「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ③」
投稿者:やまつみの声 投稿日:2008年 4月15日(火)
【空想による連帯の限界】
1975年4月、ポルポトのプノンペン入城を日本のマスコミは当初、無邪気に歓迎した。米帝の敗北・撤退とインドシナの赤化統一は意にかなった展開だった。後に暴かれたポルポトの暴虐に衝撃は走ったが、「虐殺はあった」「なかった」の空論議は、連帯する相手を見失った日本の左翼たちのセクト主義を露呈させただけで、ウヤムヤになり、そのうちカンボジアはニュースからも消えて行った。人は、自分に不都合な、見たくないものは、見えないのだろう。
それから10年余りたってPKOが始まると、憲法解釈をめぐってふたたびこの国に“日が当たった”が、「日本としてカンボジアの国と民族にどう向き合うのか」について真剣に語られることは少なかった。
【正義とは何か】
人はその気になれば人を殺せる。「憎しみ」に「正義感」が加わると抵抗も薄れる。ナチスも日帝も人民解放軍もポルポトも、正義を唱えながら人を殺した。「他人の信条を尊重する」などと言うは易く実践は難しい。その昔、反戦平和集会に紛れ込んだ右翼の妨害にいきり立った「平和学生」が右翼を指差し「ぶっ殺せ!」と叫ぶのを見た。共通するのは自分の正義、正義感が人を殺すのである、カンボジアの虐殺現場の跡を見て、そう思う。
-ザ・レイプ・オブ・プノンペン-
ポルポトのオンカーたちは街中で美しい娘を見つけると政治犯に仕立て逮捕・監禁し、尋問で陵辱の限りを尽くしながら殺したという。女優なども狙われ次々と餌食にされていった。「いまのカンボジアに美人が少ないのはポルポトが食べ尽くしたからだ」と、笑えぬ小話を耳にした。平気で人を殺せるならそれも「戦利品」くらいの軽い意識だったのだろうか。ポルポトが崇めた毛沢東も(日本の過激派学生も)下半身はだらしが無かった。しかし、こういう一部のクズの存在を理由にその集団全体を否定しても意味が無い。ポルポト派構成員たちの多くは「真面目」な気持ちで蛮行を行ったのであり、その真面目さこそが、危険をはらんでいたのである。
-猜疑心の芽生えと粛清-
中国共産党の落とし子であるポルポト派の尋問・拷問の方法は(当然ながら)中国のやり方と似ている。中国革命の指導者たちが(少なくとも最初の頃は)人民の幸福の為に自分を棄てた崇高な思想の持ち主だったことは確かだろう。そして、壮大なビジョンを掲げ大衆を導いた毛沢東は間違いなく偉大な指導者だった。ダライ・ラマも最初は毛沢東の思想に共鳴し、「自分の仏教思想は資本主義よりも社会主義の世界観に近い」と述べている。
しかし、崇高な理念は独善的正義に陥り易く、その偏狭さから「猜疑心」が生まれ、猜疑はそのうち同志にも向かう。ポルポト派による犠牲者には多数のポルポト兵・幹部自身も含まれる。こういう同志の粛清は共産主義運動の特徴のひとつといえる。
【キリングフィールド in Tibet】
中国・人民解放軍による50年以上にわたるチベット弾圧の犠牲者は120万人、チベット人口の1/5にあたる。1989年のラサ蜂起を弾圧・平定して名を挙げたのが、いまの中国共産党総書記、胡錦濤主席(であることはここの皆さんは良くご存知と思うが)。チベットでは今もキリング・フィールドが続いている。
今回のチベット蜂起・弾圧事件を伝えるテレ朝の報道ステが、「いままで中国を批判するのは右翼でしたが、これではリベラル派までが中国非難の側に回ってしまいます、中国は慎重な対応を・・・」とコメントするのを聞いて、私は唖然とした。古舘の脳回路では右翼の反対がリベラルらしい。
リベラル(liberal)の原意は「自由・寛容」でありその反語は「専制・独裁(tyranny)」、左・右の区分とは軸が違う。左右どちらにも独裁体制は生まれ、右の雄ナチスや日帝の犠牲者よりも社会主義独裁による犠牲者のほうが桁違いに多いのは事実。それは、右よりも左のほうが「真面目」で「正義感」が強いゆえに「ネクラ」で「憎しみ」や「猜疑心」も増幅しやすいからだろうか。猜疑心、それは寛容とは反対の理念である。真面目さ、正義感、憎しみ、猜疑などの要素が直列に硬直してつながり、鎖国状態の「情報閉鎖」も加わった最悪のシナジー効果がポルポト体制内部に生まれたのではないか。
