カトリック情報 Catholics in Japan

スマホからアクセスの方は、画面やや下までスクロールし、「カテゴリ」からコンテンツを読んで下さい。目次として機能します。

【書評】『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』菊池良生

2023-12-19 17:40:45 | 書評

 この本は、ある歴史学者が、神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世の全生涯を、その背景や影響を分析しながら、紹介する形になっています。著者は明治大学の教授で、退職後は名誉教授です。

 当然に教皇庁とのやり取りや確執も出てきますし、はじめて知った驚くこともありました。一応、私も史学科卒なのですが、専攻から大幅に離れた時期の話は、疎くはなります。

 さて、神聖ローマ帝国やオットー1世について、読んだことの要約や感想を書いてもいいのですが、その前に、教会について知って驚いたことを。

 当時のカトリック教会は腐敗を極めており、教皇を含め聖職者がしばしば公然と内妻を持っていた。その子が、そのまた聖職者や時には教皇になるケースさえあり、さらには、その内妻がバチカンで公然と権力を振るい、このようなあり方を、その後の歴史家たちは、ポルノクラート=婦妾政治 と呼ぶ。

 そんな中、教会の伝統を破って17歳で教皇に即位したヨハネ12世に至っては、人妻との情事を楽しむ中で、心臓麻痺で命を落としてしまった。さらに、この教皇は突然死をする前に廃位されたり、復位(自称)したりしているが、彼が廃位された後、代わって即位した教皇レオ8世は、枢機卿はおろか、司教でも司祭ですらなく、一介の平信徒だった。それが、オットー1世の指示で、毎日、一段階ずついろんな聖職に叙階されて、教皇に即位した。

 そういえば、この時期は、かの有名なクリュニーの大改革の直前に当たるんですね。もう大学に入る前から、クリュニー改革前のカトリック教会がひどく乱れていたことは、中央公論社の『世界の歴史』を読んで知ってはいましたが・・・。 しかし、ここまでとは驚きました。

 オットー1世が皇帝に即位したのは962年、今に限らず、千年紀の前後は乱れるものなのでしょうか・・・と思ってしまいました。

 その他、オットー1世は、ドイツの統合と分解の原因を同時に作ったというのが、著者の評価で、これには同意です。

 東フランク帝国(今のドイツ)を統合し強化し、結果的にドイツ人のような意識をもたせ、その意味でドイツ統合の要素を作った。

 一方で、ドイツ分解の下地も作ってしまった。それは、オットー1世がローマ帝国皇帝に即位したことで、ところで皇帝とは、ローマ千年の歴史からして、必ずしも世襲とは考えられておらず、むしろ、建前上は、元老院や人民に選ばれる最高職だった。そして、世襲以外で皇帝が選ばれることは、当たり前的に、ローマ・東ローマの歴史では起きていた。つまりは、皇帝選挙制度と相性が良すぎてしまい、以後しばらくして、神聖ローマ帝国の帝位は、諸侯による選挙制になってしまい、これがドイツ大分解の原因になってしまった。

 というもので、これにはまったく同意です。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。