11月12日 日曜日 曇雨
先日落としたオンボード用カメラの代わりをメルカリで購入。
10日申し込み12日午前届く。
パナソニックDMCーFP8 送料込み5,400円ポイント使用。丁寧な包装。
このカメラにこだわる理由
手袋をしていても電源ボタン、シャッターボタンが容易に押せます。
その上スリープ状態ではシャッターボタンを押すと起動して撮影可能。
引継ぎ式
オンボード用として十分。
ボケ防止にブログを続けることにしました。
チョットしんどいですがボケ防止。
終わり
11月12日 日曜日 曇雨
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その上スリープ状態ではシャッターボタンを押すと起動して撮影可能。
引継ぎ式
オンボード用として十分。
ボケ防止にブログを続けることにしました。
チョットしんどいですがボケ防止。
終わり
11月8日 水曜日 快晴
丹生川上神社上社を行けば、丹生川上神社の三社巡りは終わりです。
吉野山周りであちこちで止まりますので今回も、VOXで行きます。
(2-1)8:10発~k13~紀の川南道路川沿い道路~k39~k37・如意輪寺~奥の千本~(2-2)吉野大峯林道~丹生川上神社上社・道の駅 杉の湯川上~吉野川遊歩道・昼食~k39・吉野葛購入~太子町~~R26~17:10帰宅。
走行:221㎞。
(Google参照)コース:吉野から丹生川上神社上社
シーズンを外れていますのでガラガラ。上までゆっくり走ります。Uターン停車。
案内板があったので立ち寄り。車があまり通らないので駐車?できます。太閤秀吉が五千人の共を従えて花見の会を催した。と
どんなにきれいかを見に行きました。貧血気味で足元フラフラ。
「豊太閤花見塚」の石柱と杉の木が立っているだけ。重たい石を持ってこられた・・・ご苦労様!昭和58年5月建之(40年前)奇麗に磨いておられます。
歩いて2分程度の道。いい運動になりました。二度と来ません。
今度は歩かなくて直ぐ前。
小判井戸
小判井戸(文字お越し未校正)
こんこんと湧き出る清水があります。
延元の昔、後醍醐天皇が吉野の行宮で歌を詠みなるときの御料水になっと伝えられ、また、文禄三年 豊太閤秀吉が吉野山で花見のぎりには、茶の湯として用いられたという名水です。
今でこその道路の片ほとりに、 忘れ去られたような存在ですが、吉野山には、こんな所にも昔語りにゆかりの深い史跡が伝わっているのです。
吉野町観光課
小判井戸 水が溜まっていること、流れ出さないことが不思議です。
如意輪寺 菊祭りの旗を見て立ち寄りました。
奥の参道から境内へ
本堂 鈴緒がありません。
本堂を取り巻く祠
説明板
如意輪寺(文字お起こし未校正)
専横の北条幕府を倒し、建武中興を成しとげた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸以来四年間、吉野の行宮に過ごされました。
延元四年(一三三 九) 病床に就かれ「身は仮へ南山のに埋まるとも魂は常北 (京都)の天を望まん」と都をあこがれ、遂に崩御さ れました。
天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが、塔尾 陵です。
次帝後村上天皇の正平二年 (一三四七) 十二月楠木 正行公の一族郎党百四十三人が、四条畷(大阪府)の決戦(足利の武将高師直との戦)に向うにあたり、吉野の皇居に天 皇と今生の別れを告げ、先帝の御陵に参拝の後、如意輪堂に詣で髻(もとどり)を切って仏前に奉納、過去帳に姓名を記し最後正行公は、
鏃をもって御堂の扉に
かへらじとかねておもへば梓弓(あずさゆみ)
なきかずにいる名をぞとどむる
辞世の句を残して四条畷に向いましたが衆?敵せず、弟 正時と共に最期をとげました。
現在の建物は、約三百五十年前の再建で、正行公の歌を とどめた扉は寺宝として、宝物殿に保存されています。
吉野町
如意輪寺境内案内図
難切(なんきり)不動尊
大聖不動明王(だいしょうふどうみょうおう)お護摩によって、煩悩を焼き浄め、大厄を消除。家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願。
何でも来い!
