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世界三大スープ

2004年06月21日 21時20分02秒 | 数字 Q
 世界三大スープとは、

  『トムヤンクン』 ( タイ)

  『ブイヤベース』 ( フランス)

 そして、

  『リケンのわかめスープ』 日本) !! ―― と、こたえた、わが友人 (というか彼) が好きである。





 (* ほんとうのこたえは、『ふかひれスープ』 ( 中国)、あるいは 『ボルシチ』 ( ロシア))



 BGM:
 Jimi Hendrix “Voodoo Soup”
 The Soup Dragons “Hotwired”

 ("soup" といえば、Rolling Stones の “Goats Head Soup” がまっさきに頭に浮かぶけれど ... 。 いつも Stones というのも、なんなので ... )
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女はみんな泣いている / どうか泣くなよ

2004年06月21日 14時37分42秒 | 想在
 Bob Marley の ‘No Woman No Cry’ で思い出したのだが。

 若かりしころ、この歌は、「女のいないところに、涙はない」 「泣かない女はいない」 「女はみんな泣いている」 という意味だと思っていた。

   No Woman, No Cry

 だと。

 某 CD 店のキャッチコピー「No Music, No Life」 (「音楽のないところに、人生はない」 「音楽なしでは、生きていけない」) のように、解釈していたのだ。

 ここで思い出すのは、太宰治の絶筆 『桜桃』 の、一挿話、主人公の男がふざけて言ったことばに対し、その妻が、子どもに乳を飲ませながら なにげなく返した、「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」 というひとことである。

 一見、にぎやかでたのしい、幸福な家庭を築いているように思える夫婦の危うさ、というものを垣間見せるせりふであろうか。
 ( ... と言っても、私は、まだ結婚したことがないのだが)

 どんなに幸福を装っていても、女はみな、その笑顔の裏で泣かなくてはいけないのか。 涙を胸の谷間にかくして、妻を、母を、演じなければいけないのか。 それが生きるということなのであろうか?

 そんなさみしい歌なのかと思っていた。

 しかし、あらためて、‘No Woman No Cry’ の歌詞を読んでみると、

   No, Woman, No Cry

 と、読点の位置がちがうのだ、ということに気がついた。 そうなると、意味も変わってくるのだろうか? 「だめだ、女よ、泣くな」 というような感じだろうか? そうなると、女たちを鼓舞するはげましの歌となる。

 その前後の歌詞を読むと、


   So dry your tears

   Little darling, don't shed no tears
  (この、don't shed no tears の二重否定は、Rolling Stones の ‘I can't get no satisfaction’ と同じように、打消しではなく、強調であろうか?)

   Everything's gonna be alright


 と うたっているので、やはり、「泣かない女なんていないんだ」 ... なんていうような、やや斜に構えたとも言えるような諦念ではなく、「どうか泣くなよ」 という祈りにも似た、強さとやさしさに満ちた歌なのではないか、という、じぶんなりの結論におちついたのだが。

 はてさて。

 しかし、そんなふうに、勝手にじぶんで結論づけておきながら、なんとなく、ほっとするような? ちょっと残念なような? 不思議な気持ちになった。 ―― うーん、おかしいかしら?



 * ちなみに。 日付がだいぶ変わってしまったが、先日、六月十九日は、『桜桃忌』 であった。 むろん、上記の作品、『桜桃』 から付けられたものである。



 BGM:
 Van Morrison ‘Sometimes We Cry’

Sometimes we know, sometimes we don't
Sometimes we give, sometimes we won't
Sometimes we're strong, sometimes we're wrong
Sometimes we cry
...

コメント (9)
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