michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

自主避難

2024-08-12 06:35:00 | 日記2024
8/1(木)〜8/3(土)

実家から帰宅した数日間。

お盆前の、あの某県下最大のお祭りの時に急遽娘が帰省することになったので、
その前に、またしばらく空けていた自宅を最終的に整えるためです。
この間はまたも、
押し入れやクロゼットをひっくり返しての、掃除、洗濯、カビとの闘いに〜(⌒-⌒; )

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8/4(日)

翌週始めに母の通院が入っていたので、この日また実家に舞い戻る。


8/8(木)

数日間実家で過ごし、
娘の帰省に合わせて翌日また自宅に戻る予定だったこの日の夕方、
あの地震が〜。
(日向灘震源、M7.1)

実家のあたりの震度は3くらいで大事には至りませんでした。
起こったのが夜中とかでなく普通に家にいてすぐに動ける時間帯だったのも幸い。
非常持ち出し袋や備蓄品などの備えもこないだからかなり整っているから、
すぐにリュックを玄関に出して母と庭で待機していました。

けれど市と地区の防災無線はけたたましく鳴り響き、
津波の警戒のためか、国道を海の方向に向かって走り抜ける消防車のサイレンが聞こえる。

ここまでなのはさすがに初めてで、
それだけでもう、91歳には結構なショックです。
(まあ、空襲警報とか、前回の南海地震は経験してるけどf^_^;)

そしてその晩、史上初のあの「南海トラフ臨時情報」発令。

5年前に発動したというこのシステム。
いざ出た時には、私はすぐに実家に母たちを迎えに帰ることを、まだ伯母存命の時に決めていました。
だからこの期に及んではもう、
「母を自分の家に連れて行く」の一択です。
(90近くで体も不自由だった伯母、普通の人のような避難所生活は不可能だったから。母も、今となってはそれはムリ。実家は耐震工事がまだで、倒壊の危険が指摘されている(⌒-⌒; ))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実家と自宅の間には、
南海トラフの地震で日本で最大34mの津波が予測されている海沿いの道を通らなければいけません。

土地勘もほとんどない途中の町でのこの20〜30分の道中に巨大地震が起きるかどうか、
これはもう「確率」、「運」の問題なわけで、、
これまでもここを「かなり」行き来している私はいつもドキドキでした。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ということで8/9(金)
半分嫌がる母(最近、出かけたりするのがとても億劫になっている)を説得し、
家を片付け、思いつく限り、必要な持ち出し品、備蓄品などを車に積んで私の家に。

この時点で母は、
「(わざわざ避難するのは億劫だが)まぁ孫には会えるし」
という希望は持っていました。

ところが、
実は娘はこの直前、
この地震のために仕事の予定が変わり、急遽帰省をキャンセルしたことを、
私は知っていた!( ̄▽ ̄;)

つまり母は、半ば「騙し討ちに遭った」格好になって、
でもまぁとにかくうちまで来ることができたというわけです。

この日の夜は、「かの」お祭りの前夜祭行事である花火大会。
例年私はこの期間はこのお祭りの喧騒を避けて実家に「避難」しているのですがw、
図らずもこの日は初めて、母と自宅から花火鑑賞(^^)




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以来、私のマンションでの母との「自主避難生活」が始まっています。 

自分の家では洗濯、布団干し、庭の草引き、と(料理以外はw)アクティブに動き回っている母も、
いくら娘の家とは言え、
マンションの一室では俄かに借りて来た猫、「何もしない人」になりますf^_^;

テレビも、自分の家ほど機能の充実したものでないから、
仕方なく私のタブレットでアマプラの映画など探して観たりするものの、
体勢は悪いし、居眠りが多くなる。
これでは体も頭も鈍って呆けてしまいそう…(⌒-⌒; )

そこで昨日は初めて、
炎天と、街中至る所でやっているお祭りの隊列をできるだけ避ける方向で、
モーニングや(特には急がない)買い物や、父方Y叔母の家などに出かけて来ました〜^_^







ご飯も、このところ既にテキトーな市販のお惣菜などで済ませていたから、
昨日はちゃんと(!?)作った二人分の夕飯が、
久々にうちのテーブルに並びました。



唐揚げ用に塩麹に漬けていた鶏肉で、
カンタン焼き鳥。
(最近たんぱく質不足だったから。)


キクラゲとトマトの卵炒めも追加。



お汁は祖母直伝のすいとん、
りゅうきゅう(ハスイモの茎)入り。



ほとんどが、私のテキトーおひとり様用冷凍食材f^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ところで、
叔母のところで聞いた話では、
うちの実家と同じ市で、母と同じく一人暮らしをしている叔母の古い友人も、
やはり大阪に住んでいる娘さんが自分の家に一時避難させるべく、
急遽迎えに帰って来ることになったそうです。

