『崔成龍(チェ・ソンヨン) 拉北者家族の会代表のお話(通訳・西岡力氏)』
ありがとうございます。
私は韓国における拉致問題への関心が日本の10分の1でもあってくれれば、もう少し力を得る事が出来るのになぁと思っています。
1993年に初めて韓国政府が、北朝鮮の韓国国内に入ってきたスパイ・非転向長期囚を人道問題だといって北に送り返した時、リ・インモウと言う老人を一人北に送ったんですが。
その時実は私は、私の娘二人と妻と一緒に4人で板門店まで行きましてプラカードを持って、「なぜ非転向長期囚、つまりスパイを北に送り返すのに、うちの拉致されたお父さんは返してくれないのか?」というデモンストレーションをしました。
その時から私は色々北朝鮮の中にラインを使いながら、うちの父の生死を確認しなくちゃならないという作業を始めました。
その中で2000年の4月に韓国の拉致被害者が初めて自力で脱北しました。
その時私は秘密に中国へ行きまして、朝鮮日報の記者とSBSという放送の記者を二人連れて行って、自力で脱北した拉致被害者に会いに行って来たんです。
自分のお父さんに会うような気持ちでした。
ところがわが国・韓国政府は丁度2000年、太陽政策を金大中政権が始めたときでした。
自力で拉致被害者が逃げてきて救出を求めたのに、その救出を拒否したのです。
恥ずかしい話ではありますが、その拉致被害者が韓国のチンタオの領事に「私を韓国に帰らせてください」と頼んだ時に、「国に迷惑をかけるな」と「お前は韓国に税金を払った事があるのか?」と。
そのような事を私の目の前で話しているのを見て、大変私も興奮しました。
それで私とその朝鮮日報の記者とが秘密にその拉致被害者を北京まで連れて行きまして、北京の韓国大使館に行って、そして「この人を帰国させろ」と。
「そうしなければ、先ほど言ったチンタオでの領事とのやり取りを朝鮮日報に大きく書くぞ」と言って圧力をかけて、そしてやっと帰国する事ができたんです。
その拉致被害者の人の証言によって、非公開で秘密に70~80人くらいの拉致被害者の生死確認をいたしました。
その時韓国政府が公式に発表していた拉致被害者の数は454人でした。
その帰国した人の証言を元に追加で31人の認定が行われ、そしてまたもう一つ新しくキム・ドンシク牧師の拉致事件が起きたのでそれを会わせて32を足して、今486という認定数になっているわけです。
一人の人の脱出が成功した事によって韓国国民が拉致問題について大きな関心を持つようになり、また多くの情報を得る事が出来て、そのあと私はその情報を元に3人を脱出させ韓国まで帰国させました。
合計4人を助け出した事になります。
その結果ですね。
新しい拉致被害者についての情報を入手する事が出来て、約50人の韓国政府に認定されていない拉致被害者がいることが分かりまして、韓国政府に対しても証拠をつけて認定を要求しているわけですけども、まだ認定はされていませんが。
ですから大体合計530人くらいになるんではないか?と今は考えています。
我々拉致被害者の家族の悲しみは、もちろん家族が拉致されたと言う悲しさ・苦しみがあるわけですけれども、もう一つの悔しさは実はこの間、拉致被害者の家族が韓国政府に監視の下に置かれていたと言う事であります。
韓国政府は助け出す事ができる人がいるにも関らず、助け出そうという努力をしていないと言う状況であります。
ひとりでも助け出そうとしていないと。
しかし私たちの団体・家族会やあるいは市民団体などと協力しながら、自分達の力で何とか救出をしようと今努力している所であります。
実は今韓国政府は、金正日国防委員長の指示に従っているような状態であります。
先ほど言った非転向長期囚、ゲリラやスパイを金正日委員長の指示に従って北に送り返し、また今カン・ジョング教授の発言の問題などでも韓国政府は金正日委員長の指示に従って動いているような状況で、大変嘆かわしいと思っています。
日本の拉致問題の進展状況を見ている私たちの気持ち、特に日本の総理が平壌まで行って金正日に会って、無いと言っていた・でたらめだと言っていた日本人拉致を認めさせて5人を帰国させた。
そのような状況を見ている私たちの気持ちをご存知でしょうか?
