太った中年

日本男児たるもの

天の声認定

2011-09-29 | weblog

先般、陸山会事件で3名の元秘書それぞれ執行猶予付き禁錮刑つー重たい判決がでた。

大方の予想を覆したこの判決に極東ブログは以下の記事を寄せている。

小沢一郎元民主党代表の政治資金団体に関する地裁判決、雑感

上記記事によれば重たい判決は弁護側が主張する記載ミスによる軽微な形式犯ではなく、裁判所は石川被告が「合理的な説明ができない」と供述した4億円の原資を問題にしたからだと指摘している。天の声認定である。つまり、小沢さんの錬金術とは自民党経世会以来のゼネコンによる政治資金の見返りに公共事業を発注する土建屋政治のビジネスで、裁判所はそこを踏み込んで重たい判決をだしたつーわけだ。

天の声について状況証拠の推察だけで認定していいものかっていう問題もあるが、小泉政権時代に公共事業費を3分の1にまで減らして天の声など有りうるのかまず疑問に思った。建設業自体が昔のような利益がでない構造になったのである。こうした構造改革をしたのが小泉政権で自民党経世会の国交省から自民党清和会の財務省へ利権を付け替えたのだ。さらに事件当時小沢さんは政権与党ではなく野党である。

以前、政治評論家の森田実は野党時代の小沢さんによる天の声について東北地方のゼネコンを取材し「小沢さんの影響はない」と言っている。それにそもそも天の声は発注元の首長に働きかけるものである。今回の有罪判決はやはり「小沢排除」の検察ストーリー追認だと言わざるえない。ではまた。


右脚の異常

2011-09-26 | weblog

ここ5日間右脚膝下に痺れが切れて麻痺したような感覚が続いた。

当然、歩行も困難で、突然襲った右脚の異常に不安を覚えた。

一体、何が原因なのだろうか、思い当たる節はない。

世の中、放射能汚染同様経験がない原因不明の事象ほど怖いものはない。

まず、右脚の異常を覚えた最初の日は様子を見ることにした。

ヘタにマッサージをするとひどくなる場合もある。

それに痛みというほどでもないから医者に診て貰っても説明できない。

翌日、ナマケモノ生活に起因する生活習慣病ではないかと考えた。

右足の筋力が衰えたのだからウォーキングがいい。

しかし痺れが切れた感覚だから歩行は無理だった。

翌々日、今度はヒンズースクワットで筋トレをしたが異常な感覚は治らない。

八方塞になり、不安が募るばかりだ。こういうときほど冷静に思考しなければならない。

4日目、右脚の異常を感じた前日のことを考えた。

いつも通りビールを飲んで寝ただけなのに。

で、閃いたのが、「ひょっとして単なる寝違えではないのか」

酔っ払って右脚膝下に圧が掛る変態的なポーズで寝たのが原因かもしれない。

そして2日間禁酒して正しく寝た。案の定、右脚の痺れが切れた感覚は軽減した。

酔っ払うと寝相が悪くなることが判明したのだからこれから注意すればよい。

あと、どんなポーズで寝たのだろうか、今度はそっちが気になった。

それから痺れが切れて麻痺した感覚は早漏防止薬トノスをチンコに塗った感覚に等しい。

つまりここ5日間右脚膝下がトノスチンコになっていたことも発見した。

人生とは摩訶不思議、なんともシビレるネタだった。ではまた。


食品移動の禁止

2011-09-25 | weblog

以下、前エントリーに続いて松田教授のツイート

国の暫定基準値である500Bq/Kgがどのような数値かも説明しないで基準を下回っているから安全とのアピールを始めたな。500Bq/KgはWHOが餓死を避けるために止むを得ず摂取可能な上限値。ドイツでは10Bq/Kgである。出荷するかどうかは勝手だが食うか喰わないかも勝手である。

500Bq/Kgの食品を3年間食べ続けたら成人の致死量に達します。子どもの被曝耐性は弱く平均100Bq/Kgの食物を3年食べたら半数は死にます。切羽詰まった状況なのです。子どもが学校に悪い評価を付けられる前に死んでしまうかも知れないのです。

おそらく国は内部被曝を個人責任にするため暫定基準値を引き下げないかも知れません。お子さんを守るためには相当の覚悟が必要です。周りの視線より命の方が軽いなどと考える人は少ないでしょう。国に暫定基準値の変更を求める間にも躯はむしばまれます。欠食児童万歳です!