「難切=なんきり」から転じ「ナンキン」をお供えするようになった。日本酒はありますが南瓜(かぼちゃ)はありませんでした。不動おみくじ。500円
谷側(k37の反対側)の山門 厄除けの菊玉。奇麗です。
門を出て見返し くぐって厄除け。
菊の展示
盆栽菊 値打ちがあるものです。ほかの菊も奇麗です。色、花びら、バランスがいいです。
寺務所
後醍醐天皇御陵殿
御陵殿
宮内庁の看板がありますので本物です。
階段を上がり境内を見返す。
さらに上がり・・・手すりがあるので何とか上がれます。
後醍醐天皇塔尾陵(とうのおのみささぎ~御陵名)
長慶天皇皇子 世泰親王墓(よやすしんのう)
奥の千本方向へ。 一方通行が解除されていますので近道で行きます。
金峯山寺が一番見れる場所 「覚範の首塚」
説明文
横川の覚範の首塚(文字お起こし未校正)
この辺の上下が上の千本で、俗に滝ざくらといわれている ところです。
花の盛りに下の方から見上げると、あたかも花 の滝がたぎり落ちるように望まれるので、こう名づけられ たものでしょう。
さて、この小さな丘が横川の覚範の首塚という伝承をもつ ています。
文治元年(一八五)十二月、兄頼朝の怒りに触れた源義経武蔵坊弁慶をはじめ、佐藤忠信、伊勢の三郎、常陸坊海尊、鷲尾の七郎、片岡の八郎といった一騎当千のつわものとと もに、愛妾静御前を連れて雪の吉野山に潜入し、吉水院(吉水神社)に身を隠していましたが、金峯山寺衆徒の味方を得ることができず、途中で静とも別れ、この上の子守の社水 分神社まで逃げのびてきましたが、豪僧横川の覚範が追い すがってきたので、家来の一人佐藤忠信が義経の身代りと なって、中院谷(首塚の後ろの谷)で戦い、この少し上の花矢倉から矢を浴びせ、覚範を討ち取りそのすきに義経一行を 落ちのびさせたのでした。
そして討たれた覚範の首を埋め ところが、この塚だといわれています。
このことは「義経記」という本にくわしく描かれていま す。
吉野町
金峯山寺と大淀町方面
金峯山寺 仁王門はまだ工事中(作業の屋根囲い)
いかつい顔の不動明王 不動明王はみんないかつい顔です。
閼伽井(あかい)というのは・・・・
井戸のことで 閼伽というのは 仏教では仏前に供養されるお水をさします。と
小判井戸と同じように見えます。同じ山でした。水汲み用のポンプがあります。
今回も写真の量が多く作成で疲れますので前半はここまで。
ボケ防止にやってますので・・・ボチボチ。
終わり
11月5日 日曜日 快晴
月曜日から寒くなるので連日ですがトライクで走りに行きました。
8:40発~k13~k120・峠、十一面観音茶湯所~R480~k13~恋野農免道路~R168~k137~k20・昼食・祠~R309・道の駅吉野路黒滝~丹生川上神社下社~R370・サボテン~15:00帰宅。
走行:173㎞。
(Google参照)行きのコース
久しぶりにk120を走って黒滝へ。
快晴。紀の川とフルーツラインが見えます。ミカンはこれから。
上へ上へ登っていきます。途中から道が極端に狭く急になります。
拡張工事で峠近くまで道が良くなっています。急な登りや急な曲がりがなくなっています。弘法大師の井戸があったと思いますが見過ごしました。
麻生津(おおづ)峠 十一面観音茶湯所 この茶湯所は変わっていません。
峠から見返し
真ん中の急登の道は神路原神社、飯盛山に通じています。ここは雪が降ります。
弘法大師作とハッキリ言い切っているところがすごい!
