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公教要理図解:第58図 罪悪 原罪のこと

2022-05-24 17:27:13 | 要理(カテキズム)
「第58図 罪悪 原罪のこと」『公教要理図解』ワグネル神父


罪とは天主のおきてに背くことである。


天主のおきてに背き、すなわち、罪を犯すのは、次の二つの要件によって出来るのである。

(1)自分の現に為そうとする行為が善であるか、悪であるかということを知ること

(2)その行為の悪であることをよく認めながら、進んでこれを行うこと

この二つの要件が無ければ、決して罪とはならぬのである。


罪は不幸の中にも、最も大なるものである。
なぜならば、
(1)他のわざわいは、被造物ばかりを損うけれども、罪だけは直接天主にさからうもので、
(2)現世においても、来世においても、すべてのわざわいの原因となるからである。


罪には原罪と自罪との2種がある。


原罪とは、人祖、アダムとエワが天主に背いて出来たもので、我等が生まれながらに持っている罪である。


人祖の罪が子孫に伝わってきたから、我等は生まれると同時に罪人であり、人祖と同様、現世の艱難苦労を受ける者となり、天国の幸福を受けることが出来ないようになったのである。


人祖の罪がこのように、災いをわたしたちの上に招いた理由は、いたって義である天主が、アダムの罪を人類一般の罪と見なされるからである。


現世のできごとにおいても、原罪の結果に似通った例を見当てることができる。たとえば、ある人が裁判の結果、その財産を没収されたとすると、その人一人財産を失うにとどまらず、その人の子孫も財産を失うのである。


わたしたちが原罪を持ちながら生まれるということは、至って確かなことである。
なぜならば、
(1)聖会が明白にこれを教える
(2)また、もしも原罪がなければ、我等は洗礼を受けずとも救霊を得ることが出来るといわねばなりません。
しかし、洗礼を受けなければ、到底救われないということは信仰箇条である。

10
一体、原罪のことは玄義に属することで、我等はこれを十分に知ることが出来ないのである。ただ、我等が知っているところは、原罪が人祖の身の上にとっては自罪であるけれども、その子孫の我等の為には自罪でない。霊魂に附着く汚穢である。しかも、その汚穢は、人類にとって罰である。また、生まれる人をして聖寵なき者とならしむるのである。

11
聖母マリアお一人だけ、救世主イエズス キリストの御母となるべく定められたから、天主の特別の御恩恵によって、原罪の汚穢を御免れになったのである。

12
原罪の結果は、洗礼を受けた人においても、次のとおりである。
(1)知恵のくらみ
(2)意志の薄弱
(3)情欲、すなわち悪の傾向
(4)現世の困難
(5)死去

13
知恵のくらみが原罪によって生じたとは、我等が天主のこと、霊魂のこと、義務のこと、我等が何の目的の為に創造されたかということなどを、十分に知らぬようになったとの意味である。

14
意志の薄弱とは、すなわち、原罪のために我等の意志が大いに弱ってきたから、聖寵によらなければ、自力だけでは悪を避けて、善を行うことが出来ないということである。

15
情欲というものは、自愛心を生じて、そのうえ現世の利益と快楽ばかりをむさぼらせるのである。

16
天主が原罪を御赦しになって後でも、なおその結果を継続させ給うのは、我等をして徳を行い、功績をたてさせ給うためである。

17
知恵のくらみは学問の必要を起こし、情欲は心の慎みを促し、現世の艱難は忍耐を守らせ、死する必要は我等をして現世を軽んじさせるのである。

◎絵の説明

18
この絵には、人祖アダムとエワとが掟に背いた光景が書いてある。さて、天主はこの二人に「善悪の区別を悟る」という木の実を食することを赦さず、もし之を食せば必ず死ぬことになると、厳重に申し渡されました。でも、エワはヘビの形を借りた悪魔から欺かれ、ついにこの禁じられた木の実を取って食べ、そしてこれをアダムに与えた。するとアダムもこれを食べたのである。

19
アダムとエワとは、この犯罪によって、天主から戴いた聖寵を失い、知恵のくらみに陥り、情欲起こり、苦痛と死去とを免れぬものとなった。そのうえ、楽園から放逐されたのである。

20
この絵の下段は、一位(ひとり)の天使が、光かがやく剣を持って、この二人を楽園から放逐するのである。下の左の角に、白衣を着用し、手に大いなる鎌をもっている人間の骸骨は、死のかたどりである。二人はやむなく死に向かって進み行くという意味である。

21
上段の左方には、十字架が書いてある。その理由は、御主が十字架に釘付けられて、我等を原罪より救ってくださったということを示すためである。昔、天主は人祖に向かって、後日人類を必ず救うという御約束をなさった。「いつか、婦人の子孫は地獄のヘビの首を踏み砕くでしょう」とおっしゃた。この「婦人の子孫」とは、救世主イエズスキリストを指して言われたのである。

22
上段の右方には、一人の司祭がこどもに、洗礼を授けるところが書いてある。これは洗礼によって、原罪の汚穢を赦されるということを示すためである。






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