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〜my everyday life, とりあえずの日常〜

実家の発掘品の謎(その1) 九字護身法

2024-10-30 20:51:00 | 日記2024
これも10月初旬のこと。

実家の仏壇から、
こんなものが出て来ました。



「お守り」らしい。

恐る恐る中のものを取り出してみると、





へー、「疫病の消退除祈禱符」だって!

裏には父方祖父の名前が書かれていました。
その祖父が、「14才」ってか!?



ということは、
祖父は明治31(1898)年の生まれなので、
これは1912年、
数え年だとすると、その前年くらいのものになります。

ついこの前まで1908年の曾祖母の納経帳のことに関わっていたかと思ったら、
今度は祈祷符かーぃ( ̄▽ ̄;)

恐らく祖父がいつも身に付けているように作ったのであろう手縫いのお守り入れは、
年代からすると、その納経帳の主である曾祖母(祖父の実母)の手によるもの、かな。

「御守り」と書かれた包みからは、
日光東照宮と成田山のお守りが出てきました。
(成田山は複数あって、これはやや新しそう?)




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実はうちの家族ラインのひとつに、
「歴史探索隊」というトークルームがありますf^_^;

実家からあまりにも次々いろんなものが出て来るのですが(高価な壺とかではないけどw)、
存命中の家族だけでは既にその由来のわからないものも多い。

さっさと処分して良いようなものなのか、
はたまた(納経帳の前例もあることだし)、資産的な価値はなくとも、
庶民の小さな歴史という点で、資料的な価値はあるものかもしれない。
専門家でないのでその判断が難しいところ。

そういう昔のものを無下にしてはいけない、
という土壌は、父からしっかり受け継がれ、
体に染み付いてしまっている(そしてそれが家の断捨離を阻んでいるかもな)私たちなので、
兎にも角にもまずは皆の知識や検索能力を結集して調べるところからf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

このお守りの画像を、その家族ラインで流すや、
東京の甥っ子が反応して来ました。
(仕事中じゃないのかf^_^;)

「おー九字護身法だ」

なぜそんなものを知っている?( ̄▽ ̄;)

私は初めて聞きましたよ。

ここはwiki様に頼りましょう^_^


そして、
これはもしや、100年前のスペイン風邪の時か?

ということに。

しかし今回のコロナの前のスペイン風邪のパンデミックは1918〜21年頃。

それにはちょっと早いです。

ならば?

しかしここからが妹と甥っ子の検索力の出番で、
わかったことは:

明治42(1899)頃〜大正9(1920)頃まで、
四国西南部でペストの上陸と感染対策が記録されたものが実際にあるとか。
そしてこの時の最大の流行は1905〜1910年、大阪でのことらしい。

すると、その頃にはその大阪の情報も新聞などで入って来ていたことであろうし、
祖父は跡取り長男なのでそれは祈祷くらいしたのでは、

というのが甥っ子の見解。

なーる(^。^)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この祈祷符をどうするかはまだ皆で考え中です。

そして、ここでふと気になったのは、
寺社でのご祈祷って、
その本人の名前を正確に書いたりしなければ神仏に伝わらないものなのでは?
ということ。

この祈祷符、
祖父の名前(◯蔵)が、「◯造」と間違って書かれているんですけどーー( ̄▽ ̄;)

そしてこれは、
妹も甥っ子も気づいてないのか言ってはいなかったけれど、
「九文字護身法」と言う割に、

このマーク(笑)には線が「8本」しかないっ!!


wiki様からお借りした説明では、
「九字」と言うだけに、
それぞれ意味のある漢字を表す線が9本!




果たしてこれに、祖父をペストから護る御利益はあったのでしょーか?