この「臨時情報」に対する考え方、対処方が、
私たちだけ「大げさ」なのかと言えば、
地方の高齢化や住宅の老朽化などを考えるとあながちそうでもないのだと思ったことです。

夏休み、お盆の帰省や旅行の予定を変更した方も多いと聞きます。
確率的には何が起こっても起こらなくても、
それは正解なのではないでしょうか。

(それを、これまで結構同感する意見をおっしゃることの多かったとある著名人が、「個人の趣味の問題」のように発言したのは、私としてはやっぱりちょっと頂けないと思う。地方、当事者の「現実の空気感」が余りにも伝わっていない気がするから。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

長くなりましたが、
そんなこんなで、母と自主避難生活継続中〜(°▽°)

日々それなり忙しく日記を更新できず、お返事もできていませんでしたが、
ご心配下さった方々、
ありがとうございますm(_ _)m

コメント

夏休み実家滞在第1ラウンド;地方で暮らすということ & この間の食卓など

2024-08-02 13:01:00 | 日記2024
前半は最近の私のホンネ。
(長いです。ご興味ない方は飛ばして下さい(*゚▽゚)ノ)

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「田舎」「ド田舎」と聞くと、皆さんはどういうイメージが浮かぶでしょうか。

『ポツンと一軒家』みたいな?

実家は県都から離れているし、
(交通の便から言うと)「東京から一番行きにくいところ」と言われ出したのは近年のことだけれど、
実際問題私もそうだろうなと思います。

(陸路での話ですが、自分の学生時代には、東京↔︎実家間の移動はゆうに13時間はかかっていた。今でも8時間以上。空路を使ったとしても、空港までの移動、待ち時間、手間など入れると飛躍的には変わらない。)

でも実家の町は、『ポツンと一軒家』(あれもだいぶ「演出」もある気がするけど)のイメージとはたぶんだいぶ違っていて、
古くから商業で栄えた、一応「小京都」と言われる歴史をもつ平野部の一地方都市です。
海山川は近いし、田んぼも畑もあるけれど、
普通に住宅地もあれば商店街も、ショッピングセンターや新しめの全国展開のチェーン店も存在します。
(ただ、車でしか行けないような距離にバラバラと。)

やっぱり若者&頭脳は都会に流出するので、昔に比べると人口は減り、
空き家や閉まった店舗は増え、
町自身の「力」は、自分たちの子供時代より衰えているのが一目でわかる。

危機感や志を持った一部の人たちが「地産地消」や「地産外消」、
と「地元活性」に立ち上がったりはしている。
地域おこし協力隊だとか、
たまたま趣味で(海、川系のレジャーが多い)気に入って移住した、という人もいるにはいるが、
その人たちが本当に地域に馴染んで後々まで定着しているのかというと、そのあたりは怪しそう、
と私は思っています。

その証拠に?、Iターンや縁あってのUターンみたいな人たちが開いたオサレな店は、すぐにできるけどいつの間にかなくなっていたりする…。

もちろん異論もあるのを覚悟で言うと、
そういう人たちが不便な田舎に住めるのは、
体の自由も利き、車で移動して趣味を楽しむことのできる、ある程度若いうちだけ、というのが現実だろうというのと、
自分の「本拠地」が別にあるからではないでしょうか。

いざとなったら帰れる馴染んだ場所を持ちながら田舎に憧れて移住する(してみる)

のと、

その地に生まれ育ったという様々な「枠」(「制約」とは言わないが)の中で生きる

のとは、
やはりかなり感覚が違うでしょう。

(かく言う私は、のっぴきならない事情で⁉︎「たまたま」出身県にUターンした〜しかも2度に亘って(⌒-⌒; )〜パターンで、かつ、も少し具体的に言えば、まだ自分のやりたいこと=仕事があるので完全にはその大変な実家の町までは帰っていない。)

地方の弱体化は今や既に時遅しで止められない、
と私自身は思っています。


〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

…何が言いたいのかと言うとf^_^;、そんな

実家の町での生活はつくづく大変

だと、
今回12日間実家にいて思いました。

特に車に乗れない高齢者の問題は、 

「買い物難民」「医療難民」 

であること。

元々免許を待っていない一人暮らしの母@91歳は、
「何かひとつの買い物」、それにちょっと病院にかかったりすることが「一大事」です。

当然ネット通販やキャッシュレスの時代にはついて行っていない。
生協の配達はあるが(「移動スーパー」のようなものもあるにはあるが、実家近くには来ない)、 
現金をおろしたり、「通帳記入」のためだけにさえ、しょっちゅうATMに行かなければならない。

