フィリピンより帰国。撮影した写真を整理してエントリー。もう撮るべきところもなくなったよなぁ。結婚した妻も予定を早めて来日することになり今後暫く渡航することもない。独身時代、と言っても1年前までは毎月フィリピンへ遊びに行っていたことが懐かしく感じられる今日この頃だった。
フィリピンより帰国。撮影した写真を整理してエントリー。もう撮るべきところもなくなったよなぁ。結婚した妻も予定を早めて来日することになり今後暫く渡航することもない。独身時代、と言っても1年前までは毎月フィリピンへ遊びに行っていたことが懐かしく感じられる今日この頃だった。
2007年赤狩り旋風 2007/4
北海道のミートホープの場合は、そうとう悪質な混ぜ物をしていたわけで、これはやはり叩かれて当然だろう。
でもそれにつづく赤福叩きの辺りから、世の中はちょっとおかしな空気に包まれてきた。
世の中がおかしくなったというより、マスメディアの神経がちょっと異常になってきた。でもいまの日本ではテレビ新聞などのマスメディアがそのまま世の中というものに成り変っているのが現状だから、やはり世の中がおかしくなってきたといってもいいのだ。
食品会社が次々と槍玉に上がり、賞味期限が違う、製造年月日がずれているということで、各社の責任者が一斉に報道陣に向かって頭を下げる。
頭のてっぺんなんてもともと見るようには出来ておらず、まして責任者という高齢者の頭のてっぺんは見かけがわるい。それを毎日たくさん見せられるのは、気持ちのいいものではない。食欲がなくなる。
こういうことが毎日つづくと、ぼくは昔のマッカーシー旋風というのを思い出すのだ。かなり古い話で、まだソ連という共産主義大国が存在していて東西冷戦といわれた時代、アメリカで赤狩りの風潮が激化した。
赤とは共産主義者のことで、マッカーシーという上院議員が先頭に立って、その主義者を摘発する空気が濃厚となり、それがアメリカ全土に旋風となって吹き荒れた。
ソ連はというとそのまったくの裏返しで、そもそもはその主義者が国家の王座に座り、とくにスターリンになってからはそれが絶対の首領様で、そもそもが青狩りの徹底によってその権力が出来上がったのだ。
赤の反対が青かどうか、それ以前の勢力を白系ロシアと呼んだりして、いろいろご議論のあるところだが、まあソ連の方は当時鉄のカーテンと呼ばれる言論統制が徹底していたからよくわからない。それもあって世界中のインテリが赤になびいてしまった。インテリというのは、現実よりも理屈に弱い。
で、一方のアメリカではそのマッカーシー旋風と呼ばれる赤狩りだ。ぼくはまだ中学生だったからその骨組みはよくはわからないが、その空気はよく覚えている。ぼくにもインテリ願望はあったので、高校に進むころから少しずつ赤に染まっていくわけで、そのマッカーシー旋風の赤狩りというのは、何だか冷たい空気として記憶している。
で、赤福である。赤だから赤狩りではないのだけど、赤福にはじまる各食品会社の謝罪の嵐を見ていて、マッカーシー旋風を思い出したのだ。正に赤狩りである。別に人を殺したわけではないのだけど、ビシバシと糾弾される。たしかに日付を改竄したのだけど、そのことだけで、会社トップの人々が一斉に頭を下げる。もちろん嘘をつくのはよくないことで、理屈ではそうなんだけど、直接の危害を加えたわけではない。その恐れがあるということだけで、ぞくぞくと謝罪している。
それがつづくと、とにかく謝罪ということだけが記憶に残り、それに至る理屈がだんだん希薄になって消える。今日も謝罪、明日も謝罪、というパターンだけがこびりつく。これはやはり、後世、謝罪の嵐が吹き荒れた、マッカーシー旋風に匹敵する時代として残るのではないか。
謝罪する社長たちは、世間に向かって頭を下げるというが、目の前にいるのはすべて報道陣だ。あれはじっさいには報道陣に謝罪している。報道陣が、ピストルこそ持ってはいないが、ピッと笛を吹いて、
「おい! そこの会社! この賞味期限はいったいどうなってるんだ!」
と叱責して、そうするとその会社の社長が縮み上がって、
「すみません、まことに申し訳ありませんでした」
と頭を下げる。ある種の公開処刑、とまではいわないが、でもこれがマッカーシー時代のアメリカなら、たちまち政治生命を絶たれる。ソ連だったら政治生命どころか、たちまち連行されて命そのものを絶たれる。いまの日本はそこまでいかず、政治生命ならぬ商売生命を絶たれる、いや絶たれるまではいかず、とにかくお灸をすえられるというくらいで、日本は甘い国でよかった。
もちろん改竄ということ自体はよくないことだが、でもじっさいには何が悪いのか。食べて死んだ人がいるわけではなく、冷凍して味が落ちたという声がぐんぐん高まった、というわけでもない。
冷凍は素晴らしい技術である。皆さんそう思いませんか。ぼくらの生活はどれだけその技術の恩恵を受けているかわからない。食品によっても冷凍に合うものと、合わないものとある。合わないものはそもそも冷凍すると商品にならない。だから誰もしない。合うものは、冷凍のあと目隠しテストしてもわからないほどだ。つまり実害はないわけで、ただイメージだけが信仰として残る。
ブランド信仰と同じだ。黒豚も比内鶏も関サバも、数はそんなにあるわけでもないのに、その名をつければ高く売れるとなるから、商売人はみんなそうする。買う方に眼力、舌力があればそうはならないが、みんなその力はほとんどない。でもブランド信仰だけはある。
消費者に眼力があればこういうことにならないが、眼力はないのに金だけはあるから、ブランド信仰というのが黴みたいに広がる。ぼくだってブランドは好きですよ。でも一方で札びらを切るのは嫌いだから(切れないか)、ブランドと比べれば実質の方が好きだ。
とにかくこの賞味期限改竄の謝罪の嵐は、年末が近づくにつれて下火になったように思う。だんだんと歳末商戦が近づいてくる。おせち料理というのは、正月の一月一日に食べるという絶対の期限がある。国民のほぼ全員がそれをおこなうわけで、この時期に賞味期限原理主義を振りかざしてマッカーシー旋風を吹かしつづけたら、日本国全体が大混乱におちいる。マッカーシー役の拳を振り上げる報道陣も、振り上げた拳の下ろしようがなくなる。それに気づいて、謝罪劇は終りに近づいてきたように思う。
推理小説などで、真犯人がわからなくなる。そのときの基本は、この騒動で得をしたのは誰かということだ。この謝罪の嵐で得をしたのは、会社でも消費者でもなく、報道陣だ。その間ずうっと視聴率を稼げた。謝罪劇ではボクシングの亀田一家の件もあるが、あの中でも、損したもの、得したもの、いろいろある中で、得だけして残っているのは報道陣だ。新聞雑誌テレビのマスメディアである。新聞はいまや高齢となって定年間近といわれる中、マスメディアといえばテレビだろう。金利だけで動くヘッジファンドのように、視聴率だけで作業を進めるテレビ業界が、謝罪劇のマッカーシー、またはスターリンの役を果たしているわけである。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
今回でゲンペーさんのエッセイは終了。長らくのご愛顧、感謝感激雨霰。
ノーネームの不思議 2007/10
このところ、ノーネームということが気になっている。じつはフィルムカメラの一眼レフで、ノーネームの新製品が出るのだ。最初この話を聞いたときには、ふーん、と思うだけだったが、その思いが終わらずにつづいている。ふーん、しかし……、ふーん、だけど……、ふーん、という具合に、ちょっとした考えがいつまでもつづくのである。
いま世の中は、ほとんどデジタルカメラに切り換わっている。フィルムカメラは次々と生産中止となって、新製品が出ることはまずない。そんな世の中に、あえてフィルムカメラの一眼レフが新しく出る。どうしても注目する。機構的にはとくに新しくはないようだが、ノーネームというのははじめて聞いた。
ふつうカメラの一眼レフというと、頭のペンタ部の前、人の顔でいうと額のところに、キヤノンとかニコンとかのブランド名が刻まれている。それがない、つまりノーネームのカメラである。まだ手に取って見てはいないのだけど、何だか妙に新しい気がする。
あ、ベンツだな、と思った車の頭に、例のベンツ印がなかったら、あれ?と思って車のテールを見る。そこにもベンツ印がなかったら、どうも気になって仕方がない。私、意外とブランドを気にする性なのだ。いや私に限らず、いまの世の人々はほとんどそうじゃないのか。
ノーネームの商品では、だいぶ前から無印良品というのがある。ブランドを廃した、あるいは虚飾を廃したイメージで人気が出て、品揃えが広がり、海外でも受け入れられて、無印を略したムジという名で売れているらしい。
現象としては興味深いが、こうなるとノーネームを意味する無印のムジそのものがブランド化した感じで、逆にノーネームの位置から少しずつ外れていく。人間というのはどうしても名前を欲しがるみたいだ。
そんなことがずっと頭にあって、この間あるサークルで「名前の役割」という話をした。人の名は地名からきていることが多いが、でも地名が先にあったかというと、それだけでもなさそうだ。ある人が強くなって豪族にまでなると、その土地がその人の名で呼ばれるようになったりもする。その豪族が滅びたあとも、それは土地の名として残り、それがまたいつの間にか人の名になったりすることもある。
そもそも人間どうしが、相手に名前をつけて呼ぶようになったのはいつごろだろうか、と考えると、わからなくて面白かった。わからないというより、証拠がない。だからいろいろ推理できる。
文字も遺物もない時代は、想像するしかない。考えるスタートラインはみんな同じだ。人の名前と物の名前とどちらが先についたのか。
ほぼ同じだろうが、物の名前の方が先のような気がする。木の実とか動物とか。
たぶん言葉の発生のところまでさかのぼるだろう。猿と人間の分かれ目は、直立二足歩行、火を使う、道具を使うとかいろいろあるが、同時に言葉を使うというのが大きな違いになったらしい。
言葉の最初は物の名前かというと、むしろYESやNOみたいな意志表示じゃないか。
YESとNOとどちらが先かと考えると、NOのような気がする。YES、つまり肯定というのは黙っていてもいいわけで、ものごとは自然に肯定のルートを流れて進む。でも違うというときには意志表示をしないと困る。
でも意志表示だけなら、犬や猫もやっているらしい。人間との生活をとりあえずは肯定して過ごしているけど、どうしても嫌なときには態度が変わる。犬猫猿らは言葉をもっていないが、YES・NOの意志表示はしている。猫どうし犬どうしのかかわりを見ていても、細かい言葉はないようだが、目の力や口や息の出し方などで、互いの意志表示はしている。
鳥だって、天敵に襲われたときにはキキキーと鳴いている。あれは仲間に緊急事態を報せる意味もあるのだろう。言葉の直前の信号みたいなものらしい。でもその先の言葉というのは、まだ人間しか持っていないのだ。
やはり言葉というのは、YES・NOの意志表示をもう少し超えたところのものからだろう。
