太った中年

日本男児たるもの

ゾンビローラ物語

2011-04-30 | weblog

虚ろな眼をした初老の女性、人は彼女をゾンビローラと呼ぶ。

ゾンビローラ(ゾンビのような婆さん、名前と年齢は不明)は床屋のスタッフでメルシーに次いでやって来たように記憶している。というのも、当初、口数が少なくて、シワの多い物静かな婆さんだなぁーくらいの印象でしかなかった。ゾンビローラは離婚歴があり、成人した子供が何人かいる。メルシーと同じ経歴だ。したがってメルシーとはウマが合い、仲良くなった。ところが暫くするとメルシーと決裂しゾンビローラの名を世に知らしめ、伝説となる出来事が起きた。これだから床屋の2階フィリピンライフはヤメられない。

それはある日のことだった。昼メシを食べ終わり、床屋の前で喫煙しながらワンちゃんとレッド・ツェッペリンのドラマー、ボンゾについて語り合っていると、ボンゾのような大男のアメリカ人が来て「この床屋にはマッサージメニューはあるのか」と聞いてきた。気の弱いワンちゃんは尻込みした。大体、ローカルな床屋に来る白人はマッサージ+ジャコール(手コキ)を求めるものであるから「ボディ・マッサージはあるけどシェイクハンドはねーよ」と言ってやった。すると食堂の売店から叔母さんが「マッサージOK,カムイン」と叫んだ。

こうしてアメリカ人の大男は床屋の奥にあるマッサージベッドに横たわりゾンビローラの施術を受けるのであった。プリンスはワンちゃんに大男のイチモツをスラングでビッグ・ジョン或いはロング・ジョンつーんだぜと教えるとワンちゃんは感心し、確かめてみるといってカーテンの隙間から携帯で盗撮した。そこに映っていたのはビッグ・ジョンならぬスモール・ジョン。ワンちゃんは「僕のほうがビッグ・ジョン」とデカマラ自慢をしてほくそ笑んだ。床屋はスモール・ジョンの話題で持ち切りになったが、メルシーだけは話題に参加しなかった。

そして翌日の昼下がり、再びスモール・ジョンが床屋に来た。しかしマッサージではない。ワンちゃんに呼ばれたプリンスがスモール・ジョンの話を聞くことになった。プリンスもそうだがワンちゃんはロックが好きでいつも聞いているからかなり英語ができる。しかしスモール・ジョンの生英語はダメのようだ。ただプリンスはタガログ語が少しだけだからうまく伝わるかどうか疑問だった。しかし、日本男児たるものチャレンジ精神なのだ。

スモール・ジョンはアメリカ空軍の指揮官、叔父さんと同じ階級だった。休暇で近くのマリオットホテルに滞在していた。昨日のマッサージ・セラピストがとにかく気に入ったのでホテルの部屋に来て施術してくれねーかつーことだった。しかし問題がある。叔母さんの床屋マッサージはビューティーサロンに付随したサービスであってスパとしての営業許可を取っていないモグリの営業。だから5つ星のマリオットホテルには出入り出来ない。ただ叔父さんがホテルのセキュリティーを請け負っているからつーことで叔父さんを呼んで事情を説明した。叔父さんは一言、任せろといいスモール・ジョンと話し始め、意気投合、そのまま一緒に飲みに出た。

かくしてスモール・ジョンのお気に入り、ゾンビローラは3夜連続でマリオットホテルへ出張した。ゾンビローラは英語がダメだからナニかあればスモール・ジョンがワンちゃんの携帯に直接メールするつー万全の態勢で臨んだ。最初の夜が終わるとさっそくスモール・ジョンからメールが来た。ブロージョブ(尺八)はOKか、と。

フィリピン人を理解するには見栄、自慢、嫉妬の3つを押さえれば事足りる。その3つがフィリピン人の行動原理だから。最初の夜が終わった翌朝、ゾンビローラは財布を開いて見せ、スモール・ジョンから多額のチップを貰ったことを自慢した。手コキの手間チンである。で、ワンちゃんがブロージョブの件を話すとゾンビローラは「私は高いのよ」とジョークを飛ばしたとき、黙っていたメルシーが「バストース」(いやらしい)と吐き捨てるように言った。そして床屋の手コキ婆さんと尺八オバサンによる壮絶な罵り合いが始まった。

尺八オバサンのメルシーはゾンビローラに激しく嫉妬していたのである。仲良しの2人はこのバトルを期に絶縁状態に陥った。バトルのウィナーはもちろん多額のチップを見せびらかして悦に入るゾンビローラだ。

ゾンビローラの出張マッサージが終わった夜、またまたワンちゃんの携帯にメールが来た。スモール・ジョンはゾンビローラと一緒にリゾート地ボラカイ島へ旅行したいというのだ。それをゾンビローラに伝えると天にも昇る気持ちになったのか「プリンス、ビキニで大丈夫かしら」と信じがたいことを口走った。しかし、夢はそう長く続かない、人生とはそういうものだ。携帯送信歴から足が付き不倫旅行の企みはスモール・ジョンの奥さんの知るところとなって話はご破算になり、スモール・ジョンはマリオットホテルから去って行った。

スモール・ジョンと入れ替わる形で床屋に出没したのがゾンビローラの恋人と名乗るブッダローロ(仏陀のような顔をした爺さん、ワンちゃんがネーミング、ゾンビローラはプリンスのネーミング)。ブッダローロはタクシードライバーでゾンビローラと同棲しているという。このところ帰りが遅いので探りを入れに来たのだ。ブッダローロはワンちゃんからスモール・ジョンの真実を聞くと嫉妬に狂い、ブッダの顔は怒りに満ちた。

ゾンビローラはスモール・ジョンとの一件が終わると人が変わったようにおしゃべりになった。床屋へ出勤するとシワ枯れた顔を隠すかのようなメイクをして若づくりのファッションになった。仕事が終わればどこか遊びに行き、ゾンビローラもまたメルシー同様ララケーロ(男好き)の本性だった。ブッダローロは仕事の合間、床屋へ監視に来た。夜、ゾンビローラがいないとタクシーで寝て待つことも度々で、ワンちゃんと一緒に酒を飲んでグチをこぼすようになった。普段はやさしいブッダローロも嫉妬に狂うと抑制が効かなくなる。

ブッダローロの次に登場したのがアメリカ黒人のニグロ(ワンちゃんネーミング)。ニグロはスモール・ジョンの部下でアメリカ空軍兵。やはり休暇でマリオットホテルに滞在していた。スモール・ジョンから言われてゾンビローラの様子を伺いに来たのだ。ニグロが目を付けたのはなんとメルシー。滞在中何度かニグロとメルシーはデートした。その都度メルシーは犬猿の仲のワンちゃんに一緒に飲まないかと当てつけがましいメールを送ったのだ。ゾンビローラとメルシーのバトルはスモール・ジョンとニグロの上下関係を考えればゾンビローラがウィナーだが、スモール・ジョンの手コキとニグロのビッグ・ジョン尺八を加味すれば両者引き分けだろうな。

さて、ゾンビローラの仕事は手コキマッサージではなくネイル・ケア、マニキュアが本業である。そして老眼鏡を使用してする仕事は非常に遅い。床屋2号店が延期となったため、結局、仕事の出来るディンプルと交替するようホーリーウィークを最後に契約は打ち切られた。ゾンビローラはブッダローロと共に床屋を去った。

格闘王jet師範が床屋に来た時、鍛え上げられた体を見て「マッサージさせて」と言ったことが思い出深い。


ワンユー外伝

2011-04-29 | weblog

ズウズウしいメルシーおばさん(推定年齢40過ぎ)

昨年12月中旬、顔の汚いバクラ、ディンプルが突然エスケープしてから下の床屋はめまぐるしくスタッフが入れ替わった。そして現在、定着しているスタッフの1人がメルシー。彼女は旦那と別れ、19なる息子が1人いる厚かましくてズウズウしいおばさん。そしてララケーロ(男好き)だから始末に終えない。

で、メルシーが来てから1週間くらい経った日の朝、ワンちゃんが今から一緒にバクラランへ行ってほしいと願い出た。聞けば昨日、1人でバクラランへ行き中国人の薬局でアレルギーの薬を買いたかったが、1人では気が弱くドアを開けて薬局の中に入れなかった。おお、そうだったワンちゃんは田舎の純朴な青年なのだ。

快諾して2人はジプニーへ乗りバクラランへと向かった。道中、プリンスはワンちゃんから衝撃のヤリ自慢を聞くことになった。お相手はメルシー。メルシーはワンちゃんと同じダバオ出身で意気投合、メルシーが来た次の日から3日間、仕事が終わると床屋のマッサージベッドでサカリのついた犬のようにヤリまくったそうだ。

