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〜my everyday life, とりあえずの日常〜

農業高校の文化祭&写真展

2024-11-27 07:15:00 | 日記2024
11/19(火)、
薬をもらいに行ったいつもの婦人科の病院がこの年末で「閉院」すると知って大ショーーックの日(;´Д`A

11/20(水)、
母および自分のこの冬買い足す服などを求めて、わざわざ遠くのショッピングモールまで足を延ばすも、
不発に終わった日_| ̄|○

11/21(木)、
仕事帰りにいつもの内科の受診。
と、この日は娘が新しい職場で初のちょっとした大仕事(?)を抱えていて、
もちろん私が何かをするわけではないけど、
夕方あたりからかれこれ気忙しかった日。

————————————————

そして11/22(金)は、
職場から直接実家に帰ることが前々から決まっていました。

何を隠そうそれは、
妹と、実家の町にある農業高校の文化祭に行くため!

その学校で作っているベーコンやハムなどはかなりの人気で、
数年前に母と行き、列に並んで大きな豚の塊肉をゲットしたことがありました。

今回は、、、
実は私たちの場合その他に、
今回そこの文化祭に「友情出店」する、県内の水産高校の「ツナ缶」が目当て(^◇^;)

全国区の番組でも紹介され、
「これを食べたら普通のツナ缶は食べられなくなる」と、私の周りでも評判なのですが、
いかんせん、作っている数が少ないので(実習船で生徒が獲って来たマグロが原料)、食べたことがある人は少ない。
どこかに出店されて売られること自体がめったにないレアもの。

その水産高校は、実は私の職場の方に近いのだけど、
そこそのものの文化祭に行くより、
遠く離れたこちらの友情出店の方が可能性があるんでは、と目論んだ結果f^_^;  

これまた何を隠そう、
実は今回の農業高校は、
うちの実家のすぐそば。
ここは「地の利」が生かせるに違いない!

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

11/23(土)

遠くに市街地を見下ろす「山全体」が敷地の農業高校。




私の勘は当たりました。
文化祭開始のまだ時間前、
駐車場のグランドが既に半分以上来訪者の車で埋まり、
ほとんどの人が豚肉などの販売場所に走る中、
私たちはその友情出店のブースに並んだ2組目。
コロナ禍を挟んで長年の念願だったツナ缶その他の水産高校の産品をいろいろゲットすることができました〜(^^)v

そのあと妹と、一か八かで豚肉販売の列に並ぶこと約2時間!



列に並んでいる間に、人気のベーコンは早々に売り切れ、
そして、私の「前の人」で豚肉が売り切れた_| ̄|○

初めて買うハムだけをゲットして来ましたf^_^;

この日の戦利品(^◇^;)


ウワサのツナ缶↓



誕生日が近い母にシクラメンも。



何を隠そう、
当時の場所こそ違え、
亡父はこの農業高校林業科の卒業生です。
(戦前の話f^_^;)
 
現在の林業科というのは、
名前自体も現代的なものに変わり、
山の間伐や測量の仕方のみならず、
レーザープリンターなど駆使するこんなハイテクなことになっているのを知ったら、
父は驚くことでしょうf^_^; 






  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

何を隠そう、この日を含む3日間は、
うちの市に数百年間続く神社の大祭。

それに合わせて行われる「市展」は、
昔は私たちの小学校や中学校の体育館であったと記憶していますが、
今年からは新しくできた市民ホールで。

今回それに、知り合いの写真撮り(自分でも写真屋を経営したりしていたので半プロくらい?)であるSちゃん(もうおじいさんだが、母はそう呼んでいるw)が出品して良い賞をとったそう。
良い機会なので母を連れて観に行きました。

作品自体は撮影できなかったけれど、
わざわざ秋田まで行って撮ったという「なまはげ」の迫力ある写真でした。

このSちゃんは、元々祖母の知り合いの息子さんで、
子供の頃の一時期、母たちとは兄弟姉妹のようにして育ったという人。
私が小さい時から、事あるごとに私たちの写真を撮ってくれるのはこのSちゃんでした。

