(座り込み後、いくつかのアメリカからのアクションをみて)
かつて私の子供が通っていたリマ市内の幼稚園の先生から興味深い話を聞いた。「他国から転入してきた子供でアメリカ人と日本人は対照的なのですぐに分かる、アメリカ人の子供は言葉が通じないのにお構いなしに英語のまま入り込み周りに話しかけリーダーシップをとりたがる、日本人の子供は言葉が通じないショックで隅に一人ぼっちでたたずんで涙ぐんでいる」と。大人社会も同じだなと私は思った。
拉致事件に対する今回のアメリカ人の助力には感謝したい。強く豊かで傲慢ゆえに敵も多いアメリカ国家だが、そこに住む国民の、他人の意見を真面目に聞き是々非々で判断する正義感と果敢な行動力は我々も素直に学ぶべきだろう。私が仕事を進める場合も北米連中相手だと仕事の道筋が明確で人間的性格も快活なのが多いから楽である(特に人間関係で気疲れしないのが助かる、アラブは付き合いは大変だが筋は通す、どっちもデタラメなのが中国・・・最悪である)。
アメリカ人の忌憚無い言動を、粗野・厚かましいと捉え、歴史の浅い新参国家が何言うか、と嫌うむきは少なくない。英国圏では米国製TV番組の影響で子供達の言葉に米式発音が混ざるのを露骨に嫌がっている年輩者がたくさん居たし、もともとイギリスに反感を持つフランス人はアメリカ的なものをさらに嫌いパリ・ディズニーランドも歴史あるパリ旧市街には作らせず設備はTDLより貧弱で現地人の人気も今一つ。あるアラブ人が「フランスでチーズ食べたら青カビはえてんのさ、フランス野郎ってなぁカビ食って気取ってんだぜ、ケケケッ」と馬鹿にしてた話をパリで紹介したら「カビチーズはワインといっしょにつまむものなの!酒の飲めねぇアラブが何ぬかす、おととい来やがれ」と反発した。フランス文化をけなすアラブ人、どちらもアメリカ的なものを嫌う。
単純な反米になれないのが中南米。地理・政治・経済的にアメリカ大国の庭でありいわば南北関係にある中南米国民はアメリカに対し反感と憧れのアンビバレントな感情を抱いている。アメリカ国家の横柄ぶりには反発しつつもその公正で豊かな国民社会に憧れ、マックもケンタッキーもピザハットも盛況で日本より早く6月に封切られたスターウォーズⅢは連日長蛇の列。英語教育も盛んで、金のあるペルー人は自分の子供をアメリカンスクールに入れたがるのが多い。先日出席した国際会合で私が当地の国語スペイン語で話しかけたら米語で答えたペルー人がいたっけ、しかも変に気取った口調でエーゴを話すのが鼻についた(この手の哀しい輩は日本人にもよくいる)。
フジモリはマイノリティー出身でありながら白人支配構造に楯突きアメリカまで敵に回したためアメリカによって独裁者のレッテルを貼られ事実上の国外追放になった。後任の世銀出身トレド現大統領はアメリカ傀儡でカミさんのエリアンカープはユダヤ系ベルギー人でイスラエル国籍も持ちトレド関係者にはユダヤ系が多く先週は麻薬密輸ユダヤ人を特赦したため騒動になっている。無為無策トレドの支持率は10%に落ち、訴追中のフジモリ人気の方が上回っている有様だが、昨年来の中国による資源買い漁りで原料国際価格が高騰している影響で資源立国ペルー経済も俄に潤い国民の不満は辛うじて抑えられている、が、北京オリンピック後に中国経済が破綻崩壊すればこの国の経済も崩れて1990年頃の狂乱インフレとテロに荒れる社会に戻る危険性を孕んでいる。
50~60年代のアジア・アフリカ植民地独立、90年代の東欧~中央アジア解放で国の数は増えたが、いまだに自国だけで自国を維持する能力のない、独り立ちできない国が、中南米に限らずたくさんある。国家安全保障については、残念ながら日本もそうである。軍事力も国家思想哲学もない戦後の日本の外交政策を進める上で、日本の経済・技術力の恩恵にずいぶんと預かりながら、企業の経済活動を“卑しいもの”と見下す空気が外務省内にはあり、パーティー外交ばかりで当てにならぬ日本の外務省に見切りを付けた通産省は自前の在外機関としてJETROを設置した。今の日本の実効性ある外交力は経済力だけだがその強大さは使い方次第で北朝鮮程度の小国を破綻させることも可能だ。しかし狡猾な中国はその日本の経済構造を自分の体内に取り込み意のままに差配するまでになり、自国の財界圧力を中国の手によって自分自身に向けられ身動きできない状態にあるのが、今の日本の姿ともいえる。