ここから人家はありません。
右に行っても神路原神社に行けます。ジムニーで行っています。
k4に出ました。
左折してR480に出て、k4は丹生都姫神社(にゅうつひめ)に行きます。交差点を左折してR480、k13から五條市のk137に向かいます。
k137 吉野三山の栃原岳。NHKのアンテナが目印。
11:23 k20 天誅組の土塁跡で昼食
祠があるので見に行きます。
祠から見返し
覆屋に本殿。
高野槇が差してあります。留め具を外して本尊を参拝。左隅にローソク、ライターの入った箱。
弘法大師?役行者? ちゃんと管理されています。
R309へ(前回写真を載せましたので省略。)
12:00 道の駅 吉野路黒滝 満車。コンニャクを買ったらさっさと帰ります。
コンニャク2本お持ち帰り。サクサクして本物のコンニャク。味覚障害ですが美味しい~。消費期限のラベル、本日中。
帰り道に丹生川上神社下社に久しぶりに寄りました。以前、馬はいなかったのですが。
丹生川上神社(文字お起こし未校正)
上社 吉野郡川上村迫
中社 吉野郡東吉野村小
下社 吉野郡下市町長谷
「絵馬」発祥の社
古く丹生川上神社には朝廷より
雨を祈り「黒馬」
晴れを祈り「白馬」が献上されました
この水神に対する信仰は時代の流れとともに京都 貴船神社に受け継がれてゆきます
都が遷り そのお祭りは室町時代に途絶えましたが平成二十三年に 国内で続けて起こった水に関わる災害の復興を祈り平成二十四年に
白馬献上のお祭りが?
復興しましたその後当社ご崇敬の方より神馬が奉納され境内で飼育をはじめ 現在 故事にならい 神馬献上の祭りは丹生川上神社三社で継承しています
人は神に雨を願い馬を奉る
人は神に願い馬を奉る
人は神に願い事を書き絵馬を奉納する
「うまくゆく白ちゃん 黒ちゃん守り」
初穂料一〇〇〇円
日本遺産?世界遺産ではありません。
日本最古の水神を祀る神社。 雨乞いには黒馬を、晴れを祈る時は、 白馬をこの社に献上したという。
絵馬発祥の神社としても有名で、森を育むために必要な水を祀った神社として崇敬された
丹生川 紅葉はまだでした。ここは、丹生川にある神社です。上社は吉野川、中社は高見川沿いにありますが丹生川上神社です。
見返し。紅葉もきれいですが、奉納のぼりもきれいです。道路が拡張されて歩道まであります。先のカーブは離合ができませんでした。
よく見ると「のぼり」に番号がありました。172番が最後でまだ「のぼり」を立てる筒が手すりに取り付けてあります。
150番の前が「1甲9」、「1甲8」?149番ではありません。
139番の次が「1甲0」140番ではありません。
「甲9」の次が50番です。
3番の次が「甲」で次が5ばんです。「4」は縁起が良くないので「甲」としているのでしょうか。
丹生川上神社下社 立派な鳥居になっています。
一段上がって拝殿、本殿。手水はコロナでありませんでした。
見返し
拝殿。先客があり終わるのを待つ間に周囲を回りました。
ちょうどいい光の当たり方。
左から
右から・・・まだ手を合わせて拝んでおられます。背中が映っています。
拝殿左側 御神木。
立札
襷(ケヤキ)に願いをこめて ( ケヤキには、リフレッシュ効果、消臭効果や抗菌性を持つ香りの成分も含んでいる)
昔から大木に神宿ると伝えられていますが、正にこの襷、神宿るに相応しい大木、樹齢五百 年(推定) 株回り、四、五メートル、樹高約三十メートル余、 大昔より涸れたことのない御神水の恩恵を受け四方に伸びた枝に繁る若葉は、神の恵みそのままに朝日に映えて神々しく輝き、秋の紅葉はさながら錦絵のようで、見る人のこころを捕ら えて離さない、今、心静かに大木の幹に手を触れて生気を頂きながら、何か一つだけ願いをかけてみよう、思わぬ御利益に預かることができるかも。
御神木 ここから入らないように注意書き。拝殿から本殿に通じています。
御神水(紙垂で囲っています。) 先客の方のお祈りが終わりました。拝殿へ。
拝殿奥に階段。本殿は見えません。
立札
皆様本日は、ようこそのご参詣有難うございます。
本殿に御拝礼をお済ませになった方は、拝殿の右手の方へお廻り下さい。
そこからご覧になると、拝殿から立ちあがるように伸びる急傾斜、七十五段の階段を上り詰めた所にある杉の大木、樹齢五百年(推定)幹周り、一本は五、五メー トル、一本は五、八ハメートル(実測)見上げれば梢は中天に届くかと思われるような大木に守られるようにして、総桧の流れ造り、屋根は銅板葺きで建坪七、三一坪、の荘厳御本殿を仰ぎ見ることのできる当神社で、一番厳かで心を癒してもらえる場所だと思います
是非一度、拝殿右側からご覧下さい。
拝殿右から。急登の階段~75段。
杉の大木。階段の屋根の端を切り込んでいます。
高いです。
本殿の塀と屋根がかろうじて見えます。
拝殿左側から。 本殿の銅板葺き屋根が見えます。
道路を隔てて祠があります。
忠魂碑がありますが名称などを記したものは見当たりません。
定番になりつつある恋野農免道路の表野八幡神社の高台。小休止。
R370 九度山駅下(バス停)にある大きなサボテン!柱サボテン?気が付きませんでした。高さ4m位。ど根性サボテン!!!