(少なくともこの時祖父ははやり病で死んだりせず、私たちの代まで家系が繋がっているのだけはまあ確かf^_^;)


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(追記)

上で、甥っ子が調べた四国でのペスト流行、
「明治42(1899)」は年号か西暦のどちらかが間違っていそうなことに後から気づきました。

1899年が正しければ、年号は明治32年だし、
明治42年の方が正しければ西暦では1909年

ということになります。

出典から間違っていたのか、
甥っ子の打ち間違いか。

確認しなければ〜f^_^;
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時間は進む、実家の用事は続々

2024-10-30 13:23:00 | 日記2024
10月後半の日記の続きを書こうとして、
「あの」空前絶後言語道断な皮膚科女医に当たってしまったことが、私の日常に思いの外ダメージを⁉︎
(二度と会うことはないとは思うけどʅ(◞‿◟)ʃ)


この間実家では、

・古い方の実家の取り壊し&土地の売却問題
・その前から依然懸案事項の父の実家の土地の問題(昔の人たちのテキトーなやり取りが、今の時代の私たちに降りかかってます。)
・実家の耐震工事の問題(役所の都合で思わぬ延期)

と、法的、書類的に超絶面倒なことが重なりまくっていて、
平日動けない私としては、
中期滞在の妹にとても負担をかけています。

私自身は、職場の行事都合で3日ほどの連休があるたび、
極力実家に帰って、
せめても妹の手伝いを。


この間にも、書きたいことはたくさーーんあったのだけれど、
時間の過ぎるのは相変わらず矢の如し。

今日は脈絡のないまま、
印象的だったことを覚え書きに並べますf^_^;

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10/12(土)

実家に帰っていたこの日、
母、妹と3人でいきなり出かけたのは川(笑)の上流の道の駅。
期間限定の「栗のおまんじゅう」を買うためだけに、です(^◇^;)



景色は相変わらず平和〜。

時間前から並んで買ったのはこれ↓





その地域特産の、栗の渋皮煮が丸ごと入ったおまんじゅうです^_^



お昼は前回と同じく、
道の駅で売っているものなど自由に広げて食べられる2階のフリースペースで。



小食中高年には有り難い^_^

帰りは、道路事情の「マシ」な宇和島経由で。

この日の一番の収穫は、
この、めったにお刺身では食べることのないピカピカ「沖サワラ(カマスサワラ)」と、







宇和島の道の駅での超お買い得品、
牛すじ肉でしょう。



その後数日にわたり、
シチューと、牛すじ煮込みになりました^_^





近くの淡水魚の水族館。
妹が初めてだったので行きました^_^

ちょうどペンギンの館内お散歩の時間。
それを途中の椅子に座って、
目を細めて見守る91歳^_^






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中間テスト期間は、
用事を前半にまとめてもらって後半実家に帰りました。

この時の母、妹とのレジャー。

隣町へのお魚メインの買い出しと、
今ちょうど季節?だという、初めて行くコスモス畑。





 

お昼に行った中華料理店は、
そう言えばかなり前に行った時にもそんな印象だったけれど、
殿様商売?で、小食中高年には優しくない(店員がいる)。








この日、道の駅でゲットしたお魚は「コビン」(キハダマグロの幼魚)です^_^



この他に、
「ソテー」「漬け」「フライ」用に加工しました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この時私は、日曜も実家泊まりで(その方がせせこましくない)、
翌朝6時過ぎ、
実家から直接職場に出勤。

 
  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この間、
前にも書いた、約120年前の曾祖母のお四国参りの納経帳を某研究機関に寄贈する手続きも同時進行。

また、それとは別に、
予想外の品々も実家から発掘されました(^◇^;)

それは、(まさかまた立ち消えにならないことを願いつつ)また別に書きたい意向です(^◇^;)


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玉石混交(の、中でもすごい石)

2024-10-16 19:13:00 | 日記2024
しばらく実家にいて、
休み明けと共にもう中間テスト作りが目の前に来ているというのに!
そして実家でのことの続きも書くつもりだったのにっっ!

今日の午前中の出来事で、
私のココロはそれどころではなくなりました。

気分をリセットしてテストに集中するために、
ここで吐き出してもいいですかーーf^_^;

今日、何ヶ月も前から予約をしてやっと行けた初めての皮膚科の医者(女医)が、
前代未聞の「ハズレ」だった件( ̄^ ̄)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

約1年も前から、
右目の下に小さな、
ほんの見えるか見えないかの炎症?湿疹?何??
とにかく他とは違う手触りの部分ができていて、
それが右頬全体の痒みになっているのを騙し騙し過ごして来ました。

