大腸がん術後6ケ月後より、左前胸部の皮下ににポートという、抗がん剤を大量注入できる装置を埋め込んでリュックも担げないのに、熊石や黄金道路に遠征していました。そんな不自由な身体で、モイケシの高い堰堤を51オーバーのタカノハを揚げたものだと、今考えるとぞっとします。同行していただいたF谷さんのご助力のお蔭でした。
挿入後、1年経って、抜去するカテーテルの先が心臓の中心静脈にあるのをみて、よくぞ、無事にと、無茶をしていたわが身の無神経さを反省しておりました。その間も血液サラサラになるワーファリンを服用しておりましたので、出血事故を起こさなかったのは、運がよかった、と言えるでしょう。患者さんには、無茶しないでね、と注意しているのに、あきれたものです。
同じ外科の同じグループの先生方チームから、私の2ケ月前に同じ手術をされたK子先輩の歩む道が、後からついて行く私の道しるべでした。先輩が3ケ月ほど前に、無事通過したことを知らせて呉れました。今度は、私の番だと勇気が沸いてきました。
とは言っても、主治医から、検査データーを示されながら、説明を聞くまでは、重いものが肩にずっしりと残っておりました。腫瘍マーカーは、すべて、基準値以内で前回の値とほぼ同じ。CTで、転移や再発は見つからなかった。造影CTでも、異常所見なし。で年末に術後5年の大腸カメラ、CTの予約を済ませて帰宅しました。現金なもので、胸のつかえも取れ、昼間に、とんかつ定食を食べていました。肩も楽になりました。
挿入後、1年経って、抜去するカテーテルの先が心臓の中心静脈にあるのをみて、よくぞ、無事にと、無茶をしていたわが身の無神経さを反省しておりました。その間も血液サラサラになるワーファリンを服用しておりましたので、出血事故を起こさなかったのは、運がよかった、と言えるでしょう。患者さんには、無茶しないでね、と注意しているのに、あきれたものです。
同じ外科の同じグループの先生方チームから、私の2ケ月前に同じ手術をされたK子先輩の歩む道が、後からついて行く私の道しるべでした。先輩が3ケ月ほど前に、無事通過したことを知らせて呉れました。今度は、私の番だと勇気が沸いてきました。
とは言っても、主治医から、検査データーを示されながら、説明を聞くまでは、重いものが肩にずっしりと残っておりました。腫瘍マーカーは、すべて、基準値以内で前回の値とほぼ同じ。CTで、転移や再発は見つからなかった。造影CTでも、異常所見なし。で年末に術後5年の大腸カメラ、CTの予約を済ませて帰宅しました。現金なもので、胸のつかえも取れ、昼間に、とんかつ定食を食べていました。肩も楽になりました。