話はいきなり逆転するが、人間、歳をとると名前を忘れる。完全に忘れるわけではないが、とっさに思い出せない。ちょっと知った人の名前を忘れるならまだしも、古くから知っている人の名前をぽかっと忘れる。誰でも知っているような有名人の名前も、ぽかっと忘れたりする。まさか、と慌てて脳みその中を駈けめぐってみても、空回りばかりでぜんぜんその名前が出てこない。それでせっかく思いついたシャレとかタトエ話が、宙に浮いてしまって口に出せず、悔しい思いをした人は多いだろう。
歳をとると脳内の連絡が少しずつうまくいかなくなって、物忘れが激しくなる。だから2007年問題というのは、多くの人々が還暦を迎えて、たくさんの記憶が蒸発に向かい始める年なのだ。甲子園球場でのラッキーセブン、スタンドの全域からいっせいに風船が舞い上がる。あのように、日本総人口の記憶がかなり大量に蒸発に向かう。
ぼくの世代はさらにその先を行っているわけだが、ぼくよりもっと先を行っている先輩に聞くと、まずは名詞から忘れていって、しまいには動詞までも忘れてしまって、えーと、えーとが無限に増えていくという。
動詞を忘れるのは凄い。ぼくはまだその境地に達していないが、どうなんだろう、たとえば飛行機という名前はもちろん忘れて、ほら、あの、空を飛んでいる物体、といおうとしても、空を忘れているし、飛ぶという言葉が出てこない。
正に色即是空、空即是色である。
というところから考えると、人間の言葉の最初は名前だろうという考えも、少々わからなくなる。名前を最初に忘れるということは、それほど必要度がないからだとすると、名前などなくても狩猟採集の生活は進行していて、むしろ別のところからの言葉の始まりがあるのかもしれない。でもわからない。証拠がない。だから面白い。
ということと直接関係はないけど、ノーネームの一眼レフカメラは、何だか気になるのである。名前を忘れたカメラ、思い出せないようなカメラが、実体として売られている。買ってからプレートに「色即是空」と刻印するのもいい。それがちょいとキザになるというなら、内側ではどうか。よく野球選手が緊迫した場面で、帽子を脱いでその裏側をじっと見て、気を鎮めている。裏側に「根性」とか書いてあるらしい。だからカメラの裏蓋の内側ではどうか。フィルムを入れるたびに、色即是空、という文字を見つめる。買ったらそうしよう。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
鉄を喰う猿 2007/4
ここ何年か、猿が山から出てきて、畑を荒らしている。大根を抜いて、先っぽだけ囓ってポイで、また次の大根を抜く。次々抜いて畑がめちゃめちゃになる。
何とか猿退治をしようと、地域の人々は頭を痛めているが、あれこれやっても、猿知恵ですぐそれを擦り抜けて、畑の被害はいまも広がっている。メディアはもう飽きたので報道しない。
これは農業の場所での話だったが、最近は猿が街にも出てきた。街に出る猿はガードレールを何メートルも引っ剥がして持っていったり、アルミサッシをベリッと剥いで持っていったり、どぶの溝に伏せてある鉄蓋を全部外して持っていったり、畑と同じように街の隙を見つけては荒らしまくっている。
畑の大根は抜いたらその場で囓ってポイだが、鉄屑類剥がしたあとどうしているのか。
むかし小松左京の「日本アパッチ族」という小説があった。戦後のまだ焼跡闇市の残る日本に、見知らぬ人類が出没して、鉄屑を端から食べていく。ぼくは10代の終りか20代のはじめのころに読んだから、細かい筋は忘れたが、とにかく痛快な小説だった。
でもあれは小説だ。しかも戦後の焼跡闇市の残る時代の話で、いまはもうそれから50年、いや60年、もはや戦後ではないどころか、北朝鮮でさえ原爆を持っているのだ。そういう時代に、畑に猿が出るだけでなく、街に猿が出没して、鉄を剥がして持ち去っている。いったいどうしたことか。
猿は盗んだ鉄屑を山の中に持ち運んでいるらしい。そんなに大量の鉄屑を、山の中でどうするんだろうか。
噂では、猿が山の中でオリンピックか何かする計画だという。山の中で猿真似でスタジアムを造ったり、道路を造ったりしているというけど、猿に本当にそんなことが出来るのだろうか。
とにかく噂なのでわからない。さらに噂では、街でじっさいに鉄を剥がして盗み去っているのは、猿ではなく人間らしい、ともいう。密かに猿と通じている人間がいるらしくて、その人間どもが盗み出した鉄屑を猿に売り渡して、何か報酬を得ているという。
猿だから、報酬といってもお握りか柿の種か何かと思っていたら、ちゃんと金で買いつけているらしい。
猿が金を持っているのだ。猿から金をもらって恥ずかしくないのか、と思うが、最近は金のためなら何でもするという人間が多い。いまや金は人の命よりも重い、と思われている。
しかし昔なら考えられないことだった。猿がいくら金を持っているからといって、人間が人間社会の公共の鉄の備品を盗み出して、猿に売り渡すなんて、人間のすることじゃない、犬畜生のすることだ、と昔ならいわれた。
というより、それは世の中を裏切るおこない、国を売るもの、非国民だ、といわれた。
でもいまは、この言葉は流行(はや)らない。そもそも国という言葉が軽んじられている。国には反発し、むしろ否定するのが新しい考えだと思われている。
日本の人間はこの傾向が強く、これは戦後広まった左翼ウィルスのもたらす症状だといわれている。これはアメリカ駐留軍によって移植されたウィルスで、自分の国の過去をすべて否定し、軽蔑し、自分の国を非力にする能力を備えている。
左翼ウィルスというのは、いちど感染するとなかなか抜けにくい。体内に左翼思想が広がり、慢性化する。
慢性左翼といわれている。
かつて左翼小児病というのが、もっとも過激で危険な症状だといわれていた。でもそれはどこかへ消えていき、そのかわりいまは多くの人々が左翼慢性病をかかえている。これはとくに退治させなくても生きていけるので、みんなそのウィルスを抱えたまま定年を迎えようとしている。
いや猿の話だった。いまや山奥の方では猿社会の発展が凄い勢いだそうで、高層ビルががんがん建っているという。猿の数は1億どころか10億とも20億ともいわれ、いずれ地球は猿の惑星になるだろうとのことだ。
でも一方その山奥のさらに奥の奥の方では、貧困状態がもう頂点にも達しているそうで、ねぐらはない、食い物はない、公害はたれ流しで、こまかい暴動が日々200件くらい発生しているという。この猿の集団は独裁体制を固めているから、一部特権階級が異常に裕福になり、他のほとんどが貧困にあえぐ。ということの繰り返しだという。まあたしかに動物園の猿山を見ていても、暴動というか喧嘩はしょっちゅうで、牙を剥いてきーきー威嚇しあうことに余念がない。だから問題は難しい。
えーと、問題がわからなくなった。とにかく公共の物を盗む、ということが横行しているわけで、それは自転車がはしりだったのではないだろうか。
自転車は公共物ではない。個人の物だが、でも公共の道路脇に停めてある。だから道を通る人々の意識には、公共物としての感覚が半分混じっているんではないか。終戦直後のイタリア映画『自転車泥棒』では、自転車は明らかに個人の所有物で、それを盗むということの緊迫感が映画全体にあふれていた。
つまりそんな感覚がいまの自転車からは完全に失せているわけで、その失せたところに公共物みたいな感覚が入り込んでいる。だから金銭の盗みというよりも、商店のシャッターに落書きする感覚で持ち去るのがいまの自転車泥棒だ。そんなことがはじまったのは、いまから20年ほど前からのことではないか。
自転車が安くなったということもあり、それが世の中にあふれ、それを持ち去ることの罪悪感が薄くなった。だから酔っ払った男が平気で駅前から乗り逃げし、家の近くに乗り捨てる。乗り捨てるだけならまだしも、意味もなくどぶ川の中に放り投げたりする。
ぼくは自転車が好きだが、そういう世の中になってきてから、もう自転車から気持は去った。買うとなればいい物を買いたいわけで、でもそのいい自転車をそういう目には合わせたくない。
物があふれたということが背景にはあるが、戦後教育の中から道徳の消えたことが大きい。学校でも教えないし、とくに家庭でまったく教えない。子供の自主性というものだけを重んじて、すべては自由でいいんだということにしている。つまり物わかりのいい親、という位置にみんなが逃げ込み、その結果、人間は自由なんだよ、猿と同じなんだよ、人間は猿でいいんだよ、モラルなんて一銭にもならないよと、そういう家庭教育の普及が、こんにちのガードレール泥棒にまで到達している。
少々短絡しすぎたが、いまの世の鉄屑泥棒をただ猿の仕業とはいえない。そのことに驚かない人間が出来てしまっているのである。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
人を感動させる馬 2007/1
この間府中の東京競馬場へ行った。競馬にはぜんぜん詳しくないが、ディープインパクトは知っている。一昨年かその前、三冠達成かと騒がれていて、そのレースをテレビで見た。勝負というのは好きだから、テレビのスポーツ場面というのはよく見る。その時は後ろの方で力をためていたディープインパクトが、直線コースでスピードを解禁されて、ギュイーン、と音を発するような勢いでもってぐんぐんトップに立って、駆け抜けた。
速球投手の凄い人は、球が手許で伸びるという。いわゆるホップするというやつ。阪神の藤川投手などがそういう球だと思うが、それを連想するようなディープインパクトの走りだった。なるほど、みんなこれに痺れるのか、と思った。速いといってもスピードガン的な、数字上のことだけではなく、その勢いのようなものに痺れるのだろう。
ぼくは競馬はやらない。だからぜんぜん知識はない。はじめて競馬場へ行ったのは、もう20年以上も前になるなあ……、川崎競馬場へ行った。競馬をしに行ったのではなく、自分の知らない世界を見物に行ったのだ。
たしかにまったく知らない世界で、何か熱いけどすさんだような空気があって、緊張した。何だか全員がすってんてんにすってしまった人に見えた。金が落ちていたらすぐ拾ってポケットに入れる人に見えた。本当はそんなことはないのだろうが、ぼくは先入観が強いので、とにかくそういうイメージばかりが舞い込んできた。
紙屑とかタバコの吸殻とか、ゴミの散らばり方が凄かった。とにかくそこいら辺にばらばら捨ててある。ぼくは真面目なたちだから、鼻紙か何か、紙屑を捨てようと辺りを探したが、屑篭がない。とにかくどこにでもそこら辺にぽいぽいだ。そうか、ここではいちいちそんな屑篭などに捨てるものではないんだと気がついた。かえって真面目に屑篭を探したりする方が、この場所には不釣合いだ。そう気がついて、ぼくもいらなくなった自分の屑紙を、ぽいという感じでそこいら辺に荒くれた様子で捨てた。世の中は不満だらけだという感じで肩を怒らせて、ふざけんじゃねえ、という顔をして、わざとぽいと捨てたのだった。