以前腕にできて「老人性の偏平なイボ」だとか言われたものと同じで広がったりしたら嫌だなぁ、と思いながら。


診察室に入ってその経緯を話した途端、
その医者は、その患部を見ることもせず、
触ることもなく、

「それはね、食生活です」

と言って見せて来たのが栄養云々の分厚く雑なファイル。

(ここで既に、かなり「ハズレ」を覚悟した。)

診察前の問診票に、「食事指導を受ける気があるかどうか」という選択肢があり、
そこまでの設問はそれほど詳しいものではなかったのに、
いきなり食事指導の項目に飛んでいるのがそもそも違和感でした。

そこで私が「受ける気はない」に丸を付けていたのが気に入らなかったのか、
その後彼女は語気荒く、

小麦、牛乳を食べてないか
(アレルギーはないから普通に食べてるに決まってる)、

食べるんだったら小麦のランクを上げろ
(は?人の普段の食生活など何も知らないうちに、こいつは人をバカにしてるんだろーか?)、

日本の食生活は安全と思われているが世界でも最悪(残留農薬云々)…

出すなら漢方薬と食事指導だが、
それを希望しないなら他に治療のしようはない

とまくし立てて下さいました。

開いた口が塞がらず、
どこまで聞いたり反論したりしたものかも判断しかねるうちに、
5分くらいで診察が終わって部屋(特に皮膚科の設備もない当座の小部屋という感じだった)を出て来ました。


後から彼女の経歴を見ると、
子供がアトピーになったことから漢方や食餌療法を研究するようになった、云々。

それが日本人全員の皮膚疾患に当てはまると考える方が科学的でなく、
その程度の近所の主婦の意見みたいなのを聞きに私は何ヶ月も予約を待って、
この忙しい時期に半日を潰しに行ったのかと思うと本当に腹が立ちます

年配の看護師さんだけが終始腰が低く、
「そんなことで、、前の方も似たようでしたけど、、すみませんねぇ」
って、
いつもこの医者がこの調子なのを知ってる感。

予約がとても取りにくいのは、そこが人気なためではなく、
その医者が非常勤で週3日(しかも半日ずつ)しか来ていないためのようでした。

病院そのものは市内でも大きな総合病院なのですが、
デイサービスや老人施設中心に拡充してきたらしいところを見ると、
高齢者のニーズに合う科をとりあえず揃えている、
と言う体だと見た。

初診料で千円近く、
その他、漢方薬を3ヶ月分も出されかけたのを何とか断って、
塗り薬が出て計1500円ほどか。
これならドラッグストアで、自分で軟膏を買った方がマシだった。

ただ、「二度とこの病院のこの科にかかってはいけない」という確証を得たことは収穫でした。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

前にも書いたことがある気がするけれど、

地方の医療レベルってこんなもん。  

高齢者が多いためか、
ネット上の口コミも少なく、
一からとなると病院選びはとても大変なのです。

もちろん、良い病院もあれば良い先生もいらっしゃいます。
ただ、長年評判だった個人病院などは特に、
どこも世代交代したり、院長高齢化のために閉院したり、
代わりを探して「病院難民」になっているという話もこの頃よく聞きますねー。

ホント、

「ほとんどが石ころ」の中から「玉」に行き当たるのは大変(;´Д`A


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9月末〜10月初旬;「小文字のヒストリー」と計183歳の誕生会

2024-10-15 21:09:00 | 日記2024
日記が空きました。

その一方で、私の日常はぎゅうぎゅう詰めでしたf^_^;

個人的な覚え書きです。

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9/26(木)〜10/8(火)

9/25にY叔母のところに、
父方曾祖母(ひいばあさん)の時代のことについて「聞き取り調査」に行った後しばらくは、
職場に通うだけでヘロヘロのいつも通りの日々。

その傍ら、叔母からの情報のまとめの作業(書き起こし、スキャナ取り込みetc.)を我ながら頑張った(^^)v


曾祖母が今から約120年前に回った「四国八十八ヶ所」の納経帳は、
仏壇から後から新たに(なぜ!?)発見された同時代のお遍路グッズなどと共に、
某研究機関で資料として保存していただけることになりました。

この件に関しては、
せっかち母が処分に困り、

どこかのお寺でお焚き上げ(つまりは「焼却処分」)でも

と焦っていたのを、
私たち姉妹で牽制をかけていたのです。

昔のものは何でも「捨てたらそこで終わり」、「焼いたら終わり」

とは骨董趣味の某知人の言。

だからと言ってホントのガラクタのようなのを溜め込む人(誰?)も困りものですが〜(^◇^;)

図らずもこの言葉には今回助けられたので、 もう一度繰り返しておきたいと思います。

皆さん、

昔のものは何でも「捨てたらそこで終わり」、「焼いたら終わり」

ですよ!!

