随分と昔、医学部で講義していたある日、「私は、26年後輩です」と学生が挨拶してくれた。私は、幻の先輩だったのだ。声をかけたその彼も今では50歳に近くなったが、その後に続くものはまだ現れない。留萌高校が甲子園に出たことも、昔話になった。その留萌高校が10数年ぶりに、北大会に進出した。甲子園の夢はまだ健在だった。
野球の応援に今はつきものになったプラスバンド。そのプラスバンドの周辺から、先輩の「宇宙戦艦ヤマト」の宮川泰、紅白のバンドの指揮を執っていたダン池田、後輩の「青春時代」の森田公一をはじめとする音楽家達が世に出た。大先輩に「黒沢映画の音楽監督」佐藤勝がいる。
不思議な縁かもしれないが、留萌高校の同級生の孫である伊藤有希が、南大会の始球式で投げた(写真)。伊藤有希の応援にソチに出かけた同級生が、振っていた旗には、多くの署名があった。私は、友人に代筆を頼んだ。思えば、留萌の漁師は、長年ニシンの群来(くき)を願っていた。
雪の降る日は、雪かきに追われても、テンションを落とさないように、夢のような話に盛り上がっていた。今、大挙して旭川のスタルヒン球場で声援している。前の日から泊まり込んでいるものもいる。私は、夢のタカノハを追って釣りに出かける、1回戦で天塩高校に8対5で敗れたが、後輩の精進に負けないように。
野球の応援に今はつきものになったプラスバンド。そのプラスバンドの周辺から、先輩の「宇宙戦艦ヤマト」の宮川泰、紅白のバンドの指揮を執っていたダン池田、後輩の「青春時代」の森田公一をはじめとする音楽家達が世に出た。大先輩に「黒沢映画の音楽監督」佐藤勝がいる。
不思議な縁かもしれないが、留萌高校の同級生の孫である伊藤有希が、南大会の始球式で投げた(写真)。伊藤有希の応援にソチに出かけた同級生が、振っていた旗には、多くの署名があった。私は、友人に代筆を頼んだ。思えば、留萌の漁師は、長年ニシンの群来(くき)を願っていた。
雪の降る日は、雪かきに追われても、テンションを落とさないように、夢のような話に盛り上がっていた。今、大挙して旭川のスタルヒン球場で声援している。前の日から泊まり込んでいるものもいる。私は、夢のタカノハを追って釣りに出かける、1回戦で天塩高校に8対5で敗れたが、後輩の精進に負けないように。