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池田大作の死

2023-11-23 03:03:29 | カルトへの注意
 創価学会の池田大作の死が発表されました。本当にその日に亡くなったのか、それよりもっとずっと前に亡くなっていて、死が発表されたのがその日だったのかは、知る術もありません。

 池田大作が公に姿を消したのは、2010年の中頃で、既に2011年には週刊文春に、信濃町にある学会系病院「南元センター」の5階に脳梗塞で入院中で、認知症も相当に進んでおり、咀嚼が困難なため、胃婁をしていると、元看護婦からの話として報道されていました。

 道徳的に、宗教的に、池田大作には見るべきものがなく、彼の救いを想定することは難しいと思います。宗教的には、彼の教えは、全く誤謬に満ちています。

 一方で、布教と組織運営に熱心で有能であり、彼のような人物が戦後のカトリック教会にいてくれたら、と思うこともあります。戦後になって、カトリック教会は多少、教勢を伸ばしましたが、その数百倍の勢いで伸びていったのが、彼や戸田城聖の率いる創価学会でした。そして、彼らは、日蓮正宗の分派であり、布教に不熱心な日蓮正宗の本山、大石寺を「歌を忘れたカナリア」だと罵っていたようです。折伏を忘れた僧侶たちは歌を忘れたカナリアと同然だと。そういえば、いつしか、戦後のカトリック教会も布教を忘れてしまいました。

 カトリック教会の中で、彼のやり方に少しでも近い人物を挙げるとすれば、聖イグナチオ・ロヨラでしょうか。

 聖ロヨラは、その言葉や手紙の一部を当ブログにも載せていますが、それまでのカトリックの伝統・慣習と比べると、とにかく斬新で無手勝流の人でした。以下はロヨラのそうした教えですが

・定められた大斎小斎以外の断食や苦行はしないように
・人を説得するときは、こういう性格の人にこう話し、ああいう性格の人にはああ話し
・カトリックとプロテスタントの違いを話題にしてはならない。そうではなくて・・・
・休息するときは、罪にならず徳になる方法を採るように。しかし、それが難しい時は、罪にもならず徳にもならない方法を選ぶように
・悪魔が人をたぶらかす為に使う手口を、人を善化するために時に借用せよ。悪魔の方法を借用せよ
・よく食べ、栄養を摂るように
・積み過ぎた船は沈んでしまう。時と場合によっては、徳を積み過ぎるのではなく、ほどほどを選べ。正しすぎてはならない。

 多くの人が知っているように、イエズス会の人たちは適応主義を取り、日本では清貧とは逆の服装をしました。清貧な服装が、諸侯や人士の侮りを招き、布教の支障になると思ったからでした。その結果、日本では大きな布教に成功します。

 しかし、このようなやり方は、当時の世界中のカトリックのミッションとは、かなり、かけ離れた、しばしば真逆のやり方でした。よって、ヨーロッパでは常にイエズス会排斥運動が起こり、時にはイエズス会禁止令が出されたこともありました。

 もっとも、聖ロヨラは、こうも言っており

他の人々の世話にかまけて、自分自身を忘れないよう努めなければならない。使徒的な成果とひきかえに、断じて最小の罪も犯してはならないし、罪を犯す機会に近づいてもならない。

聖イグナチオ・ロヨラ 「使徒活動に派遣した神父たちへの指示」1552年10月8日

池田大作のように清濁併せ呑む人物ではありませんでしたが。必要に応じて徳が減ることは認めても、罪を犯すことは認めませんでした。

 しかし、ともかくも、現代のカトリック教会に、布教に有能なアクの強い人物が少なかったり、そういうミッションが見渡す限り殆どないのは、寂しいところはあります。カトリック教会に必要なものは、第二バチカン公会議や教義の刷新などではなく、アクの強い人物やそういうミッションだったのかもしれません。

 もっとも、実から木を判断せよ、という言葉が聖書にありますが、そうしたイエズス会にも後日談があります。無手勝流の方法で信者を増やしたイエズス会ですが、アジアでは、その信者の全てを最終的に失ってしまいました。その原因に、イエズス会のやり方自体が関係している可能性もありました。

 例えば、日本で禁教令が出た最初のきっかけは、豊臣秀吉へのイエズス会の接触の仕方にありました。イエズス会は、自らの力を見せる為、おすらくそれをもって豊臣秀吉の信用を勝ち得ようと、秀吉をスペインの最新式の軍艦に招いたのでした。仏教僧からの大量の告発も聞いていた秀吉は、その軍艦を見て、イエズス会を恐れ、疑うようになり、その二日後には禁教令を出してしまいました。家康も多少の間隔を置いて、それを踏襲し、日本のキリスト教徒の人口は、激減してしまいます。中国でも朝鮮でもイエズス会は、ある程度の成功を見せるものの、やがて禁教令によって、全てを失ってしまいました。

 よって、私はイエズス会のやり方に間違いがあった可能性を排除するわけでもありませんが・・・。難しいところです。

 最後に、Twitterにこんな動画が流れてきましたので、紹介したいと思います。

威風堂々の歌 池田大作 創価学会【歌詞付き】


 今まで書いたように、創価学会の教え自体は、根本的に間違っており、到底、認めることはできませんが、その布教の勢いや成果には、見るべきものがありました。この歌も、学会の部分を公教会に換えて聞けば、筋の通った素晴らしいものになる可能性はあります。今のカトリック教会の中に、布教の熱心なミッションがないことが、惜しまれる気はします。

(画像の出典 Twitter:Daisaku Ikeda 2021年1月28日 より)


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