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いつかも書いた気がする(確か「チェルシー」終焉の時)、
「始まりがあれば終わりがある」という話。
それを改めて感じる出来事が最近2つ。
ひとつ目は、マンションの外壁工事ですf^_^;
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この夏に始まった工事。
事前のお知らせはあったものの、
実家での割合長い滞在から帰って来たある日、
建物全体が足場と黒い防護幕でガッチリ覆われていて焦りましたf^_^;↓
お知らせにあった、「11月まで、約4か月の予定」って、
はじめ、その終わりは遥か遠い先のように思われました。
作業員さんがベランダにも入るので、
不規則な時間に家に帰って来たりする私はカーテンもあまり開けられない。
薄暗い部屋の中で、外の天気や気温がわからない、洗濯物が干せないなどのこの期間は実際問題なかなか長かったけれど、
思ったより大掛かりかつ丁寧な工事で、
感じの良い作業員さんたちによって当初丁寧に組まれた足場は、
この度また丁寧に、無事撤去されました。
久々に、直に見るご来光\(^o^)/
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ふたつ目は、
昨日行ったいつもの婦人科の病院。
仕事帰りに、ちょっと遠回りだけれど、今後の予定を考えるとここらで行っておいた方が、と思い立って行ってみた。
ところが、着いてみると時間も遅いのに思いのほか混んでいたから、
今回初めて、「診察なしで投薬だけ」をお願いしてみました。
(体調に変化がないなら、それでも良いらしい。)
ところが、薬ができて受け取る段になってから、薬剤師さんとの話が妙に噛み合いません。
薬は2か月分もらえるはずなのに、
では次は12月に、と薬剤師さん。
…と思ったらその病院、
なんとこの年末で突然「閉院」になるのだとか!
指された窓口の張り紙を初めてそこでよく見て、思わず
えええぇーーーっヽ(;▽;)ノ
と叫びました(⌒-⌒; )
ここは、娘が生まれた30ウン年前にお世話になった個人病院です。
その頃先生は、
評判の産婦人科を開院してそれほど経たない、50代くらいの気鋭。
自宅隣での個人の産院経営などさぞ大変だろうに、
昼夜厭わず対応して下さる温厚な良い方でした。
(しかも、娘が生まれたの、夜中の2時f^_^;)
その後、私の方はあちこち転勤、転居を繰り返してたまたま舞い戻って来た今の街で、
反りの合わない医者(そもそも初期の頃、私の訴える症状を更年期によるものと認識していない医者もいた)との数年間の「薬を勝ち取る」ためのバトルの挙げ句、
数十年後、今度は「更年期治療」でまたこの先生にお世話になるとは思ってもいなかった。
さすがにもうご高齢なので、こんな日もあるのかもとは思っていたけれど、
まさかこんなに急とは。
今後の予定を説明してくれる薬剤師さんに思わず、
いや〜それは、すごく困りますぅ〜、
これからどうしましょう?
カクカクシカジカとてもお世話になったのに残念ですーーー(T_T)
と、(嫌味でなく)ごく率直な感想をぶつけてしまい、
さっさとお金を払うのも忘れていた( ̄▽ ̄;)
でも働いている看護師さん、薬剤師さんたちも、こんなに急にとは思っていなかったような雰囲気です。
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普段よりも早めの12月の後半に行ったら、
次の分の薬や、希望なら紹介状など出して下さるそうです。
考えてみれば、
何も知らずにある日行って見たら既に閉院になっていた、
ではこれ以上に困る人が出るのは間違いないので、
院長先生も仕舞いの付け方、引き際を考えられたのでしょうか。
こんなに急なのは院長先生のご体調のせいとかでないといいなぁと思いながら、
たぶんあと一回来るだけの駐車場から車を発進させる。
始まりがあれば終わりが。
有り体に言うと、その終わりは、別の何かの始まりでもあるのだろうけど、
なんだか最近、
その始まりも終わりをも、どちらも目にする、
経験することが多いのはやっぱりちょっと寂しめ( ;∀;)
日記が空きました。
この間、自分の身に起きた思わぬ変化?2つ。
覚え書きに駆け足で〜。
(あまりキレイじゃないので、お食事中、その前の方、スルーをm(__)m)
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まず、実家の町で母校の定演など、
アクティブに過ごした文化の日の3連休の次の週末(11/9~10)は、
実家にはまだ妹がいてくれるので、おとなしく自宅で過ごしました。
週末ごとに実家に帰るのは大変は大変なのだけど、
帰らなければ帰らないで、おひとり様の生活はひま~(^_^;)
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思わぬ変化(ひとつ目)が起きたのはこのあたりだったでしょうか。
ここ数年、「食事→即腹痛」で苦しんでいた身が、
まるで何かの「憑き物」でも落ちたかのように、
なぜかこのへんから「ごく普通」になった!
その証拠?は、
残っているこれらの料理画像のあたりから。
そして、冷凍室のトマト消費のためにこれまたまとめて作ったミートソース。
どっちも作り置きのつもりで作ったこの量を、ここ数年の私では考えられないくらいのスピード(あ、でも多分それが、普通の人には普通)で消費したりしたにもかかわらず、
特にお腹は痛くならない!
それまで私のQOLを極端に下げていた「食べる→〇〇〇通い」のスパイラルが、
この日あたりからなぜかウソのように止まったのです!
そこから今まで、私の食生活は、おそらく「普通」と言っても良い状態が続いています。
食後にお腹が痛くなる時間を避けつつ出かけたりお風呂に入ったりする必要がなくなった!
こんなことはここ数年なかったよおぉ〜ヽ(;▽;)ノ
本当に突然のこの変化。
良いのか悪いのか、いったいいつまで「もつ」のか、
戦々恐々の日々ですが…(^_^;)
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11/13(水)、娘に荷物を送り出す。
娘が転職&転勤してから初めての住所に出す荷物です。
娘の赴任地は、私も娘も経験したことのない「海なし県」。
もう既にとても寒いらしい( ;∀;)
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11/15(金)は、学校行事で休み。
金、土、日で実家に帰りました。
「事」が起こったのはその土曜日のことでした。
妹が、県都に住む親友に日帰りで会いに行くのを見送った後、
母とお昼ご飯を食べていた時です。
「2口」くらいを口に運んだところで、突然吐き気が…(>_<)
…そのまま◯◯◯に立て籠もること1時間半。
(いや、この時点では時間のことを考える余裕さえなく、後から母に聞いた話では(ー ー;))
途中母が、「大丈夫?」「とにかくここを開けて!」「救急車を呼ぼうか」としつこく何度も来るけれど、
それに答えている余裕も、
立ち上がる力もなし。
1時間半、幸い造ってまだ数年の、
うちの「きれいな方の(笑)」◯◯◯で◯器を抱えて過ごし、
やっとそこから出たあとは、そのまま母が気を利かせて敷いてくれていた布団に倒れ込む。
そして妹が帰宅する夜の9時過ぎまで、「廃人」と化していた私です。
妹が用意してくれた「おかゆ」で何とか人心地つき、
続く日曜は私にとって「なにげにリハビリ」のような日になりました。
実際問題、長時間◯◯◯で変な体勢で苦しんでいたり、寝返りを打つ力もなく寝ていたために、
知らないうちに体の思わぬ部分が、
炎症やら筋肉痛やら打ち身?のような状態になっていたからf^_^;
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吐き気の原因は、
朝のうち、料理しながら味見に食べた「鯖フライ」だと自分では「確信」しています。
(妹たちは、それより前に食べた何かだろう、と言うけれど。)
水曜に娘に送るための野菜などを買い出しに行ったスーパーで買っていた超お買い得の鯖の切り身。
実家に持ち帰るまでに時間が経ったのでフライにしたのだったけど、
さすがに「3日目の鯖」は、
常に魚に「メガネに適う」新鮮さを求める私がこれまでやったことはない無謀な試み。
超お買い得だったところからすると、
私が買った水曜の「朝獲れ」ではなかった可能性も高い(⌒-⌒; )
反省することしきりです。
とにかく、ここまでの急激な体調不良は、
これまでの私の人生にはなし。
年、かな?
それを考えたら、この先ももしかしてこんなことは多いんだろーか?(⌒-⌒; )
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何とか持ち直した日曜日の午後は、
長らく我慢していた髪を、仕方なく切りに行きました。
いつものほぼ50年来の美容院です。
その帰りに寄ったスーパーで。
私のメガネに適ってしまったのは、あろうことかまた「魚」( ̄▽ ̄;)
前日に魚で「当たった」というのに、
凝りもせず、無性に「お刺身」が食べたくなったのです。
(前日の消耗分を取り返すために、たぶん自分の体が自分に必要なものを欲していたんだと思う…f^_^;)
そして大河前の夕飯は、
母作のぶり大根、
妹作のおでんに加え、
わざわざ自分で半身から造ったこのブリ系のお刺身でしたー。
懲りないな(^◇^;)
何やら香気の漂う?デッサン画。
↑ソフィア・ローレン、
よく見るとそれに描かれているのは、