『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
6 “スーパーマン”レオナルド・ダ・ビンチ――ルネサンスの技術と科学――
5 魔術からの解放
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「数学的な論証をへていないかぎり、人間のどんな研究も真の学問としての資格がない」という確信を、『絵画論』のノートで述べているレオナルドは、数学そのものについては高級アマチュアにすぎなかったにせよ、科学者としての基本的な「思想」をもっていた。
この傾向はおそらくレオナルド一人のものではなく、同時代のイタリアの技術者たちが、多少とも共通にもっていたものである。
しかしレオナルドは、ラテン語(学者の第一条件)を知らなかったという意味で「学者」ではなかった。
また論文を「発表」しなかったし、「発表」にともなうキリスト教との妥協の配慮を必要としないという意味でも、学者ではなかった。
「技術」は石器時代からあり、それなりの生産的合理性をつらぬいてきた。
レオナルドは技術家としての態度にとどまり、教会とぶつからなかったので、あまりひどいめにはあわなかった。
「技術」とちがって「科学」となると、ことはそう簡単でない。
科学史において、原始宗教を「擬科学」とよぶことがある。
任意に原因と結果を結びつける「呪(まじな)い」や「占(うらな)い」のようなものは、けっして「科学」ではない。
壁に狩猟の絵を描いたならば、翌日はよい獲物がある……というのは呪(うらな)いである。
しかしそれが必要な生産手続きと考えられているかぎり、「科学」と同じ位置をしめつつ、人間社会の確固たる意志や方針としてはたらく。
こうなると、呪いは科学の役目をはたすと同時に政治に利用される魔術であるわけだ。
占いも同じく、科学のように信頼され、政治とむすびつくこととなる。
「呪い」や「占い」のまちがいが、経験によって改められると、そこから真の「技術」が生まれ、「科学」が生まれる。
しかし、技術は人間社会の共通の財産になるが、そうなりえない運命をもつ科学は支配者の政治に奉仕をつづける。
梃子(てこ)や水車は技術として広く用いられたが、天文学は神官や僧侶に独占された。
天文学は科学でありながら、星占いなどの政治の手段とされ、つまりは支配するための魔術の一種となったのである。
科学の歴史は、何かわかったら、つぎに何が問題になり、それがわかったので……というふうに論理的にたどることができる。
しかしその発達に要する時間はきわめて不定であり、ときにはまったく無駄に終わる時間さえみとめなくてはならない。
それは科学が政治や宗教と混同される魔術の性格をもったからである。
レオナルドの時代までは「神学」と、教会法にもとづいた「法学」と、古代医学のテキストを学ぶ「医学」と、新しい人文学(ヒューマニズム)だけが学問であった。
こんにちの社会科学や自然科学は、当時の大学の課目にはない。
実務的な下級僧侶や商人、錬金術(れんきんじゅつ)師(土から金をつくる秘法の「専門家」)たち。
まやかしながら化学変化に関する豊かな経験を積み、燐などを発見)や船長や技術者、床屋を兼ねた外科医、家畜の去勢をして歩く手術屋などの経験のなかに、科学は大部分用意されていたといってよい。
学者も実務家も「支配の魔術」につくすようにはたらいていた。
技術者と科学者がそれぞれの分を守っていれば、無事であった。
彼らのこういう事なかれ主義の態度は、特殊能力をもつ者がとくに生命を助けられて、奴隷にしてもらった古代の心情をうけついでおり、政治への不信の表明であった。
しかし技術家たちのあいだに育った科学と、学者たちのあいだに復活した科学精神が結びついた場合、事態は悲劇的になった。
魔術と科学は尖鋭に対立した。
近代とは、「魔術からの解放」、すなわち科学が政治や宗教の権力から独立したことであるとよくいわれる。
しかしこの二つの戦(たたか)い、ないし共存はある意味では現在もつづいている。
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6 “スーパーマン”レオナルド・ダ・ビンチ――ルネサンスの技術と科学――
5 魔術からの解放
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「数学的な論証をへていないかぎり、人間のどんな研究も真の学問としての資格がない」という確信を、『絵画論』のノートで述べているレオナルドは、数学そのものについては高級アマチュアにすぎなかったにせよ、科学者としての基本的な「思想」をもっていた。
この傾向はおそらくレオナルド一人のものではなく、同時代のイタリアの技術者たちが、多少とも共通にもっていたものである。
しかしレオナルドは、ラテン語(学者の第一条件)を知らなかったという意味で「学者」ではなかった。
また論文を「発表」しなかったし、「発表」にともなうキリスト教との妥協の配慮を必要としないという意味でも、学者ではなかった。
「技術」は石器時代からあり、それなりの生産的合理性をつらぬいてきた。
レオナルドは技術家としての態度にとどまり、教会とぶつからなかったので、あまりひどいめにはあわなかった。
「技術」とちがって「科学」となると、ことはそう簡単でない。
科学史において、原始宗教を「擬科学」とよぶことがある。
任意に原因と結果を結びつける「呪(まじな)い」や「占(うらな)い」のようなものは、けっして「科学」ではない。
壁に狩猟の絵を描いたならば、翌日はよい獲物がある……というのは呪(うらな)いである。
しかしそれが必要な生産手続きと考えられているかぎり、「科学」と同じ位置をしめつつ、人間社会の確固たる意志や方針としてはたらく。
こうなると、呪いは科学の役目をはたすと同時に政治に利用される魔術であるわけだ。
占いも同じく、科学のように信頼され、政治とむすびつくこととなる。
「呪い」や「占い」のまちがいが、経験によって改められると、そこから真の「技術」が生まれ、「科学」が生まれる。
しかし、技術は人間社会の共通の財産になるが、そうなりえない運命をもつ科学は支配者の政治に奉仕をつづける。
梃子(てこ)や水車は技術として広く用いられたが、天文学は神官や僧侶に独占された。
天文学は科学でありながら、星占いなどの政治の手段とされ、つまりは支配するための魔術の一種となったのである。
科学の歴史は、何かわかったら、つぎに何が問題になり、それがわかったので……というふうに論理的にたどることができる。
しかしその発達に要する時間はきわめて不定であり、ときにはまったく無駄に終わる時間さえみとめなくてはならない。
それは科学が政治や宗教と混同される魔術の性格をもったからである。
レオナルドの時代までは「神学」と、教会法にもとづいた「法学」と、古代医学のテキストを学ぶ「医学」と、新しい人文学(ヒューマニズム)だけが学問であった。
こんにちの社会科学や自然科学は、当時の大学の課目にはない。
実務的な下級僧侶や商人、錬金術(れんきんじゅつ)師(土から金をつくる秘法の「専門家」)たち。
まやかしながら化学変化に関する豊かな経験を積み、燐などを発見)や船長や技術者、床屋を兼ねた外科医、家畜の去勢をして歩く手術屋などの経験のなかに、科学は大部分用意されていたといってよい。
学者も実務家も「支配の魔術」につくすようにはたらいていた。
技術者と科学者がそれぞれの分を守っていれば、無事であった。
彼らのこういう事なかれ主義の態度は、特殊能力をもつ者がとくに生命を助けられて、奴隷にしてもらった古代の心情をうけついでおり、政治への不信の表明であった。
しかし技術家たちのあいだに育った科学と、学者たちのあいだに復活した科学精神が結びついた場合、事態は悲劇的になった。
魔術と科学は尖鋭に対立した。
近代とは、「魔術からの解放」、すなわち科学が政治や宗教の権力から独立したことであるとよくいわれる。
しかしこの二つの戦(たたか)い、ないし共存はある意味では現在もつづいている。
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