なぜ日本の国際問題対応能力はここまで劣化したのか。在外日本大使館主催の日本文化紹介イベントに顔を出したことがある、その日は茶道の紹介。日本の茶道の歴史について大使が英語で長々と説明している間退屈そうにしていた欧米人観客は、日本からやって来た高齢の爺さん師匠が和服で実演をはじめるとみんな色めき立ち覗き込み、終わったあとで質問攻めになった。この茶道師匠の爺さんはもちろん英語は全くダメで黙って作法どおりに行っただけだが、インパクトは大使の英語説明よりはるかに大きかった。国際化とは駅前留学に通うことではない。他人に媚びない、自分本来の価値観・哲学・文化・社会倫理がしっかりと確立していること、他人に語るべきものをもつことが、まず最低の条件だろう。
最近日本人もチーズを普通に食べているが私は今だチーズの何が美味いのか分からない。戦前派の私の父は決して食べない。「バタ臭い」の言葉が生まれたのと同じ頃におそらくチーズもバターと一緒に日本に入ってきたはずたが日本人の味覚には合わず根付かなかった。極めて好奇心旺盛な日本民族だが何でもかんでも無節操に取り入れてきたわけではない。日本人は自分の感性や価値観に合わぬものは異物として厳しく排除・峻別してきた・・・はずだが、ある時知人がフランスのカビだらけチーズを職場に持ってきてみんなに振る舞い「これはね、・・・」とウンチクを始めたので私はそそくさと退散した。毎年11月になると日本で意味不明の痴態が繰り返されるボージョレヌーボの馬鹿騒ぎなどを見ると(フランス人は高慢でクセが強くて食えない連中も多いが審美眼と味覚は確かにしっかりしていて、普段はスーパーで買った5~6ドルのワインで済ます-それでも十分に美味い-が年に一二度は三ツ星レストランで数百ドルのワインを飲みその味と価値の違いはしっかり認識していて味が気に入らなければソムリエにきっちりクレームを付ける、そこまで行くとホンモノだし嫌味は感じない。ボージョレヌーボーみたいな未完熟でジュース臭い赤ワインは体に悪いし、もともと新酒儀式用の酒で、ワインの奥深さを知っているフランス人はハナから相手にしないのだ)、日本人は戦後の自己喪失の過程で欧米ものならなんでもダボハゼみたいに跳びつく、自分の感性もプライドも無い卑屈な民族になりさがってしまったのか。民族の矜持に関する限り、私はアラブ人の誇り高き反欧米精神に私は共鳴する。
自立した先進国なら、あるいは後進国でも(アラブのように)誇りを持った民族なら、自国の問題にアメリカがしゃしゃり出てきてホッとするような、植民地・奴隷根性に近い卑屈な感覚は持たないだろう。北朝鮮拉致被害者を自らの手で取り戻せない限り、日本に国連安保理の常任理事国の資格は無い、隣国の政権によって暴力的にさらわれた自国民の安全も人権も守れず、数十年間ほったらかし、犯罪を渋々認め居直った加害国に抗議行動の一つも起こせない国の言うことなんか、“国際連合の安全保障理事会”では誰も聞かないって。
危機に直面し明治維新の改革をなしとげたのは、今の我々より遙かに情報が乏しく経済的に貧しくNOVAもTOEICも無い、しかし誇り高く崇高な民族自主独立の理念に燃えた、我々のほんの数世代前の祖先たちである(しかも20~30歳代)。その当時(少なくとも日露戦争まで)の日本人の行動と精神は今もアジア、アラブ、アフリカの多くの途上国が自国建設の範にしている。我々もここまで墜ちたら、もはや自分自身の過去に学ぶべきか。