それが今度行った東京競馬場ではずいぶん違った。最近施設が新しくなったらしいのだれど、大変に近代的で、きれいだ。しかも入口にしろ観客席にしろ、大きい。余裕がある。受付や場内整備の人もしっかり大勢揃っていて、みんな新しい制服を着ている。すべてにシステム化された感じだ。
来ている人の雰囲気も違う。昔とは層が違うのか、若いふつうの人が多い。女性もふつうに来ている。全員がすってんてんにすってしまった人には思えない。とりあえずふつうという印象が強かった。
とにかく、とりわけすさんでもいない人々が大勢来ている、その数に驚いた。野球より凄い。野球やサッカー場の場合は、グラウンドをぐるりと観客席が取り巻いているからまた違うのだが、競馬場の場合は巨大な観客席が一個所にあるだけだから、よけいに群衆のボリューム感は凄い。
ジャパンカップという重要なレースだということもあるのだろう。やっぱり一番の関心はディープインパクトらしい。この間フランスまで行って凱旋門賞というのに出て、勝つと思われたのが三着に終り、しかもその後薬物疑惑の騒ぎもあって、どうにも煮えきらない気分が広がっていて、それでみんなここまで押し寄せてきている、という事情もある。
そういう漠然とした、群衆の全体の雰囲気は感じられるんだけど、こちらは何しろ競馬場はほとんどはじめてなので、どこでどう馬券を買って、どの辺でどうレースを見ればいいのかわからない。レースの始まる流れも、どうきてどうなっていくのかというのが、もうひとつよくわからない。
でも人々の空気の高まりでそれの迫っているのが感じられて、何だかざわついてきた。出走馬が入場し、トレーニングをしている模様だ。野球でいうとまず遠投からはじめたというところか。群衆の空気の動きで、中にディープインパクトのいるらしいことがわかる。何しろ広くて遠いので、細かいことは見えないのだ。そうだ、双眼鏡を持ってくるのを忘れた。そういえばさっき、貸双眼鏡なんて窓口があったな。
高い台の上にきちんと背広を着た人が上がり、手に赤い旗を持っている。なるほど、あれを振ってはじまるのだな。
そんなあれこれがあって、スタートは簡単だった。あっさりと、気がついたらもうレースがはじまっている。この辺は野球のスタジアムにも少し似ている。テレビ慣れしている目には、スタジアム全体の雰囲気に目が奪われていて、第一球がいきなりもうはじまっている。いきなりショートゴロか何か打たれて、あ、もう始ってるんだ、とわかったりする。
でもスタートしてからの群衆の気配が面白い。レースが始った、というざわめきの中に、いよいよディープインパクトがスタートした、という思いの強くあるのがわかる。
レースは一周とちょっとのコースで、一周し終って最後の直線コースに入り、最後尾を走っていたディープインパクトが、いよいよスパートした。最後は案の定、という感じで、トップに立って抜き去った。この時の群衆の唸りと、何万という声の高まりは凄い。妙に感動したのだが、この感動は何だろうか。
相手は馬である。松井とか松坂ではなく、何もしゃべらない馬だ。騎手は武豊だけど、ファンによると、それは大したことでもないらしい。やはりディープという馬そのものが人々を感動させるらしい。馬の天才ということだろうか。
みんなどやどやと緊張がほぐれ、これまでの凱旋門賞以来のもやもやが晴れた、という感じだった。ほっとした、という空気だった。たしかにトップで駆け抜けたが、前みたいにストレートの球がホップする、という凄みにはちょっと欠けていたようだ。でも俺の馬が勝った、という安心感みたいなものがみんなにあった。
人間のヒーローというのはわかるが、動物のヒーローというのがいまひとつ不思議で、でもその透明感が気持ちいい。そういえば汐留にJRAのビルがあり、以前試しに入ってみたら、近代ビルの全館が場外馬券ビルだった。その日は注目のレースのない日だったようで、がらんとしたフロアに、電光掲示板の数字データだけが動いている。ときどき人が立ってそれをじーっと見ていて、株式関係の取引所みたいな感じだった。最上階には人々が少し溜っていて、電光掲示板を見てじっと考え、新聞を見てじっと考えている。それぞれは独りで来ているようで、みんなたむろしてはいるけど凄く静かで、そうだ、この雰囲気は図書館だ、と思った。競馬というのは大変知的な世界なんだ。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
外人社長の頭の下げ方 2006/8
むかし『死刑台のエレベーター』という映画があった。懐かしい。ぼくが渋谷でサンドイッチマンのアルバイトをしているころだ。上京して一年目。監督はたしかルイ・マル。モノクロームの暗い雰囲気のフランス映画で、冷たくひやりとするような空気が妙に新しそうで、これは見なければ、と話していた。
路上の仕事仲間の先輩格にやはり映画好きのワダさんがいて、プラカードを手に路上ですれ違うたびに話題にしていた。いちばんの話題は、映画音楽にはじめてモダンジャズが使われているということで、大丈夫かな、と心配していた。
それまで映画音楽といえばクラシックの交響曲みたいなもので、各シーンを移り流れるドラマに合わせて音が作られ、それではじめて映画の一体感が生れる、と思われていた。
でもモダンジャズというのは一様なリズムではなくて、勝手にリズムが変って音が跳ねる。それを画面の動きとうまく合わせられるのか。
それが心配だった。ぼくらが心配してもしょうがないけど、映画が好きだから、見る前にどうしても想像する。その想像の中ではどうにもうまくいかずに、心配になるのだ。
まずその先輩格のワダさんが見に行った。封切り館だから高いが、この場合はもう決意する、見てきた感想は、いいという。モダンジャズも不思議に合っているという。でも見ないうちはどう合っているのかわからず、こちらも決意して見に行った。案の定、何かひやりとする冷蔵庫みたいな映画で、格好よかった。ストーリーはよくわからなかったけど、何かそのわからない感じと、画面と直接は関係なく響くモダンジャズとが、妙に空気を深くする。違和感はない。いや音がコマ割りに関係ないから違和することはたしかだけど、そのズレみたいなものの中に何かが生れて、なるほど、こういうことになるのかと感心した。いまとなってはどんな音楽でも映像に合うといえば合うもので、いちばん象徴的なのは武満徹の映画音楽だ。ギン、ゴンガン……、というような脈絡のない音の連なりが、画面の緊張を不思議に高めたりする。後に自分でビデオ映画を作ってみたとき、既製の音楽をいろいろ当ててみると、どんなものでも映像にフィットするので面白くなった。
いや、最近のエレベーター事故のことを書こうとしていて、「死刑台のエレベーター」というタイトルを思い出したばっかりに、長々と横道にそれた。
しかし酷い話である。エレベーターがいきなり動き出して挟まれて死ぬとは、いまどき誰も考えていない。
昔はもちろん考えていた。生れてはじめてデパートのエレベーターに乗ったときは、緊張して硬くなった。着いてドアが開いて、床に降りてホッとした。でもそれを何十回何百回と経験してきて、さすがに最近ではもう緊張で硬くなったりはしなかったが……。
あの高校生は本当に気の毒だ。日本中のみんながそう思ったはずだ。でもスイスのシンドラー社の日本支社長からは、気の毒だ、という感情はぜんぜん感じられなかった。まずい立場になってしまった、という緊張はあったが、亡くなった人への申し訳ないという気持は、まったく見受けられなかった。
ヨーロッパと日本では文化が違う。だから頭を下げても、どことなくただ下げただけ、という感じになるのはわかる。文化が違えばちょっとしたそぶりもちぐはぐになる、という点は差し引いて見るのだけど、でもお詫びするという感情は微塵もあらわれていなかった。文化は違ったって人間だから、何かはあふれ出るものがあるはずだけど、何もなかった。
スイスといえば平和の国、正しい国、というイメージが日本には定着している。でもそのイメージが一気に崩れたのではないか。曲りなりに日本で商売するなら、お辞儀の気持ぐらい知れ、といいたい。
その後でスイス本社の社長も来てお辞儀したが、態度はまったく変らなかった。要するに商売の不都合、経済の不都合、という立場からのみのコメントである。
日本もアジアの某国に対してあのくらいの態度が取れれば、事態は少しは変っているかもしれない。そうすればサッカーW杯でも、もう少しは点が取れたのだろうが、まあそうはいかないのが国民性というものである。図々しさに欠けているのだ。
でもそれでいいと思う。サッカーくらい負けてもいいじゃないか。どうしても勝ちたいなら、くよくよせずに靖国参拝してみろ、といいたい。いやこれは政治問題ではなく、ただのくよくよ問題だ。
まあそんなわけで、最近はどこかへ行ってエレベーターに乗るたびに、文字プレートを確かめる癖がついた。ぼくの場合はフジテックとか三菱とかあったが、シンドラーにはまだ出合っていない。ひょっとして慌てて隠したのだろうか。報道によると相当な数が日本国内で稼働しているようで、出合っても不思議はないのだけど。
今回の事故のお陰で、エレベーター事故というのがすいぶん頻発しているのがわかった。なかでもシンドラー社のエレベーター事故がダントツみたいだ。
驚いたのは企業秘密が優先されて、エレベーターの管理とメンテナンスを引き継ぐ会社に、機械構造の要点が明かされていないのだという。つまりメンテナンス会社はよくわからずに、適当に管理をしているということなのだ。恐ろしいことである。これからは肝試しとして、あちこちのシンドラー社製エレベーターに乗ってみるのが流行るのではないか。
いまは外貨というのがどんどん日本に攻めてきているから、今後も日本語のできない外国人社長が、記者会見の席で頭を下げる光景が増えると思う。
いずれ牛肉会社の外人社長などが、またずらりと並んで頭を下げている場面が想像される。これは必ずやってくるだろう。エレベーターと牛肉は、その管理のゆるさがよく似ている。
しかしエレベーターには何故そんないいかげんが罷り通るのだろうか。考えたら、設置型の移動機関だからだろう。車なら何か欠陥があると、メーカーの方がすぐ回収をしている。そうしないとブランドに傷がついて、すぐ売行きが落ちるからだ。車は買い換えが簡単である。
でもエレベーターはビルの中に食い込ませて、据え付けている。簡単に取り外しができない。ビルの住人も毎日えんえんと階段を上るわけにもいかないから、つい怖いと知りながらもエレベーターに乗ってしまう。つまりそういう足もとを見て、その足もとにつけ込んで、いいかげんな管理がはびこっていくのだろう。これも結局は、法律的に罰則を強化するほかはないのか。モラルがゆるむと、だんだんと法律強化の世の中になっていく。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
ニートの指定席 2006/7
うちにくるクリーニング屋さんがぼやいていた。これでは仕事ができなくなると。
例の駐車違反を取り締る法改正。無人駐車は見つけ次第摘発というあれだ。
駅前はあの法改正の実施のおかげで、たしかにクリーンになった。スーパーに買物にくる車か何かで、いつも一車線分は塞がっていた。それがすっかりいなくなった。これはたしかに成果だ。たまに停まっているのを見ると、奥さんか亭主か、どちらかが乗って待っている。