もしベトナム戦争でアメリカが勝っていればポルポトの悲劇もなかったろう。しかし冷戦構造の歪みは先送りされ、日本にキリング・フィールドが生まれていたかもしれない。ポルポト派を狂気集団たらしめたファクターを、日本の「リベラル・政治団体」もひととおり備えているのであるから。
【無謬、すなわち誤らぬ、ゆえに謝らぬ「正義」】
他民族と接して感じる違和感の一つが「謝らない」ということ。失敗しても言い訳ばっかり。謝る意味のコトバはあっても使わない。特にアラブ人やイスラエル人、インド人、中国人は極端で、連中から殴られたら、謝るどころか「殴られるな!」と文句言われるくらいの覚悟がいる。
だから、先日のハンドボール判定を巡る「中東の笛」も私は「連中らしいな」と思っただけで腹も立たない。我々とは住む森が違うのであり、森が違えば掟も違う、フェアが不要は社会にアンフェアの規制は無い。根本的に異質な倫理観(システム)の中で生きている連中が存在することを、私はかつてアラブ諸国との数年間の付き合いを通して、肌で学んだ。
英語の謝罪「apologize」の原義は「apo(相手から離れて)logy(話す)→相手の攻撃をかわすために話すこと」、つまり「言い訳をすること」であり、日本語の「謝る」とは発想が違う、逆だといってよい。“I’m sorry.”で心が痛む(=sorry)のは自分の側であり、“Excuse me.” も“Beg pardon..”も俺を許したまえ」とまず相手に命じるのである。スペイン語の“Me Disculpe (私を許せ)”も同様。
一方、日本語の「謝る」は「誤る」と同源、つまり「自分の間違いを認めること」が謝ることなのである。「詫びる」も「侘びる(=迷惑をかける)」が転化したもので、自分が相手に損害を与えたことを認めること。日本人の謝罪は、あちらで言う神への「懺悔(confession)」に近い。中国語の「ごめんなさい(対不起)」にも日本的謝罪の意味は薄い。
欧米・アラブ社会での謝罪は「賠償」が前提だから、神には懺悔しても人相手には謝罪しない(だって損するのイヤだもん)。しかるに日本では、謝ればまわりの仲間が「許す」、謝ったあとで所属社会への復帰が可能になるから謝る。つまり、自分が所属するムラ社会が神なのである。
前頭葉の発達しすぎた人間は観念なしには生きられぬ、そのために宗教も生まれた。“考えてしまう”人間の宿命だ。しかし、砂漠に生まれた一神・啓示宗教を否定して作られた唯物史観・共産主義を、アジアの森が育んだ多神・自然宗教の文化に組み入れたとき、「混ぜると危険」な、とんでもない毒が生れてしまうのではないか。
【北朝鮮よ、お前は「どちら側」なのか】
この二年間、東アジアをあちこち巡ってきた。そして思う。明らかに中国が異質である。その国家・国民のメンタリティが中東的なのだ(彼らが生んだ儒教はどこへ行った?)。
まるで、闇の奇胎のような巨大中華クラゲがユーラシア大陸の東部にベタッと張り付き、腐海の毒を撒きながらさらに周囲を侵食しようとする。この中華クラゲを囲む小国たちは一様に反中感情を秘め持つ。私の印象では、その強さは①モンゴル、②チベット、③ベトナム、④韓国(+北朝鮮?)、⑤ラオス、⑥台湾、⑦フィリピン、⑧日本の順で、特に①~③では憎悪に近い。それは中国の、遠い過去から今なお続く中華思想(覇権主義)への恐怖と憎しみである。(チベットを中国が手放さないのは、反中に囲まれた中華饅頭となって窒息しない気道確保のためか)
このように東アジアを中国と“環中国”諸国の二相でとらえた場合、朝鮮半島の境目は、38度線ではなく、中朝国境にあるように思える。そしてもしそうなら、北朝鮮への攻め方の視点も少し変える必要があるのかもしれない。ラオス、ベトナムはいずれも社会主義・共産党独裁国家だが、対中姿勢では明らかに「こちら側」である。中国の覇権・侵略を防ぎかつ受益において日本が中国に取って代わるなら、それを交換条件に締めれば、拉致被害者などは放出するのではないか、相手がベトナムならたぶんそうする。
(ところで「国境なき記者団」、こういう連中、私は好きだな。)
蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板より