本来は、全面核戦争前提での、3週間程度利用するための緊急基準ですからね。最長でも3ヶ月程度とされているのに、もう半年この基準というのは異常です。

古来より危機受容しない国民性です。 RT @Joha_woodcraft チェルノの時の経験が生きてませんね。旧ソ連'88暫定基準ではCs134+137で370~1850Bq/kg。それでも飲料水は18.5でした。結果どうなったかは言うまでもありません。

*

松田氏は政府にサジを投げていて、直接生産者に食品移動の禁止を訴えたワケです。ではまた。

*

原発事故を廻り政府は時間が経過すれば収まると考えている。時間の忘却を味方につけようとしている。ところが、放射能被害は時間が経過するごとに顕在化する。時間が被害者の敵となって襲いかかる。原発事故の忘却化と放射能被害の顕在化は、つまりは時間をめぐる闘いなんだな。


ヤクザより怖ろしい

2011-09-24 | weblog

原発から320kmの食品移動の禁止を

東北文教大学の松田浩平教授が国の「食料生産者の皆様へ」と題するメッセージを自身のFacebookアカウント上で発信した。

メッセージの中で松田教授は、現在のセシウムに係る暫定基準500ベクレル/kgについて、全面核戦争に陥った場合に餓死を避けるためにやむを得ず口にす る食物の汚染上限で、仮に500ベクレル/kgの食品を3年食べ続けたら致死量に達すると警告、流通しているものが、基準値ぎりぎりでないとしても、重複 内部被ばくを考慮すると、10年後に半数以上の国民が致死量以上に内部被ばくする可能性を指摘した。

対策として原発から少なくとも320km以内の食品移動の禁止を主張し、それと真逆の「食べて応援しよう」系の主張している人たちについて、「毒入りで10年後には死んでいるかも知れませんが、食べてくださいと言っているに等しい」との趣旨のメッセージも発信している。

*

松田浩平教授はツイッターで1年以上前からのフォロワー、EUの原発事情に精通している。

思い起こせば原発の危険性を1年以上前から度々ツイートしていた。

内部被ばくはヤクザより怖ろしい。ではまた。


ネオ暴力団

2011-09-22 | weblog

暴力団排除条例の完全施行で変質する暴力団組織

伊豆高原に山口組の高山清司若頭が所有する豪壮な別荘がある。

もっとも主の高山若頭が拘留中(病気治療のため現在は拘留の執行停止中)という状況もあって、今夏、その別荘はひっそりと静寂に包まれていたという。

当然のことながら警察サイドは、その別荘が高山若頭の所有する物件であることは把握しており、厳戒態勢を敷いているのが実情だ。

ところがその一方で近隣住民サイドが、この別荘に対して強い危機意識を持っているのかというと、どうやらそういうわけでもなさそうだ。

近隣住民の一人に話を聞いてみると、「ごくごく普通に近所つきあいをしている」とのこと。

しかし警察サイドとしては、そうした近隣住民の対応を苦々しく感じており、「暴力団に対して、気安く声を掛けないように」と指導しているのだという。もっとも警察サイドが、そうした指導を始めたのは、ここ最近のことだ。

やはりそうした動きが強まってきたのは、警察庁の安藤隆春長官が主導する「山口組壊滅作戦」が本格化したことを受けてのことだ。

この作戦の最大の特徴は、一般市民(カタギ)と暴力団を完全に分断し、暴力団の糧道を絶つところにあると見ていいだろう。東京都と沖縄県で10月1日に施行されることを受けて、全国47都道府県で出揃うことになる「暴力団排除条例」についても、そうしたセンテンスで見ると理解しやすいだろう。前述した高山若頭の別荘を巡る警察サイドの対応からもわかるように、「暴力団とは口もきいてはいけない」ということに他ならない。

そうした警察サイドの動きを受ける形で、山口組サイドは意識的に組織を公然部隊と非公然部隊の二つに分離し始めていると言っていいだろう。

ここで言う非公然部隊とは、これまでの企業舎弟とはまったく意味合いは異なる。単に経済活動の担い手としての役割が期待されているだけでなく、戦闘部隊をも保有しているのだ。

そしてその一方でこの非公然部隊は、山口組の組織上どこにも登場しないし、ましてや山口組と名乗ることもない。あくまで独立部隊として活動するのだ。そうした意味で言えば、「ネオ暴力団」と称することができるだろう。

もっとも警察サイドとしても、その「ネオ暴力団」の摘発には躍起となっているところだが、その全体像がなかなか掴み難くなっているだけに、実際の成果になかなか結びついていないのが実情のようだ。

(以上、須田慎一郎の政経コンフィデンシャルブログより)

なんたってヤクザネタは面白いったらありゃしない。

前エントリーリンクの暴力団からすれば「ネオ暴力団」とは暴力団の地下潜伏、マフィア化。

ではまた。

 


暇人生活

2011-09-20 | weblog

朝起きて寝るまで毎日暇な生活を送っている。

金銭トラブルが片付かない限りこれはどうしようもない。

暇人生活の基本はインターネットとビール。この2つは必須だ。

インターネットはツイッターとミクシィのアプリゲームがメイン。

でまあ、ネットサーフィンで以下のブログを見つけた。

暴力団

最強暴力団弘道会について記されている。面白かった。ではまた。


近況など

2011-09-17 | weblog

政治ネタのエントリーも飽きた。

で、久しぶりに暗黒国家フィリピン移住の近況など手短に。

さて、ビザの書き換えも終わり怠惰な日々を過ごしている、どころではない。

実は御馴染jet師範の予想通り、お金のトラブルがあって大変なのだ。

女房とは別居しているけど夫婦仲はまずまずかな。

その女房も明日日本へ出稼ぎに行くので、また一人になる。

でもまあ、関西弁を話す盟友ラリーのオッチャンがいるから安心だ。

金銭トラブルが片付いたら新しい計画をオッチャンと相談している。

女房とオッチャンがサポートしてくれるからそれほど落ち込むことはない。

ただストレスは溜まるけどね。これは仕方がない。酒を飲めばいい。

人生、前向きに生きることが大事であると実感した次第。

これからは気が向いたときにネタをアツプしよう、ではまた。


綱領なき政党

2011-09-15 | weblog

「民主党マニュフェストと小沢一郎」(EJ第3142号)

