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フィレンツェの聖アントニノ大司教      St. Antoninus Archiep.

2019-05-10 01:41:45 | 聖人伝
フィレンツェの聖アントニノ大司教      St. Antoninus Archiep.      記念日 5月10日


 イタリアのフィレンツェは古来数多の名高い美術家、政治家、文学者等を生んだ由緒ある土地として知られているが、そればかりでなく、同市を揺籃とした聖人も少なくない。本日記念する聖アントニノもその一人である。

 彼がフィレンツェ市のビエロッチ家に生まれたのは1389年のことであった。受洗の際にはあの有名なパドヴァの聖人にちなんでアントニオと命名された。然るに彼は生来背丈が低かったので、人々はこれを「アントニノ」即ち「小さいアントニオ」と呼んだ。しかし体こそ小さけれ。智慧や意志などの精神力は至って強く、彼は学問や善徳の方面にかけては、早くから著しい進歩を示したのである。

 15歳の時、ドミニコ会の名ある説教家ドミニチ師の説教を聞いた彼は、一方ならず感激して修道者となる決心を起こし、早速同師に入会を申し込んだが、師はなかなかこれを許さず「グラチアノ教令集を暗唱してから・・・」と言って彼をひとまず家へ帰した。グラチアノ教令集と言えば、極めて大部な書物でもあり、内容も至難なもの故、少年には記憶に努める勇気がなかろうとドミニチ師は考えたのであるが、それから一年ばかりたつと、アントニノはフィエソリにあるドミニコ修道院に師を訪ね「仰せの通り勉強して来ましたから、試験して下さい」と申し出た。で、いろいろ問答して見ると、教令集を全部そらんじているばかりでなく、他の質問にも目から鼻に抜けるような返答をするので、ドミニチ師はその根気と頭のよいのに感心して、彼の入会を快く許可した。

 修道者になってからのアントニノはその聖徳においては一院の模範と仰がれ、間もなくローマにあるミネルヴァ大修院の院長に推され、その学識においては教皇に認められてローマ控訴院の参事会員に任ぜられたが、やがて故郷フィレンツェに公会議が開かれるや、神学顧問としてこれに列席した。かような人物であったから、フィレンツェの大司教逝去の跡を受けて、教皇オイジェニオ4世からその重職に補せられたのもあえて不思議ではないのである。

 その時アントニノは丁度シシリー島の修道院を視察に行っていたが、自分が大司教に推挙されるという噂を聞くと、その重責を逃れたさに、サルディーニャ島に身を隠そうとした。しかしそこへ教皇の命令が既に至ったので、彼も従順に就任を受諾したが、このエピソードに依っても、いかに彼が謙遜な心の所有者であったか想像されよう。

 アントニノは大司教になってからも、決して豪奢な生活をしなかった。彼は「使徒の後継者は善徳の他何の財産をも持つべきではない」と言って、その職に伴う収入をわが物とは考えず、教会の維持費並びに貧民の救済費にあて、自分は依然一介の修道者として、貧しい苦行の生活に甘んじていた。そして誠実な人々に対しては春日のような慈愛の光を示したが、悪に溺れつつ恬として恥じぬ者共には秋霜のような峻厳さを以て臨み、当時フィレンツェに賭博が流行し、その為財を失い家を傾け、乞食に落ちぶれる者さえ少なからぬを見ては、その悪習の根絶にあらゆる努力を惜しまなかった。

 アントニノはまた大司教として多忙の身であるにも拘わらず毎日説教することを欠かさず、教えを請いに来る者があれば喜んで之を指導し、祈りや黙想にも多くの時間を割いた。さればフィレンツェ共和国の大統領コスマス・メディチが「フィレンツェの繁栄は何よりもまずアントニノ大司教の熱心な祈りに負う所が多い」と言ったのも蓋し至当の言葉であろう。

 彼の博大な慈愛の心が一般に知れ渡ったのは、1448年フィレンツェにペストが発生した時と、1453年大地震の災禍が起こった時であったろう。その時彼は自分が大司教として受ける収入位では追いつかぬ所から数多の富豪名士達を説いて寄付金を募り、以て病者罹災民の救済に遺憾なからしめた。故に人民はいずれもアントニノを徳として、大統領にも増して彼を尊敬愛慕したという。

 なお彼には幾多の著書があり、彼の才能と活動のいかに多方面であったかを思わせずにおかない。
 かくて大司教の激務に尽瘁すること12年、アントニノはようよう年老い身衰えて1459年の5月2日眠るが如く大往生を遂げた。しかしその祝日は聖会により本日に定められている。

教訓

 聖アントニノはドミニチ師の説教を聞いてドミニコ会入会の志を起こした時、果たしてそれが主の御旨に添う所以か、随分厳しい試みを受けた。事実修道者なるには天主の特別な召し出しが絶対的に必要である。これ無くして修道院に入れば立派な修士となる事が出来ぬばかりでなく、却って本人の不幸となるであろう。されば一身を天主に献げようと思う者はよくよく心して主の思し召し所を、自分でも探り、司祭にも試して貰わねばならぬのである。




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