それに、好きな時にちょこっと出かけて自分の目で好きなものを選んで買うということができない不自由さ(特に体の自由まで利かなくなった高齢者にとって)は、
車に乗る人、都会で交通網が発達したところに住んでいる人には想像できない閉塞感だと私は思います。

病院にかかるのも一苦労。
数日前から「お風呂に入って、髪も洗って清潔にしなければならない」と躍起になったり、
「何を着ていくか」、「当日の天気や気温はどうか」、
というところから気が急くなどというのはうちの母の極端な部分かもしれないけれど、
病院も、1ヶ月に一度くらいの定期のクリニック通いくらいで済んでいれば御の字。
どこか急に悪くなっても、
耳鼻科や皮膚科、眼科など、年寄りに必要な科の常勤医師がいる病院は皆無に近かったりとか。

昨日も母を乗せて買い物に出かける途中、
一人の腰の曲がったおばあさんが、
何の用があるのかはわからないけれど、
手押し車をつき、傘を差してヨロヨロと、
この炎天下(昨日実家の町の気温は、午前中から全国のトップクラスに上がっていた)、
何の日差しを遮るもののない国道沿いの広すぎる歩道を延々と、
1時間に1本しかバスの来ないような、これまたポールが立っているだけの炎天下のバス停を目指して歩いているのを見かけて「あぁ(;´Д`A」
と思いました。
(そんなのはかなり日常の光景。)

もし私たちがいなかったら母がそうなるのだと考えるのは嫌だし、
ともすればそれは何十年か後(いやもっと手前かも?)自分の姿かもしれない。

知らない人でも「乗って行きませんか」と声をかけた方が良いのではないかとさえ思うものの、
このご時世、いくら田舎でも、
犯罪やコロナなどのことを考えてもそうもできない。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実家の「家」自体も、時折帰る私にとっては結構な問題です。

築50年に近い普通の木造一戸建て。
夏は暑いし冬は寒い。

特に今の時期、クーラーはつけるものの、
湿気と(長年掃除&メンテが行き届いてないための)ハウスダストがアレルギー持ちには辛い。

実はこの間(これは実家に帰る数日前からのことではありますが)、
ずっと喉の調子が悪かった私。

(今流行のコロナは喉から来るとは言うけれど、私の場合そうではなさそう。)

たぶん、実家に帰る直前に家の大掃除をしてホコリ、カビに晒されたのと、
実家でのそれが追い討ちをかけた、
というところだと思います。

そして、
なぜか母は平気なのに、日を過ごすうちに私だけ増えるダニに咬まれた跡( ̄▽ ̄;)

結局、

自宅でも掃除片付け、
実家でも掃除片付け、
その合間に一日二食の食事の用意

みたいなことを繰り返していたこの12日間でしたf^_^;

91歳母は、

・人の名前が出て来ない(これは私も似たような…f^_^;)

・数日前にした同じ話をまたする

・説明が長いと集中していないのがわかる

・耳が遠くなって、早口の話、咄嗟の会話が聞き取れない(しかしそこはテキトーに誤魔化して話や自分の中での辻褄を合わせている感やや有り(⌒-⌒; ))

程度にはなっていますが、
どう考えても歳にしてはしっかりしていて、
洗濯、布団干し等は完全母の仕事。
私がやっていることの前後を考えて細かい部分の準備や片付けをいつの間にかそれとなくサッとやっている、
というような気は利くし、
趣味の漢字に関係のあるクイズ番組などは、
テレビ録画またはスマホで動画&画面撮影までして後々調べ直したりしている…。

ま、でも私や妹がいると、
見事に台所仕事はしませんねf^_^;
掃除も元々得意でないのが、
積もり積もって家がダニ埃の巣窟になる原因となっていると見た。


〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

結論f^_^;

…そんな、
家事掃除格闘の12日間でした。

でも実はまだ、
この夏私は特に自宅で用事があるわけではなく、
数日中にはまた実家に戻ります。

今回自宅に帰って来たのは、
ただ「家の様子を見るため」です。


12日ぶりの自宅にはしかし、、、

やっぱりカビがぁ〜〜_| ̄|○

マンションの部屋、
12日間、
しかも最も気温が高いとか騒がれたちょうどその期間にずっと「閉めっぱなし」だったのはさすがに(⌒-⌒; )

夜8時過ぎに着くなり、
まずエアコン全開で除湿。
カビのひどいところを拭き掃除、
床にも掃除機をかけ、
一番危なそうな窓のない和室の畳もしぼった雑巾で水拭きしてから乾かし、
ダニが出ないことだけを祈って寝た昨夜。

(今朝の時点では一応大丈夫。家を空ける直前にダニスプレーを振りまいていたからw)