鳩山政権は「5原則」と「5策」を掲げて、政権を発足させています。そのうちの「5原則」を以下に示します。

―――――――――――――――――――――――――――――

【原則1】:官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ治家主導の政治へ

【原則2】:政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ

【原則3】:各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ

【原則4】:タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆の社会へ

【原則5】:中央集権から、地域主権へ

―――――――――――――――――――――――――――――

この5原則を見ると、その基本的部分は小沢一郎氏が自著『日本改造計画』(講談社刊)で主張していることを実現するプランになっています。といっても、小沢元代表の時代に作ったものであるから、自分たちはあずかりしらないといっている反小沢系の民主党議員がいるようですが、とんでもない話です。

マニュフェストは、当時の民主党の正規の意思決定機関を経て決定されたものであり、すべての民主党議員のマニュフェストであることは当然のことです。それを鳩山、菅両政権において、ロクに努力せず、実現不能のこととしてマニュフェストを葬り去ろうとしていることは国民に対する裏切りです。

この鳩山政権時のマニュフェストの骨格部分が小沢一郎氏がかねてから主張している理念と同じであるかどうかを以下に実証していきます。「5策」のうち「第1策」を以下に示します。

―――――――――――――――――――――――――――――

第1策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心 に政治主導で政策を立案、調整、決定する。

──鳩山政権構想マニュフェスト「5策」より

―――――――――――――――――――――――――――――

この「第1策」は、ほぼそのまま『日本改造計画』で述べられています。なお、現在の副大臣、政務官などの役職についても、小沢氏が自民党の小渕政権との連立(自自連立)のさい、提案し決められたものです。小沢氏は、英国の議会を例に引きながら、日本の議会のあり方を次のように説いています。

―――――――――――――――――――――――――――――

日本ではどういう形にするか。省庁ごとに2~3人の政務次官と4~6人の政務審議官ポストをつくり、与党議員を割り振るのがよい。その結果、閣僚を含めて与党議員のうち150~160人程度が政府に入る。政府ポストを与えられた与党議員は、各省庁の局ごとの分担なり、テーマごとの分担なりを決めて政策を勉強し、政策立案に参画する。省庁の政策方針を決定するときでも、政治家チームが、官僚の助言と協力を得ながら、最終的な責任を持つという形でリードする。これが本当の意味で「民」主体の政策決定であり民主主義の根幹をなすものだ。

──小沢一郎著『日本改造計画』/講談社

―――――――――――――――――――――――――――――

小沢氏は1993年にこの提案をしており、それが民主党のマニュフェストのベースになっていることは明らかです。しかし、当の民主党の議員──反小沢系だけでなく、小沢系の議員を含めて、どれほどの議員がこの本を読んでいるのでしょうか。

政治について発言する機会の多い政治評論家やコメンテーターそれに政治学者や改革派官僚と呼ばれる人たちの小沢氏に関するコメントを聞いたり見たりすると、どうやら彼らもこの本を読まずに発言しているとしか思われない人も多いのです。

つまり、小沢一郎像を完全に取り違えているのです。かつて田中角栄や金丸信が、数を頼んで政治の主導権を取り、不正な金を動かし、陰で政権を操ったようにきっと小沢もやっている──こう信じて疑わないようです。彼らは、それまで小沢氏の著作や政治的実績を十分に調べもせず、風評によって小沢氏を貶めているのです。しかし、メディアの中枢は小沢氏の力をよく知っていてその政治力を潰そうとしていることは確かです。

さて、マニュフェストの「第1策」についてですが、十分なかたちで実現されているかといえば、それは「ノー」です。なぜ、実現されないのでしょうか。それは、民主党議員の力不足、経験不足といわざるを得ないのです。

しかし、今までに一度も政権与党についたこともなく、政治的経験も少ないのですから、うまくいかないのは当然のことです。何しろ相手は明治維新以来続いている官僚機構なのです。これを崩すには相当強い政治的リーダーが必要なのです。民主党はそのリーダーをあろうことか、座敷牢に入れているのです。これは政治的謀略としか、いいようもないことです。

それではどうすればよかったのでしょうか。

鳩山内閣は「5原則」の2で、「政府と与党の一体化」を掲げています。しかし、これが十分にできていないのです。既に述べたことですが、小沢氏は次のようにいっているのです。

―――――――――――――――――――――――――――――

与党の重要ポストを内閣に取り込むことだが、日本では法案にいて内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議会運営の最高責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる。

──小沢一郎著の前掲書より

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幹事長を閣僚にする──このように小沢氏はいうのです。もし鳩山政権が小沢幹事長を閣僚にしていたら、きっとまだ鳩山政権は続いていたと思われます。しかし、当時の鳩山氏には小沢氏に権力が集中することを恐れて、幹事長にするのでさえ、迷うテイタラクだったのです。   