「マガリン チュパ、メルシーは尺八上手だから僕はお返しにブロッチャー(訳禁止)をした」

これには驚いた。40過ぎのおばさんにブロッチャーとは。さすがピノイ・ナ・ピノイ(男の中の男)である。

ヤリ自慢でハイになったワンちゃんは薬局で薬を購入、帰りの道中となった。しかし、

「プリちゃん、僕はメルシーに弄ばれたんだ」

ワンちゃんは行きとは打って変わって男の哀愁漂う話を始めた。床屋から歩いて5分ほどのところに床屋のスタッフ行きつけのビデオケがある。そこはメルシーとワンちゃんが1発やってから飲むか飲んでから1発やるか、逢引の場として利用した。そしてメルシーから4発目のお誘いメールが来た。ワンちゃんは股間をパンパンに膨らめてビデオケに行った。ところがメルシーの姿はない。メルシーから別の男と飲んでいるとのメール。

「プリちゃん、僕はメルシーに仕返しをする」

この頃のワンちゃんは度々泥酔して床屋の床で寝るか近くに駐車してあるジプニーで寝ていた。顔は飲み過ぎのアレルギーで赤ら顔、デーモン・フェイス。それでバクラランの中国人薬局で漢方薬を買ったのである。

それから数日して昼飯を食いに階段を降りるとメルシーが拳を振り上げ「クレイジー」と叫びながらワンちゃんの襟首を捕まえようと追い駆け、ワンちゃんはニヤニヤ笑い両手を上げブロックしながら逃げ回る異様な光景に出くわした。後でワンちゃんに聞けば、ワンちゃんはメルシーに「外でボーイフレンドが待っている」とウソついた。喜び勇んで外に出てみると誰もいない。ワンちゃんのウソにメルシーは逆上したのだ。

復讐するはワンにあり。その日の夜、見事に仕返しを遂げたワンちゃんとマカロニバーで飲んでいると凄まじい形相でワンちゃんを睨み付けながらメルシーが通り過ぎて行った。そして数分後、ワンちゃんの携帯にメルシーからメールが送られてきた。「おまえをどうやって殺すか考えている」と。この日を境にワンちゃんとメルシーは犬猿の仲になった。ワンちゃんが再びセンズリライフを送るハメになったのは言うまでもない。

 

アバタ顔ディンプル(自称26)のオマケネタ

昨年、ワンちゃんと出会い飲み始めたころ冗談で

「今年のクリスマスはディンプルに酒飲ませてからCR(トイレ)で3Pしよう」つーと

ワンちゃんは「ディンプルは友達だから・・・」と口籠った。

田舎の純朴な青年に冗談はなかなか通じない。

クリスマス前に突然ディンプルがエスケープした後、再び冗談で

「タトゥルーハン(3P)ができなくなって残念」つーと

ワンちゃんは無言だった。

やはり田舎の純朴な青年に冗談は通じなかった。

でもって先般のホーリーウィーク中、ワンちゃん、ディンプル、ロニーとシャラナ夫妻(共に30)の仲良しスタッフ4人はロニーの故郷パンパンガでバケーションを楽しんだ。ホーリーウィークの前日、ディンプルは「ねえプリンス、私、パンパンガのプールでビキニ姿になるの、見れなくて残念ね」と言った。想像したくないが、「ティティあるんだろ」と聞くと「あーら知らないの、私、オペレーションでティティもバヤッグもないの、キキがあるのよ、試してみる」と答えた。バクラのキキ自慢である。興味深そうに聞いていたワンちゃんに「バケーションなんだからディンプルのキキ、試してみたら」つーと、田舎の純朴な青年はニヤニヤ笑っているだけだった。

そしてパンパンガから帰って来たワンちゃんに「ディンプルのキキどうだった」と聞けば

「メイロン ティティ、サーヤン」(チンコ あったよ、残念)とニヤケて答えた。

それが冗談なのかどうなのかよくわからなかった。

 


フランシスの失敗

2011-04-28 | weblog

サケノメ サカモト (YMO 増殖 タイトゥン・アップより)

そんなワケで奥さん、去年の12月はネネ妻のキ印仕入れによるシヌホド不味いマニラビールを飲んでいた。相方のワンちゃんはビールなら何でもOKのフィリピン男児であるが、日本男児のプリンスはダメだ。ナニか旨いプロタン(おかず)が欲しいつーことで、日々、米屋の近くを徘徊していた。そして米屋から歩いて20秒、走って15秒に位置するフライド・チキンのベンダー(屋台)を発見した。屋台のフライド・チキンは下味がついてないものの揚げたては旨い。フライド・チキンをおかずにして不良在庫の処分に勤しむ日々を過ごした。

 

屋台の売り子ジャニン嬢(19)

ある日のこと酔っ払ったワンちゃんと一緒にベンダーへ行ったところ酔って強気のワンちゃんは何やらジャニンと話し込むではないか。そしてフライド・チキンを買った帰り道、ワンちゃんは話し始めた。「プリちゃん、僕はジャニンみたいな華奢なボディはダメなんだ」、おーそうかワンちゃん、グラマーなボディがセンズリライフのプロタン(おかず)なのかな。しかし、何を会話したのか気になって後日、ジャニンに聞いたところワンちゃんにクドかれたそうだ。けれどもジャニンは断った。相変わらず女の子にモテないワンちゃんだった。

それからジャニンに聞けばこのベンダーのオーナーはトライシクルのドライバーで他に2ヶ所、計3ヶ所でフライド・チキンのベンダーを開業している。鶏1羽の仕入れ値はP70~P80、それを下処理して一度揚げ、各ベンダーに配る。二度揚げして売る鶏1羽の売値はP150、粗利が50%、場代、人件費、その他を引いた利益は30%。ベンダー1ヶ所の日当たり平均売上げはP2000というからP2000×30%×30×3=P54000がオーナーの月収となる。フィリピンでは信じがたい高給取りになる。ベンダー稼業をナメてはイケナイ。

 

妹の彼氏、フランシス(26)登場

ベンダーの売り子ジャニンは妻と同じビコール出身、つーことで米屋を手伝いに来たフランシスを連れてフライド・チキンを買いに行った。フランシスもワンちゃん同様、ジャニンと話し込む。で、帰り道、何を話したか聞いたところ「プリンス、僕はジャニンのような華奢なボディはダメなんだ」、なーんだワンちゃんと同じじゃないか。さてはクドいて空振りしたのか。ところがその予測は外れた。次の日もフライド・チキンを買いに行ったところジャニンの方からフランシスについてアレコレ聞いてきた。そして昨日はマニラに来て1年半ぶりにビコール語の会話をして楽しかったことをフランシスに伝えて欲しいという。へぇーそんなものなのか。

それを伝えるとフランシスの態度は一変、背中に羽が生えて有頂天になった。

フランシスは昔、叔母さんの娘、つまり妻と仲のいい従姉妹をクドいて空振り、毛嫌いされたことがあった。

フィリピン人の特徴的なキーワードに見栄と自慢がある。聞いてもいないのに自慢話をして見栄を張る。フランシスはモテ自慢をした。「プリンス、仕事を終えたジャニンとデートした。と言っても一緒に歩いて彼女が住む古いアパートで紅茶を飲んでクッキーを食べただけ。そして彼女を抱きしめて別れた。」ジャニンはホームシックで故郷へ帰りたがっていた。フランシスと出会ったことが契機になってデートをした翌日故郷に戻った。

それはフランシスにとって最後の甘美な思い出となるかもしれない。その後、地獄の思いを味わうことになる。

昨年末、フランシスは4年間勤めていたレガスピの建築設計事務所を辞め、姉が住むC5つーところに身を寄せ独立することを考えていた。最初はシュウマイのベンダーを始める予定でいた。アドバイスをして欲しいという。場所さえ確保できればジャニンのフライド・チキンのようにベンダーは小資本で出来る効率のいいビジネス。従ってまずC5で場所を探せとアドバイスした。ところが場所の探し方がわからないという、バカだ。

ベンダーの出来そうな空き地を見つけ地主と地代の交渉をする、若しくは既存のベンダーを買い取るのどちらかである。米屋のときもそうだったが話を聞いても行動に移せないフランシスには独立なんて不可能、またどこかへ就職することアドバイスしたがもう勤め人は嫌だと言った。典型的な怠け者フィリピン人である。

それから暫くして今度はタマネギのトレイドをしたいから金を出資して欲しいと申し出た。姉はマニラの問屋街デビソリアでタマネギを販売する仕事をしている。その関連からタマネギ産地で安く仕入れ、デビソリアの公共マーケットで売ることを企画した。どんなものかと思ったが、役に立たなかったとはいえ米屋の仕事を手伝ってくれたから、簡単な事業計画書と資金計画書を作らせてから契約書にサイン、出資した。

フランシスの実家は大地主の百姓で豪邸を建築中だ。タマネギ・トレイドが失敗した場合の担保となる。

そしてフランシスは失敗した。産地でタマネギを計画通り安く仕入れることは出来たが、返済期日の前日、公共マーケットへの販売で大量の売れ残りを作ったとメールしてきた。つまりは米屋の妻と同じく過剰仕入れをしたのだ。フランシスは故郷のビコールで売り捌くといって実家へトンズラ、音沙汰がなくなった。

jet師範から余り追い詰めると窮鼠猫を噛むでトンデモない行動に出るから注意するようアドバイスを受けていたのでまず、フランシスをマニラへ呼び寄せるべく徐々にメールを送った。フランシスは言い訳さえすれば許されると勘違いしていた。そこでフランシスを刑務所に送るべくバランガイ・オフィス(役所)で手続きに入った、とカウンターパンチのメール送った。すると小心者のフランシスは慌ててマニラに戻ってきた。