何を隠そう(が今日は多いなf^_^;)、
このSちゃんが私の幼少期(1歳前?と3歳くらい)に撮ってこれまた何かの写真展に出品していた大きなパネルがうちに残っていたのですが、
大き過ぎてこの先の保存は難しいと判断。

先日、近く取り壊しの決まっている古い方の実家の前で、(写真の)「記念撮影」をして処分したところです。

恥ずかしながら、今日はそれでお茶を濁しましょうかf^_^;




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始まりがあれば終わりが(その2?)

2024-11-20 08:58:00 | 日記2024

いつかも書いた気がする(確か「チェルシー」終焉の時)、

「始まりがあれば終わりがある」という話。

それを改めて感じる出来事が最近2つ。

ひとつ目は、マンションの外壁工事ですf^_^; 


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この夏に始まった工事。

事前のお知らせはあったものの、

実家での割合長い滞在から帰って来たある日、

建物全体が足場と黒い防護幕でガッチリ覆われていて焦りましたf^_^;↓



お知らせにあった、「11月まで、約4か月の予定」って、

はじめ、その終わりは遥か遠い先のように思われました。

作業員さんがベランダにも入るので、

不規則な時間に家に帰って来たりする私はカーテンもあまり開けられない。

薄暗い部屋の中で、外の天気や気温がわからない、洗濯物が干せないなどのこの期間は実際問題なかなか長かったけれど、 

思ったより大掛かりかつ丁寧な工事で、

感じの良い作業員さんたちによって当初丁寧に組まれた足場は、

この度また丁寧に、無事撤去されました。

久々に、直に見るご来光\(^o^)/




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ふたつ目は、

昨日行ったいつもの婦人科の病院。

仕事帰りに、ちょっと遠回りだけれど、今後の予定を考えるとここらで行っておいた方が、と思い立って行ってみた。

ところが、着いてみると時間も遅いのに思いのほか混んでいたから、

今回初めて、「診察なしで投薬だけ」をお願いしてみました。

(体調に変化がないなら、それでも良いらしい。)

ところが、薬ができて受け取る段になってから、薬剤師さんとの話が妙に噛み合いません。

薬は2か月分もらえるはずなのに、

では次は12月に、と薬剤師さん。


…と思ったらその病院、

なんとこの年末で突然「閉院」になるのだとか!

指された窓口の張り紙を初めてそこでよく見て、思わず

えええぇーーーっヽ(;▽;)ノ

と叫びました(⌒-⌒; )


ここは、娘が生まれた30ウン年前にお世話になった個人病院です。

その頃先生は、

評判の産婦人科を開院してそれほど経たない、50代くらいの気鋭。

自宅隣での個人の産院経営などさぞ大変だろうに、

昼夜厭わず対応して下さる温厚な良い方でした。

(しかも、娘が生まれたの、夜中の2時f^_^;)


その後、私の方はあちこち転勤、転居を繰り返してたまたま舞い戻って来た今の街で、

反りの合わない医者(そもそも初期の頃、私の訴える症状を更年期によるものと認識していない医者もいた)との数年間の「薬を勝ち取る」ためのバトルの挙げ句、

数十年後、今度は「更年期治療」でまたこの先生にお世話になるとは思ってもいなかった。


さすがにもうご高齢なので、こんな日もあるのかもとは思っていたけれど、

まさかこんなに急とは。


今後の予定を説明してくれる薬剤師さんに思わず、

いや〜それは、すごく困りますぅ〜、

これからどうしましょう?