─── [日本の政治の現況/68]

小沢氏が幹事長が引き受けたいきさつ/平野貞夫氏

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2009年8月30日に歴史的な選挙結果が出たとき、鳩山氏の腹の中は、小沢氏に幹事長をお願いすることで固まっていた。ところが党内では、小沢氏の幹事長就任は好ましくないので、岡田幹事長を留任させるべきだという動きが起こった。鳩山氏は、すでに9月1日には小沢氏に会いたいとの意向を示していたが、その意向が意図的に小沢氏側に伝えられず、9月3日午後になつて鳩山氏自らがプレスに対して「今日小沢さんと会う」と伝え、ようやく会談が実現した。鳩山氏は岡田幹事長案に賛成しなかったので、鳩山氏の周辺は、「政権運営、政策協議に関わらない」という条件で小沢氏の幹事長就任を受け入れた。鳩山氏は、小沢氏に「選挙と国会運営をお願いします」という形で幹事長就任を要請した。小沢氏はこれを受け入れた。 これが事実経過だが、果たしてこのような考えで行う議院内閣制度というものがあるのだろうか。しかも、当初国会道営までも政府側でやるとの意見があったらしい。三権分立についての理解が欠如していると言わざるを得ない。

 ──平野貞夫著

『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊

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(以上、Electronic Journalより)

民主党に綱領はない。従って何をやりたいのかわからない。ではまた。


目玉人事

2011-09-13 | weblog

人事の目玉は内閣参与

野田総理は一連の人事を終え、災害被災地の視察から行動を開始した。13日からの臨時国会で所信表明演説を行い代表質問を受ける。人事の特徴は党が重く内閣が軽い。そして注目すべきは細川政権で総理首席秘書官を務めた成田憲彦氏を内閣参与に起用したことである。

党が重く内閣が軽い人事はかつての自民党時代を髣髴とさせる。また民主党は人事と絡めて政策決定の最高機関を内閣ではなく党に置いた。自民党が「これまでの民主党の主張と違う」と反発するのは当然である。

そもそも民主党は「党と内閣の一体化」を主張してきた。議院内閣制では与党の党首が内閣総理大臣に就任する。従って与党と内閣は一体であるはずなのに、昔の自民党には総理大臣が自分の方針を実現できない仕組みがあった。それが「事前審査制」である。

政府が法案を出す時、党の政策調査会や総務会の「事前審査」を受けなければならなかった。そこで反対に遭うと法案は修正されるか潰される。そのような形で実は官僚の作る法案を政治がコントロールしていた。正しい意味ではないが「ある種の政治主導」が存在していた。

すると官僚は大臣よりも党の実力者に接近する。そこに官僚と族議員の癒着が生まれ、大臣はお飾りで省益の代弁をさせられるだけであった。全体調整を行なう総理もただの飾りに過ぎなかった。それを変えようとしたのが小沢一郎氏である。

ところが「西松建設事件」で小沢氏が代表を退くと「党と内閣の一体化」はうやむやになった。代表から幹事長に退いた小沢氏に政策への関与は認められず、選挙担当という枠内に留め置かれた。そうした中で、大臣、副大臣、政務官の三役が「政治主導」を発揮しようとしても、非力さ故に官僚に取り込まれるか、官僚の協力を得られずに仕事を停滞させる状態になった。大臣は自民党時代と同じく省益の代弁者に過ぎなかった。

今回の人事は官僚を使いこなせない民主党の現状を変えようとしたのだろう。「党と内閣の一体化」をいったん引っ込め、自民党時代の「党高政低(党が政府より上位にある)」に持ち込み、党にベテランを配する事で官僚と対峙し、党が全体調整を図って未熟さをカバーしようとしているように見える。

閣僚としては震災復興に直接関係する国土交通、農林水産の両大臣が前田武志氏、鹿野道彦氏というベテラン、また復興担当、原発事故担当が平野達男氏、細野豪志氏の再任と震災復興には手堅い配置をした。だが「政低」を象徴するように他は「派閥均衡」と「滞貨一掃」の趣である。財務、外務の重要閣僚に軽量級を配するところなど、長期政権を構想したとは思えない人事である。

その中で注目されるのが内閣参与に起用された成田憲彦氏だ。成田氏は国会図書館の政治議会課長として、日本の選挙制度を中選挙区制から小選挙区制に代える90年代初頭の「政治改革」の中枢にいた。その結果、自民党が分裂し、小沢氏が細川政権を作った時、細川氏に請われて首席秘書官に就任した。つまり現在の小選挙区比例代表並立制は、小沢ー細川―成田連合が生み出したと言っても過言ではない。

細川元総理は退陣後、しばらく隠遁生活を送っていたが、去年の民主党代表選挙で政治の裏舞台に復活した。菅直人vs小沢一郎の一騎打ちの代表選で小沢氏を応援したのである。その細川氏が今回の代表選挙では野田氏と小沢氏を面会させ、成田氏を野田政権の参与に送り込んだ。成田氏は8月中旬から野田氏と小沢氏の連絡役をやっていたと報道された。それが事実なら小沢ー細川―成田連合が復活したと見る事も出来る。