恐らくこれまでスーパーへの買物は、どちらか一人で行っていたのが、これからは必ず夫婦いっしょに行くことになる。そうなるとこの法改正は、夫婦和合に一役買うことになるのかもしれない。その延長上で、少子化問題も少しは解決に向かうのか。
そういうものでもないかな。
夫婦いっしょの時間が増えて、ますますうんざり、というご家庭だってあるかもしれない。いや、それはないと思うが。
買物はともかく、営業車は大変である。宅配便の車は、だいたい一人で運転配達をしている。あの人たちはよく働く。感心する。でも車を停めて、荷物を届けにとんとんと走って行く間は、無人駐車だ。最近の申し合わせで、駐車中のアイドリングは止めているから、無人の要素は強まる。
クリーニング屋さんもいっていた。この辺は住宅地だからまだいいけど、駅前とか繁華街ではひやひやする。いまのところまだ大丈夫だけど。
この新しく改正された法を真面目にクリアーするには、従業員を一人増やさないといけない。これは大変だろう。郵便局との価格競争で、せっかく値段を下げたのが、そうはいかなくなる。働く人の就職口が増える、ということではいいが、単純にいって、いままで一人だったのを、そのまま二人雇うとなったら、会社は大変だ。
ニートの活用がいいんじゃないか。運転と配達はいままで通りお兄さんがやるから、ただ駐車違反対策で助手席に乗っているだけ。というのでぐっと安い給料で来てもらう。働きたくない人にはうってつけだ。
それだったらニートよりもワンランク上げて、引きこもりがいいか。全国で何万人だったか忘れたが、相当数の引きこもりの人がいるという。その人たちに宅配便やクリーニング配達その他の営業車に乗ってもらう。
助手席に引きこもってもらうわけである。他人との接触が嫌だというのなら、運転手との間に壁を造ってもいい。とにかく助手席にじっといてもらう。そうすれば宅配の人が荷物を届けてとんとんと走っている間も、車は違法駐車にはならない。
でも無理かな。それができるくらいなら、引きこもりにもなっていない。それができないから引きこもってるんですよ、ということなのかもしれない。
ではどうすればいいのか。
ぼくはこの事態に、代行というのが生れるのではないかと思う。東京ではまず見かけないが、地方に行くと代行屋というのがいる。車で町に出てきて、友人と話しているうち、酒が入り、酔っ払ってしまって、もう車を運転しては帰れない。じゃあ代行を呼ぼう、となって、駆けつけた代行の人に運転してもらって家に帰る。代行屋の車はその後をついてきて、運転してくれた人は、その車でまた戻るというわけだ。
いまは地方都市のほとんどにあって、でも東京にはない。何故だかわからない。東京は広すぎるのか。
いや問題はその代行屋ではなく、宅配などの営業車の代行だった。その駐車問題。とくに駅前など監視の厳しいところでどうするか。何とかならないのか。
ぼくが頼りとするのは高齢者による代行。現役一線はもう退いているけど、何か役立つ仕事をしたいという人々がたくさんいる。
よく駅前などで自転車の列を整えたりしていますね。若者みたいに激しくは動かないが、ゆっくり着実に仕事ができる。あの落着いた人々だ。
つまり、駅前的繁華街で駐車を必要とする業者が連携して、高齢者をたくさん雇用する。その人々が駅前の一角で待機する。そこへ契約した営業車が来て駐車する。配達に行く運転手が降りてくる。それと入れ代りに、高齢者が運転席に乗り込む。別に運転するわけではなく、配達に行った運転手が戻るまで、運転席でじっと待っている。そうすれば駐車違反にはならない。代行である。
運転手が戻ると席を降り、
「ありがとう」
といわれながら、代行料金を受け取る。いちいち現金は面倒なので、チケットかもしれない。その辺は駅前で連携の営業車組合ができる際に、申し合わせを作るだろう。
これなら今回の法改正を乗り越えて行けるのではないか。
この場合、営業車に限るという制約が必要だろう。そういうのがあるならと、われもわれもで一般車が来てそれを利用したら、また元のもくあみとなってしまう。駅前の道路がまた一車線塞がれてしまう。
安易に無人駐車しないのがまず基本だ。その上で、配達業やその他の営業車は、やはり生活がかかってるんだから、これは一時駐車を認めないといけない。一般車は、駅前の買物くらい歩いて行きなさい、ということ。もしくは違反覚悟で離れた所に駐車して、少しは歩く。運動しないと衰えますよ。老人力はやぶさかではないが、五体はできるだけふつうに動くように。そのためにはてくてく歩くことが第一だ。
人間はお金持に憧れている。裕福に憧れている。みんなが汗水垂らして働いているときに、何もせずに椅子にじっと坐っているのが裕福だと思われている。でもそういう裕福は、気がついたら体がなまって、あの世へ早く到着してしまう。
いやここでそんなことまでいう必要はないが、問題は無人駐車のことだった。営業車には受難である。うちの猫はこの間18歳で死んでしまった。でもその最期のころ、昔から世話になっている動物病院の先生に、何度か往診に来てもらった。車で来て、いろいろ説明して、注射して、帰っていく。その間家の脇のところに車を停めている。助手はいるけど、医者の助手だから、当然先生といっしょに来てあれこれ手伝っている。その間車には誰もいない。うちは駅前的な所ではなく住宅地だから、まあいきなりの摘発はないだろうが、摘発されるかもしれないというストレスは、発生している。やはり一考の余地はあるのだろう。問題はべったりの路上駐車にあるんだから、もう少し考えようがあるはずだ。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
日本社会での緩慢な自爆テロ 2006/2
この通しタイトルは「世相ななめ読み」とついているが、これは古き良き時代の言葉である。
いまは斜め読みといったって、世相自体が斜めになっているから、斜め読みする意味がまったくない。
だから「真面目に」という言葉が添えられてもいるが、何だかはかない抵抗、という気がするわけである。
ぼくがそんなことを「如実に」感じたのは、パロディに関してのことだった。いまを去ること30年、ということになるだろうか。もう少し前か。三島割腹事件とか、連合赤軍事件ではじまった1970年代だ。自分はメディア上でパロディという方法に手を染めて、それが自分でもめちゃくちゃ面白かった。世相というものがまだ斜めではなく真っ直ぐの時代だったから、それをこちらが斜めにするとごろごろと新しい意味があらわれて、そういう面白さに夢中になった。手当り次第、意味の露天掘りといった快感があった。
でも80年代に入るころから、そういう斜めにする快感はなくなったように思う。何だかつまらなくなったのだ。どうしてかと考えてみると、もうそのころから世間全体が斜めになってきていたのだ。パロディというものが容認されて、世相そのものがパロディ的な衣裳をまとってきたのである。
容認されたパロディほどシラけるものはない。でも世相そのものがどんどん斜めになって、お笑い世界が常識みたいになっていった。そうなるとあとはもう、営業活動だけがあることになり、意味の面白さはどこにもなくなってしまった。
そしていまは2000年代だが、世の中はもう自爆の時代という気がする。
自爆テロという言葉は、いわずと知れたあのニューヨークでの9.11から強烈に世相に突き刺さってきた。それ以前から、アメリカ世界とイスラム世界との衝突で、自爆テロは頻発していた。
それまでの自爆的表現で有名なのは、ベトナム戦争のさなか、ベトナムの僧侶が抗議の意志をもって路上で焼身自殺するという事件があった。攻撃ではなく、自分の死をもって反戦を訴えたわけで、標的は人間の内面である。
でも2000年代に入り、9.11を頂点とするイスラム世界発の自爆テロは、ほとんど物理的攻撃である。もちろん自死をもって攻撃するのだから、その事件は人間の内面にも食い込んでくるのだけど、でもそれよりも自分ごと正に爆弾と化して突っ込んでいる。
ぼくは信仰の世界はよくわからないのだが、自分の体を道具として爆弾攻撃すると、その自分は当然死ぬ、その死んだ自分はそのまま神の許に行けるというのが信仰のようである。それを実感するのは、やはりその信仰をもたない限り無理だろう。
でもそういう自爆の空気が、日本にも広がっているような気がする。日本の場合は宗教や信仰ではないけれど、たとえば予備校の先生が、小学6年生の生徒とそりが合わないからといって、包丁2本とハンマーを用意して殺害に及ぶ。そんなことをしたら当然そのまま自分が生きていられるはずがない。日本の世の中は甘くて過保護だから、死刑にまではならないかもしれないが、でも自分が社会的に生きていられなくなることを、おそらく考えもなくやってしまう。
そういう行為が非常に多い。女性や小さな子供にさっと手をかけて殺してしまって、そうすると自分が社会的に存在できなくなるということを、考えないのだろうか。
どうも考えないらしい。もちろん法の隙間を縫って、小ずるく保身を計算した上で犯すものもいるだろうが、でもそれは古典的な考えで、いまは何も考えずに、ただ軽薄に犯行を重ねるという印象がある。とにかく病的な欲求があって、そこにあっさりと向ってしまう。その結果は自分の存在を死に近く落し込むことになるわけで、その行程がどことなく自爆テロに重なる。
もちろんイスラム世界発の自爆テロは、民族のため、正義のため、敵に反撃するという戦争行為で、信念をもっての自爆のようである。それにひきかえ、日本の軽薄な、おぞましい犯罪者たちに、信念はない。民族のためとか、人のためという思いは一切ゼロで、ひたすら自分のためである。それをいっしょにしてはまずいだろうが、でも事を成す道連れに自分の存在を放り投げるという行程が、似ていて気になるのである。
日本ではもう何年も前から引きこもり症候群をかかえて、その数が全国で百万ともいう。この人々はもちろん死んではいないわけだが、活動はしていない。人間は何か仕事をして、稼いで、その稼ぎで食ってこそ、活動して生きているということになる。人間に限らず動物植物みんなそうだ。だから引きこもりの人々は生きているとは言い難い。もちろん呼吸をして、心電図を取れば反応はあるのだろうが、でも社会的には生きていない。ほとんど死んでいる。ご両親がせっせと炊事洗濯などして、その「死」を手助けしているという事情があるにしても、もとは自分でその穴の奥への道に入り込むのだから、形としては自死に近い。心電図的には生きていても、ほとんど目立たない死というか、緩慢な自爆のようなものである。
ただこの場合はテロではない。それによって他を攻撃するとか反撃するとかいうのではないから、とりあえず害はない。自分の存在だけが縮み込んでいく、ブラックホールみたいなものだ。ブラックホールはそこに発生する重力場によって、近隣の物を引き込み、飲み込んでいく。とりあえずその引きこもりの住む家庭のご両親がそれにあたる。その引きこもりブラックホールに吸い寄せられて、その人間にかかりっきりになってしまうという話はよく聞く。親離れ子離れという成長過程に無頓着だったことの報いでもある。いったんブラックホールとなったものを分離するのは大変なことだろう。天体の場合はまず不可能だ。でも人体の場はまだしも多少の望みがあると思うのだが。