韓国人拉致被害者の帰国や生死確認も金正日委員長が指示をして初めてできることなのに、その事の実現までにはまだまだたくさんの障害がある。
遠い将来の事ではないかと思っています。
私の母は今年の8月19日、父の生死確認さえ出来ていない状態の中で亡くなりました。
金正日委員長が小泉総理に会って、「なぜ家族が離れて過ごさなくちゃならないのか」と言って拉致被害者の家族を日本に送り返したのを見て、その言葉を聞いて。
わが同胞である金正日委員長が日本人に対してはそのような事をいうのに、韓国人拉致被害者の問題はなぜ解決できないのか?と。
実は北朝鮮はいまだに韓国人拉致被害者については、越北したと、自分で北に入ったと言う事を言い続けているわけですが。
私は5年前から北朝鮮のテロに遭うと、そのような警告を何回も受けてきました。
被害者の救出活動をしてきたからです。
そして今年の9月になって、公式に韓国の情報機関から韓国内でもテロに遭う危険があると言う通報を受けました。
韓国の市民団体や政治家の人が韓国政府に抗議してくれた結果、今は韓国国内で警察の警護を受けている状態です。
しかし私はここで皆さんに言いたいのです。
もしも私が北朝鮮のテロに遭って殺される事で韓国人拉致問題の解決に助けになるのならば、私は殺されたいと。
そのような気持ちでおります。
ありがとうございます。(拍手)
ありがとうございます。
私は韓国における拉致問題への関心が日本の10分の1でもあってくれれば、もう少し力を得る事が出来るのになぁと思っています。
1993年に初めて韓国政府が、北朝鮮の韓国国内に入ってきたスパイ・非転向長期囚を人道問題だといって北に送り返した時、リ・インモウと言う老人を一人北に送ったんですが。
その時実は私は、私の娘二人と妻と一緒に4人で板門店まで行きましてプラカードを持って、「なぜ非転向長期囚、つまりスパイを北に送り返すのに、うちの拉致されたお父さんは返してくれないのか?」というデモンストレーションをしました。
その時から私は色々北朝鮮の中にラインを使いながら、うちの父の生死を確認しなくちゃならないという作業を始めました。
その中で2000年の4月に韓国の拉致被害者が初めて自力で脱北しました。
その時私は秘密に中国へ行きまして、朝鮮日報の記者とSBSという放送の記者を二人連れて行って、自力で脱北した拉致被害者に会いに行って来たんです。
自分のお父さんに会うような気持ちでした。
ところがわが国・韓国政府は丁度2000年、太陽政策を金大中政権が始めたときでした。
自力で拉致被害者が逃げてきて救出を求めたのに、その救出を拒否したのです。
恥ずかしい話ではありますが、その拉致被害者が韓国のチンタオの領事に「私を韓国に帰らせてください」と頼んだ時に、「国に迷惑をかけるな」と「お前は韓国に税金を払った事があるのか?」と。
そのような事を私の目の前で話しているのを見て、大変私も興奮しました。
それで私とその朝鮮日報の記者とが秘密にその拉致被害者を北京まで連れて行きまして、北京の韓国大使館に行って、そして「この人を帰国させろ」と。
「そうしなければ、先ほど言ったチンタオでの領事とのやり取りを朝鮮日報に大きく書くぞ」と言って圧力をかけて、そしてやっと帰国する事ができたんです。
その拉致被害者の人の証言によって、非公開で秘密に70~80人くらいの拉致被害者の生死確認をいたしました。
その時韓国政府が公式に発表していた拉致被害者の数は454人でした。
その帰国した人の証言を元に追加で31人の認定が行われ、そしてまたもう一つ新しくキム・ドンシク牧師の拉致事件が起きたのでそれを会わせて32を足して、今486という認定数になっているわけです。
一人の人の脱出が成功した事によって韓国国民が拉致問題について大きな関心を持つようになり、また多くの情報を得る事が出来て、そのあと私はその情報を元に3人を脱出させ韓国まで帰国させました。
合計4人を助け出した事になります。
その結果ですね。
新しい拉致被害者についての情報を入手する事が出来て、約50人の韓国政府に認定されていない拉致被害者がいることが分かりまして、韓国政府に対しても証拠をつけて認定を要求しているわけですけども、まだ認定はされていませんが。
ですから大体合計530人くらいになるんではないか?と今は考えています。
我々拉致被害者の家族の悲しみは、もちろん家族が拉致されたと言う悲しさ・苦しみがあるわけですけれども、もう一つの悔しさは実はこの間、拉致被害者の家族が韓国政府に監視の下に置かれていたと言う事であります。
韓国政府は助け出す事ができる人がいるにも関らず、助け出そうという努力をしていないと言う状況であります。
ひとりでも助け出そうとしていないと。
しかし私たちの団体・家族会やあるいは市民団体などと協力しながら、自分達の力で何とか救出をしようと今努力している所であります。
実は今韓国政府は、金正日国防委員長の指示に従っているような状態であります。
先ほど言った非転向長期囚、ゲリラやスパイを金正日委員長の指示に従って北に送り返し、また今カン・ジョング教授の発言の問題などでも韓国政府は金正日委員長の指示に従って動いているような状況で、大変嘆かわしいと思っています。
日本の拉致問題の進展状況を見ている私たちの気持ち、特に日本の総理が平壌まで行って金正日に会って、無いと言っていた・でたらめだと言っていた日本人拉致を認めさせて5人を帰国させた。
そのような状況を見ている私たちの気持ちをご存知でしょうか?
韓国人拉致被害者の帰国や生死確認も金正日委員長が指示をして初めてできることなのに、その事の実現までにはまだまだたくさんの障害がある。
遠い将来の事ではないかと思っています。
私の母は今年の8月19日、父の生死確認さえ出来ていない状態の中で亡くなりました。
金正日委員長が小泉総理に会って、「なぜ家族が離れて過ごさなくちゃならないのか」と言って拉致被害者の家族を日本に送り返したのを見て、その言葉を聞いて。
わが同胞である金正日委員長が日本人に対してはそのような事をいうのに、韓国人拉致被害者の問題はなぜ解決できないのか?と。
実は北朝鮮はいまだに韓国人拉致被害者については、越北したと、自分で北に入ったと言う事を言い続けているわけですが。
私は5年前から北朝鮮のテロに遭うと、そのような警告を何回も受けてきました。
被害者の救出活動をしてきたからです。
そして今年の9月になって、公式に韓国の情報機関から韓国内でもテロに遭う危険があると言う通報を受けました。
韓国の市民団体や政治家の人が韓国政府に抗議してくれた結果、今は韓国国内で警察の警護を受けている状態です。
しかし私はここで皆さんに言いたいのです。
もしも私が北朝鮮のテロに遭って殺される事で韓国人拉致問題の解決に助けになるのならば、私は殺されたいと。
そのような気持ちでおります。
ありがとうございます。(拍手)