きょうの「ちちんぷいぷい」で「恵方巻」の由来をやってました。
10数年前の巻寿司早食い大会のVTRをみながらそのルーツを探りました。
1977年に道頓堀で大阪海苔昭和会などが中心となって、海苔の消費拡大をはかったイベントが巻寿司早食い大会だったのです。大阪海苔昭和会に取材に来て欲しいと頼まれてTV局が出向いたってことですね。
最近になって、1932年(昭和7年)に「節分の日に丸かぶり」という大阪のすし屋のチラシがあることがわかりました。大阪鮓商組合の出したもので大阪中央区の本福鮨に残っていたのです。イラストもついていて、おたふくの顔をした女性が丸かぶりをしております。
その内容は、
「巻寿司と福の神」
「節分の日に丸かぶり」
この流行は古くから花柳界にもてはやされていました。
それが最近一般的に宣伝して年越しには必ず豆を年齢の数だけ食べる様に巻寿司が食べられています。
これは節分の日に限定でその年の恵方にむいて無言で一本の巻ずしを丸かぶりすればその年は幸運に恵まれるということであります。宣伝せずとも誰言うともなしに流行ってきたことを考えるとやはり一概に迷信として軽々しく看過すべきではない。
ついては本年の幸運をぜひ平素のご愛顧を賜るお得意様にもかようなことをご承知願い永続の御繁栄を切に乞う訳であります。
一家そろってご試食を願い本年の福をとり逃がさぬよう御勧め申します。
昭和七年二月四日
恵方 西北(亥子ノ間)
幸運巻寿司 一本 金十五銭
大阪鮓商組合
御得意様
といったあんばいです。
恵方巻はこの日のメニューが即決できるということで女性に人気があるのですね。
いまでは全国的に広まっておりますが、そのルーツはやはり大阪なのでした。
節分に巻きずしを丸かぶりするのはなぜ?
10数年前の巻寿司早食い大会のVTRをみながらそのルーツを探りました。
1977年に道頓堀で大阪海苔昭和会などが中心となって、海苔の消費拡大をはかったイベントが巻寿司早食い大会だったのです。大阪海苔昭和会に取材に来て欲しいと頼まれてTV局が出向いたってことですね。
最近になって、1932年(昭和7年)に「節分の日に丸かぶり」という大阪のすし屋のチラシがあることがわかりました。大阪鮓商組合の出したもので大阪中央区の本福鮨に残っていたのです。イラストもついていて、おたふくの顔をした女性が丸かぶりをしております。
その内容は、
「巻寿司と福の神」
「節分の日に丸かぶり」
この流行は古くから花柳界にもてはやされていました。
それが最近一般的に宣伝して年越しには必ず豆を年齢の数だけ食べる様に巻寿司が食べられています。
これは節分の日に限定でその年の恵方にむいて無言で一本の巻ずしを丸かぶりすればその年は幸運に恵まれるということであります。宣伝せずとも誰言うともなしに流行ってきたことを考えるとやはり一概に迷信として軽々しく看過すべきではない。
ついては本年の幸運をぜひ平素のご愛顧を賜るお得意様にもかようなことをご承知願い永続の御繁栄を切に乞う訳であります。
一家そろってご試食を願い本年の福をとり逃がさぬよう御勧め申します。
昭和七年二月四日
恵方 西北(亥子ノ間)
幸運巻寿司 一本 金十五銭
大阪鮓商組合
御得意様
といったあんばいです。
恵方巻はこの日のメニューが即決できるということで女性に人気があるのですね。
いまでは全国的に広まっておりますが、そのルーツはやはり大阪なのでした。
節分に巻きずしを丸かぶりするのはなぜ?