そして近くのゲイバーでフランシスと会った。そこでもやたら言い訳をするのでその都度話を遮って一方的に淡々と話をした。結論として親から金を借りて返済しろつーことを言うと、それだけは勘弁してほしいという。ならば直接親と会って話をすると言った瞬間、フランシスは泣き出した。ゲイバーのスタッフの視線が集中する。余程、親に体裁を繕いたいのか、今からC5の姉のところに戻り金を借りて返すから2時間待ってくれという。1時間で持ってこいと言うや、果たしてフランシスは姉から金を借りてやっとのこと返済をした。

フランシスと妹とはそれっきりになったが気分は清々している。


米屋閉店

2011-04-27 | weblog

別に隠していたワケじゃないけどネネ妻の夫プリンスは不動産業の他に某店舗を10数年経営していた経歴がある。従って小売り業のことなら経験を踏まえ精通している。今回はテクニカルなことを交えてエントリーする。

・売れ筋の追及と死に筋の排除

つまり売れる商品は厚く品揃え、売れない商品は売り場から処分する。コンビニを経営している人ならわかると思うがこれは、米でも酒でも薬でも何でも小売りの基本中の基本である。当たり前のことで一見簡単そうに思えるが、素人には売れない商品の思い切った処分が出来ない。初期仕入れが終わり、次の仕入れをする前にしなければならないのは売れ残りの処分、後先で言うなら死に筋の排除が先で、その後売れ筋を追及する。

例えば書店で、週刊誌が発売したその週に売れなければ残りはデッドストックとなり返本される。書店の発注に対する月間残存率のアベレージは5%といわれる。では返本しなければどうなるか。半年後、5%×6=30%、3割の売れ残り週刊誌が売り場を占有するのである。10ヶ月後は半分、20ヶ月後はすべてが売れ残りとなる。残存率に応じて売上げは減少し20ヶ月を待たずとも返本制度がなければ書店は存続できない。

米屋がオープンして最初の仕入れの前、妻に上記のこと「売れた商品は多く仕入れ、売れていない商品は仕入れてはイケナイ」と教えれば「そんなこと当たり前」と言いながらも売れ残りの商品に何故神経質になるのか理解出来なかった。つまりは売れ筋の追及と死に筋の排除が理解出来なかった。売れる商品と売れない商品は在庫チェックをすれば簡単にわかる。小売り店とは日々の棚卸しに始まり棚卸しに終わるのである。

初期仕入れは叔母さんがサポートしてくれたので順調な滑り出しだった。しかし、デッドストックは免れない。最初からまったく売れなかったのはグロッセリーで缶ビールとジン。死に筋だ。酒の売れ筋はレッドホースのデカ瓶とサンミゲルライト、ピルセンの3つ、それからエンペラードつーブランデー。仕方なく缶ビールは買って飲んだ。飲み終わり不良在庫処分が出来てヤレヤレと思ったらネネ妻は不味くてまったく売れないマニラビールつーのを大量に仕入れやがった。昨年の12月はワンちゃんと一緒にマニラビールを飲んでいたのだ。

・チャンスロス

チャンスは一瞬に来て、一瞬に去る、そして永遠に失われる。チャンスロスとは業界用語で「機会の損失」。例えば昼のコンビニで最も売れるシャケのおにぎりが売り切れたとする。するとシャケのおにぎりを買いに来たお客は別のコンビニへ行ってシャケのおにぎりを買う。チャンスロスは顧客とお金、時間の損失を生む。そして小売り店の売上げが落ちる時、必ずチャンスロスが起きている。また、チャンスロスを起こさなければお店の売上げは上がる。米屋はオープンして5日目から売上げが落ち始めた。チャンスロスが起きているのだ。

ところが妻は売上げが落ちた原因を単純に商品在庫が少ないからと判断し、狂気の仕入れが始まった。エージェント・ネネの暴走だ。お店の売上げをつくるのは商品の在庫量ではなく回転率つーことを説明してもまったく耳を貸さない。仕方なく夫プリンスは「もう出金しねーよ」つーとネネ妻は逆上して「ならば店を売ってくれ」そして「口を挟むな、私がやりたいようにやって成功する」と言い放った。この瞬間、米屋は終わった。

その後米屋は母親が手伝いに来て多少売上げは持ち直した。そして母親の入れ替わりで妹と彼氏のフランシスが来た。妹とフランシスはネネ妻のパシリで内心、いつか見返してやろうと思っているので米屋の経営の立て直しに熱心だった。但し素人なので基礎学習として上記、売れ筋の追及と死に筋の排除、チャンスロスを教えた。チャンスロスを起こさない仕入れの例題として商品A,B,Cの初期仕入れを各10でスタート、10日後、在庫チェックしたところA=0、B=6、C=9だった。売れたのはA=10、B=4、C=1。10日に一度の仕入れ、仕入れのMAXはトータル30リミットとする。さて次の仕入れをどうするか。

妹とフランシスの答えは両者ともA=10、B=4、C=1だった。リピートを掛けるに止まっている。正解はA=30、B=0、C=0。商品Aは在庫0でチャンスロスを起こしている。販売期間10日間のうち3日で全部売れたかもしれない。商品仕入れはチャンスロスを起こさず売れ筋の追及をするのだ。商品Bは10日後まだ在庫が残る可能性があるから仕入れない。その分は売れ筋の商品Aに投入する。さらにC=1が問題で売り切るまで3ヶ月掛る不良在庫だ。売り切り商品でリピートを掛けてはイケナイのだ。

ネネ妻はつーと例題の場合、A=10、B=10、C=10。従ってネネ妻の仕入れはチャンスロスを起こしながら不良在庫の山を築くのであった。実際、オープン1ヶ月半後、妹に棚卸しをさせたところグロッセリーでは7割強が売れ残りの不良在庫だった。売上げのすべてを仕入れに回したから金なんて残るワケがない。

・人件費

これはテクニカルな話からズレるが、フィリピンは人件費が驚くほど安い。では何故人件費が安いのかといえば、親戚の若い男を使ってみてわかったが、人件費=能力=驚くほど安い、簡単に言えば使い物にならない木偶の坊だから。命令しなければ仕事なんてしない。率先して仕事をするなんてことは夢の夢で仕事を覚えることすらしない。親戚の若い男は朝、シャッターを開けるとまず寝る、そして近所の子供と遊ぶだけだったから妻はすぐクビにした。次に来たヤツも似たようなものだった。なにか言わないと何もしない。酷いものだった。

母親が来てまず店の掃除をして空いたところに置くだけの商品をきれいに陳列し直した。それだけで売上げが上がるのだ。しかし、妹とフランシスは言わないとやらない。マネージメントを教えても行動に移せない。教えるだけムダだった。妹とフランシスは2人ともレガスピの優秀な大学を出ているにもかかわらず。米屋の売上げが落ちたとはいえ、主力のお米は売れていて利益は出ていた。必要経費を粗利で割ると売上げの損益分岐が算出されるが、2人はそれを理解できず、徒に不安がっていた。そのくせ給料のことは聞いてきたな。

叔母さんは床屋と食堂2店舗を経営するビジネス・ウーマン。なにしろ指示しないと何もしない、出来ない従業員だから「皿洗って、テーブル拭いて、掃除して」と朝起きてから寝るまで超多忙だ。そこで感じたのはフィリピンでビジネスを成功させるには使い物にならない木偶の坊を如何にうまく使うかつーことだ。でまあ、それはストレスが溜まるだけだろうから、米屋の失敗を教訓にして当分ビジネスをしないことにした。ではナンでメシを食っているのかといえば、叔父さんのサイドビジネス金貸しに投資してメシを食っているのだった。

・米屋閉店

「私がやりたいようにやって成功する」と言い放ったサル山のボス猿ネネ妻であるがもちろん失敗した。詳細を省くが偽札事件とかあってネネ妻はヤル気を失った。でもって妻は叔母さんの娘と一緒に某カラオケ店に勤めた。そこで妻は26歳子持ちのホステスはオバサンに分類されサル山のボス猿は片隅に追いやられたのである。そしてネネ妻はネネで居たいがため再びジャパゆきを画策するのであった。ネネから離れたい夫プリンスは歓迎した。で、米屋は妹に任せる予定であったが、年が明けて大家の娘(14)が突然白血病で亡くなった。

