
スケートのはなし。
これは子供の頃の思い出であり、読んだからと言ってスケートが滑れるようになったり上達するような解説ものではない。昭和の昔話である。
下駄に包丁
子供の頃住んでいた上小鳥町の近くにはアイススケート・リンクがなかったので、スケートに興味はあっても滑ったことはなかった。その頃は今のようにテレビでスケート競技を中継することなどほとんどなく、正しい情報を得ることもできなかった。スケートについて親戚の大人が昔は包丁のような刃を下駄につけて滑ったとか、運動靴に鉄の棒を縄で巻きつけてスケート靴にしたなどという話をもっともらしくしているのを聞きそんなものかと思った。しかし、本物のスケート靴は革製のブーツにエッジのあるブレードをつけたものであることぐらいは知っていた。スケートへの興味はあったが、スケート靴はスポーツ用品店に飾られているものを遠くから眺めてそれで済ませていた。
ローラーゲーム
小学生の頃、「ローラーゲーム」というローラースケート競技のテレビ番組が流行した。ロスアンゼルス・サンダーバーズや東京ボンバーズというローラースケートを履いたチームがリンクを疾走し大活躍した。友達が簡易型のローラースケートを購入し得意げに見せびらかしてくれたので、こちらも対抗意識を燃やしさっそく親に頼み込んで誕生日とクリスマスのプレゼントを前借りしてローラースケートを買ってもらった。このローラースケートは運動靴につけて履くもので、ブーツにローラーがついた高価な本物ではなく、前後にふたつずつ四つの車輪がついた金属製の足型に運動靴をはめ、爪先と足首にあるベルトで留めて装着した。サイズ調節もできたので靴を取り替えても続けて使用することができる優れものだった。初めのうちは家の前のアスファルト道路でコソコソ遊んでいたが公道で遊ぶと叱られるので、近くの団地にあったコンクリートでできた自転車置き場に行くことにし毎日毎日遊んだ。毎日遊ぶものだから金属製のローラー(現在はアクリル製のようだが詳しくは知らない)がコンクリートを削ってしまい粉が舞い上がったし、滑る音もガラガラとうるさくて団地の住民がしばしば苦情を言いにきた。これにはいくら子供とはいえ社会道徳を踏まえる必要性を実感し、友達と相談してなるべく苦情の出ない駐輪場を探すことにした。安全性の観点から団地の敷地内にはあるが、建物から適度に離れておりあまり利用されておらず駐めてある自転車の数も少ないところ、またコンクリートの仕上がりがなめらかだと騒音も出にくいなどいくつかの条件を決めた。しばらくしてちょうど良い駐輪場を発見し再び遊びに明け暮れたが、その頃には自分の中のローラースケート熱も冷め始めており、ローラースケート遊びも小学校卒業と同時に幕を閉じた。
足くびクネクネ
ある日、高崎・前橋バイパス沿いの田圃の中(現・高崎市緑町辺り)にあったボーリング場が斜陽で閉店し温水プールに生まれ変わった。小学生の頃は休日早朝に家族でボーリング場へ出かけることを楽しみにしていたが、それにもちょうど飽きた頃だったので温水プールができたのは大歓迎だった。泳ぎが得意でもないのに喜んでプールに出かけた。ここでは、足ヒレをレンタルし水中眼鏡をつけて潜水することが許されており、さらに広いプールには長い滑り台まであった。そしてこの温水プールは冬になるとスケートセンターという名称でアイス・リンクに変身した。
かねてより興味のあったアイススケートである。これは行かねばならないと思い至るまで時間は掛からなかった。ローラースケートを滑ることができたので同じスケートなら氷の上でもうまく滑れるだろうとたかを括っていたが、そうは問屋が卸さない。まずスケート靴が足に馴染まない。アイス・リンクへと向かう通路ですら足首が横にくねくねと動きまともに歩くことすらできない。颯爽とリンクを滑る自分を想像していたがショックを受けた。慣れればなんとかなるだろうと思いアイス・リンクに立ってみた。リンクにはスケートの先にあるギザギザした部分を巧みに使い氷を蹴って進む小さな女の子やゆっくりと輪を描きながら滑る中年紳士、ブレードが少し湾曲したスケート靴を履いて細かく動き回る若い人、そしてリンクの外側を悠々とスピードを上げて走る人など、たくさんの人たちがスケートを楽しんでいた。だが自分はリンクの周りにある枠をつかみ、なんとか氷の上にはいるものの滑ることができない。自分の近くにも滑ることのできない人たちが同じように枠につかまっている。これは自分たちが借りたフィギュア用のスケート靴に問題があるのだと思い、受付に足首がくねくねしない靴はないかと確認に行った。が、自分でバランスをとるしかないと男性店員に説得され、納得いかなかったが靴に足を合わせることに従った。その日は残念ながらうまく滑ることができなかった。その後しばらくの間毎週のようにリンクに出かけた。

