『祝祭日の説教集』
浦川和三郎(1876~1955)著
(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)
十 一 月 二 日
(一) 煉 獄 の 霊 魂 の 記 念
(1)煉獄に苦しめる霊魂の憫(あわれ)むべき状態を思いなさい。
彼らは善を尽くし、美を尽くし給う天主を一時も早く仰ぎ見、心を傾けて尊び愛したいとやる瀬なき思いに焦がれている。
彼らは実に遠島せられた罪人が、故郷の天を恋い慕う以上に、真っ暗な牢屋に繋がれている囚人が、晴天白日をこい願う以上に、最愛の母に別れた孤児(みなしご)がその母にあこがれる以上に主を思い焦がれ、その御国にあこがれているのであるが、しかし少しの汚点でも残っている間は、何うすることもできない。
苦しんで苦しんで、その汚点を磨き落すより他はない。なお、彼らは自分の犯した罪、なおざりにして顧みなかった過失を悔しがり、良心の鞭にひどく責められているのであります。ついに煉獄には火の苦しみもあると一般に信じられる、その火がいかなる性質のものであるか、いかにして無形の霊魂を苦しめるか、それは明白でありませんが、とにかく、天主の御はからいにより、霊魂の汚点を取り去って、これを純の純なるものたらしめる為のものですから、決して生やさしいものではないのです。
浦川和三郎(1876~1955)著
(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)
十 一 月 二 日
(一) 煉 獄 の 霊 魂 の 記 念
(1)煉獄に苦しめる霊魂の憫(あわれ)むべき状態を思いなさい。
彼らは善を尽くし、美を尽くし給う天主を一時も早く仰ぎ見、心を傾けて尊び愛したいとやる瀬なき思いに焦がれている。
彼らは実に遠島せられた罪人が、故郷の天を恋い慕う以上に、真っ暗な牢屋に繋がれている囚人が、晴天白日をこい願う以上に、最愛の母に別れた孤児(みなしご)がその母にあこがれる以上に主を思い焦がれ、その御国にあこがれているのであるが、しかし少しの汚点でも残っている間は、何うすることもできない。
苦しんで苦しんで、その汚点を磨き落すより他はない。なお、彼らは自分の犯した罪、なおざりにして顧みなかった過失を悔しがり、良心の鞭にひどく責められているのであります。ついに煉獄には火の苦しみもあると一般に信じられる、その火がいかなる性質のものであるか、いかにして無形の霊魂を苦しめるか、それは明白でありませんが、とにかく、天主の御はからいにより、霊魂の汚点を取り去って、これを純の純なるものたらしめる為のものですから、決して生やさしいものではないのです。