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聖マリア・マグダレナ      St. Maria Magdalena

2019-07-22 04:13:36 | 聖人伝
聖マリア・マグダレナ      St. Maria Magdalena            記念日 7月22日


 聖福音書中に記された聖女中、主の御母を除けばマリア・マグダレナほど人口に膾炙している人はあるまい。それではその生涯の事跡はどうかと言えば、ほとんど明らかに知られていないのである。そかしただ聖書中の彼女に関する乏しい記事を一読するだけでも、その主に対する熱烈な愛情といい、罪に対する深甚な痛悔の念といい、偉大な聖女よと讃嘆せずにはいられない。

 初めてマリア・マグダレナに就き述べているのは聖ルカ福音史家である。曰く「かつて悪魔を追い払われ、病を癒された数人の婦人、即ち七つの悪魔のその身より出でたマグダレナと呼ばれるマリア、ヘロデの家令クサの妻ヨハンナ及びスザンナ。その他多くの婦人がいて自分の財産を差し出し、彼等(主や使徒)を助けていた」(ルカ 8・2-3)と。これより察せられる如くマグダレナは主の御力により悪魔の手から救われて以来、感謝の心に充ち溢れて、主の御傍を離れず何くれとなくお仕えしたのであった。
 初代からの伝説によれば彼女はラザロとその姉妹マルタの妹で、若いとき両親に死別するや遺産の分配を受けてガリレアのマグダラという所に行き、豪奢な生活を営み大罪を犯し堕落したというが、それとも別に罪はなかったものの、天主の思し召しによって暫く悪魔にわたされたのであるか、その辺のことはつまびらかではない。ただイエズスに救われて後、痛悔と主への愛を片時も失わなかったことだけは確かである故に聖母マリアの純血無垢な聖愛を白百合に喩えるならば、マリア・マグダレナの痛悔の血涙により前非を洗い流した真紅の薔薇にも比することが出来よう。
 実際彼女は主の行き給う所はどこへでも影の形に添う如くお供をして行った。ガリレアの野邊をさまよい給う時も、サマリアに福音を述べ、ユダヤに奇跡を行い給う時も、彼女はお傍を去らなかった。それはもとより力の及ぶ限り主の御助けをしたいからでもあったが、より以上聖教をよく悟り、これを実行せんが為であった。その道への熱意、主が特に彼女を賞賛し給うたのもその点に於いてに他ならなかった。
 それは主がベタニアなる彼女の兄ラザロの家を訪れ給うた時であった。姉のマルタは主に心づくしのもてなしをしようと、台所でまめまめしく働いているのに、マリアはただ主の御足許に座ったまま。その悟り給う御言に我を忘れて聞き惚れていた。マルタはそれが気に食わなかった。で、露骨に不満の色を面に現して「私がこんなに急がしゆうございますのに、陽気そうにお傍に座っているとは、妹もあんまりだと思います。どうぞ私の手伝いをするように貴方からもお申し付け下さいませ」と言った。するとイエズスの御答えは意外であった。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろな事に心を使ってはあくせくしているが、必要なことは唯一つしかない。マリアはその一番よいことをしているのだ。それをやめさせる訳にはいかぬ」と。これはもちろん主と一致する祈祷黙想の精神を忘れていたずらに外面的な活動に奔るの愚を戒め給うと共に、マリアの求道の熱心をよみし給うた御言葉である。
 が、それにも増して彼女を賞賛し給うたのは御受難の六日前のことであった。やはりベタニアである人々がイエズスや御弟子達を晩餐に招待し、マルタが給仕をしていると、マリアが高価なナルドの香油を器に入れて来て主の御頭と御足に注ぎ、それから御足を自分の丈なす髪の毛で拭った。これはもとより主を愛し奉るマグダレナの至情から出たことで、彼女の念頭にはただ主をお喜ばせしたいという一念よりなかったのであるが、それを見るや弟子達の中にさえ憤慨して「もったいないことをするものだ、あれだけの油を売ったら、随分金目になって沢山の貧乏人に施してやることが出来たものを・・・」と呟く者があった。ところが主は彼女の純情をよみされ、彼等をたしなめて言われるには
 あなた達はどうしてこの女のことをかれこれ言うのか?この女が私に香油を注いだのは、死に赴く私に対するせめてもの餞別である。その愛はまことに感ずべきではないか。私はあなた達に告げておく、全世界のどこであろうとも、わが福音の述べ伝えられる所には、この女のした事も記念として語り伝えられるであろう」と。ああ、その時のマグダレナの嬉しさは、いかばかりであったろうか!
 されば彼女は主の聖恩に感じ、ますます主に傾倒するばかりであった。イエズス御受難のときが始まるや、多年主の御薫陶をかたじけのうしていた使徒達まで、敵を恐れて甲斐もなく主を見捨て、逃げたり身を隠したりした。しかしマグダレナは決してそういう卑怯な真似はしなかった。彼女は聖母と共にカルワリオへの道を、どこまでも主の御あとを慕って行った。そしていよいよ主が十字架に磔けられ給うてからも、その御足下にひれふして力の限り十字架を抱きしめ、流れ下る聖い御血に自分の熱い涙を交えて主の御苦痛を共に苦しみ、その壮烈な御最後を見届けた。それから安息を守るべき時間も迫ったこととて、他の敬虔な婦人達と力をあわせて御遺骸の仮埋葬を手伝い、一番あとまで聖母の御傍を離れず誠心こめてお慰め申し上げた。
 三日目、即ち安息日の終わった日曜の朝には主の御屍を洗い香油を塗るなど本葬の準備をするため、マグダレナは誰よりも早く御墓を訪れた。するとどうしたのか肝心の御遺骸が見当たらない。彼女はてっきり誰かに盗まれたに相違ないと思い、大いに驚いて使徒達に急報したのち、涙にくれつつその付近のここかしこを探し廻った。聖ヨハネの福音書によれば、その時後ろに人の気配がして「どうして泣いているのか、誰を探しているのか」と声をかけた者がある。マグダレナは庭の手入れをする植木屋と思い、後ろも振り返らず「貴方ですか、主をどこかへおやりになったのは?それなら在り場所を教えてください。私が引き取りますから・・・」と言った。すると「マリア!」と再び呼びかけられた声に聞き覚えがある。彼女ははっとして振り向くと、そこに立ち給うのは案の定懐かしいイエズスであった。主は宣うた如くよみがえられたのである。彼女は喜びに充ち溢れて「ラボニ(先生)!」と言いざま御前に平伏してしまった。それからマグダレナは主の御命令のままに使徒達の所へ行き、「私は主にお目にかかりました。主はこうおっしやいました」と一切の顛末を話して聞かせたのであった・・・。
 彼女のその後の生涯に就いては確かには知られていない。ある伝説によれば彼女は兄のラザロと共に南フランスに流され、そこで命を終わるまで隠遁生活を送ったとも言い、またエルサレムの総主教モデストやツールの司教聖グレゴリオ等の伝える所に従えば、聖母マリアや使徒聖ヨハネとエフェゾに行き、聖なる生活を営み同地で永眠したとも言う。

教訓

 イエズスはかつて聖マリア・マグダレナについて「この女は多く愛したるが故に多くの罪を赦されるなり」と仰せられた。故に我等も人間の弱さからいかに恐るべき大罪に陥ったとしても、決して失望せず、マグダレナに倣い主に対する愛の火を燃やすように努めよう。そうすれば罪も赦され、償いも自ずと果たされるようになるに違いない。イエズスを愛することこそすべての義の源である。


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