カクカクシカジカとてもお世話になったのに残念ですーーー(T_T)

と、(嫌味でなく)ごく率直な感想をぶつけてしまい、

さっさとお金を払うのも忘れていた( ̄▽ ̄;)

でも働いている看護師さん、薬剤師さんたちも、こんなに急にとは思っていなかったような雰囲気です。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

普段よりも早めの12月の後半に行ったら、

次の分の薬や、希望なら紹介状など出して下さるそうです。

考えてみれば、

何も知らずにある日行って見たら既に閉院になっていた、

ではこれ以上に困る人が出るのは間違いないので、

院長先生も仕舞いの付け方、引き際を考えられたのでしょうか。

こんなに急なのは院長先生のご体調のせいとかでないといいなぁと思いながら、

たぶんあと一回来るだけの駐車場から車を発進させる。


始まりがあれば終わりが。

有り体に言うと、その終わりは、別の何かの始まりでもあるのだろうけど、

なんだか最近、

その始まりも終わりをも、どちらも目にする、

経験することが多いのはやっぱりちょっと寂しめ( ;∀;)


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最近の体調変化

2024-11-19 22:07:00 | 日記2024

日記が空きました。

この間、自分の身に起きた思わぬ変化?2つ。

覚え書きに駆け足で〜。

(あまりキレイじゃないので、お食事中、その前の方、スルーをm(__)m)


————————————————

まず、実家の町で母校の定演など、

アクティブに過ごした文化の日の3連休の次の週末(11/9~10)は、

実家にはまだ妹がいてくれるので、おとなしく自宅で過ごしました。

週末ごとに実家に帰るのは大変は大変なのだけど、

帰らなければ帰らないで、おひとり様の生活はひま~(^_^;) 


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

思わぬ変化(ひとつ目)が起きたのはこのあたりだったでしょうか。

ここ数年、「食事→即腹痛」で苦しんでいた身が、

まるで何かの「憑き物」でも落ちたかのように、

なぜかこのへんから「ごく普通」になった!

 

その証拠?は、

残っているこれらの料理画像のあたりから。



週末、ふと思い立ち、少し前の「もち米」消費のためにまとめて作った「中華おこわ」風。



そして、冷凍室のトマト消費のためにこれまたまとめて作ったミートソース。 


どっちも作り置きのつもりで作ったこの量を、ここ数年の私では考えられないくらいのスピード(あ、でも多分それが、普通の人には普通)で消費したりしたにもかかわらず、

特にお腹は痛くならない!

それまで私のQOLを極端に下げていた「食べる→〇〇〇通い」のスパイラルが、

この日あたりからなぜかウソのように止まったのです!


そこから今まで、私の食生活は、おそらく「普通」と言っても良い状態が続いています。

食後にお腹が痛くなる時間を避けつつ出かけたりお風呂に入ったりする必要がなくなった!

こんなことはここ数年なかったよおぉ〜ヽ(;▽;)ノ


本当に突然のこの変化。

良いのか悪いのか、いったいいつまで「もつ」のか、

戦々恐々の日々ですが…(^_^;)


————————————————

11/13(水)、娘に荷物を送り出す。

娘が転職&転勤してから初めての住所に出す荷物です。

娘の赴任地は、私も娘も経験したことのない「海なし県」。

もう既にとても寒いらしい( ;∀;)


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11/15(金)は、学校行事で休み。

金、土、日で実家に帰りました。

 「事」が起こったのはその土曜日のことでした。


妹が、県都に住む親友に日帰りで会いに行くのを見送った後、

母とお昼ご飯を食べていた時です。

「2口」くらいを口に運んだところで、突然吐き気が…(>_<)

…そのまま◯◯◯に立て籠もること1時間半。

(いや、この時点では時間のことを考える余裕さえなく、後から母に聞いた話では(ー ー;))

 

途中母が、「大丈夫?」「とにかくここを開けて!」「救急車を呼ぼうか」としつこく何度も来るけれど、

それに答えている余裕も、

立ち上がる力もなし。

 