走るだけでは脳がありません。ゆっくり周りを見て楽しんで走ります。
今日も楽しいツーリングでした。
やはりトライクはちょっと乗っていて面白くありません。カーブが疲れました。
終わり
11月4日 土曜日 快晴
VOXで近場を走りました。20年前位に一度行った堀越癪観音(ほりこししゃくかんのん)へ。
山道ですのでVOXが丁度です。
11:15発~k63・風吹き峠~農免道路~k61~蔵王峠・葛城蔵王権現社~道~堀越癪観音~道~R480~農免道路~14:50帰宅。
走行:84㎞。
コース
12:05 道の駅紀の川万葉の里
賑やかです。
色々なテント。連休で人が一杯。デイキャンプの方が多い感じ。
k61 和泉山脈に向けて行きます。
醫王神社揺拝所
「醫王」とは仏が医者の王に例えられたもの。
見返し。私がいつもする様に、ここで参拝すれば行ったことになります。
横から
ガードレールまで行きます。
k61は大阪府の河内長野市滝畑に行きます。
ガードレールがだんだん近くなりました。柿畑!
串柿登場!
見返し。
ガードレールの所につきました。
紀の川が見えます。奥は高野山。
紅葉。
車と出会いません。
葛城蔵王権現社 赤い鳥居が続きます。VOXで境内まで行けそうなので行きます。
葛城蔵王権現社
かつらぎ町と河内長野市の境界にあたる蔵王峠に鎮座する古社。
参道には朱塗りの鳥居が連なる。
境内には、 修験道 の本尊である葛城蔵王権現のほか、 役行者、不動明王、理源 大師などを祭祀。
春の例大祭 (毎年4月18日)では、各地から修験者が集まり護摩供養などが行われる
新しい鳥居。奉納者名がありません。
歩いての方は階段で。
階段を上がって見返し
境内 私は脇道からVOXで到着。
境内 正面が拝殿。
拝殿、本殿を取り囲む大木。
拝殿
本殿
拝殿から見返し。VOXが寂しそうに待っています。
本殿右にある三社。右の石碑は、かつらぎ登山講創立記念碑。
狐(何もくわえていません。)さんがお守りしています。鏡が真新しくピカピカ映ります。
拝殿右から
拝殿左から
再興記
再興記(補正できないところがあります。)
当葛城蔵王瀧現社は今を去る約千三百年の昔役行者の修験の道を開いて大和葛城より巡錫この地に来り行場を閂かれた時に始まる役行者本名小角おくり名神変大菩薩 大和葛城山で修行更に吉野金峯山より大峯の峻後にいどみ難行苦行を重ねること数年ついに方行神仙の道を体得かって修行中 霊夢に化現された蔵王権現の尊像を刻んでこれを本尊にて蔵王堂にまつる 修験道はこの役行者を開祖と崇め神仏習合 山伏姿に身を固の六根清浄にして 護摩をたき 呪文を誦て祈祷を行い霊山に登り幽谷をわたり難行苦行を重ねて心身の限界に挑戦 その結果神巻験を体得することを本義とする
数ある修験道回行路の中ここ葛城道は葛城金剛の峯として西は友ヶ島宿より 北に亀尾宿(現在 柏原市内)に至る二十八宿 法華経二十八品の経巻を納めた経塚をめぐらせた 結界の浄土 海を渡り野を横切り峯を伝い谷をこえる延々たる難路である
その一角ここ葛城蔵王権現社の地は法華経二十八品中の第十四品 安楽行品を納めた所とかかつらぎ町大字大畑 小字蛇尾公番地 標高五九五メートル 紀伊と河内国境の要衝蔵王峠の東位置する 清流紀の川と眼下に遠く高野 吉野 大峯の聖地を眺め左の方は大和の山々 右の方は紀淡の海を遠望 四季折々の眺望はまことに絶佳という外ない 紀伊風土記には「境内周十四町森広くして社は小祠なり 雑樹繁茂して物凄 又「大畑勝楽寺境内には行者堂 護摩壇あり」と記し天保(一八三〇~四四)初期の当地の状況を伝える