このアンラッキーな出来事にネネ妻は米屋閉店を決意した。こうして3ヶ月間で米屋は幕を閉じた。

それからネネ妻はときどきヒステリーを起こすが、そのときいつもトバッチリを受けるのが御馴染jet師範。

この場を借りてお詫びします。ではまた。


米屋開店

2011-04-26 | weblog

さて奥さん、床屋の2階へ住み付いたものの、赤字床屋の肩代わりを断って相変わらず無職、無収入が続いた。何か商売を始めなければならない、しかしその何かがわからない、つーことでまず口座開設をした銀行でどんなビジネスがいいか聞いたところこのエリアはフード・ビジネスが圧倒的にいいとの回答を得た。そこでトロトロ(簡易食堂)が出来そうな空き店舗を探すことになった。それから毎日散歩を兼ねて物件を探した。1つ物件があったけど問い合わせると先約あってダメだった。(そこは現在、ゲイがクラブを営業している、コワッ。)

トロトロが棚上げされ、次に考えた商売はネット・カフェ。叔母さんの食堂横にあるネット・カフェが連日超満員で大学生の溜まり場になっていたからだ。また物件探しが始まり、近くにネット・カフェの看板があるシャッターが閉じたままの店舗があって、大家に連絡して中を見たところ狭すぎてダメだった。以前はPC8台置いて営業していたらしいが、その倍のPCを置かないと利益が出ないからだ。さらにネット・カフェは顧客の大半が近くにある大学の学生で、聞けばその大学が2ヶ月後移転するという。実際に移転して食堂横のネット・カフェは売上げが激減した。で、住まいから徒歩圏内にある空き店舗探しが終了、八方塞になった。

心配した叔母さんは食堂、床屋をやっていて顔が広い。その伝手で町の中心パレンケ(市場)通りにある空き店舗を紹介してくれた。但し、サリサリ(雑貨)店の申し込みがあり契約はまだつー早い者勝ちの物件なのだ。であるから話を聞いてすぐに手付金を収めた。さてここで何をしたらいいのだろういか。このとき叔母さんは米屋を勧めてくれた。場所は申し分ないのだ店舗面積が狭い。更に通りにはサリサリや米屋の競合店が多い。果たして新規参入して成功するか疑問だ。そこで妻は近くのサリサリ店に儲かるか聞いたところ儲からない、ここはトライシクル・ドライバー相手のトロトロがいいつー答えだった。やはり食い物は強い。そこで大家の婆さんにトロトロをやりたいと申し込んだところ汚れるので飲食店は不可とのこと。元の木阿弥となってしまった。

しかしながら急浮上した米屋。叔母さんの食堂ではお米を2日で1袋(50Kg)使うそうだ。結局、空き店舗はネット・カフェの看板があるところしかなくて、そこで米屋が可能かどうか考えることになった。そして妻は競合するであろう空き店舗近くにある米屋の売り子に儲かるかどうか聞いたところ儲かると返事した。そうなるとヤル気になったのは妻で、後で聞いたら、あのパゲット(ブス)な売り子が儲かるなら私が売れば何倍も儲かるつーことだった。今にして思うと妻の実家から去り、分離したはずのネネがこの時再び息を吹き返したのだ。

そうして、まず大家と店舗契約をして簡単な内装工事に取り掛かり、それが終わるとライス・スコップや秤などの備品はデビィソリアで購入、主力の米はカロオカンにある米問屋へ行って発注、グロッセリー(ジュース、お菓子、酒、煙草など米に付随して売れる商品)はバクラランで買い付けた。そして妻の故郷から売り子として親戚の若い男1人を呼び寄せ米屋を開店した。店舗契約をしてから5日後だった。当初、米屋は順調に売れた。しかし、妻が2度目の仕入れをしたときから歯車が狂い始めた。そう映画マトリックスのエージェント・スミスのように妻のエージェント・ネネは暴走した。その辺の詳細ははまた次回つーことで、奥さん、ではまた。


事件簿三話

2011-04-24 | weblog

第一話 発砲事件

上記写真右の男はラーサガ君。親父がマフィアで本人も以前はマフィアの一員だった。現在は近くで建設しているコンドミニウムのセキュリティー。そして叔母さんの食堂へ毎日食事に来る。またバースディパーティーがあると必ず顔を出す生真面目で律儀な性格。それから彼はスゲェかわいい彼女がいるが、妻にも惚れているババエロ(女たらし)である。従ってプリンスと彼はいつかスワッピング(夫婦交換)する約束をしている。

で、それはある日の白昼だった。いつものように米屋の前で煙草を吸っていると目の前を脱兎のごとく少年が走り去って行った。続いてその少年を追いかけるラーサガ君。すると彼はプリンスの目の前で立ち止まり腰から拳銃取り出し、身構え、「パン、パン」2発発射した。突然の出来事で唖然としているプリンスに顎をしゃくり上げるフィリピン流の挨拶をしてラーサガ君は去って行った。後で聞いたところ少年が建設現場から資材を盗み出そうとしたのを発見、追いかけて発砲したそうだ。「少年はどうなった」と聞けば「知らない」とクールに答えた。

弾丸は目的があるからあんなに早く飛ぶんだ。(レイモンド・チャンドラー)

その弾丸はどうなったのだろう。(jet師範)

 

第二話 泥棒事件

上記写真は食堂の売店。で、それはある日の明け方だった。物凄い怒鳴り声と物音が聞こえ飛び起きた。物音は下の食堂から聞こえる。窓から覗くと叔父さんが若い男をはがい締めにして売店から連れ出したところだった。すぐさま若い男が泥棒だとわかった。叔父さんは腰にバスタオルを巻いた裸姿で口のまわりに歯磨き粉が付いていたからシャワーが終わり歯磨きの最中、泥棒に気付いたのだろう。そして泥棒のわき腹に一発パンチをお見舞いした。叔父さんのニックネームはダックスといい、アヒル顔の童顔、体重が100Kg近くある巨体だ。アヒル顔は凄まじい形相で2発目のヘビー級パンチを炸裂させた。ドスンと鈍い音が響く。余程パンチが効いたのか泥棒はモガクのをやめガックリうな垂れた。叔父さんは更に泥棒の首を締め上げ3発目のパンチを喰らわそうとしたところ、バスタオルがはだけ落ちそうになった。捕物中とはいえ誇り高き空軍兵士がデカいイチモツを世間に晒すワケにはいかない。両手でバスタオルを押さえた瞬間、泥棒は逃走した。すると待っていたかのように3台のトライシクルが泥棒を追走、呆気なく御用となった。叔父さんに呼ばれたプリンスは泥棒をバランガイ・ポリス(自警団)の事務所まで連行した。映画のような出来事を肴に朝から宴会が始まったのは言うまでもない。

 

第三話 マカロニ事件

上記写真お鼻ホジホジのワンちゃん横にいる男はコブラ。彼はワンちゃんと同じダバオの出身でセキュリティーの仕事をしている。で、それはある日の夜だった。酔っ払ったワンちゃんが部屋に来て友達と飲んでいるから下の食堂で一緒に飲もうという。そこにいたのがコブラ。彼も出来上がっていてワケワカラン宴会となった。

そうこうしていると酒がなくなり、ではマカロニ・バーへ行こうつーことになって、マカロニのところでワインを飲み、盛り上がったワンちゃんとコブラはマカロニの彼氏の弟と一緒にボブ・マーレーを合唱した。そしてバッファロー・ソルジャーを歌い終わったところでポリス・バスが来た。何か事件でも起きたのか。

ポリス・バスからポリスが降りるとワインを手にしていたコブラにバスに乗れと指示、続いてワンちゃんとプリンスにもバスに乗れと指示した。真っ先に乗ったのはプリンスで酔っ払いのコブラとワンちゃんはポリスに背中を押されてバスに乗った。うるさく騒いでいたから近所から苦情があったのか、まあ、興味津々だった。

バスの中でコブラとワンちゃんは酔いも醒めたらしく終始下を向き無言だった。プリンスが余裕だったのは立ち小便をして捕まり金を払って釈放された日本人を知っていたからだ。警察に限らず、あらゆる役所は袖の下を使えばどうにでもなる、黙っていても向こうから金をタカリに来るのがフィリピン社会なのである。

署に着いてオバサン署長が調書を取る。それで連行した理由を聞くとバランガイ・ルールで12時以降外の飲酒は禁止されてるとのこと。あそこはバーだぜ、つーと、飲んでいたのは道路、軒下で飲めつーことだった。で、遅れて来たマカロニに金を払えば許してくれることをいい、いくら欲しいか聞いてもらったらP500だった。

でもってP500をオバサン署長に渡して解放された。フィリピンのワイロ社会を肌で感じた事件だった。


宴会の真実

2011-04-23 | weblog

床屋2階のリビングでは隣人のミコちゃんがヒマさえあれば仲間を呼んで宴会を開催する。また床屋横の食堂では叔母さんの旦那さん、つまり叔父さんがこれまた仲間を呼んで宴会を開催する。また叔父さんはフィリピン空軍のエクストラ・ソルジャー(指揮官)で近くにあるホテルのセキュリティーを請け負っている。その関連の誰かが誕生日なら叔父さんが宴会を開催する。要するに何かあれば昼夜を問わず只管宴会が開催されるのだ。