ハーフスピード
スケート靴がようやく足に馴染んだ頃、氷の上を走ったりキュッと停止したりできるところまで滑れるようになっていた。そろそろ借り物のフィギュアスケートではなく、自分のスケートが欲しくなっていた。スケートの種類にはいくつかあった。氷上でクルクル回ったり飛び上がったりして演技するフィギュアは難しそうで最初から諦めていた。ホッケーを履いた人たちの動きは実にかっこよかったが、やはり子供心には速度を上げて足をクロスさせながらリンクを滑るスピードスケートに憧れた。試しに履いてみたかったがスピードスケートはそのスケートセンターでは貸し出していなかった。その代わりにブレードが少し短くなったハーフスピードがありこれを借りて練習しながら購入を検討した。
結局、小回りもききスピードも出せるハーフスピードを買った。今度は自分の足にスケート靴を合わせる番である。自分のものという感覚は嬉しく、引き続きスケートセンターに通い靴に慣れていった。首にマフラーを巻き靴紐を繋ぎ合わせてスケート靴を肩から前後にかけてリンクに出かけるスタイルが流行っていたので試したがミーハー過ぎてやめた。冬が深まり榛名山にある湖が凍結するとスケート場になりバスに乗って滑りに行った。伊香保にもスケートリンクはあったが、天気の良い日に湖で滑るのは景色もよく面白かった。榛名富士を見ながらのスケートは楽しかったが、現在は薄い氷しかはらなくなり滑るのは無理のようだ。
花嫁は夜汽車に乗ってスケートへ
中学二年の冬のある日、中軽井沢にあった軽井沢スケートセンター(二〇〇九年閉鎖・現在は軽井沢千ヶ滝温泉)へKくんといっしょに行くことにした。そのスケートリンクはコクドの経営で、夜通し滑ることができるナイター営業をしており、若い人たちが東京方面からも遊びに来ていた。その頃、国鉄時代の信越線は高崎駅から軽井沢駅まで直通運行していて最寄りの北高崎駅からは各駅停車で一時間半ほどで行くことができた。それゆえわれわれは特にナイターでなければならない理由はなかったが、中学生としては夜中にスケートのために軽井沢へ行くというちょっと大人っぽいことをしてみたかったのである。
当時の若者といえば、東大闘争が終結したあとセクトの分派闘争やリンチ事件なども発生する殺伐とした時代の坩堝におり、感覚が若干ナイーブになりつつもカウンターカルチャーの波に乗りまだまだ行動的だった。ラジオの深夜放送が流行り若者文化が共有され若年層にも波及し、平日の宵の口に放送されていた「ヤングスタジオLOVE」(TBSラジオ)という公開生番組ではスタジオに中学生が多く詰めかけて「魔の十四歳」と呼ばれていた。そんな時代だったのである。
われわれは土曜日の夜中に北高崎駅に集合した。北高崎駅は北関東有数のターミナル駅・高崎駅と比べると小さな駅で夜になると人気(ひとけ)の無い寂しい駅だった。暗く静かなプラットフォームに佇み、闇の中から夜行列車が到着するのを待って乗車した。
車内は思いのほか客で埋まっており列車の連結部の乗車口近くにいることにした。しかしそこもすでに若い女性の二人組の先客がいた。なんとなく気恥ずかしい思いでいると、その二人はわれわれのスケート靴を見てどこに滑りに行くのかと話しかけてきた。軽井沢であることを告げると、彼女らは以前スケートセンターへ行ったことがあり広くていいところだと教えてくれた。それからなんとなく世間話をしていたが、ウブな中学生と若い女性の間で盛り上がる話題があるわけもなく会話は終了し、彼女たちは安中駅で降りて行った。それからしばらく黙って車窓から真っ暗な外の風景を眺めていると、はしだのりひことクライマックスが歌う『花嫁』が頭に浮かびヘビー・ローテーションした。(…花嫁は夜汽車に乗って嫁いでゆくの あの人の写真を胸に…)事情は全く異なっているにも関わらず、夜汽車に若い女性が乗っているだけでそんなフォークソングを連想してしまう簡単な脳の出来には困ったものだ。会話は続かなかったが、この時の列車での風景は後々まで頭に残った。
中軽井沢駅に着きバスに乗ろうと停車場に行ってみたが、こんな夜更けに運行している筈もなかった。スケートセンターまで寒さに堪えながら上り坂を必死に歩かなければならなかった。約三〇分後やっと辿り着き煌々と照明に浮かび上がったリンクを臨み、そこに流れる明るい音楽を聞いてホッと一息ついた。さあこれから思う存分滑るぞと気合を入れてみたが、その頃には疲れと眠気で頭がぼーっとしておりスケートどころではなかった。
[花嫁] (はしだのりひことクライマックス)
(おしまい)