当時境内には既に正保の昔(一六四四~四八)に奉納された役行者を刻た石像があり又文化時代(一八〇四~一八) 初期惜しくも焼失したが薬師如来をまつる五仏院東光寺もあった思うに江戸時代のこの地は 法螺が響き錫杖の音も軽く山伏達の往来するにぎやかな修験街道であった
然しながら明治の初 廃仏棄釈の風潮で修験道は廃止に追込まれてこの道と急速に衰微する 全く放置されたままでの明治大正昭和の敗戦を合せ八十年余の歳月 それは当社にとって 余りにも長く寂しい歳月であった
昭和二十一年三月村雲鶴姫両稲荷大明神が一村人の夢枕に現れ社殿再興の神託を告げたまいたまたま時を同じくして門阪信顕師ここに詣で余りに荒廃した神域を慨かれて心ひそかにいかに決意する所あり
これらを動機として広まった社殿再興の気運は次第にその輪を広げついに 大畑地区内外の氏子信者相集い寄せられた巨額の浄財により、境内は拡張され 宮柱と厳かに太敷き立ち 神城にふさわしい数々の施設什宝を整備 千余年の由緒ある社殿を ここに再興し一段と森厳に加えるいささか神慮を安んじ奉ること得たと思えば一同の慶びこれに過ぎず通さず ここに謹んで神々の御名を唱えいや長さ御加護を祈り奉る
祭神 葛城蔵王大権現 一言主大明神
丹生大明神 葛城王命
配祝 大日大聖不動明王
役行者神変大菩薩 聖宝理源大師
村雲・鶴姫両稲荷大明神
黑光·白長両大善神
福重・清姫両稲荷大明神
昭和六十三年四月吉日
かつらぎの蔵王のみねになりわたる
錫杖のこえとわの世までも
右 敬白
葛城蔵王権現社奉議会
役行者、不動明王、理源 大師
k61に戻るとすぐ蔵王峠 この先が大阪府。
突き当りを右に行くと河内長野市滝畑。左に行きます。
堀越癪観音(ほりこししゃくかんのん) 「癪(しゃく)」や「疝気(せんき)」ご利益。
葛城修験二十八宿行所の一つ。
本堂に祀られる本尊の十一 面観世音菩薩は、役行者が母の癪(疼痛を伴う内臓疾患の俗称) 病の際に祈願し、一刀三礼のもとに刻んだと伝わる秘仏。
護摩堂には役行者立像、堀越村観音堂には役行者坐像が祀 られ、毎年1月17日 初観音大祭と5月3日躑躅祭に御開帳される。
駐車場から見返し
役行者
本殿と大イチョウ
「癪(しゃく)」や「疝気(せんき)」ご利益。
撮影:2000年12月27日(23年前)さざんかの枝がまだ本堂のお后に軒先に届いていません。石垣に苔も蒸していません。(ヤマハロードスター1600ccで行きました。)
樹齢500年~600年と伝えられる「さざんかの老樹」は県の天然記念物。この坂を上がります。
坂を上がった所から
奥にある土壁の茅葺屋根の建物。
奥から見返し 大聖不動明王堂(だいしょうふどうみょうおうどう)
大聖不動明王堂 お護摩によって、皆様の煩悩を焼き浄め、大厄を消除。家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願
屋根の下の丸太が印象的。
串柿のすだれ。10個を串に差し10段で1セット。
これからが本番です。正月の鏡餅の飾り。
周辺の案内板
撮影:2000年12月27日(23年前) 案内板は道の反対側にありました。R480はまだトンネルが出来ていませんのでクネクネ道で京奈和道は開通していません。
R480高架下に出ました。左折。
右折して帰阪。
今日も楽しいツーリングでした。
神社めぐりが多くなっています。
ゆっくり各地の見どころを見て回ります。
終わり
11月3日 金曜日 文化の日 快晴
11月1日に蛇岩神社に行かなかったので行きました。