1時間半、幸い造ってまだ数年の、

うちの「きれいな方の(笑)」◯◯◯で◯器を抱えて過ごし、

やっとそこから出たあとは、そのまま母が気を利かせて敷いてくれていた布団に倒れ込む。

そして妹が帰宅する夜の9時過ぎまで、「廃人」と化していた私です。


妹が用意してくれた「おかゆ」で何とか人心地つき、

続く日曜は私にとって「なにげにリハビリ」のような日になりました。

実際問題、長時間◯◯◯で変な体勢で苦しんでいたり、寝返りを打つ力もなく寝ていたために、

知らないうちに体の思わぬ部分が、

炎症やら筋肉痛やら打ち身?のような状態になっていたからf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜 

吐き気の原因は、

朝のうち、料理しながら味見に食べた「鯖フライ」だと自分では「確信」しています。

(妹たちは、それより前に食べた何かだろう、と言うけれど。)


水曜に娘に送るための野菜などを買い出しに行ったスーパーで買っていた超お買い得の鯖の切り身。

実家に持ち帰るまでに時間が経ったのでフライにしたのだったけど、

さすがに「3日目の鯖」は、

常に魚に「メガネに適う」新鮮さを求める私がこれまでやったことはない無謀な試み。

超お買い得だったところからすると、

私が買った水曜の「朝獲れ」ではなかった可能性も高い(⌒-⌒; )

反省することしきりです。

 

とにかく、ここまでの急激な体調不良は、

これまでの私の人生にはなし。

年、かな?

それを考えたら、この先ももしかしてこんなことは多いんだろーか?(⌒-⌒; )


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

何とか持ち直した日曜日の午後は、

長らく我慢していた髪を、仕方なく切りに行きました。

いつものほぼ50年来の美容院です。


その帰りに寄ったスーパーで。

私のメガネに適ってしまったのは、あろうことかまた「魚」( ̄▽ ̄;)

前日に魚で「当たった」というのに、

凝りもせず、無性に「お刺身」が食べたくなったのです。

(前日の消耗分を取り返すために、たぶん自分の体が自分に必要なものを欲していたんだと思う…f^_^;)

そして大河前の夕飯は、

母作のぶり大根、

妹作のおでんに加え、

わざわざ自分で半身から造ったこのブリ系のお刺身でしたー。



(今回は、一番脂の乗った腹側で。残りは漬けとフライ用に作り置き。) 

懲りないな(^◇^;)


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実家の発掘品の謎(その2) ソフィア・ローレン?

2024-11-09 20:17:00 | 日記2024
実家から出てくる古い品々。
家族の誰がいつ何の目的で入手したものなのか?
また、即処分しても良いものかそうでないのか。

うちに高価なお宝があるわけはないので、
それを決めるには、
年数を経たことでの「資料的価値」とか、
その由来や所有していた今は亡き家族の「思い」みたいなものを探る作業になります。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

このあいだからの懸案はこれ↓



何やら香気の漂う?デッサン画。

なぜこんなものがうちにあるのだろう?と思う、
の関係(郷土史など)とは全く毛色の違うものです。

まず母がこれを見て、
「こんなの買うのはRさん(=母の姉)に違いない!」
と言います。

そう言えば何となく、
伯母の好きそうな雰囲気があるし、
裏に貼られているシールには、銀座の画廊?の名前が。



伯母は若い頃、一時期東京にいたこともあるので、そうなのか…?

この、描かれている人物は誰なのか、という話になった時、
母は、
「これはソフィア・ローレンだ」
と自信を持って言います。

でもなぜか、
ここで私の頭に浮かんだのが、
「ブリジット・バルドー」

なぜそう思ったのかは自分でも全くわかりません。
なぜなら私は、映画はあまり見ない方だからです。

特に日本語、英語以外の洋画は、
言葉の音が気になって話が頭に入って来ないので、
古い洋画などほとんど見ていないf^_^;

片や母は女学生時代、
「Sさん(=母)に会いたければ映画館を探せ」と友人から言われたほど、洋画にハマっていた人です。

(「貧しい戦後、なぜそんなにも洋画を観に行くお金があったのだろう?」と、母は今でも不思議がっています。)

ここは、母の言う「ソフィア・ローレン」が正しいんだろーか?