また空ける数日後のために、
今日明日あたりはまた掃除、
ですf^_^;



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話が長くなりましたが、
この間の食事中心の覚え書き〜


7/26(金)

夜は久々家で母の好きなたこ焼き。







たぶん関西人に言わせるとなんじゃこりゃ程度の「なんちゃって」で、
いつまで経っても外カリッ、中トロッ、とはなかなかならない。


7/27(土)

お昼は有り合わせ野菜たっぷり焼きそば。
(おそばは2人で1個。)



同日夕。
「粉もん」が続いたのでここらでちゃんと?魚料理。

買って冷凍してあったぶりカマの煮付けと、
鰯のパン粉焼きでした。




 
下に敷いてあるトマトは、産直市ので、
見事に全部双子!



美味しそうだったのに酸っぱかったので、
この先このトマトをどう消費するかの問題が(⌒-⌒; )


7/28(日)

お昼は冷凍シーフードミックスと半端レタス消費のためのチャーハン中心。
(シーフードミックスは「塩水」で戻すに限る。)

そう言えば野菜室に放置されていたバナナで、
バナナケーキも焼いていた。



夕方は牛乳分摂取のためのグラタン。


 
この日はBSで、6時からの大河を母と見てからの夕飯。
間で食事と後片付けなど済ませ、
8時からの放送で「復習」するという方法を母に伝授しましたf^_^;

(一回で聞き逃していること、見逃していることは意外と多いので。)


7/29(月) 

お昼はそうめん。
おつゆは自家製超薄味。



「3色ひやむぎ」とかではなく、
普通の揖保乃糸に、
友人にもらった小豆島の島の光の、
「梅そうめん」と「青じそそうめん」を混ぜてあります。

いつかそれぞれ単体で茹でた時には少し「やり過ぎ感あった」からf^_^;


夕飯は「美味しくないトマト」消費で、トマトと卵の炒め物(母はキライなのにf^_^;)、
なすの肉巻きほか。


実はこの日、

ここしばらくの私の懸案事項の「ひとつ」が突如解決。

久しぶりに炊いたご飯(実家の炊飯器は家のよりはるかに美味しくご飯が炊ける)でしたが、
この後、私にしては珍しく、
もう少しお茶漬けで美味しくご飯を食べ足すことができた^^;

夜、久々にパンを焼く。
余った牛乳で、牛乳分多めの普通の食パン。



7/30(火)

お昼は何でもありの具で冷やしうどん。
梅肉が母に意外と好評でした。


 
夕飯、
なすと甘とうのひき肉炒め、
大根とこんにゃくの煮物、
作り置き冷凍でだいぶ経ってしまった「ヒョウダイ」の味噌漬け焼き(漬かり過ぎて味濃い(>_<))、
残りのそうめんなど。






煮物には数日前のぶりカマの煮付けの煮汁を活用していますが、
煮物など、味がはっきりしないもの?は実はこの頃母には不評と見た。


7/31(水)

朝、何となく始めてしまった台所のシンク下やレンジ台付近の掃除が昂じて、
ずっと気になっていた床の間付近に置いてあった古いものの片付けと掃除(+暑さとハウスダストとの闘い)でヘロヘロの日。

お昼は何とか、トマト消費のためのスパゲティミートソース。



夕飯は、
確か焼き焼売(一応自家製)でしたが、
私のお腹の調子&クタクタ具合かなりひどく、
母だけが有り合わせでたっぷり食べる(母の主食はこないだ焼いた食パン)、
という変則的なものでした。

雰囲気暗くて画像なし(^◇^;)


8/1(木)

自宅の様子見のため、ついに移動日。

妹に荷物を送る用事もあったので、
朝割と早くに行動開始、
母とあちこちに買い物。

お昼は母の好きなお好み焼きで(しかし具はいつも冷蔵庫の有り合わせ食材f^_^;)、



このところずっと私の体が欲していてやっと買って来たゴーヤで、
チャンプルー「もどき」。

母はゴーヤが嫌いです。
私も大好きというわけではないが、シーズンに1、2度は食べるかなという程度のもので、
「その季節のものは体に取り入れる意味があるのよ」というY叔母の言葉を借りてここは押し切るw


具はシンプルに、ゴーヤ、ちくわ、卵のみでした。

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トップ画像は、
最終日、私が4時台に起きて水やりしたあとで撮った朝顔。





母が、
「うちの朝顔、いっつも萎れてるので写真に撮ってもイマイチ」と言うので、

いやお母さん、
陽もガンガン当たり始めた8時台に、
朝水もやらずにそれを言っても無理なのでは?
「朝顔」、英語では「モーニング・グローリー」と言うくらい。
朝に綺麗でなくてどーする。

と、私が一応示したお手本?ですf^_^;




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