ブラックホールの場合は、その引力圏に近寄らなければ何ごとも起らない。でも自爆テロの場合は、攻撃性をもっているから、無関係ではいられない。先にいった日本的な緩慢な「自爆テロ」には、思想も信念もないのだから、その存在を予知するのは難しい。とりあえずは人並に世に出て、仕事をして生きている。にもかかわらず突然の「自爆テロ」に及ぶ。
世の中がこれほど斜めになっていなければ、まだしも予知は可能だったのかもしれないが、いまとなっては非常に難しい。いまの日本の世相というものが、それほど斜めになっているということだろうか。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
左翼のぬるま湯 2005/11
選挙が終って自民党が大勝したが、むしろ民主党の惨敗という方が印象として目立つ。それはたぶん民主党が政権交替ということしか言わなかったからではないか。
というと、いやちゃんと主張することはマニフェストに明らかだ、となるのかもしれないが、でもそれは耳に入ってこなかった。「マニフェスト」という言葉は有名だけど、マニフェストの内容となると知らない人がほとんどだ。
もちろんこれは印象である。印象というのはその頭に「ただの」とか「単なる」とかつけられて、論客には軽視されるものだが、でもじっさいの話、印象にはそのものの内容があらわれている。
論客は論理を究めて考えるわけだが、ふつうの人はそんなに細かく考えないし、論理を究める能力ももっていない。とりあえず印象で判断する。だからむしろ論理に騙されることがない、ということが言えるのではないか。
たとえば結婚というのは人生の一大事だけど、その場合も重要なのは相手の人の印象である。印象はよくないのだけれど、よく調べたら財産もあって家筋もいいし、鼻筋も通っているので結婚した。そうしたらやっぱり人柄が駄目で、嘘はつくし、ケチだし、結局は結婚生活が破綻した、となったとしたら、それは論理に騙された、ということなのである。
でも民主党のことで言うと、選挙の前から駄目だった印象がある。党首があれこれした末に鳩山、小沢、菅という党首候補がみんな引いたりこけたりして誰もなり手がない。だから仕方なく、という感じで岡田幹事長が党首になった。あの時点で、民主党って駄目なんだなと思った。党首になろうとする人がいないのだから、党としての魅力がないのである。
たぶん岡田氏は真面目だから、仕方なく幹事長になったのだろうが、党首となると真面目だけではつとまらない。魅力というのがいるのだった。
魅力って何だろうか。
不思議なものですね。
そんなわけで、民主党が魅力のないままの選挙だから、緊張感がなかった。どうせわかっている、という印象での選挙なので、刺客やその他候補者のキャラクターの方に興味がいった。そういう気楽さもあって、投票率が上がったのかもしれない。
昔は保革対立という構図があった。だから野党の価値もあったわけだが、いまはもうそんな構図がないから、野党の価値がなくなっている。だから政権交替と叫んでも、何のために交替するのか、理由がわからない。あるとすれば違いのための違いみたいなもので、それはただ頭が面倒になるだけだ。
だから選挙後に選出された民主党の新党首が、自民党に挨拶に行ったら、小泉首相に「無理して違いを言わなくても」みたいなことを諭されたというのは、よくわかることである。といって違いを言わないと野党の意味がないから、困った立場だ。そういう役柄にはまり込んでしまった悲哀。
人生にはいろんな生き方があるが、いったんそういうところにはまり込むと、簡単に別の生き方はできないものである。別のコースに行くのは自分が屈服したみたいに思えてしまって、タバコをなかなかやめられない人は世の中に多い。ぼくも昔はタバコを吸っていたが、タバコにはまり込んだ自分が嫌になって、もうやめてから30年以上もたっている。
それはともかく、みんな野党というタバコをやめて、自民党の公募してみたらどうなんだろう。
いま軽率度で注目を浴びている26歳の自民党新議員は、比例代表の候補者に応募したのだそうだ。選挙前に小泉氏が何かそういう刺客的足軽要員を公募するという話を聞いたようにも思うが、あまりはっきりとは知らなかった。ところがその26歳の新議員は試しにレポートを書いて応募したんだという。まさか当選するとは思っていなかったようで、棚ぼた議員と言われている。議員給料が2000万円以上もらえて嬉しいとか、いろいろと「失言」が正直で、その点はじつに新鮮だ。
もちろん軽率に過ぎるというご意見はあるが、でもやはり一瞬目を見はる。これが本当に議員だということが、何かしら痛快でもある。ぼくは現代のワカモノと書くとき、わざと現代のバカモノと誤植ふうに書いたりしていて、この議員にもその誤植はあてはまりそうだが、でもそれが現実に国会議員だという事実の痛快がまず凄い。
何しろ自由と平等の現代だから、プロレスのマスクやチョンマゲ姿で登院の議員もいたりするけど、そういう自己表現もどきの目立ちたがりとは違って、この26歳はただ正直というだけで、そこが目を見はるのである。
やはり選挙をめぐる世界が変わってきているのか。ラジオを聞いていたら、投票所の立会人みたいな役をこなした匿名公務員が電話をかけてきていて、その投票者の背中を見る役を選挙のたびにやっているけど、今回は何か違う、という話が面白かった。何か違う、という「ただの」印象だけで、論理は何もないのだけど、でもピンとくるものがある。
こういうことは、小泉自民党ならではのことではないのかな。派閥がっちりの在来自民党だったら、候補者公募なんてことはなかったはずだ。だからこれは、ある種の自民党アンデパンダン展みたいなことになった。
もちろん論理を踏み外さない論客は、印象では語れない。与党小泉政権を論理的に批判してこその論客である。何ごとも批判によってこそ頭脳の上位、その優秀を示すことができるわけだから、まずは現世権力の批判からすべてがはじまる。メディアの多くは、そういう左翼的ぬるま湯につかりながら、日々を過している。それはそれで、平和のバランスウエイトなんだということにもなるらしい。
論理的にはいろいろ、もう滅茶苦茶ですよということだろうが、この26歳議員といい、料理研究家やその他の刺客と呼ばれて当選した新議員といい、いわゆる素人政治家の登場が現実となり、選挙とか議員とかいうものが少し身近になったことはたしかだろう。自分はいまフリーターだけど、努力の具合によっては国会議員も不可能ではない、という感覚。国会議員なんて何も大したことはないと、それは慢性左翼的な投げやり感で言われていたことだが、その投げやりを超えて、いきなりその現実が目の前に出てきた。いや本当に素人かどうかはわからないが、少なくとも印象はそうで、素人に見えることはいいことだと思う。
ぼくもむかし、まだ芸術家だったころ、町会議員は穴じゃないかと思った。国会議員になるのはさすがに大変そうだけど、町会議員ならなれそうな気がする。それで給料をもらって生活できればいいなと思ったが、やはり思慮深いのでやらなかった。それをやってしまう人々が出てきたわけである。
と言ってしまっていいのかどうかは責任もてないが、とにかく選挙とか議員というものを隔てる溝が埋まってきているようで、それは自由と平等の大義からすれば、大変目出度いことだと、そのように言う人はあまりいない。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。
(以上、ファイブエルより転載)
明日から仕事で出張、そのままフィリピンへ旅立つ、帰って来てまた出張、月末まで忙しい。次回からは東急のネットマガジンで連載していた赤瀬川ゲンペーさんのエッセイを備忘録として暫く転載しようと考えている。世界不況以前の世相を振り返ってみる。今回は終了したNTTの先見日記から「中古」についての考察。中古カメラを老いる身体に見立てた奥の深いエッセイだ。旅立ってから帰って来るまでゲンペーさんの思想を学習する。
新入荷の中古品 2005 sep.21
自宅にて
国会がはじまり、国会議員の新入生がぞくぞくと登院していた。刺客とか、造反とか、それまでメディアを賑わせていた顔に、テレビカメラも集る。あ、不倫の人か、と思ったりする。週刊誌のレッテル張りというのは恐ろしいものだ。
でもみんな、それなりの新入生の感じはあった。とはいえ歳はかなりいっている。ういういしいのとはちょっと違う。何といえばいいのだろうか。やはりああいうところにまで行く人は、海千山千という感じにあふれている。いまつい書いてしまって、語源は何かと辞書を引いたら、海に千年山に千年ということらしい。経験を積んでいるという意味のようで、末尾に「わるがしこい人」とも書いてあり、これはちょっと失礼した。
でもわるがしこくもなるでしょう。いまは世の中の全体が、隅々まで、わるがしこい競争をしているようなものだから、一般人も鍛えられる。
こちらはこの夏の入り方を失敗して、夏風邪気味のものをこじらせてしまい、それでずうっと秋まできてしまった。ジャイアンツと同じような経緯をたどっている。
気がつけばかなり歳だから、人体の中古度はそうとう進んでいるのが、こういう体調を崩したりした時によくわかる。以前は「中古良品だ」とかいって笑っていたが、いまは良品といえるかどうか怪しい。
中古カメラの最高位は「未使用」というもの。次が「新同」つまり新品同様。以下美品、中古良品、中古、キズアル、レンズくもりあり、と下がって最後は「研究用」つまり撮影は無理だけど、分解とか実験用にというわけで、プロが部品取りに引取っていく。
人体もまったく同じで、最後は部品取りとなるか、あるいは研究用として大学に運ばれる。ぼくはまだその手前だが、歳をとって体調が崩れてくると「いずれ研究用か……」という思いがわいてくる。
(以上、先見日記より無断転載)
世界の針路を決める50人 資本主義の未来は――フィナンシャル・タイムズ
http://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20090318-01.html
(gooニュースより以下を抜粋)
「世界の針路を決める50人」
<政治家>
1. バラク・オバマ(47) アメリカ大統領
オバマ政権のこれまでの経済救済策について、評価は様々だが、詳細はまだ明らかになっていない。その間、大統領は医療改革と環境政策と教育改革を横断するラディカルな国内改革に着手。公約通り、それは大胆かつ希望に満ちた香りがする改革案だ。
2. 温家宝(66) 中国首相
中国経済を取り仕切る人物は、国外では高い評価を得ているが、国内では、経済規制導入が早すぎたと攻撃されている。忠誠心と、ディテールに対する細かな注意力を併せ持つことで出世してきたこの地質学者は、大衆受けするコツを心得ており、「温じいさん」と多くに親しまれている。