成田氏の仕事は選挙制度の改革である。現在の小選挙区比例代表並立制は導入されて15年、政権交代が実現してから2年が経った。その過程で様々な政治課題が浮き彫りになった。特に深刻なのは「ねじれ」である。日本では政権交代のためには衆議院選挙に勝つだけでは駄目で、次の参議院選挙に勝たないと「ねじれ」で政権は何も出来なくなる。

ところが国民の投票行動は振り子のように揺れるのが普通である。連続勝利はなかなか難しい。そのために「ねじれ」が生まれてしまう。それを是正するには強すぎる参議院をなくして一院制にするか、参議院を残しても衆議院での再議決を三分の二から二分の一で出来るようにするかだが、問題はそのためには憲法改正が必要となる事だ。憲法改正となれば容易ではない。

そこで考えられるのが二大政党制よりも多党制を採用し、連立の組み合わせで政権を安定させるやり方である。それは小選挙区を残しながら比例の比重を高める事で可能になる。以前から書いているが、公明党が主張し始めた小選挙区比例代表連用制の採用である。実は公明党の主張の後にも成田氏がいるようだ。民主党がこの選挙制度を飲めば自公の連携に代わり民主党と公明党が連携する事になる。

問題はイギリス型の民主主義体制を実現しようとしてきた小沢一郎氏が、ドイツ型の選挙制度を受け入れるかどうかだ。しかし成田氏が8月中旬から野田氏と小沢氏の連絡役を務め、その上で内閣参与に就任した事はその可能性が高い事を示唆していると私は思う。そうであれば日本の政治はまた一つ新しい時代を迎える。

国民は「総理がころころ変わるのは困る」と現状を嘆いている。その原因を政治家の資質のように解説する向きもあるが、原因は資質ではなく制度である。日本国憲法に規定された衆議院と参議院の関係が否応なく「ねじれ」を生み、それが「総理の首をころころ変える」のである。

政権交代をしても総理の首がころころ変わらない仕組みを作る選挙制度改革は、1993年の政治改革を補強するものである。1993年の政治の主役が再び表舞台に出てきた事は、野田政権がそのために生み出されたのではないかと私には思わせるのである。

(以上、田中良昭の国会探検より)

なるほどねつー感じ。田中良昭氏は本物の政治ジャーナリスト。ではまた。


鉢呂経産相辞任

2011-09-11 | weblog

無念の経産相、辞任

鉢呂経産相が辞任した。

一連の発言が失言であることは否定しない。アホといわれても仕方ない。

しかし、残念だ。

鉢呂経産相は、野田総理の原子炉の新規立地はしない、耐用年数が来たものは確実に廃炉にするとの方針を着実に進めようとしていたし、それを実現するためのかなり大胆な人事を考えていた。

経産省内外の抜擢すべき人物の発掘を多方面に依頼していたし、ガンとよばれる幹部の異動も考えていたふしがある。

個人的にはかなり期待していただけに残念だ。

失言にはきちんと陳謝し、撤回する等の対応が必要だが、失言でやめさせるのではなく、誤った政策でやめさせるべきだ。失言した分を取り返すために死にものぐるいで働いて、正しい、推進するべき政策を進めるほうがプラスが大きい。

今回は、不思議なことに与党幹部からも後ろから鉄砲で撃つ発言があった。

なにか裏があったのだろうか。

東京新聞特報部、テレビ朝日の玉川さん、自由報道協会、正義を守るために出動せよ。

この国をどうするのか、政策議論をしようではないか。政治家が揚げ足取りばかりしていてどうするんだ。

(以上。河野太郎 ごまめの歯ぎしりより)

その通り、ではまた。


竹島問題

2011-09-10 | weblog

駐日米大使「韓国が独島関連で狂った行動をしないか心配」…ウィキリークス

日本の独島(ドクト、日本名・竹島)沖水域調査計画発表で韓日両国が対立した06年4月、当時のトーマス・シーファー駐日米国大使が独島問題と関連し、「(韓国が)狂った行動をしたり問題を起こしたりしないか懸念される」と韓国を侮蔑する発言をしていた事実が、ウィキリークスが2日に公開した公電で明らかになった。

日本の米国大使館が米国務省などに送った極秘(secret)公電によると、シーファー大使は06年4月20日、当時の谷内正太郎外務事務次官と面談した席で、独島問題について「日本は国際法の許容範囲内で権利行使をしている」と肩を持った。

半面、韓国に対しては「非合理的(irrational)に行動している」と述べた。特に「米国は韓国が狂った行動(do something crazy)をしたり重大な問題を引き起こしたりしないか憂慮している」と述べた。シーファー大使は「問題の平和的な解決のために双方が一歩ずつ譲歩する必要がある」と付け加えた。

シーファー大使の発言は、独島問題をめぐる韓国政府の対応方式を好ましく思っていない米国政府の意中が反映されたものとみられる。

玄葉外相「竹島は法的根拠なしに占拠・支配されている」

日本の新任外相が独島(ドクト、日本名・竹島)は不法的に韓国に占拠されているという政府の公式立場を明らかにした。

6日の朝日新聞によると、玄葉光一郎外相はインタビューで、独島とクリル列島(北方領土)について「法的根拠がないかたちで占拠・支配されている」と明らかにした。玄葉外相のこうした発言は、自民党政権当時から続いている独島に対する日本政府の公式立場。