コロナ禍の外出不可能な期間に「断捨離」をする人が増え、
昔の貴重な本や民俗資料などが多く失われたのではないか、
というのが研究者や博物館関係の方々の懸念するところだそうです。

モノを潔く処分すること、も時には必要でしょう。
でもその前に調べる、
できればその道の人に尋ねる、
に越したことはないかもです。

別にうちの実家は由緒ある家柄でも何でもないのですが、
亡父の仕事?趣味?の関係で家の記録はいろいろ残っていて、
私は江戸時代の分家から数えて7代目f^_^;

実は歴史学が専攻だった「らしい」(いろいろやってるので家族もよくわかっていないw)甥っ子の話によれば、
歴史には大きく分けて、

「大文字のヒストリー」と「小文字のヒストリー」

という概念があるそうな。

「大文字のヒストリー」はつまり、
歴史に名の残る有名人(主に男性)中心の歴史。
対して「小文字のヒストリー」とは、
名前も残っていないような市井の人の歴史。

まさに私たちはこの間その後者と対峙していたわけで。


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10/9(水)

この日から私、6連休。
(サボっているのではありません、 勤務先の行事都合^^;)

直に実家に帰るつもりだったのが、
ちょうど実家に滞在してくれている妹が母を私の住む街まで連れて来て、
一緒にY叔母を訪ねる話が直前にまとまりました。

折しも翌日はY叔母の誕生日。
母の誕生日は来月だけど、
それぞれ別の町に住む91歳と92歳。
そうそう集える機会もないのでこの際、
と持ち寄りの簡単なお昼にプチケーキを加えました^_^

見よこの、あまり並ぶことはないであろう大きな数字、
計183歳\(^^)/




このあと叔母には、
思い出深いというおばあさんの納経帳とお遍路グッズに最後のお別れをしてもらい、

私たちは2台の車で一路実家へ〜


(続く。たぶん^^;)
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9月下旬の覚え書き

2024-10-05 12:33:00 | 日記2024

娘の滞在が終わり、

この間新たに浮上した実家関係のプロジェクト?(下記参照)に、

ここはやれるだけのことはやろう、と妹と力を合わせて模索していたのを軸に、

行けばドドーッと疲れ果てる職場の日々が交錯。

あっという間に9月が終わりました。

 覚え書きなのでお時間のある方だけどうぞf^_^;

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9/19(木)、9/20(金)

普通の出勤。

木金の時間割はきつくてヘロヘロです。

いつまでこの仕事ができるかな(⌒-⌒; )

 

帰宅後の夕飯は、キムチ鍋的なものが続きました。

市販のキムチ鍋の素をベースに、

冷蔵庫の冷蔵、冷凍食材、

思いつくもの、半端なものは何でも入れる!

一人だとただでさえ使う食材数が限られるので。



それに最近母が「辛いもの」を嫌がるために、

母と長く一緒にいると禁断症状の出る(笑)「生魚」や「辛いもの」。

ならそれは一人の時に食べれば?💡

 コレ今の私のおひとり様の食生活のひとつの奥義かもしれないことに、

ついに思い至る!

