興味津々

日々思ったことを綴ります

中学時代の家庭科をやり直したい

2020年07月07日 | 65歳未満
不器用な私も本やらテレビやら最近ではネット情報で
料理は伝えられたようにいちおう出来る
ただし失敗も多いけど

中学の時の家庭科の先生は
名物先生だった
私は学習係の家庭科担当だったこともあり
次の授業は何をするのか聞きに行った覚えがある

聞きに行った私に
〇〇にしましょうか と相談風なことを
言われて戸惑った
一瞬 否定するような
嫌そうな反応をしてしまったのだと思う
それじゃ △△にしましょうかね…
って 言われてさらに戸惑った

反抗期 というのか
自分には価値がないと思い始めていたのも
小学校来の友人が離れて行ったのも
その頃で
学校は全体的に嫌いだった

じめじめした汚い廊下やら
トイレやら消毒液の匂いやら
誰も拾わないまま廊下に落ちていた生理ナプキン
埃だらけのロッカー室でひとりでお弁当を食べていたことやら
誰かがシューッとロッカーにするスプレーの人工的なレモン臭
履き始めたパンスト
自分の小さすぎる運動靴…  
ろくな思い出はない
この時代にキラキラした思い出がある同窓生が
本当に羨ましい

私は小学校からずっと体育はほぼ最低ライン
社会も全然出来なかった

その中で家庭科はそんなに嫌いではなかった
好き、というほどでもなかったけれど。

記憶によると中学の時にミシンで作ったのは
ブラウス、パジャマ、ワンピース。
生地は各自好きなものを用意することになっていた

ミシンも足踏み式が普通だったけれど
今はそんなミシンは骨董品。
今の家庭科は電気ミシンを使うのだろうか
それともミシンで作ったりなんかの授業はないのか

ぬいしろの始末
二度縫いピンキング、袋縫い、片倒しなんとか?? 
なんやら もう全然覚えてない

今から思えば、良く作れたな と思う

その頃はただ自分の引いた線の上をまっすぐ縫う
マチ針の上にミシンの針が落ちないように とか
いつもミシンの糸調子が良くない とか
そういうことばかり目がいって
全体像が掴めていなかった

普段着を自分で作りたい というのは
かねてからの夢であり
何度か挑戦もしたのだが、すぐに挫折した

簡単なパンツくらい作ってみたい
そう思って買ってきた既成の型紙は10年も押し入れで眠っていた

そうしてこの度、初めてできた
中学校以来の下手くそな ありものの生地で作った
チェックの短めストレートパンツ

チェックの柄が濃すぎて印が見にくかったので
いい加減なところ満載である

でもやれば出来るじゃん
もちろんよそに履いて出て行けるようなしろものでもなく
普段着なのではあるが

中学時代の家庭科、社会人になってからも教わりたい

そうして自分用のパジャマやらブラウスなんか作ってみたい
あの年配の先生はまだ元気でいらっしゃるのだろうか

実のところ欲の深い私は、本当は 新しい生地を買わないで
ほとんど着ることのない着物をリメイクしたいのである
コメント

私は電動です

2020年07月06日 | 65歳未満
私は中学になっても自転車に乗れなかった
中学の時、歴史研究か何かの班活動で
グループで自転車に乗って回ることになったのだが
私ひとり乗れなくて、誰かの後ろに乗せてもらうしかなかった
生まれつきなんだか、そういう運なのかはわからないが
そういう風な「何だかひとり遅れてます」という立場に
不思議といつも立ってしまう

父はほとんど家にいないし、母も私の自転車訓練に
さほどは付き合ってくれなかった
近所のお姉さんが通りかかった時、
見かねてか 後ろを押してくれた記憶がある

そういったものの上達には人より時間がかかる

そういう人間は時間をかけてマスターしていくしかない

なにごとも
根気よく時間をかければ必ず出来るものだ とは
思う が、実際
どんなに時間をかけても気持ちをかけても
テコの入れ方がわからず仕舞いで
やっぱり出来ないこともある というのは私の実感

自転車に関しては 乗れるようになったのだが
結局は結婚するまでさほど遠くには行けなかった

結婚してから夫はすぐに私に自転車を買ってくれた
結婚のご挨拶に知り合い巡りをするためである

赤い自転車がうれしかった
その自転車は、やがて子どもを乗せることになり
引っ越し後は、坂道に耐えられなくなって
電動を購入し、まだ使えるのに廃棄してしまった
これは少し申し訳ない思いが残っている