北朝鮮との対話の可能性については「南北対話をしっかり見極める必要がある」と述べ、北朝鮮と韓国の協議の行方を見て日朝協議の時期を探るという立場を明らかにした。

(以上、中央日報より)

ウィキリークスは内部告発の公開公電。前原の売国行為もウィキリークスでバレた。

竹島問題については以下、孫崎享氏のツイッターよりまとめ。

竹島1:今勉強中。戦後日本の領土問題の基本はポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約。1945年7月連合国側は日本にポツダム宣言受諾を求め、領土で、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」、日本がこれを受諾。「吾等ノ決定スル島が何かが問題

竹島2:1946年1月連合軍最高司令部訓令は「日本と言ふ場合」の中で「日本の範囲から除かれる地域」として「(a)欝陵島、竹島、済州島」。ここでは竹島除外。しかし、サンフランシスコ講和条約では済州島、巨文島及び欝陵島を放棄し、竹島放棄の対象から排除。韓国竹島を入れるよう働きかけ

竹島3:これに対して51年ラスク長官発韓国大使宛書簡「独島(竹島)を放棄の中に含めるようとの韓国側要請に応ずることは出来ない。我々へ情報によれば独島は朝鮮の一部と扱われたことは一度もなく、1905年以降島根県隠岐島司の所管」。46年連合軍訓令を覆し竹島を日本領に。日本外交の勝利

竹島4:では今どうなっているか。米国に地名委員会。大統領令及び法律により設置。連邦として内外地名に責任を持つ。2008年7月ブッシュ、ライスが関与し、7月末竹島を韓国領と表記することに決定。これは極めて重大事件。。ポツダム宣言をみれば日本の島領有は「吾等(連合国)ノ決定スル島」

竹島5:連合国の中心は米国。従って米国が竹島の帰属をどう考えるか極めて重大。この時の日本側の反応:新聞は「町村官房長官は7月31日の記者会見で、“米政府の一機関のやることに、あれこれ過度に反応することはない”と述べ、直ちに米政府の記述の変更を求めたりせず、事態を静観する考え示す」

竹島6:報道小で注目されず。対米抗議なしはこの事実容認と一般に解釈される。最近の日本対米追随の真骨頂。韓国猛烈に働き掛け米を自分側に。日本は領土という国益にも沈黙。容認。対米追随だけの外交が如何に日本の国益を害したか。しかし国民誰も知らない。マスコミ沈黙。近時日本外交の劣化証明

*

ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約によって日本の領土は決定された。

竹島は51年ラスク長官発韓国大使宛書簡により「1905年以降島根県隠岐島司の所管」となる。

では何故、竹島が独島になったのか。

韓国はブッシュ政権時代に働きかけ、世界で最も権威ある地名委員会によって書き換えさせた。

ならば、地名委員会に抗議するのが筋だろう。玄葉が政府の公式見解を表明するだけでは外交でない。

外交によって解決できる竹島問題を次世代に継がせてはならない。対米追随外交は反国益だ。ではまた。


野田ブー

2011-09-08 | weblog

野田佳彦首相のあだ名は「野田ブー」「使い勝手よし彦くん」

野田佳彦新総理が誕生し、ネット上では「ダチョウ倶楽部の上島竜兵に似ている!」などと評判だが、民主党内では別の評価をされているようだ。173センチ、79キロという体型でタレント・高木ブーに似ていることから、党内での渾名は「野田ブー」。

昨年6月に財務相に就任してからは、「地元での日課の辻立ちをしなくなったためかさらに肥えてきた」(同僚議員)という。巨漢の歴代首相といえば100キロ超あった森喜朗氏が思い浮かぶが、いまやそれと遜色ない「重量級宰相」にならんとしているのは間違いない。

だが、「重量級」なのは体重だけだ。野田氏の政治的言動を紐解くと、むしろ“軽さ”ばかりが目立つ。野田氏は当選以来、「庶民派」を売りにしてきた。財務相になるまでの25年間、毎日、駅前演説を続けたのがセールスポイントだ。

しかし、政治家の実績は弁舌ではない。政治評論家の浅川博忠氏はこう断じる。

「政治家はどんな政策を打ち出し、国会運営など政策を通すのにどんな功績があったかの2つの面から判断される。野田氏から連想するのは国対委員長時代に偽メール事件(※)で党にダメージを与えたことくらい。政策面での実績はほとんどない」

ところが財務相になるや、いつの間にか「財政通」「政策通」と呼ばれるようになった。経済評論家の山崎元氏が語る。

「自分の政策があるわけではないから、官僚の意見通りに動く。官僚はそういう意のままになる政治家を『政策通』と宣伝して評価を高めてやるわけです」

菅直人・前首相が財務相だった頃に「空きカン」と命名した財務官僚が、野田氏をこう呼んでいるのをご存じだろうか。

「使い勝手よし彦くん」――。

野田氏は財務相就任前に、「天下りや無駄遣いのカラクリを残したまま消費税を上げても、砂漠に砂をまくのと同じ」と語っていた。それが急に増税派に転向したのも財務官僚の振り付けというわけだ。