そして床屋の2階に引っ越してから暫くの間、宴会があれば必ず日本人のプリンスが呼ばれる。引っ越しの挨拶を兼ねて当初は参加した。そこで感じたのは宴会でも直行バス同様日本人ブランドが機能していることだった。jet師範の名言「日本人は本人が思っている以上に注目されている」のである。酒席に着くや、まず、「タガログ語は話せるか」から始まり「なぜ日本から来た、日本のどこから来たetc.」とお決まりの質問を受ける。

続いて誰かが「ホンダ、スズキ、スシ、テンプラ、ワサビetc.」と、知っている日本語をしゃべりだす。まったく意味のないことだが、これは他者に対する自慢、優越感に他ならない。また、宴会に誘うミコちゃんや叔父さんも日本人の面倒を見ていることを誇示したいのだ。妻の実家で日本人を飼育して家族が優越感に浸るのと同等であり、高価なヴィトンのバックを他人に見せびらかして自慢するのと同質である。宴会は毎回同じパターンが繰り返され、飽きるつーより苦痛になり少しの時間付き合って切り上げるか、挨拶だけするようになった。

そーなると困るのはミコちゃんや叔父さんで日本人ブランドがうまく機能せず、他者への優位性やその誇示が出来なくなる。従ってしつこく宴会に誘う。するとますます宴会が嫌になって断る。これが高じるとヤクザの「オレの酒が飲めないのか」の世界へ突入する。それはヤクザの見栄、虚栄心であり、表裏一体に臆病と卑屈さが存在する。別に酒席でなくともフィリピン人はメシを食うとき必ず誰かを誘う。フィリピン人の「メシ食え、酒飲め」をガイドブックは考えもせずホスピタリティー(もてなす心)と記すが、それはトンデモない誤解である。

フィリピン人の「メシ食え、酒飲め」は他者に対する臆病と卑屈さを伴った見栄、虚栄心によるものであるから、アンタたちの見栄を満足させるためいちいち宴会につきあっていられない、くだらないことこの上ない。でまあ、宴会の断り方なんだけど、3年前にした胃の手術痕を見せて、今日は胃が調子悪いと言えばそれでOK.胃の手術が思わぬところで役立っている。では宴会の誘いを全部断っている、と言えばそうではない。ミコちゃも叔父さんも時々かわいい女性を連れてくるので、そのときは今日は胃がすこぶる調子いいと言ってその子の横に座って酒を飲む。日本人ブランドの逆利用つーやつだ。そんなワケで酒はいつも楽しく飲みたいのだ。


床屋とバクラ

2011-04-22 | weblog

パサイの叔母さんが経営する床屋が思わしくなく妻にやってみないかつー申し出があってマニラへ来たワケだが実際の収支表を見てみるとこれは目も当てられないほど悲惨なもので、去年の4月オープン以来、カンティーン(食堂)が生む利益を食う形になっていた。つまりは赤字続きで、妻が経営を肩代わりしたところで、お店が好転して黒字になる保証はない。であるから叔母さんの申し出を妻は断り、床屋の2階で空いている部屋を借りて住むに止まった。でまあ、その後叔母さんの勧めで米屋を始めることになるがそれはまた後日エントリーすることにして、では床屋がその後どうなったか、閉店の憂き目に遭うのかどうか記してみたい。

昨年10月中旬、床屋の2階に住みついたとき床屋のスタッフは上記写真顔の汚いバクラ(オカマ)ディンプルと前エントリーのワンちゃん2人だけだった。彼ら2人は店舗に寝泊まり、食事はカンティーンで済ませ、その経費を差し引いた分のお給料を貰う契約をしていた。床屋を渡り歩いてきたワンちゃんに言わせると住むところと食い物が保証された雇用者として実にいい契約らしいが、それはさておき、この契約のポイントはカンティーンの食費。叔母さんなら自分の経営するカンティーンで食費を原価処理できるが、経営を肩代わりした場合、食費は売価処理になる。つまり赤字が拡大することになり妻でなくとも営業権譲渡など不可能となる。このことは叔母さんも気付かず、従って現状のまま黒字に転化することを考えなくてはならないのである。

とはいえオープン以来の赤字経営がそうそう変わるものではない。ヒマな床屋のまま2ヶ月が過ぎたある日、ディンプルが「故郷のパンガシナへ帰る」とだけ言い残して突然エスケープしたのだ。困ったのは叔母さんで、仕方なく別のバクラと契約した。やって来たのは43歳土人バクラのジャマイカ。そしてクリスマス・シーズンと重なってジャマイカが大勢のお客を連れてきたため事態は一気に好転、お店は大忙しとなってスタッフを増やした。ところでジャマイカは他のお店と掛け持ち契約で常駐ではない。しかも仕事は非常に遅くて時間が掛る。忙しい店になったが、時間のロスが大きく然程利益は出ない。さらにジャマイカはバクラ特有のおしゃべりでチスミス(噂話)発信源。有らぬ噂を嫌う叔母さんは結局ジャマイカとの契約を1週間で打ち切った。

その後も多少スタッフのことで問題が生じたが年が明けてから安定した体制になった。赤字経営は黒字になり、ヒマな店が忙しい店へと劇的に転化してメデタシ、メデタシ、となったワケだが、まだお店とバクラのドラマは終わらない。突然エスケープしたディンプルは、故郷へ戻らず、別のビューティーサロンへ移ろうしたが売り込みに失敗。昨年末、再び雇ってほしいと願い出たが叔母さんはそれを拒否。そして先月、叔母さんは近所にカンティーンの2号店を出店し成功した。床屋の2号店も計画中で、そのため今度は叔母さんがディンプルを呼んで先月末からまた昔のようにワンちゃんと一緒に寝泊まりしている。ディンプルの顔は相変わらず汚い。

現在、マネージャーになったワンちゃんと床屋とバクラの問題ついて飲みながら話し合ったことがある。ワンちゃん曰く、ジャマイカの件で明らかになったが、お客、特に男性客は日本でいうところのお姉言葉で話すバクラを嫌う。だからバクラがいる床屋は自ずと客足が遠退く。床屋にとっておしゃべりバクラはアンラッキーな存在つーワンちゃんの分析はどうもそのようだ。人の持つ技術、資質に依拠するビジネス、友達のベイブがやっているスパがまさにそれで、例えマッサージの技術があろうとも接客態度が悪ければ即クビだから。

今後、顔の汚いディンプルがどうなるか、変化があったらエントリーしよう。

43歳土人バクラのジャマイカ。以下、18禁ネタ。

前エントリーでジャマイカとジャマイカの愛人バクラ、ワンちゃん、プリンスの4人で酒盛り。センズリライフのワンちゃんは愛人バクラに連れられて悲しき買春へ行ったことを記した。ワンちゃんを待っている間、ジャマイカと2人だけになり、プリンスはジャマイカの呪われたバクラ人生を聞くハメになったのだ。

ジャマイカの出身はミンダナオ某所。そこで10歳まではごく普通の少年として育つ。そして運命の日を迎える。地元のフェスティバルで町はドンチャン騒ぎ。フェスティバルが終わり町は静まり返える。夜中、寝ているジャマイカは近所のお兄さんによって起こされトイレに連れていかれる。そこでケツにタップリのローションを塗られ、初体験。翌日、学校へ行くと女の子にまったく興味がなくなり自分の運命を悟ったそうだ。

フィリピンのバクラについて太った中年ホームページのコラム、ミチコデラックスを参照してもらえばわかるが、初渡航の際、いきなりバケモノバクラに会い免疫ができた。ジャマイカもミチコと大体似たようなバクラ人生を歩んできた。10代のころは変態ホモオヤジに弄ばれバクラ・バーで働く。大した興味を示さず聞いていたので変に思ったのジャマイカのほうだった。ただ関心があったのはバクラの老後の生活設計でそれを聞いた。

ジャマイカは老後のための貯金なんかしないでビューティーサロンで稼いだお金は全部遊びに使うと答えた。その遊びが奮っていた。若い頃、サディスティック変態ホモオヤジから両手を後ろ手に縛られチンコをナメさせられた快楽が忘れられず、若い男を集め、お金を渡し、ビールを飲ませ、両手を後ろ手に縛ってから若い男のチンコをナメまくる遊びが最高だといった。聞いていて目まいがした。神をも怖れぬ変態プレイだ。

ヘタクソな英語で身振り手振りを交えて語るジャマイカのパフォーマンスは忘れようにも忘れられない。


ワンユー物語

2011-04-21 | weblog

さて奥さん、マカロニ・バーで夜空を見上げる男ワンユー。人は彼をマニラのカリスマ理容師と呼ぶ、なーんてことはもちろんない。まず、ワンちゃんとの出会いは叔母さんから経営の思わしくない床屋を案内されたときだった。最初に見た印象は、「アリャマ、片岡鶴太郎に似ている」。また彼は下唇の真下に髭を伸ばしている(これはブルースマンのスタイル、有名どころではレイチャールズ、忌野清志郎)ので「ブルースマンなのかな」(ワンちゃんはそれを知らず、後日教えてあげるといたく感激した)、と思った。そして最初の出会いから2日後、彼に散髪してもらった。このとき衝撃が走った。ワンちゃんは錆びたハサミを手にするや嘗てのビートたけしよろしく目をパチパチ、肩をヒクヒクさせながら髪の毛を巧みに刈り出した。つまり片岡鶴太郎がビートたけしのモノマネをしながら散髪しているのだ。そりゃもう奥さん、夢を見ているような光景だった。