(…て、今ごろ?f^_^;)


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9/21(土)〜9/23(月)

3連休は、私にしては割と久々な感じの実家へ。

ここで浮上したのが、実家の新たな「懸案事項」です。


少し前に母が、仏壇から出してきたコレ↓  



110年以上前の明治40(1907)年、

父方の曾祖母が、

当時はもちろん「徒歩で」回った、

四国八十八ケ所の納経帳(御朱印帳)です。

どこかのお寺に頼んで「お焚き上げ」でもしてもらうか(=つまり「焼却処分」f^_^;)、

というところまで来ていたのですが、

調べると歴史資料としてはそこそこ価値のあるものだとわかり、

とある研究機関に寄贈する話がトントン拍子で決まりました。


そして、そうなったらなったで、

家族としてその最大限の「嫁入り支度?を」

みたいなことで、

父の残した資料を掘り起こしたり、

その曾祖母を知る唯一の存命者であるY叔母(90歳)に話を聞きに行ったり。(9/25水。)

とてもバタバタしたのですが、

叔母からは、

曾祖母本人についてやその時代の家族のことなど、

叔母がいなければわからなかったたくさんの話を聴くことができました。


この納経帳のことについて調べたり纏めたりするうち、

これまで3枚の古い写真と、父の断片的な言葉からしか知らず、

(失礼ながら)一種インパーソナルな存在だった父方の曾祖母が、

「リアルに生きた一人の明治女」としてありありと浮かび上がって来るのは、

個人的には結構摩訶不思議かつ重い体験でした〜f^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そのせいでもないだろうけれど、

この間睡眠乱れ気味。

つい数日前には今までになかったような体験をし、

自分でもビビりました(・・;)


もう寝る時にエアコンは要らないけれど、

布団を全部かけるのは暑苦しいなぁ、

と体の右3分の1ほどは布団から出た状態でバッタリ寝落ちた夜。

寝てから2、3時間後の夜中に、パッと目が覚めたのは、

「寒かったからだ」と少し経ってから気づく。

慌てて布団を被りましたが、

その後で、どう考えてもこれは自分の体の内部(芯)から発しているとしか思えない「寒気」が襲って来て、

両腕で自分の体を押さえてブルブル:(;゙゚'ω゚'):

同じ波が、計3回来ました。


普段私は冷え性でもないし、

この日も疲れていただけで、風邪を引いていたとか、特に体調が悪かったわけでもない。

自分の意思では止められない、ほとんど痙攣みたいな体の震えが来るなんて、 

と思いましたが、

眠かったのでまたすぐ寝ることに。

スマホで気温だけ確かめましたが、

22℃を超えていて、

たとえ布団を着ずに寝たとしても、そこまで震えの来るような温度ではない。

ところがその直後、

真っ暗な中、目を瞑って寝始めた私の頭の上を、

確かに、その闇よりも黒い物が右から左に

え、私今目を開けてないよね、

とそこから改めて目を開けてみたら、

そこは、さっき目を閉じて寝ている時よりも、部屋の輪郭などがわずかに見えるくらいの暗さの部屋です。

…じゃあ、

目をつぶった真っ暗闇の中、

頭の上を通って行った、その闇より黒いものって何!?( ̄▽ ̄;)


高校時代に二度ほど金縛りに遭ったことがあります。

(が、それは脳と体の覚醒の問題で、科学的に説明できる、と個人的には納得している。)

そしてこれまでもちょこちょこ書いて来ましたが、

別に霊が見えるとかの体質ではないけど、

なんだか気分的に避けたい場所がある、

家族が亡くなる度に何か不思議なことは体験している、

ほどの私。


てもこれは、別に怖いとかではないけど、

初めての経験でしたね〜。


この間関わっていた曾祖母の遺品のことで、別にひいばあさんおよび他のご先祖様も怒っていたりはしないと思うけど(^◇^;)

あの「黒い影」は何かの区切り、禊のようなものだったのか…f^_^;


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こんな私の日常と並行して、

この間娘は転職に伴う引越し体制で忙しい日々。

息子はお気楽◯◯旅行。


…そんな感じで、はや10月です( ̄▽ ̄;)

 

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この間、朝作るお弁当だけが、

私の唯一まともな「調理品」で、

夕飯は買って来たお惣菜多し。

実家での母との食事も、

二人ともこのごろ量が食べられず、

母と好みも合いにくく、

普段おひとり様では料理自体が妙に下手になった気がして、

お見せするほどの画像はありませんf^_^;


久しぶりに作った「しその実」の佃煮はこの季節の覚え書きに。

病身の叔母が採って下処理してくれたしその実、有り難くいただきます(^^)



そして、この日はそれを乗っけたTKG👍




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