ソフィア・ローレンとブリジット・バルドーの若そうな時を画像検索してみるも、



↑ソフィア・ローレン、
↓ブリジット・バルドー


うーん、
確かに、似ていると言えば似ている。
どっちもミステリアスな目元、
どっちとも言えません。

この絵の作者は、というと、


サインはありましたが、
はじめそれを「まぐち」と読んでしまったがために検索しても見つからず、
その時点でこの絵に関する「捜査」はすっかり頓挫していましたf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

事が動いたのは、今回妹が帰って来てから。

一緒に確認し直して、
サインは「まぐち」でなく「のぐち」だろうということになり、
検索能力がものすごく高い妹が調べるや、
「野口久光」氏という、
映画のポスターなどを多く手がけた有名な方の名前が出て来ました!!

そして、「画像検索はかけたか」と聞かれたので、絵そのものはかけていない、
と答えました。

額縁ごと画像検索をかけるということは、ついぞ私の頭にはなかったから。

しかしGoogleレンズさんで検索してみたところ、、、

なーんと、
ズバリ出て来たのがこれ↓



メルカリで3000円で売れている!

しかも画像は「完全一致」!!
裏のシール(実はこれまた妹が調べたら画廊ではなく、老舗額縁店の名前でした)まで同じ!

(…ってことは、うちにあるのもまさかの「原画」とかではなく、「複製」ほぼ確定(^◇^;))

恐るべしGoogleレンズ様ヽ(;▽;)ノ

しかしもっとすごいのはやっぱり、妹の検索能力じゃないかしらん。

この後また妹がチャチャっと検索して出して来たのがこれです↓



そう、野口久光氏のこの絵が使われた映画のポスター。

「可愛い悪魔」というタイトルのようです。
道理で、せくし〜な絵だったわけだf^_^;

ここでもう、この女優さんが誰かは明確です。


なぜか、洋画通の(はずの)母の言う「ソフィア・ローレン」を制し、
なぜか全くその女優さんの映画など見たことのない私の頭に、
なぜその時その名前が天啓のように閃いたのか?

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

描かれた人物と作者名はわかったものの、
なぜその絵が突然うちの押し入れから出て来たのか、
誰が買ったのかは謎のままです。

でもそう言えばソフィア・ローレンにしてもこのブリジット・バルドーにしても、
まだ脚が悪くなる前、宝塚に憧れていたという話もある若い頃の伯母に似ていなくもありません。
伯母が何となくその雰囲気を気に入って買ったんだろーか??

なぜだか惹かれてしまうこの絵、
ブリジット・バルドーの名前が私の頭にスッと浮かんだのもとても不思議。
今のところ私が取っておこうかなとも考えています。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

こんなわけで、
その道の人なら(この場合は絵画とか映画とか)難なくその由来や価値がわかったりするであろうものが、
門外の者にとっては一から調べる作業となるからさあ大変。

いろいろなものが次々出て来る実家で、
ここしばらくこんなことを繰り返していますf^_^;


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何かと濃い日

2024-11-04 05:25:00 | 日記2024
11/2(土)   

洗車機のような大雨の中、実家へ。

この分では途中スーパーに寄って買い物することもできないや、
と思っていたら、
いつものスーパーに近づくとウソのように上がった雨。

そして実家の町に近づくに連れて青空が。

ったく私、普段の行いが良いものでf^_^;

(いや、うちの県が東西に長いだけ(^◇^;))


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11/3(日)

母、妹と3人で、
近く取り壊すことが決まった古い方の実家の前まで行き、
写真を撮りました。

最後に3人でそうしよう、
と言い出したのは、意外にも(写真嫌いの)母。

それなら、
ということで、
これは娘の提案で、
母方の祖母、伯母、父、そして父方祖父の写真も含めて、
かつてその家に住んでいた「総勢7人」で写真に収まりました(^^)v

私の生まれる少し前に建った実家はほぼ私と同い年だけれど、
建材の一部には父の実家を取り壊したものを使っているので、
初めから真っ黒な太い大黒柱があったりした古い家です。

私たち家族の歴史と私のこの世での記憶は、まさにここから始まっています。

60年間の幸せをありがとうぅヽ(;▽;)


これは、小学校まで徒歩3分、
中学校まで徒歩5分だった有難い通学路。
周辺の建物は昔と随分変わりました。



  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そのあと、直販店で仕入れたお弁当を持って、
子供の頃よく母と行った城山の公園へ上がりました。

が、車を止めた周辺にあまりにもたくさんの小さい羽虫が飛び回っていて外に出ることができず、
車内でお昼を食べただけで退散f^_^;

お天気上々、
せっかくの市内の眺めだったのに、
写真がありません。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

その後は、
しばらく行っていなかった父の実家の土地へ。



柿は今年は全滅。
(実ってはいたが育たなかったらしい残骸と枯葉ばかり。)

辛うじて生っていた数個のカリンの実のうち手の届く範囲のものと、
なぜか1個だけ生っていた柚子を採って来ました。



普段は行ってもほとんど人を見かけないほどの山里で、
この日はなぜか、昔からの(車1台分くらいの)「メインストリート」を中心に人の行き来が。

なぜかなぁ、と思っていると、
たまたまその日はその地区の氏神様のお祭のよう。
そしてたまたまその数分後にお神輿が出る、
というところでした。



これはどうも、
この昔馴染みの神社のことをよく話していた亡父が私たちを今日来させたに違いありませんf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

その後は一旦家に帰り、
私と妹だけで、
この春新しくできた市民ホールへ。

全く予定していなかったのだけど帰りの車中、
この日たまたま私たちの卒業した中学校の吹奏楽部の定演があることを知ったからです。

今の母校の吹奏楽部ってどんな感じなんだろう?
私も妹もそのOGです。

新しいホールができてその中も見たいよね、
と思っていたちょうどその折、
たまたまその開演の30分前にその情報に行き当たるって、
まったく今日は何という日!?

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私たちの頃より人数は少ないものの、
低音楽器も充実して迫力ある演奏。
ホールの音響も良さそう。



所々に生徒による寸劇ありダンスあり、
昭和の(生真面目な?)雰囲気とはまた違う、楽しい演奏会でした^_^

この定演、
今年で49回目だそうです。

そして恐ろしいのは、
そう言えばこの定演は、
私たちのすぐ上の先輩たちが始めたもので、
私たちの時、確かまだ3、4回目だったという記憶が甦り、
自分たちが卒業したのは今から44、45年も前のことだという事実を改めて突きつけられたこと( ̄▽ ̄;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

帰り際、真新しいホールの2階のスペースに、
白いコンサートピアノ発見👀



よく見るとそれに描かれているのは、
実家の町の名物や風物詩のようでした^_^



  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

思いがけず母校の定演を最後まで堪能して家に帰り、
今日は「大河の日」だったことを思い出す。

日曜日は、実家にいれば、
6時からのBSでの大河ドラマに合わせ、
それまでに夕飯の準備を粗方しておいて、
終わった後の7時から食事、
がこのところの定番です。

この日のメインはこれ、
とだいたい決まっていた「せんべい汁」。


妹の青森みやげです。

秋田の「きりたんぽ鍋」は何度か食べたことがあるけれど、
これは初めて。

袋の中身はこうなっていました↓



「煎餅を鍋に入れる」というのがあまりにも「未知」だったのと、
冷蔵庫に揃っていると思っていた、ごく普通の鍋用の具材が思ったよりなかったのとで、
少し雰囲気の違うものになったかもしれないけど、、



所変われば品変わる。
鶏だしの効いた醤油ベースの美味しいスープでした(*^^*)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私にしてはフットワークのものすごく軽い、
濃い一日でしたー^_^


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