http://8201.teacup.com/bluestars777/bbs
投稿者:やまつみの声 投稿日:2008年 4月15日(火)
【空想による連帯の限界】
1975年4月、ポルポトのプノンペン入城を日本のマスコミは当初、無邪気に歓迎した。米帝の敗北・撤退とインドシナの赤化統一は意にかなった展開だった。後に暴かれたポルポトの暴虐に衝撃は走ったが、「虐殺はあった」「なかった」の空論議は、連帯する相手を見失った日本の左翼たちのセクト主義を露呈させただけで、ウヤムヤになり、そのうちカンボジアはニュースからも消えて行った。人は、自分に不都合な、見たくないものは、見えないのだろう。
それから10年余りたってPKOが始まると、憲法解釈をめぐってふたたびこの国に“日が当たった”が、「日本としてカンボジアの国と民族にどう向き合うのか」について真剣に語られることは少なかった。
【正義とは何か】
人はその気になれば人を殺せる。「憎しみ」に「正義感」が加わると抵抗も薄れる。ナチスも日帝も人民解放軍もポルポトも、正義を唱えながら人を殺した。「他人の信条を尊重する」などと言うは易く実践は難しい。その昔、反戦平和集会に紛れ込んだ右翼の妨害にいきり立った「平和学生」が右翼を指差し「ぶっ殺せ!」と叫ぶのを見た。共通するのは自分の正義、正義感が人を殺すのである、カンボジアの虐殺現場の跡を見て、そう思う。
-ザ・レイプ・オブ・プノンペン-
ポルポトのオンカーたちは街中で美しい娘を見つけると政治犯に仕立て逮捕・監禁し、尋問で陵辱の限りを尽くしながら殺したという。女優なども狙われ次々と餌食にされていった。「いまのカンボジアに美人が少ないのはポルポトが食べ尽くしたからだ」と、笑えぬ小話を耳にした。平気で人を殺せるならそれも「戦利品」くらいの軽い意識だったのだろうか。ポルポトが崇めた毛沢東も(日本の過激派学生も)下半身はだらしが無かった。しかし、こういう一部のクズの存在を理由にその集団全体を否定しても意味が無い。ポルポト派構成員たちの多くは「真面目」な気持ちで蛮行を行ったのであり、その真面目さこそが、危険をはらんでいたのである。
-猜疑心の芽生えと粛清-
中国共産党の落とし子であるポルポト派の尋問・拷問の方法は(当然ながら)中国のやり方と似ている。中国革命の指導者たちが(少なくとも最初の頃は)人民の幸福の為に自分を棄てた崇高な思想の持ち主だったことは確かだろう。そして、壮大なビジョンを掲げ大衆を導いた毛沢東は間違いなく偉大な指導者だった。ダライ・ラマも最初は毛沢東の思想に共鳴し、「自分の仏教思想は資本主義よりも社会主義の世界観に近い」と述べている。
しかし、崇高な理念は独善的正義に陥り易く、その偏狭さから「猜疑心」が生まれ、猜疑はそのうち同志にも向かう。ポルポト派による犠牲者には多数のポルポト兵・幹部自身も含まれる。こういう同志の粛清は共産主義運動の特徴のひとつといえる。
【キリングフィールド in Tibet】
中国・人民解放軍による50年以上にわたるチベット弾圧の犠牲者は120万人、チベット人口の1/5にあたる。1989年のラサ蜂起を弾圧・平定して名を挙げたのが、いまの中国共産党総書記、胡錦濤主席(であることはここの皆さんは良くご存知と思うが)。チベットでは今もキリング・フィールドが続いている。
今回のチベット蜂起・弾圧事件を伝えるテレ朝の報道ステが、「いままで中国を批判するのは右翼でしたが、これではリベラル派までが中国非難の側に回ってしまいます、中国は慎重な対応を・・・」とコメントするのを聞いて、私は唖然とした。古舘の脳回路では右翼の反対がリベラルらしい。
リベラル(liberal)の原意は「自由・寛容」でありその反語は「専制・独裁(tyranny)」、左・右の区分とは軸が違う。左右どちらにも独裁体制は生まれ、右の雄ナチスや日帝の犠牲者よりも社会主義独裁による犠牲者のほうが桁違いに多いのは事実。それは、右よりも左のほうが「真面目」で「正義感」が強いゆえに「ネクラ」で「憎しみ」や「猜疑心」も増幅しやすいからだろうか。猜疑心、それは寛容とは反対の理念である。真面目さ、正義感、憎しみ、猜疑などの要素が直列に硬直してつながり、鎖国状態の「情報閉鎖」も加わった最悪のシナジー効果がポルポト体制内部に生まれたのではないか。
