今日は 『父の日』 ですネ。残念ながら私には、プレゼントを贈る父も義父もこの世にはいません・・・
59歳で亡くなった義父は去年、無事に17回忌の法要を済ませました。
77歳で亡くなった父は、早いもので来年7回忌を迎えます。
昭和5年生れの父は生きていたら今年・・・82歳です。
父親の事を書き出すと、止まらなくなります。今後もたまに父の話は出ると思いますが、その節は宜しくお願いします。
さて、今日は 『父の日』 という事で、あまり湿っぽくならずサラ~と書き進めましょうネ
お酒が大好きで大好きで・・・ 塩を舐めながら飲むタイプの正真正銘の酒飲み
そのせいか若い頃から身体が弱くてね~ 幾度となく入退院を繰り返していた父でした。
今まで付いた病名は数知れず まさに 『病気のアパート』 との異名を取るほどです。
子供心に 『オトンの本当の家は病院なのでは?』 と思ったくらい長期間、入院生活を送っていた事もあります。
とにかく、子煩悩な父でした!
私、何歳なんでしょう?近所の公園かな~?記憶に無いけど大好きな写真なんですよ。
「我慢!我慢!オトンは病気なんだから、我慢します!」
私が10歳の時、 「こんにちは~こんにちは~世界の国から~」 と三波春夫さんが唄ってた。
大阪では 『万国博覧会』 が開催され同級生達が、万博の話題で盛り上がっていました。
実家から大阪までは比較的近いんですが、何となく 「私も、万博に行きたい!」 と、言い出せなかったんです。
2歳違いの妹が生れた頃の写真です。
思いっきり 「昭和」 ですね~! 左手には当時の大好物が。何て名前のお菓子だっけ?
我が家は貧乏だったのでカメラなども無く、これらの写真は親戚の叔父さんが撮ってくれたんですよ。
2人の娘を育てる間も入退院を繰り返し、一時は生死の境を彷徨った事も・・・
少々反抗的だった次女に苦労もし、やがて長女は遠くに嫁いでしまいました・・・
「今は我慢する世の中じゃない。どうしても無理ならいつでも帰って来い!」
結婚式の前日、右も左もおまけに言葉も分からない土地へ嫁ぐ私を案じてか、父はこんな事を言いました。
『結婚する前から帰って来いだなんて、パパさんや義父母が聞いたら怒るよ~』
でもあの言葉があったからこそ、安心して21年間富山でのんびり暮らしているのだとも思っています。
天国のオトンへ・・・
最後の父の日・・・ちょうどその頃オトンはICUに入ってたから、プレゼントは渡せなかったですね・・・
懐かしい写真を見つけたので、これを父の日のプレゼントにしようとずっと思っていました。
若い頃のオトンはあんまり覚えてないけど、時々夢に出てくるのはこの写真のオトンなんだよ。
それにとっても不思議なんだけど、私が 「オトンの夢を見た!」 って言うと決まって妹が 「私も見た!」 って言うの。
毎日平凡に、平穏に暮らせるようこれからもずっと見守って下さい・・・
あっ!そうだ!たまにはりんごとも遊んでやってね。黒と茶色でお耳が立ってる子だよ。 じゃあ、またね!
長生きは出来ないだろうと言われてた父は、77歳まで頑張ってくれました。
世の中には小さい頃に、お父さんを亡くした人がたくさんいます。お父さんの顔を知らない人だっています。
50年近く父親と共に過ごした私は幸せなんですよね。これからもずっとオトンの娘である事に違いはありません!
今日も長い記事にお付き合いして頂き、ありがとうございました。良い 「父の日」 をお過ごし下さい。
じいちゃん、もうお散歩に行こうよ!お母さんの話し聞いてたら夜が明けちゃう! りんごより
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59歳で亡くなった義父は去年、無事に17回忌の法要を済ませました。
77歳で亡くなった父は、早いもので来年7回忌を迎えます。
昭和5年生れの父は生きていたら今年・・・82歳です。
父親の事を書き出すと、止まらなくなります。今後もたまに父の話は出ると思いますが、その節は宜しくお願いします。
さて、今日は 『父の日』 という事で、あまり湿っぽくならずサラ~と書き進めましょうネ
お酒が大好きで大好きで・・・ 塩を舐めながら飲むタイプの正真正銘の酒飲み
そのせいか若い頃から身体が弱くてね~ 幾度となく入退院を繰り返していた父でした。
今まで付いた病名は数知れず まさに 『病気のアパート』 との異名を取るほどです。
子供心に 『オトンの本当の家は病院なのでは?』 と思ったくらい長期間、入院生活を送っていた事もあります。
とにかく、子煩悩な父でした!
私、何歳なんでしょう?近所の公園かな~?記憶に無いけど大好きな写真なんですよ。
「我慢!我慢!オトンは病気なんだから、我慢します!」
私が10歳の時、 「こんにちは~こんにちは~世界の国から~」 と三波春夫さんが唄ってた。
大阪では 『万国博覧会』 が開催され同級生達が、万博の話題で盛り上がっていました。
実家から大阪までは比較的近いんですが、何となく 「私も、万博に行きたい!」 と、言い出せなかったんです。
2歳違いの妹が生れた頃の写真です。
思いっきり 「昭和」 ですね~! 左手には当時の大好物が。何て名前のお菓子だっけ?
我が家は貧乏だったのでカメラなども無く、これらの写真は親戚の叔父さんが撮ってくれたんですよ。
2人の娘を育てる間も入退院を繰り返し、一時は生死の境を彷徨った事も・・・
少々反抗的だった次女に苦労もし、やがて長女は遠くに嫁いでしまいました・・・
「今は我慢する世の中じゃない。どうしても無理ならいつでも帰って来い!」
結婚式の前日、右も左もおまけに言葉も分からない土地へ嫁ぐ私を案じてか、父はこんな事を言いました。
『結婚する前から帰って来いだなんて、パパさんや義父母が聞いたら怒るよ~』
でもあの言葉があったからこそ、安心して21年間富山でのんびり暮らしているのだとも思っています。
天国のオトンへ・・・
最後の父の日・・・ちょうどその頃オトンはICUに入ってたから、プレゼントは渡せなかったですね・・・
懐かしい写真を見つけたので、これを父の日のプレゼントにしようとずっと思っていました。
若い頃のオトンはあんまり覚えてないけど、時々夢に出てくるのはこの写真のオトンなんだよ。
それにとっても不思議なんだけど、私が 「オトンの夢を見た!」 って言うと決まって妹が 「私も見た!」 って言うの。
毎日平凡に、平穏に暮らせるようこれからもずっと見守って下さい・・・
あっ!そうだ!たまにはりんごとも遊んでやってね。黒と茶色でお耳が立ってる子だよ。 じゃあ、またね!
長生きは出来ないだろうと言われてた父は、77歳まで頑張ってくれました。
世の中には小さい頃に、お父さんを亡くした人がたくさんいます。お父さんの顔を知らない人だっています。
50年近く父親と共に過ごした私は幸せなんですよね。これからもずっとオトンの娘である事に違いはありません!
今日も長い記事にお付き合いして頂き、ありがとうございました。良い 「父の日」 をお過ごし下さい。
じいちゃん、もうお散歩に行こうよ!お母さんの話し聞いてたら夜が明けちゃう! りんごより
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