ただ、本人は財政通と呼ばれるのが重荷だったのかもしれない。今年7月、党内の反対を押し切り消費税値上げ方針を決めた後の講演での一言が、それを物語る。

「たまたま財務相になったが、ホントは文科相になりたかったんです」

こんな人物が総理の椅子に座ってしまったのは「喜劇」というほかない。

※「偽メール事件」/2006年2月、民主党の永田寿康議員(当時)が国会でライブドア元社長・堀江貴文氏と武部勤・自民党幹事長の親族間でのスキャンダルを追及。代表だった前原誠司氏、国対委員長で永田氏と親しかった野田氏らが追及に前のめりになったが、根拠としたメールが偽物だったことが判明。全面謝罪に追い込まれ、永田氏は議員辞職、前原氏は代表を辞任、野田氏も国対委員長を辞任した。

※週刊ポスト2011年9月16・23日号

(以上、NEWSポストセブンより)

野田ブーか、面白い記事だった。ではまた。


前原憎し

2011-09-07 | weblog

菅前首相 投票前夜「野田を頼む」と呂律の回らない声で電話

第95代内閣総理大臣となった野田佳彦氏だが、民主党代表選は苦難の連続だった。いち早く代表選の出馬を表明した野田氏だったが、代表選の6日前(8月23日)に「出馬断念」の瀬戸際に立たされた。

その日、花斉会(野田グループ)の会合に集まったのは15人。支援をするはずだった前原誠司氏が出馬の意向を固めたため、凌雲会(前原グループ)の議員が一斉に去っていったからだ。必要な推薦人(20名)さえも足りない。それが野田氏の支持勢力のすべてだった。

野田氏は、松下政経塾の後輩である前原氏に頭を下げて支援を訴えたが、「勝てるんですか」と冷ややかに言い放たれて会談は決裂。

「オレは降りたくない」――選対に戻った野田氏は、陣営幹部に悔し涙を見せた。

だが、そんな野田氏に追い風が吹く。凌雲会に内紛が起きたのだ。

「玄葉(光一郎・前政調会長)さんは当選回数も松下政経塾でも前原さんと同期のライバル。前原氏が前言を翻して出馬したために、このままでは自分にチャンスが回ってこなくなると考え、“自分は当初の予定通りに行動する”と野田支持に転じた」(凌雲会議員)

これでようやく野田陣営にはなんとか出馬できる態勢が整った。

「若乃花と貴乃花のような切ない思いがある」――野田氏は前原氏への“近親憎悪”をそう表現した。そこに政策論争などなく、「予選で前原さんに勝つのが目的だった」(前出の花斉会議員)のだ。

「怨念の政治を超える」と掲げた野田氏だが、皮肉なことに窮地を救ったのは、「あの人が嫌い、この人が嫌い」という怨念だった。

まずは岡田克也・幹事長。本来、退陣する菅政権の執行部は代表選で「中立」の立場を取るのが政界の不文律だが、岡田氏は野田選対の顧問に就任した。政権運営失敗の連帯責任を負う立場だけに、反小沢陣営の候補が菅政権に距離を置いてきた前原氏に一本化されると、人事で干される可能性があったからだ。

代表から引きずり下ろされた菅直人氏も野田支援に回った。慰留を振り切って外相を辞任した前原氏と、その後見人で“菅降ろし”を仕掛けた仙谷由人氏の凌雲会陣営を破るため、菅氏は投票日前夜まで親しい中間派議員に電話を掛けまくった。

「夜の10時頃に、『野田を頼む。前原なんてダメだ。海江田には絶対勝たせるわけにはいかない』と呂律の回らない声でかかってきた。完全に酩酊しているようだった」(電話を受けた議員)

かくして“前原憎し”の菅-岡田-野田連合が完成したが、それでも野田氏の劣勢は変わらなかった。

だが、“敵失”が続く。海江田氏が「小沢氏の党員資格停止処分解除」に言及する大失態を犯したのだ。

「小沢さんは政治資金問題の決着は裁判ではっきりさせるつもりで、その前に処分を解除してほしいと望んでいるわけではない。ましてや代表選の争点にするなど愚の骨頂だ。その意図を理解しない海江田があんな発言をしたから、“処分解除のために海江田を応援している”と争点がずれた。これがバラバラだった野田、鹿野、前原各陣営の結束を強めた」(小沢側近議員)

こうして生まれた2~4位連合により、「無理」だと思われていた野田氏が、あれよあれよと首相の座に就くことになったというわけだ。が、この間に野田氏自らが能動的に動いた形跡は見当たらない。すべては政敵の自滅である。

※週刊ポスト2011年9月16・23日

(以上、エキサイトニュースより)

海江田のマヌケぶりが露呈、面白い記事だった。ではまた。


前原の正体

2011-09-06 | weblog

野田首相:小沢元代表と代表選告示2日前に会談

野田佳彦首相と民主党の小沢一郎元代表が、党代表選告示2日前の8月25日に東京都内で会談していたことが分かった。会談は細川護熙元首相が仲介し、同氏も同席した。関係者によると、小沢元代表は、将来の増税に関する野田首相の見解を尋ねたという。当時、元代表は代表選で支援する候補を決めておらず、首相の姿勢を見極める狙いがあったとみられる。元代表は会談翌日の26日に海江田万里前経済産業相を支援することを決めた。

細川氏は4日に放映されたテレビ朝日の番組で、「(野田首相から)具体的に『小沢さんと会いたい』という話があったし、小沢さんの方からもそういう話があった。2人ともちゃんと話したことがない、ということだったので私が立ち会って実現した。終わってからも、小沢さんの方からも『とても良かった』という話があった」と経緯を説明。会談は約40分間で、元代表は増税を掲げることが選挙戦に与える影響を懸念していたという。

(以上、毎日jpより)

野田首相は小沢さんのセカンドチョイス。ポイントは増税だった。

でもまあ海江田が首相ならなくてよかった。

wikileaks

上記の公電で、前原はルース大使に対して普天間問題で社民党党首や国民新党・下地氏を代案も示せぬとこきおろし、小沢一郎氏を「人によって言葉をころころと変える」旨と陥れた。

売国前原も首相ならなくてよかった。つーか、献金問題で議員辞職してほしい。

菅前首相を捜査へ…地検が告発状受理 市民の党側献金で規正法違反罪

米国は菅、前原の北朝鮮とのズブズブな関係を嫌ったのかな。ではまた。


自民党化する民主党

2011-09-05 | weblog

野田政権の船出 野党時代の批判どこへ 急速に進む「自民党化」

官邸に国家戦略会議を新設、政調の事前審査導入

野田佳彦首相は、経済財政政策を首相官邸で主導するために「国家戦略会議」(仮称)を新設する方針を固めた。現実には小泉純一郎元首相が重用した経済財政諮問会議の復活に等しい。首相は民主党政策調査会による法案の事前審査制度も導入する考えを示しており、民主党の「自民党化」は急速に進む。民主党はこれら旧来型の政策決定システムを徹底批判して政権交代を果たしただけに、首相は国会などで「総括」を求められることになる。(杉本康士)

国家戦略会議は、首相が議長を務め、古川元久経済財政・国家戦略担当相、安住淳財務相ら関係閣僚に加え、白川方明日銀総裁や米倉弘昌経団連会長、古賀伸明連合会長らが主要メンバーとなる。学識経験者らも参加する見通しだ。

日銀との連携強化

首相は同会議で、平成23年度第3次補正予算や24年度予算の編成、社会保障と税の一体改革の法案化、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の方針決定-などを主導していく考えのようだ。世界的金融危機が広がる中、政府・日銀の連携を示す意味合いもある。

背景には「政治主導」「脱官僚」を掲げた鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相が政権を統治できず、あらゆる政策に行き詰まったことへの反省があるようだ。

ただ、実態は小泉政権時代の経済財政諮問会議の看板を掛け替えたにすぎない。民主党はかつて経済財政諮問会議を「財務省主導」と批判し、政権交代後に廃止しただけに会議復活には与党からも異論が出る可能性がある。

また、首相は民主党の政調機能強化を掲げ、政策の事前審査制の導入を決めた。具体的には、政策調査会の下部組織「部門会議」が政策・法案を事前に協議し、党の了承がなければ政府は法案の閣議決定をできない仕組みとなる。

政調機能の強化により、与党に政府提出法案に対する連帯責任を負わせることができる上、政策に強い議員育成にもつながり、その意義は大きい。

マニフェストに矛盾

だが、実態は自民党政務調査会の仕組みとほとんど同じ。民主党は自民党政調を「族議員の温床」「業界との癒着を生む」と散々批判し、先の衆院選マニフェストで「内閣での政策決定の一元化」を掲げただけに批判は免れない。

前原誠司政調会長は「すべての政策が政調会長の事前承認になる。しっかり党内議論をしていきたい」(2日)と早くも首相を牽制(けんせい)しており、外交・安保を含め政府の重要政策に口を挟む公算が大きい。

安住財務相や鉢呂吉雄経済産業相、一川保夫防衛相ら主要閣僚に「軽量級」が並び、所管分野に精通した閣僚が少ないことも不安材料となる。官僚機構に強力なネットワークを持つ仙谷由人前官房副長官が政調会長代行に就任する見通しだけに「政策闇将軍」として君臨する可能性もある。

自民党の町村信孝元官房長官は4日の報道番組で「民主党は党の事前了承を権力の二重構造と批判してきた。本当に不可思議だ」とさっそく批判した。何人首相が交代しても過去の批判がブーメランのように戻ってくる構図は変わらないようだ。

(以上産経bizより)

「2万6千人の国家公務員OBが4700の法人に天下りしており、これらの天下り法人に年間12兆6千億円もの血税が流れている。このカラクリを壊さない限り、どんな予算を組んでも経済危機を乗り切れない」──政権交代前の野田佳彦氏の発言。ところが、財務相になると、増税派に転身した。それは財務事務次官の勝栄二郎が、官房長時代から野田を各方面にアピールしてきた。時に「やり過ぎ」の声も出るほど野田の力量を高く評価した。こうして野田は財務省に操られた。ではまた。