3. アンゲラ・メルケル(54)ドイツ首相
金融市場を単なるマクロ経済的な事象対応型の反応で動かすのではなく、よりシステマティックな規制導入を重視する論客のひとりで、金融市場における「新しい世界秩序」の導入を主張。キリスト教民主連盟の党首として、2009年9月27日に再選を目指す。
4. ニコラ・サルコジ(54) フランス大統領
ブラウン英首相が国内の政治経済問題に足をとられ、メルケル独首相がやっかいな連立政権運営に足をとられているのを尻目に、自らを事実上の欧州の指導者と目している。フランスが欧州連合(EU)の議長国だった間に、サルコジ氏は欧州協調と団結のようなものを作り上げたが、それはすでに消えてしまった。アングロサクソン式の資本主義に対抗し、国家介入の必要性を強調する。
5. ゴードン・ブラウン(58) イギリス首相
イギリスの銀行に資金注入したことから、経済学者ポール・クルーグマンに「世界の救世主となるかもしれない」と絶賛された、この労働党党首にして前財務相は、われこそはこの危機に取り組むべき理想の人材だと自負している。ブラウン首相は4月2日にロンドンで開かれる主要20カ国・地域によるG20サミットの議長を務める。
6. ウラジーミル・プーチン(56) ロシア首相
ロシア大統領として好景気を謳歌したものの、昨年に大統領を退いて首相となってからは、プーチン氏をとりまく世界は一変してしまった。原油価格の下落に苦しむ政府予算をなんとか束ねなくてはならない。
7. ティム・ガイトナー(47) 米財務長官
金融メルトダウン直撃の昨年9月当時はニューヨーク連銀総裁だったガイトナー氏は、今や米金融システムの救済を指揮先導している。2月に発表した金融機関救済策は、タイミングが悪かったと捉えられている。
8. ローレンス・サマーズ(54) 米国家経済会議(NEC)委員長
クリントン政権最後の財務長官にして、バラク・オバマ大統領の経済顧問トップとして、ラリー・サマーズは政権で最大の影響力をもつ人物と言える。ハーバード大の元総長は前に比べるとかなり人間が丸くなったが、それはまだ鋭意努力中の作業だ。
9. ハマド・ビン・ジャシム・アルサーニ(50) カタール首相、QIA最高経営責任者
都会的で洒脱で、はっきり物を言う首相。天然ガス資源の豊かなカタールは、ひたすら金を使うことで危機を乗り切ろうとしており、おそらくそのまま成功するだろう。政府系ファンドQIAは、世界的な価格下落の中でバーゲン品をひたすら探し続けるはずだ。シェイク・ハマドはかつて、人気のアラビア語チャンネル「アル・ジャジーラ」創設を支援し、注目を浴びた。
10. 王岐山(60) 中国副首相
昨年任命された王副首相は、中国政府における国際金融問題の責任者として浮上。北京市長や中国人民建設銀行トップの経歴をもつ王氏は、G20という外交の檜舞台で水を得た魚として振る舞うことのできる、数少ない中国政府首脳だ。歯に衣着せぬ単刀直入な物言いで有名。
11. バーニー・フランク(68) 米下院金融委員会委員長
米国の金融規制の仕組みを作り直す当事者のひとりとなる下院議員は、「システム的リスクの規制担当」が必要で、FRBがそれを担当すべきだと主張している。フランク議員はさらに住宅ローン金融改革と、無軌道な貸付防止を主張している。
12. スティーブン・チュウ(61) 米エネルギー長官
大学学位を1つしか持たないチュウ長官は、高学歴な中国系アメリカ人の一族における「黒い羊だった」と自分を笑う。しかしそれでもチュウ長官は、1997年にノーベル物理学賞を受賞するだけの頭脳力を持ち合わせている。グリーン・エネルギーの開発促進を主導する。
13. オリヴィエ・ブサンスノ(34) フランス反資本主義新党党首
フランス最大の極左集団「反資本主義新党」を率いるトロツキストな郵便局員。不況がひきがねとなる社会不安を利用し、社会・政治秩序の転覆を夢見る。世論調査では、フランスにおける最も実力ある野党政治家と目される。過去2度、大統領選に出馬し、それぞれ100万票以上を獲得している。
<中央銀行家>
14. ベン・バーナンキ(55) 米FRB議長
大恐慌の専門家。大危機の時代において中央銀行に何ができるかを熟知している。経済下降を食い止めるため様々な道具を駆使しつつ、これまでの自説を実践する機会にたっぷり恵まれた。
15. ジャンクロード・トリシェ(66) 欧州中央銀行(ECB)総裁
もう20年以上にわたって経済危機に取り組んで来たこのフランス官僚は、経済の信頼回復のため政治家も中央銀行家も最大限の努力をしなくてはならないと考えている。経済支援策や規制改革のため各国政府の支持を取り付けることに成功している。
16. 周小川(61)中国人民銀行総裁
中国の中央銀行総裁を 2002年以来務める周氏は、市場改革加速の主な支持者と目されている。英語堪能で、エコノミスト相手に論戦することもできる。2兆ドル近い外貨準備高を取り仕切る。
17. マーヴィン・キング(60) イングランド銀行総裁
イギリス中央銀行総裁としてのキング氏は、金融安定よりも経済を強調したとして批判されている。しかしその頭脳力と、国際経済の相互関連性の理解については、疑問の余地がない。
18. 白川方明(59) 日本銀行総裁
世界2位の経済で金融政策を司る白川氏だが、慎重なスタイルや抑制的な政策志向の持ち主なので、劇的変化の主導者とはならないだろう。中央銀行での業務は仕事であり趣味でもあると自認する日銀はえぬきのベテラン。
19. マリオ・ドラーギ(61) イタリア中央銀行総裁、「金融安定フォーラム(FSF)」座長
米国で教育を受けたエコノミストで、元ゴールドマン・サックス幹部。欧米協調を重視し、両方で尊敬されている。G7から生まれ、G20サミット以降もっと役割が拡大すると予想されるFSFにおいて、規制と監督権限と透明性の強化を主張。
20. マーク・カーニー(43) カナダ中央銀行総裁
若々しいカーニー氏は、カナダ中央銀行総裁という歴代の蒼々たる顔ぶれに並ぶ資格十分の実力者。経済学の博士号をもち、ゴールドマン勤務13年、政府当局者として国際会議に出席し続けて6年の実績を重ねて来たカーニー氏は、金融と規制の圧力の両方を理解できる立場にいる。
21. ミゲル・オルドネス(63) スペイン中央銀行総裁
スペイン中銀トップとして、ミゲル・アンヘル・フェルナンデス・オルドネス氏は、今や世界にとってのモデルと認められている、銀行のための「反周期的」な金融政策を提唱。スペイン中央銀行はこのほか、諸外国で銀行の利益を帳消しにしてしまった簿外単位の受け入れも拒否した。
22. ウィリアム・ダドリー(56) ニューヨーク連銀総裁
中央銀行経験と市場経験を併せ持つダドリー氏は今年1月、米連銀の中でも市場に最も近い支部のトップに選ばれた。エコノミストとして訓練されたダドリー氏の最初の仕事はFRBにおいてだったが、そのキャリアのほとんどはゴールドマンで過ごしている。
23. ジャック・ド・ラロジエール(79) フランス銀行名誉総裁
1978年~1987年にかけてIMF専務理事として、中南米の累積債務危機やドル高是正のためのプラザ合意に関する政策を指揮。その後、フランス銀行総裁、欧州復興開発銀行総裁を歴任。委員長を先月務めた欧州委員会グループは、金融・証券・保険におけるEU規制の強化を求めた。
<規制当局担当者>
24. アデア・ターナー(53)英金融サービス機構(FSA)長官
「エッキンスウェルのターナー卿」は、リーマン・ブラザーズ破綻の翌週にFSA長官就任。しかし今年1月に行った長官としての初演説で、マッキンゼーのコンサルタント出身の卿は、危機の起源を最も包括的にまとめた分析を披露した。これまで年金問題から気候変動に至る様々な問題に取り組んできたコンサルタントならではの手腕を発揮したわけだ。卿は近く、英国の金融規制改革の基礎となる報告書を提出する予定。
25. シーラ・ベアー(54) 米連邦預金保険公社(FDIC)総裁
銀行システムを下支えする計画のもと、権限を大幅に拡大したFDICのトップ。「問題あり」銀行の数が増えるにつれて、銀行破綻が今後も起きれば、FDICの預金保険基金への圧力も高まる。
26. メアリー・シャピロ(53) 米証券取引委員会(SEC)委員長
規制当局で20年の実績を持つシャピロ氏は、完璧な経歴とタフな根性の持ち主。しかし金融危機と、バーナード・メイドフによる被害総額500億ドルとされる巨額金融詐欺事件を受けて、SECは厳しい批判にさらされている。投資家の信頼を回復し、規制を強化すると宣言している。
<組織トップ>
27. ハイメ・カルアナ(56) 国際決済銀行(BIS)総支配人
スペイン中銀の前総裁は「中央銀行の銀行」トップという厳しいポジションに来月就任する。国際決済銀行(BIS)による金融機関の自己資本規制の改正案(バーゼル2)交渉を取りまとめたカルアナ氏は、経済循環の規模をこれ以上拡大しないためのプランづくりに責任をもつことになる。
28. ドミニク・ストロス=カーン(59) 国際通貨基金(IMF)専務理事
経済博士であり、辣腕の政治家。ゼーリック世銀総裁と同様に、危機に対応できるようIMFの規模拡大を目指している。中国人民元レートの問題については、IMF理事会で問題が政治化しないよう務め、中国通貨政策の国際問題化を抑制している。
29. ロバート・ゼーリック(55) 世界銀行総裁
時に民間に転職しながらも主に官僚としてキャリアを積み上げて来たゼーリック氏は、世銀の貸付能力拡大を目指している。
30. パスカル・ラミー(61) 世界貿易機関(WTO)事務局長
長距離ランナーとして鍛えてきた経験は、「ドーハ・ラウンド」というマラソン交渉の取りまとめ役となった元欧州委員会委員の今を支えているだろう。しかしラミー氏には具体的な実務権限はほとんどない。合意を各国に押し付けるというよりは、交渉を仲介し促し応援するのがその役割だ。
<投資家>
31. 楼継偉(ルー・ジーウェイ)(58) 中国投資有限公司(CIC)会長
設立まもない中国の政府系ファンドのトップは、中国政府において周小川・中国人民銀行総裁を含む「市場経済派グループ」にとって欠かせない1人と見なされている。しかしブラックストーンやモルガンスタンレーへの投資が大失敗に終わっているため、批判も強い。
32. ジョージ・ソロス(78) ソロス・ファンド・マネージメント創設者、Open Society Foundation 創設者
ヘッジファンドマネージャーであり慈善活動家。そのソロス氏にとって2008年は目覚ましい成果の年だった。下落する市場を尻目に、10%近い利益率を達成したのだ。ウォール街重鎮として真っ先にバラク・オバマ氏を支持。ずっと前から世界的な資本主義の危機を予言していただけに、自分は時代の精神と共に在ると自負している。
33. ウォーレン・バフェット(78) バークシャー・ハサウェイ会長
