今月末で私が勤務する診療所の所長が退職します。まだ40代の若い医師ですが、郷里・滋賀県にいるお父さんがご病気で、息子の帰郷を強く望んでいる、とのことで苦渋の選択で父親の元に帰る決意をした、というわけです。
きょう水曜日の午後は定例の休診日ということで、2時半から5時まで、診療所のデイケア室で全職員による送別会が行われました。手作りの料理と出前でとったお寿司と皿うどん、という質素なメニューでしたが、とても感動的な送別会でした。
ひとあたりお腹がふくらんだところで、順番にひとりひとり、先生への送る言葉を述べました。わずか1年間の赴任期間でしたが、それぞれの先生への思いはさまざまで、話しながら泣き出す職員が続出。ティッシュの箱を次の人に手渡しながらの発言となりました。
朝、だれよりも早く出勤し、玄関の鍵を開けていた先生、朝も夜も関係なく「日銭を稼がなくちゃ」と冗談を言いながら往診に飛び回った先生、患者さんの最後を看取ったときの思い出など、とくに先生と苦楽をともにした看護師たちの惜別の思いは先生にも当然伝わって、先生も涙、涙、でした。
実は、私の母の最期を病院で看取って下さったのもこの先生でした。私は感謝こそすれなんとも思っていなかったのに、力が及ばなかった、とその後しばらくの間、私に会うたびに「すみませんでした」と気にしておられたのです。
きょうの外来送迎バスの中では、先生が退職すると聞いて泣いている患者さんもいました。先生にお別れを言って泣いたら先生も涙ぐんでくれた、というばあちゃん。定刻になって出発しようとしたら看護師が大声で「ちょっと待ってぇ。もう1人乗せてあげて」というので待っていたら、やっと乗り込んできたばあちゃんは「先生とお別れの握手ばしとったと」。
こんなに患者さんからも職員からも慕われる医師が退職してしまうのは大きな損失です。送別会では、近い将来ぜひ戻ってきて欲しい、と言う声がしきりでした。
ある方の日記では、「課長の送別会が社員食堂で開かれた。会場が社員食堂、というところにその課長が嫌われていたことが証明されている」というような一文がありましたが、当診療所の所長の送別会の会場が所内のデイケア室 であったことは、所長がいかに慕われていたか、のあかしである、と思った次第です。
きょう水曜日の午後は定例の休診日ということで、2時半から5時まで、診療所のデイケア室で全職員による送別会が行われました。手作りの料理と出前でとったお寿司と皿うどん、という質素なメニューでしたが、とても感動的な送別会でした。
ひとあたりお腹がふくらんだところで、順番にひとりひとり、先生への送る言葉を述べました。わずか1年間の赴任期間でしたが、それぞれの先生への思いはさまざまで、話しながら泣き出す職員が続出。ティッシュの箱を次の人に手渡しながらの発言となりました。
朝、だれよりも早く出勤し、玄関の鍵を開けていた先生、朝も夜も関係なく「日銭を稼がなくちゃ」と冗談を言いながら往診に飛び回った先生、患者さんの最後を看取ったときの思い出など、とくに先生と苦楽をともにした看護師たちの惜別の思いは先生にも当然伝わって、先生も涙、涙、でした。
実は、私の母の最期を病院で看取って下さったのもこの先生でした。私は感謝こそすれなんとも思っていなかったのに、力が及ばなかった、とその後しばらくの間、私に会うたびに「すみませんでした」と気にしておられたのです。
きょうの外来送迎バスの中では、先生が退職すると聞いて泣いている患者さんもいました。先生にお別れを言って泣いたら先生も涙ぐんでくれた、というばあちゃん。定刻になって出発しようとしたら看護師が大声で「ちょっと待ってぇ。もう1人乗せてあげて」というので待っていたら、やっと乗り込んできたばあちゃんは「先生とお別れの握手ばしとったと」。
こんなに患者さんからも職員からも慕われる医師が退職してしまうのは大きな損失です。送別会では、近い将来ぜひ戻ってきて欲しい、と言う声がしきりでした。
ある方の日記では、「課長の送別会が社員食堂で開かれた。会場が社員食堂、というところにその課長が嫌われていたことが証明されている」というような一文がありましたが、当診療所の所長の送別会の会場が所内のデイケア室 であったことは、所長がいかに慕われていたか、のあかしである、と思った次第です。