9:00発~R370~k19・紀美野町~町道~蛇岩神社~旧美里町立上神野小学校上ヶ井(あげい)分校~通行止め・Uターン~生石高原(先に作成済み。)~14:50帰宅。
走行:109㎞
k129への道 子ヤギさんが大きくなって小屋の上で日向ぼっこ。
蛇岩神社コース
下の道が旧R370から始まりまるk19。
いい道ができたのであまり車が通りません。昔はここを走りました。
大角(おおすみ)農免道路で普通はR370に出ます。
見返し 蛇岩神社の案内グリーン板
k19から分かれて集落へ
分岐点にもグリーン板
貴志川に流れる川
通行止めの道はk19の道路完成記念碑横に通じて、途中に上ヶ井(あげい)分校があります。帰りに行きます。
山並み
珍しく竹林
蛇岩神社参道入り口の駐車場
左側の道はk19に通じる道ですが通行止め。参道に上がります。
鳥居の脇に杖が置いてあります。杖を使うと楽です。単車でGO!
奉納の鳥居
2番目の鳥居は相当古く朽ち始めています。神明鳥居:笠木が直線丸太、下の貫(ぬき)は、角柱。
鳥居をくぐって見返し。車の轍があるのでUターンできそうです。
急登の先に境内が見えてきました。
山の中ですが大変奇麗に掃除がされています。
手水、拝殿、本殿とあります。本殿後ろに大岩。
手水は湧き水の様で、あるとき~?(出る時)うれしい~😍
ないとき~?(出ない時)がっかり😞
拝殿奥に本殿。
蛇の由来
伝説によれば昔諸国行脚の僧この坂を登りきた時黄金色の一匹の時が道に横たわっていた
僧は気にせず股ごえて行こうとすると蛇は急に鎌首をもたげ「僧の身で有り乍ら無作法だぞ」と怒りみるみるうちにおわびとなり遥か向うの山の光り松(今は無し)に 胴をかけ赤な炎を口よりはく物凄さには驚き深く非礼を侘び合掌黙したところ其の姿は消えての静けさ にかえっていた
僧は直に里人に謀り岩のある所から「蛇岩」 として祀り始められたと言われる
以来今日に至る迄一願成就霊験あらたかな神として知られるところであります
ちなみに僧は弘法大師と伝えられる
•蛇岩神秘奉贊会
白蛇
弘法大師と黄金の蛇
蛇岩
本殿
お供え物。蛇の好物タマゴとお酒。卵のパックに「ありがとうございました。」記載。賞味期限23.11.16.
祠
お稲荷さん。消費期限23.10.29。(本日11月3日)
奥から見返し
大蛇大神和歌山友之会
境内奥から
駐車場に祠がありました。坂の鳥居にはしんどいので行きません。名称の案内板はありませんでした。
祠から駐車場を見る。
止金具だけでしたので開けて参拝しました。烏龍茶にペットボトルの水、飴玉。
お賽銭があります。お賽銭ののぞき見はこれを最後にします。
戻る途中に通行止めになっているかを見に行きました。
見ただけで学校の建物。こんな山奥にも学校を建てたんですね。義務教育があるから今の日本がある。間違いない。
不登校?私の時代には聞いたことがありません。行きたくても行けない子がいましたが。私は、朝牛乳配達をしました。友達は朝夕新聞配達をしていました。
校庭は狭いですが、生徒も少なかったのでしょう。???山が校庭ですね。
通った人たちはこれを見ると懐かしいでしょう。私の学校は、建て替えて跡形もありません。
教室は物置。
本当に通れません。先日k19を走った時にあった崩落個所の様です。
見返し。
k19まで戻り生石高原に通じる道へ。
この道を上がると無人販売所のT字路に出てあがれば矢立峠から生石高原です。
左折して矢立峠、生石高原へ。
この日も改正で楽しいツーリングでした。
終わり