世界で最も有名な投資家。おそらく未だに世界最高の資産家だろう。バリュー投資(割安株投資)を提唱し、ほかの投資家が何でも買い上げているときは売り、周りが不安や恐れから買い控えているときには率先して買うべしと考える。2008年末にも、そろそろ買いに転じるよう呼びかけたが、今回の「売り基調」にはまだ先があった。
34. ローレンス・フィンク(56) ブラックロックCEO
ブラックロックほど、今回の危機によるゴタゴタをきれいに回収してきた会社はほかにないだろう。たとえばAIGのクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)についてFRBに進言するなど。モーゲージ証券(MBS、不動産担保融資の債権を裏付けとして発行された証券)の先駆者として知られるラリー・フィンク氏は、評判を損ねずにいる数少ないウォール街のリーダーだ。
<エコノミスト>
35. ロバート・シラー(62) イェール大学経済学教授
人は(特に市場は)おおむね合理的に行動するものという前提を挑戦する、「行動経済学」の最先端に立つ。一般市民はデリバティブから遠ざかるのではなく、もっと関わるべきだと考えているが、それは人生の不慮の事態に対する保険として。
36. モンテク・シン・アルワリア(65) インド計画委員会副委員長
インド歴代最高の財務大臣とも呼ばれるアルワリア氏は、新興経済としてのインド台頭を可能にした改革を担当者とされる。数カ月前から危機対策として、緩やかな刺激策を策定してきた。
37. ポール・ボルカー(81) ホワイトハウス経済回復諮問会議議長
1979~87年のFRB議長。インフレ抑制のための金融政策の実施者として知られる民主党員。かなり早い段階から声高に、サブプライム・ローンの危険性を警告していた。
38. ポール・クルーグマン(56) プリンストン大学教授、ニューヨーク・タイムズ・コラムニスト
おそらく世界で最も有名な経済学者。学者としての輝かしい経歴をもとに、コラムニストかつブロガーとしてのキャリアを築き、そしてイデオロギーに縛られた保守主義を徹底的に批判し骨抜きにすることを自らの使命としてきた。今や「民主党リベラルの良心」とも言える。
39. ヌリエル・ルービニ(49) RGEモニター会長
「破滅博士(Dr. Doom)」として有名。一貫して誰よりも暗く悲観的に、そして誰よりも正確に、金融危機を予測し、経済全体への影響も警告してきた。ルービニ教授は今、ラディカルな対策がとられなければ「恐慌に近い状態」がやってくると予測している。米財務省にいた1990年代当時のティム・ガイトナー(現・財務長官)の助言者だった。
40. レシェク・バルツェロヴィチ(62) ワルシャワ経済大学教授
ポーランドの経済体制移行を主導・指揮した。副首相2期、財務相、中央銀行総裁を歴任。自由市場の信奉者で、コンセンサス作りよりも自らの主張展開に手腕を発揮する。
<銀行家>
41. ロイド・ブランクファイン(54) ゴールドマン・サックスCEO
2008年にウォール街の大半を襲った破壊を大方回避し、ゴールドマンの安泰を確保。ゴールドマンは2008年にも利益を上げた。さらに状況悪化した厳しい環境のなか、ブランクファインCEOはゴールドマンの伝統的なルーツから遠く離れることなく、新しい成長分野を発見しなくてはならない。
42. ジェイミー・ダイモン(53) JPモルガン・チェース会長
シティグループを追われた男から「ウォール街の王者」となったダイモン氏は、ウォール街の目まぐるしい運命の乱高下を乗り切ってきた。しかし今のところ危機の最悪の影響は免れている。JPモルガンは競争相手のベアースターンズとワシントン・ミューチュアルを安価で買い上げることに成功した。
43. スティーブン・グリーン(60) HSBC会長
1982年からHSBCで働いてきたグリーン氏は、銀行改革の必要性を声高に唱えて来た。一般信徒として教会で説教し、自由市場と信仰の折り合いをどうつけるかについて著書も発表している同氏は好景気時代、金融業界の無駄と贅沢を批判していた。
44. ミシェル・ベブロー(67) BNPパリバ会長
フランス最大の貸付銀行で長く会長を務める。クリスティーヌ・ラガルド仏財務相の影のブレーン。パリバが1993年に民営化される直前に会長となっただけに、国家の役割について独自の見識を持つ。
<産業界の代表者>
45. カルロス・ゴーン(55) 日産自動車・ルノーCEO
自動車業界における国境を越えた協力関係の見事な体現者として名声を確立。今や欧州自動車工業会(ACEA)の会長として、業界のスポークスマンでもある。
46. インドラ・ヌーイー(53) ペプシコCEO
グローバリゼーション提唱者。同時にグローバル化には、道徳性と、各地の文化・政治事情に対するデリカシーが必要だと強調。今年のダボス会議では、「資本主義は強欲につながる」ため効果的な規制が必要だと警告した。
47. エリック・シュミット(53) グーグルCEO
コンピューター科学の第一人者は、オバマ政権とシリコン・バレーを結びつける主要なリンク。シュミットCEOのテクノクラート的スタイルは、オバマ政権のテクノロジー重視と相通じる。オバマ陣営の政権移行チーム顧問を務めた。
<マスコミ・学術者>
48. アリアナ・ハフィントン(58) ニュースサイト「ハフィントン・ポスト」編集長
伝記作家出身のハフィントン氏は、デジタル時代におけるワシントンのサロン・マダムという役割を作り出した。ほかの多くの競合他者と異なり、「ハフィントン・ポスト」は大統領選が終わっても読者数をキープしている。
49. ラッシュ・リンボー(58) ラジオ番組「ラッシュ・リンボー・ショウ」司会
「ラッシュ・リンボーの言うことばかり聞いて、仕事をされては困る」 バラク・オバマ大統領は景気刺激策の成立を共和党と交渉している最中に、こう発言した。しかしリンボー氏のラジオ番組を楽しみにしている2000万人以上のリスナーは、大統領に賛成しかねるだろう。自由主義をひたすら声高に罵倒するリンボー氏の言説は、彼のファンに大いに支持されている。
50. キショア・マブバニ(60) シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院院長
優れた「アジア的価値観」を表立って推奨するわけではないが、アジアが世銀やIMFなどの国際機関でもっと建設的な役割を担うためには、欧米が足場を少し譲る必要があると指摘している。
51. 太った中年 gooブログ
なーんちゃって と、まあ、オチをつけるのだった。
52. Jet師範 Jet Culture Club代表 アジア格闘王 元LA大学教授
おっとと、忘れてはイケナイ。
アジア編集長デビッド・ピリング
経済の惨状を目の当たりにしながら世界各国は、このような事態を二度と引き起こさないには何をどうしたらいいのか考えている。市場資本主義を活気づける創造的な天使たちを自由に解き放ちつつも、破壊と混乱をもたらす地獄の番犬たちは好き勝手させないよう閉じ込めておくには、いったいどうしたらいいのか? 世界各国ではそうなのだが、一方の日本ではむしろ過去を振り返ろうという人の方が多い。
このほど東京を訪れた私は、会う人会う人に、日本は経済危機にどう取り組むべきか質問していった。そしてそのたびに、質問した相手はまるで忍者のような素早さで、明治以前の日本について言及するのだった。19世紀半ばにアメリカの軍艦によって無理やり開国させられる前の日本は、まるでアダムとイブがエデンを追われる前のような、原罪なきのどかな時代だったと言わんばかりに。当時の日本はまだ、世界の中で生きるためにゴリゴリ薄汚く働かなくてもよかったのだと、そう言うのだ。
「ミスター円」と呼ばれ続ける榊原英資・元大蔵省(現・財務省)財務官は、明治以前の日本は平和で整然としていて、手つかずの、人懐っこい国だったと言い、そういう国に立ち返るべきだと話す。
また、経済政策について質問した民主党の「次の内閣」閣僚は、江戸時代の日本は輸入量がほとんどゼロだったと言及(江戸時代の日本はほとんど200年間、出入国を事実上禁止していたのだから、輸入量ゼロは驚くに値しないのだが)。この政治家によると、日本が輸出を始めたのはただひたすら、国を守るために軍隊を築き上げる必要があったからで、それ以外の理由はなかったという。そしてその決断のせいで日本はこんにちのような、工業製品を海外消費者に売ることで成り立っている、過剰なまでに輸出依存型の国になってしまったのだと。
一年の半分を日本で過ごす、コロンビア大学のベテラン学者、ジェリー・カーティス教授によると、今の日本には確かに危機感よりも、昔を懐かしむ強いノスタルジアのにおいがたちこめているという。
「インテリの多くはアメリカを丸ごと拒否しはじめている。ネオリベラルな自由市場資本主義をそっくりそのまま鵜呑みにしていた人でさえ、もうアメリカはいらないと言い始めた。今の日本では、いかに日本の過去が素晴らしいかを語り合うのが、言論の主流になりつつある」
経済危機を機に、(明治時代にさかのぼらないまでも)戦後日本の三つの柱に対する評価が、大きく塗り替えられている。
一つ目は政治だ。(わずか10カ月の空白をのぞいて)過去半世紀にわたり日本を統治し続けた自由民主党の死は、あらかじめ予言されていたに等しい。これまでも何度か危篤状態に陥っては息を吹き返してきた自民党だが、今度こそいよいよ臨終を迎えようとしている様子だ。信頼できる政策がない、しかも特に信頼できる経済政策をもたないというのが、自民党が抱える問題の一部だ。自民党がまるで王族よろしく自分たちは権力を握っていて当然だといわんばかりにふるまっている姿を(二世や三世の世襲議員が異常なほど多いのが、その象徴だ)、国民が怒っていることも、自民党の問題の一部だ。政治システムをぶっ壊したはずの、過激なアウトサイダーだったはずの小泉純一郎氏でさえ、自分の議席を息子に譲ったばかりなのだ。対照的に野党・民主党は(世襲議員もそれなりにいるが)若きテクノクラートであふれている。遅くとも9月までには行われる次の総選挙では、民主党が勝つだろう。
日本の言論界がいまさかんに攻撃している、戦後日本のもうひとつの大黒柱は、官僚システムだ。かつては「奇跡の経済復興を主導した、無視無欲で優秀きわまりない日本の官僚」と称えられていた世間における役人のイメージは地に堕ちてしまった。今や世間的イメージでいう官僚とは、私利私欲に走る強欲なエリートで、政策失敗を専門とし、楽で実入りのいい天下りポストを自分にごほうびとしてあげることに汲々としている連中のことになってしまった。
崩れつつある三つ目の柱は、戦後の経済モデルそのものだ。今の日本では、戦後経済の礎となった製造業重視を弱めて、農業重視への転換がさかんに主張されている。たとえば世界は二度とかつてのような消費レベルを回復しないだろうと考える榊原氏は、製造業を主力とする日本はおそらくこの経済危機で最も苦しむだろうと指摘しているのだ。