その電動自転車は私のスカートを巻き込んで
坂道で足にひどい擦り傷を作ってしまった
思い出の、そして愛着もあったラベンダー色のナショナル

で、買い替えたのが
こちらに戻ってからの今も乗っている電動。

この自転車に乗って出かけるのが
今は楽しみのひとつである

引っ越してから今までほとんど乗っていなかった夫は
新しい自転車を買った
電動ではない、普通のママチャリ。

夫が先に走る、私は電動で後ろからついていく
夫は生真面目にきっちり左を走り
曲がるときも直角に曲がる
そして曲がる方向にちゃんと手を挙げている

あ、左へまがるのね、とその合図で私はわかる

後ろから見ていると
以前より年をとったせいか、
腕を曲げてサドルを握っているように思う
だけど、元気良く前を走る夫は好ましいし
頼もしい こんな時は…

というか 本当は 私は嬉しくて仕方ない

考えてみれば、私は電動なのに
スイスイと同じスピードで走っている

今日は北野天満宮近くの昔の商店街に行ってみたけれど
開いている店はかなり数少なかった

古い家並み、細い道、神社にお寺
碁盤の目だから東西南北はだいたい分かる
分からないときは比叡山の方向が東である

中学時代に周りの子は楽しんでいたであろう
ご近所サイクリングを
私は今この時になって 満喫している

この話をすると 母は羨ましがった
昔読んだ「キューリー夫人伝記」に
同じような夫婦での自転車の話が出てきて
憧れたのだそうだ

さて お出かけの目標は
スイレンの鉢で飼う金魚

探し当てた金魚・熱帯魚屋さんは開いていた
迷った結果
メダカ5匹とエサを購入

珍しく2人で飼い始めた小さな生き物
ずっと生きていてね、と願ってます
コメント

マイナカード どうするのかな

2020年07月04日 | 65歳未満
ポイント還元制度の後押しで
タケノコのように〇〇ペイが出現した
スーパーもこぞってチャージの出来るカードを
発行するようになった

興味もあって私も「ペイ」出来るようにして
そのための新しいクレジットカードも作成した
現金を使うことはかなり減ったと思う
以前の銀行預金なら利息にあたる感覚なのだろうが
結構な小銭の額が知らない間に入っていて
少しうれしい

しかし、パート仕事でレジを打っていると
実際世の中は現金での買い物がまだまだ多い
と思う
夫も未だに頑固な現金派だ

自動釣銭機によって レジ業務は楽になったし
また正確になった
1万円札と5千円札を取り違える憂鬱から解放されて
私のような「すぐにテンパる店員」はずいぶん救われた

その代わりに 今度は電子マネーの種類の多さである
「スイカで」なんて
若い男性が吐き捨てるように早口でマスク越しで言ったって
聞こえやしない

は? 何ですか? と最低3回は聞き返したかな
プイッとされてしまった
もう慣れてるけど こっちは凹む

関西はだいたいにおいて「イコカ」です
「スイカ」って何だよ ふんっ
と心の中で逆切れしたりして

今度はマイナポイント。
マイナンバーカードは最近作ったから準備は出来ている
使用は9月からで今から予約できるという

どこにするのか イオンは近所にないからワオンは止めるか
あちこちやってるペイかな、やっぱり?

流行る私に
夫が言うには 一回だけ、しかも最大で5000円もらえるだけなんだよ
これわざわざやる? と相変わらず懐疑的。

5000円確保するには9月から12月までで2万円以上は使用するものを
選ばないと。

手続きのわずらわしさは差し置いても
それ以上のハードルは、マイナンバーパスワードの入力である

これって大丈夫なんかな と思ってしまう

何とかペイでも、確か一社失敗したとこあったじゃん

使えるようになるまでまだ数ヶ月ある
何も慌てることはない

その間に(実際は5000円という)人参につられる馬のように
現金払いをやめる人たちは増える…かも。
そして今度こそはマイナンバーカードも作るのか…も。
一石二鳥 それが作戦なのだ

9月になって使い始めて様子を見て
問題なさそうなら そろそろと登録しようかな
というのが今のところの結論である
コメント

30日は「水無月」の日でした

2020年07月01日 | 65歳未満


どこでも6月30日には売っていると思っていたのだが
同じ関西でも以前の住まい近くでは見つけるのに苦労した
同じ名前のスーパーでも見かける数は少なかった

こちらでは、当然のように
スーパーでも平積み 大量に販売

やっぱり30日にはこれを食べなくては

無病息災を願うのだから
コロナの時期にはなおさらです

この日に買おうと思っていた和菓子屋さんは
自転車通勤の通り道。
けれどあいにくの雨でバスに乗ってしまいました

だから、また スーパーです
ちょっと前に買った時は 夫と一緒で
少し高めを選んだけれど

同じスーパーで 今日はパンの「ヤマザキ」製
安い けど 悪くはない

和菓子があるから季節がわかる
この和菓子がないと ちょっとピンと来ない

こんな小さなことでも
帰ってきて良かった と思います
コメント