それから暫くして引っ越しが終わり、2階のリピングでドームスとミコちゃんが仲間を集めてウェルカムパーティーを開催してくれたとき、酔っ払ったドームスが下にいるワンちゃんを連れて来て「ワン、タガイ ナ タガイ」(酒飲め、ゴラァ)と言った。するとワンちゃんグラスにナミナミ注がれたウィスキーを一気に飲み干し、チェイサーのアイスティーを飲み終えると「メイロン トラバホ」(僕には仕事があるから)、そう言ってお客のいない下の床屋に戻った。このとき「なんか悪いことをした」つー日本人の感覚が働き、次の日、仕事を終えたワンちゃんを2階のリピングに誘い一緒に飲んだ。それがワンちゃんとの飲酒ライフの始まりだった。で、最初に聞いたのは凡そフィリピン人らしからぬ中国人名としか思えないワンユーつー名前の由来。ワンちゃんは答えた。「僕の本名はアンジェロ。僕が生まれたとき流行っていたカンフーTVドラマの主人公の名がワンユー、お爺さんがそれをニックネームとして付けてくれたんだ。」なーんだそうだったのか、ちょっと期待外れだった。

ではここでワンちゃんの簡単なプロフィールを紹介しよう。

本名:アンジェロ

ニックネーム:ワンユー

年齢:29

出身:ダバオ

職業:理容師

好きな食べ物:シーフード

好きなミュージシャン:ジミーペイジ、ボブマーレー、メタリカ、ウルフギャング

性癖:ノーマルだけど早撃ちマック

宗教:元モルモン教徒、現在はただのクリスチャン

ついでにプリンスの簡単なプロフィールも紹介しておこう。

ニックネーム:プリンス

別名:ナメプリ

年齢:50

出身:静岡県

職業:無職

好きな食べ物:カレー

好きなアーティスト:スクリッティポリッティ、ナムジュンパイク

性癖:ノーマルだけどブロッチャー(訳禁止)好きなんでナメプリ

宗教:特になし

こうしてワンちゃんとプリンスはマカロニ・バー或いは床屋2階の宴会場で酒を酌み交わしながら親交を深めていった。ワンちゃんは今でもそうだけど軽いホームシックで美しい自然のある故郷ダバオの話をよくする。彼の父親はツナ工場で働くワーカー、母親は酒好きの胃ガンで他界した。貧しい家庭に生まれた彼は夜間のハイスクールに通いながら昼間は床屋で働いた。そして将来、自分のお店を持つこと夢見てダバオの床屋を転々とし、グピット(散髪)の修行をした。しかしながら酒好きの母親の血を引いているせいなのか遊びが高じて無一文になり、一念発起して3年前マニラへ向かった。そこでまた床屋を転々としてワンちゃんと出会う10日前に叔母さんの床屋へやってきた。彼は田舎者にみられる内気で純朴な性格。叔母さんのお店では人気者なのだ。

 

酔っ払って床屋の床で椅子を股に挟み熟睡するの図。

マニラの片岡鶴太郎、ワンちゃんを廻るエピソードは数限りなくあれど、なかでも悲しい話を記しておこう。

それはある日のことだった。ワンちゃんの仕事仲間で顔のきたないバクラ(オカマ)のディンプルが去年のクリスマスを前に突然エスケープした。続いてやって来たのが43歳になる土人バクラのジャマイカ。このジャマイカとジャマイカの愛人バクラ、ワンちゃん、プリンスの4人は初対面の挨拶を兼ねて床屋2階の宴会場で酒を酌み交わした。ほどよく酔いが回ると愛人バクラはプリンスの背中を触りながらワンちゃんに恋人はいるのかと尋ねる。ワンちゃんがいないと答えるや2人はヒソヒソ話を始めた。そして今からワンちゃんが嘗て住んでいたバクラランつーところに行くという。聞けばそこに1発P300(600円)でヤラせる愛人バクラの友達がいるそうで、ホテル代込みでP500(1000円)。プリンスは虚しいからヤメとけとアドバイスしたが酔っ払ったワンちゃんは抑制が効かず、愛人バクラに連れられてバクラランへと向かうのであった。

それから待つこと1時間半、ワンちゃんは1人で帰ってきた。そして、「プリちゃん、僕は恋人と別れ、マニラに来てから3年間、ズーとバテバテ(センズリの意)をしていた。だからどうしてもソクソク(SEXの意)がしたかった。でもソクソクはスグに終わった。早いんだ僕は。お金を払うときとても嫌な思いをした。」そう言うと1人で黙々と酒を飲みそのままソファで寝てしまった。あーそうか、お金のないダバオの素朴な田舎者なんてマニラの女の子は相手にしないんだ、かわいそうだなーと思いつつ、予想通りの展開に正直笑えた。それにしてもワンちゃんはどんなネタでバテバテするのかな、これはまだ聞いていない。楽しみは残しておくものだ。

そうそうこんなこともあった。いつものようにマカロニ・バーで飲んでいると、その日のワンちゃんは泥酔した。普段、内気なヤツが酔っ払うと酒の力を借りて強気になるのはよくあることで、ワンちゃんもこのタイプ。ナニを思ったの突如としてマカロニを口説き始めたのだ。マカロニの彼氏が横にいるのにもかかわらず。最初、デートをしてくれから始まり、最後は、トマターヨ(ボッキした)、お願いだから1発ヤラしてくれ。ワンちゃんの豹変にニヤニヤ笑っていたマカロニもさすがに嫌よつーとワンちゃんはゲロを吐いた。おいおい、酔っていながらもマジだったのか。翌日、二日酔いのワンちゃんは言った。「プリちゃん、もう恥ずかしくてマカロニ・バーへは行けない。」、実際、口説き事件があってからワンちゃんは1ヶ月近くマカロニ・バーで飲むことはなかった。ワンちゃんは女にモテないタイプらしく他にもいろいろな話があるけどそれはまた機会を改めて。

最後に、ワンちゃんに教えたニホンゴで才能豊かな彼はある曲の替え歌を作った。

「アナタノー クリト○ス~ オイシイナ~ タベタイナ~♪」

今日もワンちゃんは替え歌を口ずさみならが散髪の仕事をするのだった。ではまた。


床屋の2階

2011-04-20 | weblog

パサイの叔母さんが経営する床屋と食堂が入っている2階建てビル。

床屋の2階に空き部屋があるつーので取り敢えずそこへ入居することにした。

彼はミコちゃん(33)、隣の部屋に住んでいる。フィリピン空軍所属の兵士で普段は近くのホテルにあるカジノでセキュリティーの仕事をしている。俳優で元大統領エラップの若い頃にそっくりの風貌、ポギー(男前)だ。彼はラグナに家があり、そこに両親、妻、子供が暮らしている。週一回、家に戻るが、ときどき浮気がバレて奥さんは家に入れない。ワキが甘いのだ。一生懸命、携帯で言い訳する姿は空軍兵士としてチト情けない。

左の黒いTシャツの男はワンユー(29)。1階の床屋で働いている。ワンちゃんは次回、エントリー。

右の指差す男はドームス(28)。ミコちゃんのルームメイトで隣の部屋の住人。彼はパンガシナのある有名な薬科大学を出ていてマーキュリードラッグ系列の精神医薬専門の薬局にセラピストとして働いている。子供はいるけど結婚はしない自由主義者。デブ専でもある。仕事柄流暢な英語を話し、いつも「ヘイ、プリンス」の掛け声から英会話が始まる。彼が最初に覚えた日本語は「クルクルパー」。毎日キ印患者相手のセラピー業務は想像を絶するほど過酷らしい。怖いほどストレスが溜まり、いつもヘロヘロになって帰宅するのであった。

床屋2階の新生活は上記、ミコちゃん、ワンユー、ドームスとのコミュニケーションからスタートした。

なんたってネタは豊富にある床屋の2階偏のスタート、乞うご期待。


直行バス

2011-04-19 | weblog

上記はパサイにあるバス・ステーション。妻の故郷からマニラへ行くには直行バスを利用した。結局、引っ越しも兼ねたので計3往復半直行バスに乗った。片道12時間、渋滞があれば14時間に及ぶ長い旅だ。

バスが出発するとまず売り子が4~5人乗り込む。ミネラル・ウォーター、ピーナッツ、フルーツ、ゆで卵、ケーキ、団扇、etcが車内販売される。ある区間で次の売り子と交代する。降車した売り子は帰りの直行バスに乗って物を売る。つまり1日中車内販売しているワケだ。但し値が高いのであまり売れない。そして売り子による車内販売が終わると最後は某キリスト教団体の信者によるドネーション(寄付集め)。そしてある日のことオバサン信者がドネーションなんかしないで、大声で聖書を朗読してサッサと降車したのはぶったまげた。

