Run, BLOG, Run

http://d.hatena.ne.jp/bluescat/

[蝶-1] 女をきれいにする方法

2004年06月07日 16時56分32秒 | 現実と虚構のあいだに
  「女をきれいにする方法」

  trackback to:
  『柿渋(Antiseptic Solution)』 - 「ポリティカル・コレクトネス」





 午後五時半。 ビルの谷間から差し込む夕焼けのオレンジ色を背に受けながら、アキコは、ものおじするような様子で、店の戸を開けた。 まだ、店のなかは、うす暗かった。

 十九歳になったばかりだというボーイが、床掃除をしていた。 アキコを見ると、「あ、マキさん。 おはようございます」 と声をかけた。 アキコは、この店では、マキということになっているのである。

 「おはようございます」 アキコは、うるませた目をはじらいぎみに伏せながら、そうこたえた。

 休憩室、という名の荷物置き場に向かうと、すでに何人かの女たちが、化粧をしたり、早めの夕食のようなものをとりながら、それぞれ談話していた。

 荷物の置き場所がすでにふさがっていたので、アキコは、どうしたものか、と一瞬たじろいだ。 よく見ると、この店の 「人気ナンバーワン」 である女のとなりに、荷物を置く余地がありそうであったが、その女 ―― 店ではシオリという名を使っている ―― が、はっと息をひそめて、じりじりとマスカラを塗っている最中だったので、なんとなく近づきがたく、その場に呆然と立ち尽くしていた。

 すると、片目のマスカラを塗り終えたシオリが、アキコのほうへ振りかえり、「ココ、あいてるよ」 と声をかけた。 片目だけ、不自然なくらい黒々としたマスカラが塗られた顔が、アキコには、すこし滑稽に見えた。

 アキコは、ぼんやりとその顔を見入っていたが、あわてて、「すみません」 と言って、荷物を置き、近くにあった丸いすに腰を下ろした。

 今年二十五になるシオリは、もう片方のまつげに、たっぷりとマスカラをふくませながら、まるでひとりごとのように、「えっと、なにさんだっけ? あ、マキさんだった。 今日で三日目だっけ?」 とつぶやいた。

 アキコは、はっとシオリのほうを見やったが、シオリが、じぶんのほうを見向きもせずに、一心にマスカラを塗っているので、 「はい」 とだけこたえた。 この人がじぶんの名まえをおぼえているなんて、と、おどろくと同時に不思議な気持ちがしたのだ。

 シオリは、「きょうは給料日だから、いそがしくなると思うよ。 がんばろうね」 と、低い声で、しっかりと、言った。

 「はい」 と、アキコはよくわからずに返事した。 そのうち、シオリが口紅を塗りはじめ、話しかけてこなくなったので、アキコも、化粧をすることにした。 ふだん化粧をしないため、あわてて買いそろえた化粧品をかばんから取りだし、慣れぬ手つきで化粧をしながら、シオリのとなりにすわっている女たちの話に耳をかたむけた。

 「このあいださあ、スズキのオヤジに、ユキちゃん、さいきん太ったんじゃない? なんて言われたから、あたし、むかついて、なに言ってんのよ ! って、怒鳴ってやったよ」

 「ああ、あの日ね。 スズキさん、土下座してあやまってたよね」

 「そう。 しょうがないから、笑ってゆるしてやったけど。 そのあと、あいつのこと無視して、いっしょに連れてきてた会社の同僚とかって人とばっかりイチャイチャしてやったのよね。 あれから、あいつ、店に来てないけど」

 「スズキさん、ちょっとかわいそうだったけど、見てて おっかしかった。 それにしてもバカだよねえ」

 「ほんと。 女に太ったなんて。 デリカシーなさすぎ。 アメリカとかだと、セクハラ発言ってことになって、裁判起こされたりするらしいよ」

 「へえ。 日本も見習ってほしいよね。 ほんと、太っただの、服が似合ってないだの、化粧が濃いだの、デリカシーのない男って、ほんと、いやよねえ」

 「だから、女にもてないんだってこと、わかってないよね」

 ―― アキコは、しずかにファンデーションを塗りつづけた。

 スズキという会社の部長だという男が、この店の 「ナンバー・スリー」 のユキという女に怒鳴られ、土下座してあやまったとき、アキコもその場にいた。 アキコの 「デビュー」 の日のできごとだった。

 そのできごとを、アキコは、のちほど、一緒に住んでいる男に話した。 「彼」 は、ただ苦笑いして、言った。 「男って、かわいそうだよな」 と。

 それから、ふと、じぶんが昼間に通っている大学の、*****からの留学生の話を思い出した。

 *****では、女性に対して、容姿のことを言うのはご法度である、という話を。 うかつなことを言うと、大変なことになるらしい。 その発言者が、たとえ男性ではなく、同性だとしても。 家族だとしても。

 *****の女性は、年齢がある程度いくと、太ってしまう人が多いのだとか。 下手なことを言って怒らせたときの、あまりのこわさに、だれもなにも言わなくなるそうで。 なにも言ってもらえない女性は、じぶんでは気がつかず、どんどん見た目に頓着しなくなるとか。 そして、若いときはあたしだって、あんなにきれいだったのに ... と後悔しても、あとの祭りとなるそうだ。

