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ああ、無情 / 喫煙シミュレーション

2004年06月30日 21時51分15秒 | about him
 ここのところ。 眠れぬ夜がつづいている。 友人 (というか彼) が、泊まりに来ているのだ。

 別の友人にそう話したら、「あらあら、お盛んねえ」 ... なんて言われてしまったが、そんな話ではなく!!! (ほんとうに ! )

 彼は、もともと身体が丈夫な人ではないようなのだが、肌もデリケートなようで、寝ているときに、身体中がかゆくなって、全身をバリバリバリバリかきむしってしまうらしい。 目が醒めると、あちこち血だらけになっているそうだ ... (はひ~ん)

 あまりにも痛々しいので、となりでバリバリやりはじめたら、いそいで湿疹用のローションを塗ってあげているのだけれど、あまり効果はないもよう ... 。

 寝汗であせもになってしまうのか、食べもののせいなのか、東京の水が合わないのか、布団のせいなのか。

 とりあえず、わが家のシャワーのヘッドというのか、水が出るところを、浄水機能つきのものに変えてみたり、無添加・無香料の石鹸を買ってきたり、つねにシーツやパジャマを清潔にするようにしたり、部屋の風通しをよくしたり ... と、いろいろやってみたのだけれど、それでもかゆいという。

 決して他意はないのだけど、私は、煙草のせいではないのかしら、と勝手に思っている。 ほんとうは、身体に合っていないのでは? と。

 そこで、無理やりやめさせるなんてのは、かわいそうだから、じぶんからやめたくなるように仕向けられないかしら ... などと考えていたら、こんなサイトに出合った。


   『喫煙シミュレーション』


 煙草を吸いつづけた場合の余命と、今までにかかった煙草代・死ぬまでにかかる煙草代を計算してくれるもの。 むごいことかとは思ったが、試してもらったところ、余命うんぬんよりも、いままでに費やしてきた煙草代のほうに絶句していた。

 ああ、無情。 (ごめんね ... )

 これで、ほんとうにやめる気になればいいのだけれど、ちょっとうしろめたい気もする、ワタシ。



 ところで。

 こちら、『電撃的東京』 - 「死ぬまでに、いくらかかるのかな?」 でご紹介されていた、「死ぬまでに、いくらかかるのかな」 を試してみて、じぶんがこれから死ぬまでに費やすであろうビール代の概算を目の当たりにして、まさにめまいがしそうになった ... 。

 ひえ~ん。

 やはり人にしたことは、じぶんに返ってくるものなのね?!



 BGM:
 Hideki Saijyo ‘Boomerang Street’
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BABA / Ace of Heart

2004年06月30日 17時13分50秒 | 想在
 「トランプ・ゲーム / ハートのエース」



 けさの雨で、梅雨が明けてしまうのだろうか?

 なんとなく、ウィリアム・サマセット・モームの 『雨』 を読み返した。

 ここのところ、長編小説ばかり読んでいたのだが、この、blog (のようなもの) で、短編の物語 (のようなもの) を書くことがあるので、短編小説をひさびさに読んでみよう、と思った。 短い尺のなかで、どれだけその物語の世界に引き込めるか。 そして、どんな読後感を与えられるか。 一字一句、無駄にできない。 いや、長編にだって、無駄があってはいけないけれど。

 短編小説、というのは、短い物語を書くこと、ではなく、文章を削ること、なのではないかな、と思ってみた。 あるテーマに沿って長編を書き上げることは、だれにでも可能であろうか。 描写をふくらませたり、エピソードを追加したり、いろいろ? しかし、同じ題材でも、手短かつ的確に伝えるには、相当の技術がいるのかもしれない。 ああ、でも、長編だって、ただ冗長なだけにならないように書き上げるには、技術がいるのか?

 さて。 話はふっとんで。

 PC のハード・ディスクの整理をしていると、ときどき、「やばいもの」 を見つける。

 むかし書いた日記とか、メモ書きとかなんとか。 読むとはずかしい。 でも、読んじゃう。

 二年ほどまえに書いた日記が目に留まった。 そのころは、あらゆることが裏目に出てしまい、なにをやってもうまくいかず、絶望のズンドコにあった。 なぜ、私が、こんなにも貧乏くじをひかねばならないのか、とさえ思っていた。 そんなときに、こんなことを書いていた。




 私用にて、午前中、病院へ。

 午後、ずっと探している本をもとめて***の古書店へ行くが、お目当てのものは見つからず。 同じ建物内にある、某中古 CD 店に行き、CD を 10 枚ほど購入。

 そのあと、図書館まで足をのばす。 コンピュータの蔵書検索システムをはじめて利用してみると、管轄内の別の図書館にあるという結果が出、さっそく問い合わせてみたところ、現在貸し出し中とのことだが、返却され次第、取り寄せて連絡をくださるとのこと。 なんとも便利な世の中だ。

 午前中の病院でのことで、気が滅入っていたので、ぷあ~っと飲んだくれようかということで、***のバーで L と飲んだ。

 ふらふらになりながら、帰宅。

 なんてことだ。 こころの底から、居たいと思う場所は一箇所しかないのに、別の場所に行かなくてはならないなんて。

 希求心はとめどもなく、やりたいこと、やらなければならないことが、たくさんあるのに、のぞまぬものがふってわいたり、欲していないものがぽっこりとあらわれて、八方ふさがりになり、まんじりともできない。 ほんとうに現実は、うまくいかないことが多い。

 しかし、のぞまぬもの、欲していないものでも、それは、じぶんにふられた、トランプのカードのようなものだと思って、その札をもって、なんとかしていくしかないのだろうか。

 いい札がそろってばかりじゃないけれど、ときに 「ババ」 をひくこともあるけれど、あたえられたカードを生かすも殺すも、じぶん次第、なのだろうか。



 う~ん、トランプねえ。 そんなふうに考えていたのか。 いろんな人がいろんなものを人生にたとえているけれど。 人生は 「クッキーの缶」 とかいうのは、村上春樹の小説に書いてあったかしら。

 それにしても、二年前から文体 (というほどのものでもないが) が、ほとんど変わっていない。 しっかし、クライなあ。 そのころは、息をするのもくるしいほどの深淵にいたのかもしれない。 いまとなっては、かるく笑いとばせてしまうけれど、こんなことを考えながら、乗り越えていたのか、と、いろいろ考えさせられた。 じぶんをふりかえるうえでも、こういった記録は、竹頭木屑、大切なもののようだ。

 もし、万が一、わが身にまたなにかふりかかったら、おんなじ思いをむねにいだいて、乗り越えようか?

 そう。 いまの私は、きっと、「ババ」 を捨て去ることができたのだろう。 そのために、多くの 「カード」 を犠牲にしたような気がするけれど。 指先からこぼれおちるように、いろんなものを失った。 まあ、それも仕方がない。 また、いい 「カード」 がめぐってくるのを、ゆっくりと待とうか。

 いや、もしかすると、すでに、最強の 「カード」 を手に入れたのかな ... 。 「彼」 という、ハートのエースを ... ね。



 BGM:
 The Who ‘Baba O'Riley’
コメント (6)
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