高校卒業してから59年。350数名の中で、10年の間に数回同期会を開催したことによって情報が方々の同期生から伝わって消息の掴めている同期生は、半数。案内状を郵送して連絡のついたのは141名。5通が住所不明で。戻ってきました。2名の家族から死亡の知らせが届きました。ひとりは、昨年の夏、難病を患い、心臓も弱っているので、皆の顔を見たくて来てみた、と受付している我々や、早めに到着した同期生の写真を撮って送ってくれました。今年1月に亡くなられました。無念だったと思います、合掌。スケッチ下は、留萌高校旧校舎。
都合136名から126名の出席や欠席の返事に加えてひと言の近況が記さられて送られてきました。出たくても、いろんな事情があって参加できない気持ちが伝わってくる欠席のハガキ達でした。写真は留萌高校の旧校舎、教員宿舎からみた職員玄関です。若い男の先生たちの部屋に押しかけた思い出が浮かんできます。
留萌の防波堤で暗くなるまで竹竿にテグスに浮きの仕様で一緒に小サバ釣りをして、家族に心配かけ叱られた中学の時の同級生も身体が不自由なので、出られないから、と留萌の名物を当時の同級生にお土産に持たせて呉れました。彼の想いのこもったおみやげは、二次会の皿に盛られて、参加者に留萌を想い起こさせてくれました。
毎年同期会を5年ほど、続けているうちに、進学コース、実業コース、商業コースの教室の違いや、苫前、力昼、鬼鹿、小平、三泊などの羽幌沿線からの通学者、大和田、藤山、幌糠、峠下、からの留萌線。それと、この12月に廃線となる留萌から、増毛の間からの通学区域の違いを超えてさんとか、君とか、ぎこちない、呼び方が、あだ名や呼び捨てに代わっておりました。ボナとかポナ、とあだ名で呼んで呉れた友は、ひとりは、透析の後に早々と黄泉の世界に旅経っていました。ひとりは不明です。来年は高校卒業60周年を祝う同期会になります。全員元気でいることを願っています。
都合136名から126名の出席や欠席の返事に加えてひと言の近況が記さられて送られてきました。出たくても、いろんな事情があって参加できない気持ちが伝わってくる欠席のハガキ達でした。写真は留萌高校の旧校舎、教員宿舎からみた職員玄関です。若い男の先生たちの部屋に押しかけた思い出が浮かんできます。
留萌の防波堤で暗くなるまで竹竿にテグスに浮きの仕様で一緒に小サバ釣りをして、家族に心配かけ叱られた中学の時の同級生も身体が不自由なので、出られないから、と留萌の名物を当時の同級生にお土産に持たせて呉れました。彼の想いのこもったおみやげは、二次会の皿に盛られて、参加者に留萌を想い起こさせてくれました。
毎年同期会を5年ほど、続けているうちに、進学コース、実業コース、商業コースの教室の違いや、苫前、力昼、鬼鹿、小平、三泊などの羽幌沿線からの通学者、大和田、藤山、幌糠、峠下、からの留萌線。それと、この12月に廃線となる留萌から、増毛の間からの通学区域の違いを超えてさんとか、君とか、ぎこちない、呼び方が、あだ名や呼び捨てに代わっておりました。ボナとかポナ、とあだ名で呼んで呉れた友は、ひとりは、透析の後に早々と黄泉の世界に旅経っていました。ひとりは不明です。来年は高校卒業60周年を祝う同期会になります。全員元気でいることを願っています。