去年の一月~二月にかけて、フィリピンの教会を訪ねる旅に参加しました。
ルソン島の山岳奥地にある教会です。
引率して下さった佐々木牧師が、四〇年前に単身この地に入って福音を伝えた場所です。
フィリピン自体はカトリック教国ですが、二〇世紀になって多くのプロテスタントの宣教師たちが入り、
プロテスタントの教会も少数ながら存在するのです。
しかし、たどり着くだけでもたいへんな労苦をともなう、
この山奥まで入ってくる宣教師はほとんどいなかったとか。
当時は、電気も車の通れるような道もなかったこの地に、教会がたくさん立っていました。
私たちから見ると、貧しく、素朴な生活を送る人たちですが、
その顔には、神への確かな信頼に裏打ちされた輝きがありました。
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行って「天の御国が近づいた」と宣べ伝えなさい。
病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。
あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
(マタイの福音書10章7節8節)
子供のためにたくさんのプレゼントを持って行ったのです。
大人用のまだ新しい古着も飛行機の重量制限きりぎりまで運びました。
貧しそうに見える教会で、連れのUさんと私は、これらの中の何かを上げようと、先生に提案したのですが、
先生は、首を横に振られました。
訪問地のどこでも、私たちが直接手渡しで子供や村人に「物を差し上げる」ことはありませんでした。
すべて、現地の教会にお渡しし、現地の牧師から分配していただくためです。
みなさんは私たちの兄弟姉妹であって、「援助してもらう、上げる」関係になるのは、
たしかに間違っています。
小さな豊かさと引き換えに、卑屈さやずるさや上下関係が生まれるとしたら、
福音を台無しにしてしまう。
そう教えられたような気がしました。
手作りの教会堂、信徒たちが時間のあるときにやってきて自発的に建築しているとか。