きのう一日中降っていた雨が、今朝、止みました。
そして、そんな本日、やっと広島市内は桜の満開宣言がされました。
そこで、夕方、うちのすぐそばの元安川沿いにむすめを連れて散歩に出かけました。
今日は花の金曜日ですから、案の定、
うちのすぐ前の川沿いは、どこかの会社のお花見先発隊が、テントまで
張って準備中でした。テントの中には3名の女子社員、外の2人の男たちも
同じ会社のスタッフです。うちスーツ姿でないほうは、会社のお偉方のようで、
セッティングされたものをさり気にチェックしてました。
◇
うちの近所でこうですから、平和公園内はすごいだろうなぁと思い、
平和公園に向って歩き出すと、やがて、
牡蠣船広島が見えてきました。
ちょうど干潮の時で、しっかりと川底に乗っかるようにして停泊(?)していました。
大勢の人が一気に片方の窓に寄ると、大きく傾くんだろうなぁ、なんて
変なことをつい考えてしまいました。
先には牡蠣船かなわがあります。
今晩は夜桜を眺めながらの酒宴になるんでしょうねぇ。
ちょっと羨ましいです。
◇
さて、平和公園が見えてきました。おぉ~
ズラ~と元安川の両岸が満開です。
川の先に原爆ドームがあるのですが、見えますか。
不景気なご時世ですが、それなりに花見を楽しめるという幸せ。
平和のありがたさを感じてしまいますね。
◇
実は、むすめといっしょに冒頭のテントの写っている画像の場所を少し
通り過ぎたところで、むすめが急にある記念碑の前で立ち止りました。
これは興南寮といって、戦前の大東亜共栄圏の占領政策の一環として
行われた南方特別留学制度で広島大学の前身である広島文理科大と
広島高等師範学校に留学して来た東南アジアからの留学生達が
住んでいた寮の跡地の碑です。
もちろん、フィリピンからの留学生も住んでいました。
そして、8月6日に原爆によって建物は焼失してしました。
原爆直前には広島文理科大で9名の留学生が学んでいましたが、
うち4名の方が原爆の犠牲になったそうです。
◇
実は普段、通り過ぎるたびに気にかけてはいたのですが、
はっきりした場所は憶えてませんでした。
というのは、川の両岸にはいくつもの原爆関係の碑が点在して
いるので、混乱とまではいきませんが、記憶の取り違えをしやすいのです。
これで、今回しっかりと場所を憶えることができました。
◇
興南寮跡の碑の前には、いつも、生花が絶えず生けられています。
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長崎はもう散り始めています。
原爆は色んな方が犠牲になってますね…
でも、年々原爆犠牲者も高齢化…戦争を知らない子供達の時代に…
でも決して忘れてはいけないですね…平和な未来の為に…
長崎はやはり暖かいのですね。広島はまだ満開でない木もチラホラ見られます。
仕事柄、長崎でも広島でも被爆した方々の生のお話を聞くことが多いです。原爆の記憶は薄れてもいっても、身体への影響は65年経った今になって初めて新たな種類の後遺症が出て来る可能性もあるんですよね。いつまでも原爆の怖さは静かに続くものであることを伝えていかなければならないのかもしれません。
シルクロードブームのころ、西域に観光に出かけた旅行者の方々は、近隣で行われていた水爆実験の残留放射能量をかなりの量浴びてしまったようで、その後遺症が出て来ている可能性が高いとアメリカの研究者が警告しています。しかし、それに対してもっと敏感であっていい日本人があまり興味を持たないのは残念ですね。