日本の農業は手厚い保護政策で守られているというのが、一般的な見方だ。けれども日本人は、カロリーベースの食料自給率が40%でしかないことを心配している。民主党は農家補助の大規模拡大や戸別農家主体の農業の産業化推進を主張しており、榊原氏はこれを支持。榊原氏はさらにトヨタ自動車に対しても、自動車産業は今や斜陽産業なのだから、トヨタのエンジニアを使って農業の効率改善に取り組むべきだと説得を試みてきた。「ジャストインタイム方式」で作られたニンジンの時代がまもなくやって来るかもしれない。
世界は今、金融メルトダウンに必死で取り組んでいるし、日本の製造業は受注減の衝撃にさらされている。そういう状況でこうやって日本国内で、のどかな農業社会の幸せや明治以前の古き良き日本についてさかんに取りざたされている様子は、いささかシュールではある。つまりそこからうかがえるのは、これぞというアイディアを懸命に探し求めている国の姿だ。そういう状況だからこそ、半世紀目にして自民党を破る絶好のチャンスが、野党にも巡ってきたと言える。しかしもしも日本の国民が選挙で新しい政権を選ぶとしたら、それは何か新しいものを求めてというよりも、もっと古いものを求めてそうするのかもしれない。
(以上、フィナンシャル・タイムズより無断転載)
無垢な日本の昔とは「19世紀半ばにアメリカの軍艦によって無理やり開国させられる前」で、以後、米国によって日本人は無垢な心を失った。ペリーの黒船来航は「商売をしなければ殺される」(福沢諭吉)と恫喝した砲艦外交であり、ヤクザの押し売りと同じである。それを日本人は腹の中では「面白くねぇ」と思いながら近代化の扉として表面的には感謝した。こうした米国に対するうわべだけは従順に見せかけ内心では従わない面従腹背は明治の開国以来今日まで続く。米国発の世界金融危機に際して主にエコノミストたちが唱える日本回帰は面従腹背の腹背、つまりは反米感情の表れなのだ。これで景気が回復すれば日本回帰も自然消滅するだろう。
外務省 プレスリリース
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/21/2/1188512_1092.html
外務省は日本のポップカルチャーを世界に発信するため、ロリータファッションのカリスマと呼ばれる女の子など3名をカワイイ大使に任命し、外国人記者を招いて会見を開いた。果たして外人の目にはどのように映るのだろう、エキゾチックなゲイシャ・ガールの最新版だろうか。まあ、日本男児として、正直オジサンはロリでは萌えない。タダでヤラせてくれるんなら別だけどね。以下、記者会見の模様をロイターの写真より転載。
青木 美沙子氏:ロリータファッション界のカリスマ (中央)
木村 優氏:、原宿系ファッション (右)
藤岡 静香氏:ブランド制服ショップ「CONOMi」のアドバイザー(左)
ロリータペンダント 右横の毛が気になる 陰毛かな
カリスマ・ロリータのみさこちゃん
外人記者の中には変質者もいるだろう ロリロリ
企画した外務省の中にも変態は多数いる それにしてもカワイイな
これを撮ったカメラマン アンタ このシューズで踏まれたいんでしょ
ロリータ、原宿系、制服 つまりはコスプレってことですな
タダでヤラせろなんて失礼なこと言いました
できればナメてくれるだけでいい
そんなワケで記者会見終了 お疲れ様
http://diamond.jp/series/digitrends/10068/
技術の限界と価格崩壊が同時に到来 一眼レフデジカメの“買い時”は今だ!
「100年に1度の不況」と言われる昨今、あらゆる商品が売れていない。だが、そんな消費不振の影響を割り引いて考えたとしても、これまでとはちょっと様相が変わって来ているのが、デジタルカメラだ。
700~1000万画素程度のデジタルカメラを持っている方は、最近“買い換え”のマインドになっているだろうか? 僕がヒアリングした限りでは、デジタルカメラを買い換えようと考えている方は減っている。
また、データもそれを裏付けている。ちょっと衝撃的な数値を紹介しよう。数値は全て1月の対前年同月比だ。
・デジタルカメラの国内向けの総出荷台数/81.1%
・一眼レフタイプの国内向け出荷台数/62.4%
・デジタルカメラの北米州向け総出荷台数/56.3%
・一眼レフタイプの北米州向け出荷台数/7.3%
どれも非常に悪い数値だ。なかでも一眼レフの落ち込みが大きく、特にアメリカでは、恐ろしいほど売れていない。ただし、北米州向けの一眼レフは出荷台数が7.3%なのに、金額は17.8%とこれを上回っている。つまりさっぱり売れていないが、単価は上がっていると推測できる。
ところが、日本や欧州向けでは、台数の割合を金額の割合が下回っているのだ。つまり、売れないことにより、単価がさらに下がっているのだろう。
僕はその理由を、「日本では一般ユーザー向けの安価な一眼レフの需要があるのに対し、アメリカではプロに近い層しか一眼レフを買っていないからだ」と推測する。
試しに、金額を台数で割ってみると、アメリカは15万円ほどになり、日本は6万円台半ばだ。単価が大幅に違うのである。
なぜか、アメリカでは大きな製品がよく売れている傾向がある。PCも大型のノートが売れ、テレビや家電もサイズが大きい。だが、コンシューマは一眼レフに興味を抱いていないようだ。
日本では、キヤノンの「EOS Kiss」がフィルムカメラの時代にヒットし、普通のユーザーが一眼レフを買う流れができあがった。「一眼レフはカッコイイ」という意識もあるだろうが、基本的には写真を美しく撮りたい、撮影を楽しみたいというユーザーが買っているのだろう。
ところが、大型のレンズ一体型デジタルカメラで撮影しても、一眼レフと同レベルの写真は撮れる。普通のユーザーが見ても、その違いはほとんどわからない。アメリカでは、「格好のよさよりも画質や持ち歩き易さを重視した合理的な選択がされている」と考えるのが妥当だろう。
今こそ、驚くほど安くなった 一眼レフデジカメに注目だ!
EOS Kissは、レンズとセットになったタイプが、実売で4万円台から購入できる。もはや、高級なコンパクトデジカメと大差のない価格なのだ。このクラスのカメラを買うユーザーが、高い交換レンズを買うとは想像しにくい。つまり、コンパクトデジカメの延長で買っているとしか思えない。
1000万画素を超えるデジカメの画像データは、ファイルサイズが大きいため、扱いが大変だ。特に、RAWで撮影して現像するようなプロっぽい使い方は、カメラだけ高級品を揃えても、PC側が追いつかないのだ。
繰り返し書いているが、もう10年近く前にフィルムメーカーを取材した時に言われたことを、いまだに思い出す。「35ミリフィルムをデジタルにするなら約1300万画素であり、コンシューマはその画質で十分なのだ」と――。
とはいえ、当時は夢のような高画素だったのだが、今や2万円のコンパクトデジカメでも1000万画素を超えているのが実情だ。
レンズ込みで4~5万円の一眼レフも、当然1000万画素以上だ。いよいよデジタルカメラが“技術の果て”に行き着いたように思えてならない。だからこそ、メーカーも半ば苦し紛れに“動画撮影機能”を盛り込んだりしているのだろう。
もちろん、これは悪いことではない。少なくとも画素数に関しては、低価格で満足できるカメラを手に入れられる時代になったわけだからだ。プロはさらに高画質を求めるかもしれないが、それはコンシューマとは別の次元の話である。
一眼レフデジカメは、一度買えば末永く愛用できる。現状を考えれば、新機種は毎年のように登場するだろうが、画期的な進化は当面ないだろう。しかも不況で売れていないから、値下がりしている。まさに、“買い時”が到来していると言えるのではないだろうか。
逆に言うなら、メーカーにとっての“恐怖”はこれから訪れるのかもしれない。コンシューマのニーズが一巡すると、アメリカのようにプロしか買わない状況がやってくる可能性も、十分に考えられるからだ。
戸田 覚
(以上、ダイヤモンドより引用)
見ず知らずのビジネスライター戸田さんに突然言い掛りをつけるのもナンだが、毒を吐くのが唯一の健康法だから仕方がない。といっても、誤解を招くとイケないので最初に戸田さんを擁護しておけば、書店に置いてあるビジネス書のほんとんどは役に立たない。なぜなら、役に立つビジネスマンはビジネス書を買う必要はなく、役に立たないビジネスマンが買うからである。したがってビジネスライターは、役に立たないビジネスマンに向け、役に立たない情報をあたかも役立つように執筆しなければならい。これは至難のワザだ。会社の上司に「そんなこともわからないのか、バカ」と言われるバカなサラリーマンに「あなたはバカじゃない」と丁寧に説明するワケだから忍耐力も必要だろう。いずれにしてもビジネスライターとは大変な仕事だ。さて、そんな論理から上記の「世界不況で価格崩壊、しかも技術は限界だからデジタル一眼レフは今が買い時か」を考えてみると、当然、逆説として「今が買い時ではない」となる。けれども、果たしてそうなのか。結論を言えば、商品の「買い時か否か」の最終的な判断は個々の消費者に委ねられる。だから昔から言われるように「欲しい時が買い時」なんだろう、市場の問題ではない。ただ、お客様次第では商売にならない。特に倒産寸前のビックカメラは戸田さんの記事をよく読んでデジタル一眼レフのセールストークを磨いてくれ。その努力が世界不況を克服するのだ。
そうだった、毎年東大寺のお水取りを見に行こうと思い、毎年終わってから行けなかったと後悔する。もう10年くらい悔やんでいる。来年こそは絶対行くぞと決意するのだが、たぶん同じ結果に終わるだろう。それはさておき、お水取りのクライマックスが籠松明なのに何故お水取りと称されるのか、ふと疑問に思ったのがそもそも興味の始まりだった。火と水の相反定理はその後の学習によって日本人の内なる生命システムを再生稼働させるアーキタイプであると理解できた。そして次に東大寺二月堂のご本尊が十一面観音であり、それが絶対秘仏として誰の目にも触れぬよう伏せられていることを知り、関心はそっちへ向いた。秘仏は1年、33年、60年といろいろな決め事に従い、一般には公開されず、住職だけに開帳されるものだ。しかも絶対秘仏となれば住職さえ見ることは出来ないのである。そんなにご利益のあるものならどんどん見せればいいじゃないかと思ったりした。そこで秘仏の原理というものを考えた。そして、これは歓楽街の場末にあるストリップ劇場の観音開きショーと同じようなものではないかと思いついた。ストリップの観音様とは陰語としてストリップ嬢の陰部であり、そこを見せることをご開帳という。ストリップショーの場合、いきなり観音様を見せたら見せ場がなくなる。ショーのクライマックス、最後の最後でチラリとご開帳するところに最大の効果があるのだ。そうすることによって観客の欲望は最大限に満たされるのである。誰も見ることの出来ない絶対秘仏とはその究極なのだ。こうして日本男児たるもの来年は絶対に東大寺のお水取りを見に行くぞと決意を繰り返すのだった。