もしベトナム戦争でアメリカが勝っていればポルポトの悲劇もなかったろう。しかし冷戦構造の歪みは先送りされ、日本にキリング・フィールドが生まれていたかもしれない。ポルポト派を狂気集団たらしめたファクターを、日本の「リベラル・政治団体」もひととおり備えているのであるから。
【無謬、すなわち誤らぬ、ゆえに謝らぬ「正義」】
他民族と接して感じる違和感の一つが「謝らない」ということ。失敗しても言い訳ばっかり。謝る意味のコトバはあっても使わない。特にアラブ人やイスラエル人、インド人、中国人は極端で、連中から殴られたら、謝るどころか「殴られるな!」と文句言われるくらいの覚悟がいる。
だから、先日のハンドボール判定を巡る「中東の笛」も私は「連中らしいな」と思っただけで腹も立たない。我々とは住む森が違うのであり、森が違えば掟も違う、フェアが不要は社会にアンフェアの規制は無い。根本的に異質な倫理観(システム)の中で生きている連中が存在することを、私はかつてアラブ諸国との数年間の付き合いを通して、肌で学んだ。
英語の謝罪「apologize」の原義は「apo(相手から離れて)logy(話す)→相手の攻撃をかわすために話すこと」、つまり「言い訳をすること」であり、日本語の「謝る」とは発想が違う、逆だといってよい。“I’m sorry.”で心が痛む(=sorry)のは自分の側であり、“Excuse me.” も“Beg pardon..”も俺を許したまえ」とまず相手に命じるのである。スペイン語の“Me Disculpe (私を許せ)”も同様。
一方、日本語の「謝る」は「誤る」と同源、つまり「自分の間違いを認めること」が謝ることなのである。「詫びる」も「侘びる(=迷惑をかける)」が転化したもので、自分が相手に損害を与えたことを認めること。日本人の謝罪は、あちらで言う神への「懺悔(confession)」に近い。中国語の「ごめんなさい(対不起)」にも日本的謝罪の意味は薄い。
欧米・アラブ社会での謝罪は「賠償」が前提だから、神には懺悔しても人相手には謝罪しない(だって損するのイヤだもん)。しかるに日本では、謝ればまわりの仲間が「許す」、謝ったあとで所属社会への復帰が可能になるから謝る。つまり、自分が所属するムラ社会が神なのである。
前頭葉の発達しすぎた人間は観念なしには生きられぬ、そのために宗教も生まれた。“考えてしまう”人間の宿命だ。しかし、砂漠に生まれた一神・啓示宗教を否定して作られた唯物史観・共産主義を、アジアの森が育んだ多神・自然宗教の文化に組み入れたとき、「混ぜると危険」な、とんでもない毒が生れてしまうのではないか。
【北朝鮮よ、お前は「どちら側」なのか】
この二年間、東アジアをあちこち巡ってきた。そして思う。明らかに中国が異質である。その国家・国民のメンタリティが中東的なのだ(彼らが生んだ儒教はどこへ行った?)。
まるで、闇の奇胎のような巨大中華クラゲがユーラシア大陸の東部にベタッと張り付き、腐海の毒を撒きながらさらに周囲を侵食しようとする。この中華クラゲを囲む小国たちは一様に反中感情を秘め持つ。私の印象では、その強さは①モンゴル、②チベット、③ベトナム、④韓国(+北朝鮮?)、⑤ラオス、⑥台湾、⑦フィリピン、⑧日本の順で、特に①~③では憎悪に近い。それは中国の、遠い過去から今なお続く中華思想(覇権主義)への恐怖と憎しみである。(チベットを中国が手放さないのは、反中に囲まれた中華饅頭となって窒息しない気道確保のためか)
このように東アジアを中国と“環中国”諸国の二相でとらえた場合、朝鮮半島の境目は、38度線ではなく、中朝国境にあるように思える。そしてもしそうなら、北朝鮮への攻め方の視点も少し変える必要があるのかもしれない。ラオス、ベトナムはいずれも社会主義・共産党独裁国家だが、対中姿勢では明らかに「こちら側」である。中国の覇権・侵略を防ぎかつ受益において日本が中国に取って代わるなら、それを交換条件に締めれば、拉致被害者などは放出するのではないか、相手がベトナムならたぶんそうする。
(ところで「国境なき記者団」、こういう連中、私は好きだな。)
蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板より
http://8201.teacup.com/bluestars777/bbs