橋下氏や石原氏などをはじめとする右派の政治家や、彼らの言動を擁護、あるいは免責する産経などの右派ジャーナリズムの発言を見ると、「右翼」というものはなんと下品なものか、と怒りと同時に失望を覚えます。
学生のころには、幕末の勤皇の志士、とか、尊王攘夷、という言葉や行動に共感したことがあります。二二六事件などの青年将校たちの事件も、詳しいことはよく知りませんがなんとなく共感していました。それは横暴で理不尽な軍部や幕府に対する真摯な若者たちの命がけの正義の闘いだ、ととらえていたからです。
現代の右翼的な立場の人たちの中にも真面目に、本気で日本の国家と国民の平和と安全を考えている人たちが大勢おられると思います。しかし、先に上げた人たちに示されるように、現実には日本の国や国民のことを考えているとは思えない、バカげた言動をする人たちが前面に出ています。彼らの言動は紛争の火種をつくりだし、国民の安心・安全をおびやかす、それこそ国益をそこねるものだと思います。結果的には財界やアメリカの利益を擁護し、国内の弱者に対しては生活保護バッシングのように攻撃をする、非人道的な言動に終始しているように思います。
また、ネトウヨとかとよばれる排他主義、国粋主義を旨とするような人たちはネット上や街頭で、ヘイトスピーチと呼ばれる聞くに堪えない極端な民族差別の言葉をあたりかまわず投げ散らかしています。2チャンネルとかの掲示板の多くはそのような人たちがうじゃうじゃいて、二言目には「チョンコウ」「在日」「半島」、などと民族蔑視の言葉を使って強がっています。
これらの常軌を逸した右翼的な風潮は世界各国からも眉をひそめられ、日本の国そのものが軽蔑される状況を作り出しています。まさに「愛国」とか「憂国」の看板が泣くもので、日本の国家の品位を著しくおとしめるものだ、と私は断言します。どの民族とも平和的に共存し、お年寄りも子どもも労働者も、日本のすべての国民の自由と権利が尊重され大事にされる。そんな国をめざすなら、天皇陛下万歳でも私はかまわない、とさえ思っています。もちろん、元首としてではなく、現憲法の定める象徴天皇として、ではありますが。
「右翼」には、排他主義=他民族蔑視、軍事優先、弱者攻撃、は欠かせない、というのであれば、それは世界から孤立して北朝鮮のような国家に向かうことを意味する、と考えます。
今日の1曲。驚異のアカペラグループ・ペンタトニックスで「音楽の進化」。素晴らしい、思わず絶句です。
Evolution of Music - Pentatonix