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「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ①」

2008-07-18 | やまつみの声さん投稿集
「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ①」

:やまつみの声 投稿日:2008年 4月15日(火)
【ポルポトの時代】
プノンペン市街地の中に、コンクリートの壁で囲まれた奇妙な静寂の空間がある。鉄筋コンクリート3階建てのビルが4つ。かつてここは学校だった。いま生徒たちの喚声は聞こえない。クメールルージュ(Khmer Rouge=ポルポト派=カンボジア共産党)はこの校舎を監獄として使った(原始共産制を目指す彼らは学校を廃止していた)。反革命分子を根絶するためのクメールルージュ直属の秘密機関、S-21が設置されたのである。ここで尋問・拷問を受け処刑された犠牲者は2万人。その中に2千人の子供も含まれる。赤ん坊は母親とまとめて処理された。

1979年1月にベトナム軍がここを開放したとき、尋問用ベッドに縛り付けられた14の遺体が残されていた。看守たちが逃げる際に皆殺しにした、最後の犠牲者たちだった。この収容所はいまトールスレーン虐殺博物館として保存されていて、逮捕時と処刑後に撮られた収容者たちの数千枚に及ぶ顔写真、拷問具などが並べてある。

当初の尋問には周囲の民家が使われたが、尋問官による女囚へのレイプが絶えないのでこの校舎を使うようにしたところ、処理の流れがスムーズになったという。看守には10~15歳の子供も加わった。ポルポトの洗脳教育を受けた子供たちは期待を上回る、恐るべき冷酷・残忍さを示したそうだ。「反革命」的言動をすれば自分の親でも容赦なく告発・処刑した。

拷問による自白で処刑が決まった囚人は、約15km離れた市の郊外までダンプトラックで運ばれて撲殺された。広い穴のふちの畝の上にひざまずき、頚椎に棍棒が振り下ろされると、囚人は前のめりに穴の中に転がり落ち、死体が積み重なっていった。同様な収容・処刑場は当時カンボジアのあちこちにあり、4年間のポルポト体制下における犠牲者は約200万人。当時の国民の約3分の1が殺されたことになる。

1988年にここに供養塔が建てられた。塔の内部に、掘り起こされた9千近い頭蓋骨が積み上げられている。後頭部が破損し穴の空いた頭蓋骨が目につく。その横に小さな折り紙が挟んであり、消えかけた日本の文字が「PEACE 平和を 祈ります」と読めた。

イデオロギーや宗教、民族の差を越えて、人間として自然に湧き上がるその気持ちを大切にしたい。タメにするコップの中の運動はウンザリだ。面子と意地の張り合いで中央銀行総裁の空席が続き、庶民生活を混乱させたまま暫定税率の議決すらできぬ日本。きっとカンボジアよりは平和なのだろうが、そろそろもう、新しい感性の世代に切り替わる時ではないか。

それにしても、残酷って何だろう。ライオンがシマウマを食べても残酷じゃない。人が自然の摂理を無視し、借り物の知識とアタマだけで行動するときにそれは生まれ、暴走を始めるように思う。



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