 それを考えると、言われたときは、たしかに傷つくこともあるけれど、そのときに言ってもらったほうがいいのではないか? ―― アキコは、ファンデーションを塗り終えて、このあと どうしていいかわからず、手持ち無沙汰ぎみに漠然と考えた。

 たしかに、デリカシーというものは大切かもしれないが、言ってもらえることで、気づくこともある。 指摘することが、ほんとうのやさしさとなる場合もあるのではないか? 無神経なふりをしていて、じつは、あえて悪役をひきうけてくれている人もいるのではないか? などと。

 アキコがいっしょに暮らしている男に関していうと、「彼」 は、なんでもはっきりと言う性格である。 作った料理があまりいいできではないときには、はっきりとそう言うし、逆にうまくできたときには、素直に 「うまい」 と言う。 そうして鍛えられ、アキコは、料理の腕をあげた。

 それだけでなかった。 洗濯物の干し方から、アイロンのかけ方、風呂の温度、服装や髪型のことも、じぶんの正直な感想を投げかけてくる。 きびしいときはきびしいが、その分、ほめられたとき、そのよろこびはひとしおであった。 そして、また、はっきりときびしい意見を言われたときには、ひときわ沈むのであるが。 それをしっかりと受けとめられるようにならなければ、「彼」 とは付き合っていけない、ということを、アキコは、だんだんわかりかけていた。

 うそのつけない男なのだ、と。 いつだって、真剣勝負。 だから、こちらも真剣に返さねばならない、と。

 そんな 「直球勝負」 の 「彼」 が、たったひとつだけ、幾重にもくるめて、ごまかすことばがある。

 それは、アキコがガリガリに痩せていることである。 アキコがふだんから気にしているというのを汲みとって、なるべく核心にふれないように気遣っているのだ。 ふだんがふだんだけに、そのやさしさが、むねに沁みるのである。

 アキコと同じ大学に、アキコに好意を寄せている男が、何人かいる。

 アキコに対して鬱積したまなざしをなげかけてくる男たちは、アキコの白すぎるくらいの肌と、痩せた肢体を、ことさら大げさにほめてみせるのだが、そのことにかえって傷ついているアキコは、「彼」 のことばだけを信じたい、と思っていた。 むろん、男たちに悪気がないことはわかっている。 アキコに恋すればこそ、なんとかアキコの気をひこうとしているのだ、ということを。

 しかし、厚意がぎゃくに人を傷つけることもあるのだ、ということも、アキコはすでに知り尽くしていた。 善意こそが、ややこしく、人を悩ませることがある、ということを。

 だから、アキコは、「彼」 だけを信じることにしているのである。 「彼」 のことばだけを。 そして、「彼」 のことをこころから慕っているのである。 「彼」 のためならば、この 「商売」 もいとわない、とさえ思っていた。

 はたして、スズキを土下座させたユキは、真剣な恋、真剣な男に出会ったことがあるのだろうか、と、アキコは、じっと、身じろぎもせずに、考えていた。

 そのうち、「マキさん、ご指名入りました ! 」 という声が遠くから聞こえてきた。 さいしょはじぶんのことだとはわからず、聞き流していたが、なんども 「マキ」 という名を呼ばれて、はっとわれに返った。

 「すごいっすよ、マキさん。 入店三日目にして、もう指名が入るなんて ... ! カトウ専務、マキさんに会いたくて、がまんできなくて、もう店に来ちゃったみたいなんで、よろしくおねがいします」

 と、十九歳のボーイが声をかけた。

 アキコは立ち上がり、ホールへとつづく通路へ、一歩ずつしずかに歩いていった。 女たちの指すような視線をまともに受けながら。 ただ、シオリのまなざしだけは、ほかの女たちとちがって、どこか試すような、それでいて、固唾を飲んで見守っているような、不思議ないろをおびていた。

 「さ、マキさん、おねがいします」

 「はい」 とだけこたえ、アキコは、背すじをぴんと伸ばし、ウィスキーとヤニの匂いにまみれた空間へ、吸い込まれていった。





 BGM:
 Eric Clapton ‘Wonderful Tonight’
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けれども、問題は、今日の雨。

2004年06月07日 12時29分50秒 | 五行文
 今日も雨降り。 雨の日の電車通勤は、すこし憂鬱。

 今朝は、わたしのすぐうしろの足元で、傘の先で牽制し合っている女の人たちが、いた。

 まるで、「傘のフェンシング」。 だんだん振りが荒々しくなってくる。 女の決闘。 いびつに肥大化した自意識の泥仕合。



 ふかい理由もなく、かくしもった爪を他人に向けることをいとわない、こころをささくれだたせた女たちは、

 「事件」 を起こす可能性を、つねに、はらんでいるのだろうか。



 with:
 Yousui Inoue ‘Kasa Ga Nai’
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

啖呵切る

2004年06月07日 11時42分43秒 | 五行文
 男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経、カレーにラッキョウ

 ここは東京、帰れぬ故郷

 絶叫する秘境 屈強たる音響

 ロック、ロック、ロール、ロール、

 ロックンロールは、酔狂か ... ?



 with:
 “Fu-ten no Tora”
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする