29日投開票された民主党代表選は、「当選圏外」(渡部恒三最高顧問)とさえ評された野田佳彦財務相が、党内最大勢力を擁する小沢一郎元代表の支援を受けた海江田万里経済産業相を決選投票で逆転して当選を果たした。基礎票で優位に立つ海江田陣営に対し、他の陣営は決選投票での逆転を目指して2位争いを展開。元代表側は当初、グループ内に代表候補を欠くため「2、3位連合」を画策していたが、結果的に「反小沢」の主流派と中間派が「2位以下連合」を結成して勝利した。元代表の戦略の破綻が鮮明に表れた。
「177票は立派な数字だが、負けは負けだ」。投開票終了後、小沢元代表はグループの選対会合で敗北を認めた。
党員資格停止中の元代表にとって、今回の代表選は復権に向けた正念場だった。しかし、グループ内に代表候補を欠いた元代表の戦略は二転三転。告示前日の26日に「消去法」で海江田氏支援を決めた。
小沢元代表の全面支援を受けた海江田氏は、民主党マニフェストの見直しに関する民主、自民、公明の3党合意見直しに言及。経産相として推進した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について「出馬をきっかけに慎重に対応する」と消極姿勢に転じるなど、「小沢かいらい」色をにじませ、党内に警戒感や「票のためにぶれた」と疑念が広がった。
野田氏は決選投票直前の演説で「さまざまなことをなす時に野党と向き合う。3党合意を無視して果たして国会は進むでしょうか、政権は立ち往生しないでしょうか」と語りかけ、海江田氏の「ぶれ」を印象づけた。
海江田氏は敗因について、記者団に「党内融和を目指したが、なかなか真意が十分に伝わらなかった」と分析した。
決選投票で増やした得票は野田氏が113票、海江田氏が34票。前原誠司前外相の票はほとんど野田票になったと見られ、1回目で52票を得た鹿野道彦農相陣営と「2、3、4位連合」を組んだことが、野田氏の38票差での勝利に寄与した。
背景には海江田陣営の鹿野氏支持者の引きはがし工作に「反感がすごく広がった」(陣営中堅)ことがある。鹿野氏が29日朝「3党合意は守らなきゃいけない。野党との信義にかかわる」と陣営で語ったことも野田氏への流れを強めた。
野田氏の勝因の一つは演説のうまさだ。「最後の演説で決める」議員が多い民主党代表選では重要な武器。落選時代に触れた野田氏の演説には小沢グループ若手でさえ「じーんときた。落ちそうになった」と語る。一時は推薦人確保も困難と見られた野田氏の1回目の得票が「102票」と読み上げられると会場はどよめいた。
一方、世論調査で高い支持を集め、当初は本命視された前原氏は支持が広がらず失速して74票にとどまった。演説では外国人献金や偽メール問題に触れ「皆様に支えられている存在だと忘れてしまった時期があるかもしれない。まず自分自身が古い皮を脱ぎ捨てる必要があると誰より自分が身にしみて分かっている」と語った。記者団に敗因を問われた前原氏は「3月に外相を辞任して、そのおわび、説明から入らなければいけなかったこと。私の不徳のいたすところだ」と話した。
馬淵澄夫前国土交通相は20人の推薦人確保に最後まで苦しみ、元代表の側近から協力の打診も受けた。告示前日の26日深夜にようやく確保したという。かつて野田グループに所属していた馬淵氏だが決選投票では海江田氏に投票。「増税すべきでないと掲げてきた私の政策に近い」と記者団に説明した。
小沢元代表は、今回の代表選で最初に主流派分断を狙い、主流派に近い藤井裕久元財務相に出馬を打診したが、藤井氏が固辞して断念。複数の候補を支援し決選投票で「2、3位連合」を成立させることを目指した。しかし、前原氏の突然の出馬表明で代表選の構図が一変。主流派分裂が確定し、元代表は独自候補擁立に走った。まず輿石東参院議員会長に打診したが、輿石氏も固辞。次は西岡武夫参院議長に依頼したが、連携する鳩山由紀夫前首相と輿石氏が「三権の長(議長)が別の長(首相)に行くのはいかがか」と反対したため断念し、海江田氏の支持に落ち着いた。しかし結局、裏目に出た。
(以上、毎日jpより)
野田215、海江田177で野田。戦略ミス、候補者がいなかったというより誰がでても同じ結果だろう、215は反小沢の数だから。それにしてもあの失態大臣海江田推薦は頂けなかった。
さて、そもそも菅直人が何故辞任したのかと言えば、小沢さんを党員資格停止して代わりに自公と3党合意、自公に首を差し出せと言われたからだ。3党合意を踏襲するといっている野田も同じような運命なるのではないか。自公がマニフェスト見直しを迫れば小鳩派は反発して、亀裂が生じ、党内融和は困難になる。
そのとき党を割るか、しかし裁判がある小沢さんは身動きでないから割らないだろう。ではまた。