同体諸国の経済活性化と日本並みへの諸国民の生活水準向上のために、力を割かなければならない。これだけの膨大なコストを勘案すると、東アジア共同体構想が、日本が東アジア諸国との友好関係を深める「一助」の位置づけには到底ならない。
東アジア共同体構想は、日本経済と地域の安定や繁栄につながる可能性があり、すばらしい構想である。したがって、将来的な大きな検討課題として掲げることは否定しない。しかし、日本の事情を優先するかぎり、その実現はおぼつかないし、東アジア諸国と友好的な経済関係を一層緊密化することも大いに結構だが、東アジア共同体には桁外れの努力とコストを要することも認識すべきである。さらに、東アジア共同体が日本経済にとって一番やり方として相応しいのか、大いに吟味されなければならない。
結局、東アジア共同体構想は、日本経済の成長にはアジア経済を取り込むとか内需が弱く外需に依存するしかないとしながらも、未だそのための布石を十分に打ったように見えない日本の経済外交の課題をあぶり出している。一足飛びに東アジア共同体構想に行く前に、どの国とどのような形で経済連携を深めることが日本経済の活性化に最良なのか、また近隣諸国との友好関係をどのように深化することが望ましいのか、この際よく見極めることが必要である。
中島厚志
(以上、WEDGE Infinityより引用)
冒頭ニュースで日本の「しっかりとした役割」って実際は何だろう。
上記、中嶋さんのコラムでも東アジア共同体の意義が見出せないとしている。