ここは直行バス会社のオーナー宅。隣町の大地主で市長でもある。

最初の休憩所。軽い食事をしたり、P5(10円)払って用を足す。休憩所は4ヶ所ある。

何故か休憩所の裏で豚が解体販売されていた。それにしてもインパクトのあるショットだ。

ビコール地方のシンボル、マヨン山。

そしてカントリーロードをひた走る。

次の休憩所。休憩時間は20分。休憩所の食事や販売品は車内販売と同じで割高だ。

3番目の休憩所。ここで売られているフルーツは値が安いのでお土産用に買い込む。

最後の休憩所。朝一で出発しても夜の帳が下りている。なんたって12時間の長旅なのだ。では退屈地獄なのかといえば、決してそうではない。まず、直行バスはジプニーやGTエクスプレス同様、時間区切りの満席待ち出発。妻の故郷のバス・ステーションは町のセンターにある。叔父さんが経営するレストランの目の前にあるから朝一で予約して出発までの時間を叔父さんのレストランで過ごす。叔父さんの話は聞き飽きているが。

で、小さな漁村であるがため乗客の誰かが妻の知り合いなのだ。妻の場合、ハイスクールを卒業後故郷を離れたので知り合いと昔話に花を咲かせる。そしてなんといっても妻の旦那は日本人。「日本人は本人が思っている以上に注目される」とはjet師範の名言。日本人ブランドが狭い車内で最大限機能する。とにかく妻と夫プリンスは乗客の視線を集中して浴びる。でもって休憩所に着くや矢鱈乗客が話掛けてくるのである。

同じことが繰り返されると煩わしくなるものだが妻はそうならない。ネネの心がくすぐられ気分はハイ。そうこうして12時間が過ぎる。最初は物珍しさも手伝って面白かったがさすがにもう飽きた。当分乗りたくない。


ネネ、再び

2011-04-18 | weblog

ネネの世界についての再考を太った中年ホームページのコラム欄にアップしようと思ったがファイルアップに怖ろしく時間が掛り、スマートブロのダイヤルアップ接続では不可能なためブログでアップすることにした。

ネネを復習すればそれはタガログ語でわががままな幼い女の子の意であり、ジャパゆき同様蔑称である。ジャパゆきとは若いフィリピーナが日本のフィリピン・パブでホステスとして働いてお金を稼ぐこと。しかしその実態はフィリピン・パブを舞台にした売春で、これが国際問題となり1985年にタレント渡航が禁止された。つまりジャパゆきを有体にいえばフィリピン・パブへの身売りである。そしてフィリピーナには「家族のために」つー免罪符が与えられ身売り、売春が正当化される。本来なら売春宿に身売りさせた家族は憎悪の対象になる。ところが大金を稼いで凱旋帰国するやフィリピーナは家族のボスとして君臨し、家族は彼女の召使いになる。

こうしてサル山のボス、ネネが誕生する。実際、妻の実家に滞在して観察するとネネ妻は家族から腫れもの触るかのような扱いを受けていた。傍若無人なネネ妻に物申す者など誰一人いなかった。仮に何か言ってネネがヘソを曲げたら最後、再び元の貧困生活に戻らなければならない。ネネは稼いだお金を武器に家族を支配し、浪費する。家族のための散財をやめて貯蓄などしたらネネの地位を失い、夜の商売女として蔑まれるだけだから浪費することに歯止めが掛らない。ネネはお金の価値を盲信し、恥も外聞もなくお金をタカルのである。

ジャパゆきに限らなくとも「家族のために」と称し夜の商売に身を埋め、稼いだお金で家族のボスとして支配する歪んだネネの構造は家族関係を歪める。家族は養ってくれるネネに敬意を持っているワケではない。これは妻の妹に直接聞いたことだが、妹は妻の召使いでいることに屈辱を覚え、いつか妻に代わってネネになり見返したいと言った。つまりは面従腹背であって家族関係は分裂症の病理に他ならない。妻の実家を去ることにしたのは退屈な生活もさることながら、歪んだ家族関係に心底嫌気が差したことが最大の理由だった。

ネネの世界は家族つー閉鎖された空間でのみ成立する映画マトリックス同様人工的に造られた仮構の世界である。仮構の世界で演じられるサル山のボスは傍で見ていて、虚しく、滑稽であり哀れである。マトリックスでは電話を掛けるつー古典的な手法で現実の世界に戻るが、ネネは家族から離れたら「ネネ」として蔑称される現実が待っている。そのため精神的に不安定にならざる得ない。サル山のボスとしての自我はマトリックスのエージェント・スミスの如く突然心の中に登場する。強すぎる自我はそれだけで不安定であって、妻が時として口うるさく支離滅裂なことを言うのはサル山のボスとしての自我を安定させるためである。

ネネ妻は、父母、兄弟、姉妹、さらには夫、子供にまで主と召使いの関係を強いる。ところが夫プリンスは妻にアンタの召使いでもなんでもないことを伝える。ネネ妻はボスとして認知されないことがわかるや一転、脅威となり、ネネの敵として攻撃するのだ。そんなものはまったく相手にしないから、脅威は更に増大する悪循環を繰り返す。そしてネネ妻の最大の被害者は無抵抗な娘である。主と召使いの関係を強いる以上、まともな夫婦、母子関係を築けるワケがなく、娘は妻を母親として認知することはない。娘にとって祖母が母親なのだ。

「家族のために」働いた見返りが「家族のボス」つー逆立した構造は分裂症的な家族関係を築くばかりでなくネネ自身も不安定な精神、端的に言えば神経症に陥る。神経症とは考えと行動が一致しないことである。従ってネネの言説と行動に論理的整合性や一貫性はない。またそれを求めるのも無駄である。「オトーサン、コーツージコ、オカーサン、ビョーキ、オカネチョーダイ」はフィリピーナのウソの定番であるが、彼女たちにウソをついている自覚はない。そんな話をまともに相手にするほうが変で放って置くのがなによりである。

さて、サル山のボスは時期が来れば次のボスに座を奪われサル山から追放されるがネネの世界もそれに等しい。夜の商売にとってホステスの加齢や出産はその商品的価値を低下させる。お客は若いフィリピーナを求めるのであって子持ちのオバサンは用無しになる。当然収入も低下し、仕事がなくなれば家族のボスはやっかい者となる。そして家族のボスとして振る舞っていた残骸で信じがたいほどズウズウしいオバサンになるのだ。

妻は26才、既に坂道を転がり始めている。この先一体どうなるのだろか、それは神のみぞ知る。アーメン。


マニラへ

2011-04-17 | weblog

巨大ショッピングモールSMメガモール内にあるスティック・ハウス。

ステック・ハウスはKFCの子会社でフラチャイズ展開しているアイス・スティック店。

昼下がりの店内にお客はいない。

SMメガモール内は冷房が効いているから、そんなに売れないだろうな。

1本P70(140円)、高いんじゃねーのか。

彼女はお店のマネージャーでスーパーバイザー、そして妻の従姉妹なのだ。

別に隠していたワケではないが、上記スティック・ハウスへ行ったのはマニラに来てjet師範とミィーティングをした翌日だった。妻が仲の良い従姉妹と暫く会えなくなるからつー理由で、妻と結婚するまえ従姉妹とは数回会っている。そのときからスティック・ハウスのSMメガモール出店が計画されていた。彼女の旦那さんもKFCの社員で、社内融資制度があり、それを利用して夫婦でフランチャイズ展開するスティック・ハウスのオーナーになるべきかそのまま直営店のマネージャーなるべきか迷っていて相談したことがあった。

フランチャイズ・ビジネスは基本的に売上げがあればフランチャイズ本部が儲かり、売上げがなければフランチャイズのオーナーが傷を負うシステムである。売れる店なら社員の給料以上を稼ぐことができようが、それも限界がある。売れない店ならそれで人生が終わってしまう。売れなくなったときのリスクを考えたほうがいいつーようなことをアドバイスした。従姉妹に売上げを聞くと店を維持していくのがやっとだという。

「プリンス、ありがとう。あなたのアドバイスで救われた。」そういって従姉妹はプリンスの股間をマッサージした、なーんてことはなかったな。熱い日射しのなか1本P5(10円)のアイスキャンディーを近所の子供たちと一緒に食べることが最高であって、なにもわざわざSMに出向きおしゃれなお店で高いアイス・スティックを食うこたぁねぇだろ、SMならフードコートにあるソフトクリームの屋台で充分だ、つーのがスティック・ハウスの印象だった。そしてこの後、もう一人妻と仲良しの従姉妹に会うためパサイへ向かった。

その従姉妹の母親、つまりパサイの叔母さんはカンティーン(小さな食堂)と床屋を経営するビジネスウーマンだ。このときはまだ話がなかったが、妻の故郷で家を建て、商売することを断念して根なし草になったときタイミングよく経営の思わしくない床屋をやってみないかつー申し出があった。妻の実家で飼育され1ヶ月が過ぎようとして飽き飽きしていた。こうしてビコール・プリンセスの妻と夫プリンスはマニラへ向かうのであった。