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かつて私の子供が通っていたリマ市内の幼稚園の先生から興味深い話を聞いた。「他国から転入してきた子供でアメリカ人と日本人は対照的なのですぐに分かる、アメリカ人の子供は言葉が通じないのにお構いなしに英語のまま入り込み周りに話しかけリーダーシップをとりたがる、日本人の子供は言葉が通じないショックで隅に一人ぼっちでたたずんで涙ぐんでいる」と。大人社会も同じだなと私は思った。
拉致事件に対する今回のアメリカ人の助力には感謝したい。強く豊かで傲慢ゆえに敵も多いアメリカ国家だが、そこに住む国民の、他人の意見を真面目に聞き是々非々で判断する正義感と果敢な行動力は我々も素直に学ぶべきだろう。私が仕事を進める場合も北米連中相手だと仕事の道筋が明確で人間的性格も快活なのが多いから楽である(特に人間関係で気疲れしないのが助かる、アラブは付き合いは大変だが筋は通す、どっちもデタラメなのが中国・・・最悪である)。
アメリカ人の忌憚無い言動を、粗野・厚かましいと捉え、歴史の浅い新参国家が何言うか、と嫌うむきは少なくない。英国圏では米国製TV番組の影響で子供達の言葉に米式発音が混ざるのを露骨に嫌がっている年輩者がたくさん居たし、もともとイギリスに反感を持つフランス人はアメリカ的なものをさらに嫌いパリ・ディズニーランドも歴史あるパリ旧市街には作らせず設備はTDLより貧弱で現地人の人気も今一つ。あるアラブ人が「フランスでチーズ食べたら青カビはえてんのさ、フランス野郎ってなぁカビ食って気取ってんだぜ、ケケケッ」と馬鹿にしてた話をパリで紹介したら「カビチーズはワインといっしょにつまむものなの!酒の飲めねぇアラブが何ぬかす、おととい来やがれ」と反発した。フランス文化をけなすアラブ人、どちらもアメリカ的なものを嫌う。
単純な反米になれないのが中南米。地理・政治・経済的にアメリカ大国の庭でありいわば南北関係にある中南米国民はアメリカに対し反感と憧れのアンビバレントな感情を抱いている。アメリカ国家の横柄ぶりには反発しつつもその公正で豊かな国民社会に憧れ、マックもケンタッキーもピザハットも盛況で日本より早く6月に封切られたスターウォーズⅢは連日長蛇の列。英語教育も盛んで、金のあるペルー人は自分の子供をアメリカンスクールに入れたがるのが多い。先日出席した国際会合で私が当地の国語スペイン語で話しかけたら米語で答えたペルー人がいたっけ、しかも変に気取った口調でエーゴを話すのが鼻についた(この手の哀しい輩は日本人にもよくいる)。
フジモリはマイノリティー出身でありながら白人支配構造に楯突きアメリカまで敵に回したためアメリカによって独裁者のレッテルを貼られ事実上の国外追放になった。後任の世銀出身トレド現大統領はアメリカ傀儡でカミさんのエリアンカープはユダヤ系ベルギー人でイスラエル国籍も持ちトレド関係者にはユダヤ系が多く先週は麻薬密輸ユダヤ人を特赦したため騒動になっている。無為無策トレドの支持率は10%に落ち、訴追中のフジモリ人気の方が上回っている有様だが、昨年来の中国による資源買い漁りで原料国際価格が高騰している影響で資源立国ペルー経済も俄に潤い国民の不満は辛うじて抑えられている、が、北京オリンピック後に中国経済が破綻崩壊すればこの国の経済も崩れて1990年頃の狂乱インフレとテロに荒れる社会に戻る危険性を孕んでいる。
50~60年代のアジア・アフリカ植民地独立、90年代の東欧~中央アジア解放で国の数は増えたが、いまだに自国だけで自国を維持する能力のない、独り立ちできない国が、中南米に限らずたくさんある。国家安全保障については、残念ながら日本もそうである。軍事力も国家思想哲学もない戦後の日本の外交政策を進める上で、日本の経済・技術力の恩恵にずいぶんと預かりながら、企業の経済活動を“卑しいもの”と見下す空気が外務省内にはあり、パーティー外交ばかりで当てにならぬ日本の外務省に見切りを付けた通産省は自前の在外機関としてJETROを設置した。今の日本の実効性ある外交力は経済力だけだがその強大さは使い方次第で北朝鮮程度の小国を破綻させることも可能だ。しかし狡猾な中国はその日本の経済構造を自分の体内に取り込み意のままに差配するまでになり、自国の財界圧力を中国の手によって自分自身に向けられ身動きできない状態にあるのが、今の日本の姿ともいえる。
