『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
13 ロシアの歴史をさかのぼって
5 自由の都ノブゴロド
タタールの征服をまぬがれた北方のノブゴロドだけは、キエフが滅びたのちも古代ルスの伝統をうけついで繁栄をつづけた。
ここには、リムスキー・コルサコフ(一八四四~一九〇八)のオペラで有名な「サドコ」の伝説がある。
サドコはこの町で生まれたしがない艶歌師(えんかし)。
宴席をまわって歌をうたい、どうやらパンにありついていたが、ある日、ついに前途を思い失望落胆、イリメン湖のほとりで一人、歌にたくしてわが身の不幸をなげいた。
この歌は三日三晩つづき、はからずも湖底の水神を感動させた。
そして、これよりサドコの運がひらける。水神からさずかった秘策によって、彼はたちまちにノブゴロドきっての豪商に成り上がる。
この物語の後半は、功成り名とげたサドコの海洋譚(たん)で、さながらロシア版『シンドバッドの冒険』といったところ。
嵐で船が海中に没しても、サドコは得意の歌で海神を魅了し、その姫と結婚してめでたし、めでたし。
――このサドコこそ、全盛期のノブゴロド商人の自由奔放な夢であった。
この町は、ハンザ同盟に所属し、イタリアのベネチアのような都市共和国(人口は十四世紀四十万という)になり、北氷洋からウラルにおよぶ広大な植民地をもつようになった。
そのシンボルは中央広場にある「自由の鐘」で、これが鳴ると市民が集まって古いスラブの伝統である「民会(ベーチェ)」をひらく。
しかし、政治の実権を握っているのは豪商たちで、それに派閥がからみあい、民会はしばしばなぐりあいの大乱闘に発展した。
ところで、「おごるものは久しからず」のたとえにもれず、「富者の天国」ノブゴロドもやがて没落の秋(とき)をむかえる。
これについて、ルスの聖者伝には次のような物語がある。
白海の孤島にすむ有徳の修道院長ゾシマが寄進を求めてノブゴロドにきた。
彼は、当時とぶ鳥を落とす勢力のあった貴婦人マルファの邸宅を訪れたがすげなく門前払いをくった。
そのとき、ゾシマはそばの弟子をかえりみて、「この屋敷に住む人もやがては自分の足で歩くことができなくなろう。この門も閉ざされたままで二度と開かれなくなる日がこよう」――と語った。
ほどなくして、マルファは、追いかえした老僧がじつは有名なゾシマであったことを知っていたく後悔し、改めて礼をつくして宴席へ招じた。
ノブゴロドの今をときめく顕官・豪商のいならぶなかに、ゾシマはおくれてはいってきたが、ひとわたり賓客たちを見わたすと、何におどろいたか、はっとして目をふせた。
二回、三回と彼は同じ動作をくりかえし、ついには首を左右にふり、パラパラと落涙した。
それより彼はマルファ夫人のすすめる山海の珍味にも、ろくに手をつけず、そうそうにして辞し去ったが、師の異様な行動をいぶかった弟子が、その理由をたずねると、
「不思議なこともあるものじゃ、わしの前に坐っていた六人の大貴族には、首がない」と語った。
ゾシマのこの不吉な予言はやがて事実となった。
モスクワ大公イワン三世の「ノブゴロド遠征」がそれである。