それから床屋のことはjet師範のブログに先行してアップされているので暇な人は見てちょ。ではまた。


根なし草

2011-04-16 | weblog

レガスピ出張編もあと2タイトルアップしようかなと思っていたけど大して面白くもないのでヤメにして、妻が買った土地に家を建て、何か商売して家族と暮らす本来の目的に話を戻すと、買った土地はゴーストタウンで、こんなところで暮らすなんてトンデモない、まず気が強い妻がフィリピーナの夢である家を諦めさせることが先決となった。鉄より硬い頭の妻は夫の言うことなんか聞くことはない。そこで考えたのは妻に銀行の住宅ローンの申し込みをさせること。で、実際、レガスピの銀行へ行き、妻は支店長から住宅ローンの説明を受けた。

結果は勿論融資不可。なんたって夫婦共々無職、無収入のプータロー。しかも夫は外国人。そんな輩に銀行が金を貸すワケがない。預金担保でもダメなのだ。さらに現金出金を銀行は嫌がる。つまりまずは収入を得る商売をしなければならない。後先なら商売が先で家が後だから支店長は住宅ローンに続いて事業用ローンの説明を妻にした。事業用ローンを受けるには事業計画が必要となり、畢竟、何か商売をしてからつーことだ。

以上のことは事前に話しておいたが、まったく耳を貸さず、銀行の支店長からだと舞い上がって話を聞く摩訶不思議な脳内構造の妻。寂れた漁村では商売のほうも儘ならず、結局家を断念せざる得ない算段だった。

ところがどっこいフィリピーナの夢はそう容易く消えるものではない。上記写真のワゴン車はGTエクスプレスつー乗り合い自動車で州都レガスピのターミナルを拠点にビコール地方各地を結ぶ路線を形成している。妻の実家からレガスピへの往復はいつもこのGTエクスプレスを利用している。レガスピの銀行へ行った帰り、何気にドライバーに中古ワゴン車の値段を聞いたところ、そいつはオーナードライバーで値段は日本円で40万円、1年半で投資した資金を回収できる効率のよい安定したカービジネスだと答えた。これが興味を引いた。

通常フィリピンのカービジネス~タクシー、トライシクル、ジプニーは投資額の回収に4~5年掛るといわれメンテナンスやドライバーの契約等の問題がありビジネスとして決してよいものではない。念のため妻はターミナルにいる他のドライバーに同じ質問をしたところ皆40万円、1年半の回収だと同じ回答を得た。GTエクスプレスを3台買い家を建てればそれだけで安定した暮らしができる。そうなると俄然興味を持ったのは妻で後日GTエクスプレスのビジネスをさらに詳しく調べた。家を建てるというフィリピーナの夢のパワーは強力だ。

レガスピターミナルのGTエクスプレスの場合、12人乗りに改造した中古ワゴン車を買い、5年間のフランチャイズ料を本部に支払ってカービジネスがスタートする。そして各路線の運行スケジュールと運賃は本部のスタッフが管理し、それぞれのオーナーへ均等に利益配分されるシステム。そして妻は各ドライバーにメンテや契約でのトラブルはあるのかと聞いたところ皆、トラブル、事故は一切なしと答え妻はヤル気満々になった。

しかし、甘い夢はそう長く続かない。人生とはそういうものだ。車を買ってフランチャイズ料を払えばすぐにGTエクスプレスを運行できるのかいえばそうではない。最初に質問したオーナードライバーは2ヶ月待ち、最長で8ヶ月待ったと答えたドライバーもいた。各路線で空きが出るまで待たなければならないのだろうか。さらに妻の実家とレガスピを結ぶ路線のフランチャイズ応募状況はどうなのか、一体いつからGTエクスプレスのビジネスを始めることができるのか。このことは本部でないとわからない。ターミナルのスタッフに本部の所在を聞いたところたまたま本部マネージャーのド派手なオバサンがいて妻は彼女にそれら疑問を問質した。

GTエクスプレスには時刻表なんてものはない。乗り合い自動車のジプニー同様、満席になれば出発、時間がくれば(GTエクスプレスは1時間リミット)空席があっても出発つーフィリピンスタイル。フランチャイズ応募も同様で毎年応募期間も設け募集、フランチャイズ料を払って空きが出るまで待つ。この空きがクセモノ。何らかの事情でオーナーが契約を放棄したとき順繰りに割り当てられる。ドライバーがトラブル、事故は一切なしと言ったのは当然で、あれば契約を放棄しなければならないから。そしてその年の応募期間は終わっていた。

本部マネージャーと話し終えた妻は落胆した。商売も家も夢の夢となってしまったからだ。

ビコールプリンセスの妻と夫プリンスは根なし草。これからどこへ漂流するのだろか、物語は続く。


女の意地

2011-04-15 | weblog

KIMBELL SPA

AD: ROMMARTH BLDG.,WASHINGTON DRIVE,LEGASPI CITY,ALBAY

TEL: Nos.(052)437-3228,0921 710-8020

MENUE (ALL 75 minutes, P300)

SWEDISH,SHIATSU,REFLEXOLOGY, FOOT SPA,OIL MASSAGE

Promo (AM11:00~PM5:00 ALL 75 minutes,P250)

HOTEL CALL RATES (ALL 75 minutes, P500)

ハイ奥さん、面白くてタメになるレガスピ出張記。

上記写真でフィリピンの原始人ドンちゃんと仲良くツーショットしている女性は友達のベイブ。スパのオーナーでもある。3年前、初めて妻の実家を訪問した際、レガスピの宿泊したホテルでマッサージを頼んだのが彼女との出会いだった。当時、彼女は出身のセブ島からやって来て間もない頃で、知人宅に身を寄せホテルの出張マッサージで生活をしていた。なんでも警察官の旦那の浮気が発覚、激怒して家を飛び出したそうだ。

フィリピーナには恋人、旦那の浮気は絶対に許さないゾつー鉄の掟があり、妻と大いに共感したのだ。

彼女はセブ島で長らくマッサージ・セラピストの仕事をしていた。では何故観光地セブ島からわざわざホテル事情の悪いレガスピへ来たのかと聞けば、セブ島では競争が激しく仕事を取ること自体が大変、レガスピなら容易いとのこと。なるほど宿泊したホテルのマッサージは彼女専用だった。で、将来はレガスピでスパのお店を開業する予定でいるという。出会ったとき彼女は携帯と名刺だけでホテルを回り仕事を取っていた。

ベイブと出会って5ヶ月後、妻とレガスピで僅かな間新婚生活を送ったワケだが、このとき既に彼女は事務所兼用のアパートを借り、セブ島から1人セラピストのアシスタントを雇っていた。それから1年後、上記写真のスタッフ総勢10名によるスパをオープン。そして今年の2月、ビコール地方の新興都市ナガでスパ2号店をオープンした。絵に描いたようなサクセス・ストーリーなんだけど、何がそこまで彼女にビジネスへの情熱を駆り立てるのかといえば、浮気した旦那への復讐心であり、女の意地であることは間違いない。

とにかくベイブは超多忙で、彼女に会えたのもレガスピ出張最後のときだった。スパ成功のカギとなるのはフィリピン・パブのタレント同様セラピスト次第であるから、彼女はセラピストのオーディションと管理・育成でセブ島とレガスピを往復し、なによりオーナーの彼女自身がスウェディッシュ・マッサージの研究・学習を怠らず造詣を深めている。プロとして当たり前なんだけどなかなかできない、それができるから成功する。

セラピストの管理・育成はハードで、彼女のスパの場合、当初1ヶ月間が見習いで先輩セラピストについて回り学習した後、1人で施術できるよう教育する。さらにフィリピンでは労働法で半年間を経ると正規雇用しなければならない規定があるためその間にモノになる、お客からリピートされるセラピストに育成する。レガスピ店で正規雇用しているのはセラピスト8名中4名。残りは新規採用が決まった時点でクビにするそうだ。

それからスパ開業にあたり国家資格のあるセラピストの登録が必要。ベイブは最初のアシスタント嬢(現在ナガ店の店長)が試験を受けて合格した。太った中年のアーカイブス2008年8月にベイブとアシスタント嬢の写真があると思うが、2人とも当時に比べ随分痩せたなぁつーのが再会したときの第一印象だった。

スパの写真を撮った後、妻、ドンちゃん、ベイブ、アシスタント嬢と一緒に近くのレストランで食事をした。そこでベイブに浮気した旦那とはどうなった、と聞いたところ家出してからまったく相手にしていないそうで、それはプライドよ、と言った。やはり女の意地だった。ただし、ベイブのようなフィリピーナは稀で、浮気した男やその相手と血みどろの直接対決をして狂気の沙汰となるのがごく一般的なパターンなのだ。

そんなワケで奥さん、浮気はバレずにするのがワールド・スタンダードですがな。