なぜ日本の国際問題対応能力はここまで劣化したのか。在外日本大使館主催の日本文化紹介イベントに顔を出したことがある、その日は茶道の紹介。日本の茶道の歴史について大使が英語で長々と説明している間退屈そうにしていた欧米人観客は、日本からやって来た高齢の爺さん師匠が和服で実演をはじめるとみんな色めき立ち覗き込み、終わったあとで質問攻めになった。この茶道師匠の爺さんはもちろん英語は全くダメで黙って作法どおりに行っただけだが、インパクトは大使の英語説明よりはるかに大きかった。国際化とは駅前留学に通うことではない。他人に媚びない、自分本来の価値観・哲学・文化・社会倫理がしっかりと確立していること、他人に語るべきものをもつことが、まず最低の条件だろう。
最近日本人もチーズを普通に食べているが私は今だチーズの何が美味いのか分からない。戦前派の私の父は決して食べない。「バタ臭い」の言葉が生まれたのと同じ頃におそらくチーズもバターと一緒に日本に入ってきたはずたが日本人の味覚には合わず根付かなかった。極めて好奇心旺盛な日本民族だが何でもかんでも無節操に取り入れてきたわけではない。日本人は自分の感性や価値観に合わぬものは異物として厳しく排除・峻別してきた・・・はずだが、ある時知人がフランスのカビだらけチーズを職場に持ってきてみんなに振る舞い「これはね、・・・」とウンチクを始めたので私はそそくさと退散した。毎年11月になると日本で意味不明の痴態が繰り返されるボージョレヌーボの馬鹿騒ぎなどを見ると(フランス人は高慢でクセが強くて食えない連中も多いが審美眼と味覚は確かにしっかりしていて、普段はスーパーで買った5~6ドルのワインで済ます-それでも十分に美味い-が年に一二度は三ツ星レストランで数百ドルのワインを飲みその味と価値の違いはしっかり認識していて味が気に入らなければソムリエにきっちりクレームを付ける、そこまで行くとホンモノだし嫌味は感じない。ボージョレヌーボーみたいな未完熟でジュース臭い赤ワインは体に悪いし、もともと新酒儀式用の酒で、ワインの奥深さを知っているフランス人はハナから相手にしないのだ)、日本人は戦後の自己喪失の過程で欧米ものならなんでもダボハゼみたいに跳びつく、自分の感性もプライドも無い卑屈な民族になりさがってしまったのか。民族の矜持に関する限り、私はアラブ人の誇り高き反欧米精神に私は共鳴する。
自立した先進国なら、あるいは後進国でも(アラブのように)誇りを持った民族なら、自国の問題にアメリカがしゃしゃり出てきてホッとするような、植民地・奴隷根性に近い卑屈な感覚は持たないだろう。北朝鮮拉致被害者を自らの手で取り戻せない限り、日本に国連安保理の常任理事国の資格は無い、隣国の政権によって暴力的にさらわれた自国民の安全も人権も守れず、数十年間ほったらかし、犯罪を渋々認め居直った加害国に抗議行動の一つも起こせない国の言うことなんか、“国際連合の安全保障理事会”では誰も聞かないって。
危機に直面し明治維新の改革をなしとげたのは、今の我々より遙かに情報が乏しく経済的に貧しくNOVAもTOEICも無い、しかし誇り高く崇高な民族自主独立の理念に燃えた、我々のほんの数世代前の祖先たちである(しかも20~30歳代)。その当時(少なくとも日露戦争まで)の日本人の行動と精神は今もアジア、アラブ、アフリカの多くの途上国が自国建設の範にしている。我々もここまで墜ちたら、もはや自分自身の過去に学ぶべきか。
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