いったい人に美醜があるといった認識はいつごろから起こったものでしょうか。
はたしてほかの動物でも、
同類に対する美醜の概念があって、それで相手の値打ちや好悪を決めるのでしょうか。
たしかに、猫や犬を見て、「かわいい」「かわいくない」と言いますが、それは人間の判断です。
猿山のボスは、美ザルを周囲に集めているかどうかは、サルに聞けないのでわかりません。
クジャクは羽の美しさを競うといいますが、美しいオスかどうかを決めるのはオス同士のようです。
カラスはどれも真っ黒ですが、彼らも「美カラスコンテスト」があるのでしょうか。
こんなことを思うのは、人間だけが、あまりにも美醜に囚われていると思われるからです。
「たかが外見」と、バカにはできないと、誰もが思い込まされているのです。
始皇帝が滅びたのは、傾城・楊貴妃のためであり、クレオパトラが歴史に名前を残したのは、
「鼻が高かったため」であると、みんな楽しく、話題にします。
化粧は日々進歩していますし、整形手術なども、一部の人のものではなさそうです。
むりもありません。
「人はうわべを見る(が、『主しゅ=神』は、心を見る)」のです。(Ⅰサムエル記16章7節)
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じつは、ダビデはイスラエル王国二代目の王でした。ダビデの前にサウル王がいたのです。
サウルもまた神によってサムエルを通して選ばれた者でした。
彼は、間違いなく、「見栄えの良い美しい青年」でした。そのうえ、裕福な家の出身でした。
聖書は、彼を次のように紹介しています。
キシュ(サウルの父親)にはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若い男で、
イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
(Ⅰサムエル記9章2節)
およそこれ以上の賞賛のことばはあるかと思えるほどです。彼は美貌であっただけでなく、
「民のだれよりも」肩から上だけ背が高かったのです。
これを見ると、長身は、どうやら古くから評価されていたようです。
しかも、サムエルは、サウルの水際立った美貌に惹かれて、彼を王に任命したのではありません。
サムエルは預言者です。預言者とは、今日考えられているような、先のことを予言する人ではなく、
「神のことばを預かる人」のことでした。
神からの指示やご命令を聞き取ることができ、神の御心に沿った世のあり方のかじ取りをするよう
用いられた人だったのです。
じっさいの世の中では、予言はもちろん、王の顧問、教師、また、在野の批評家、今でいうアナリストや
アジテーターのようなことにも、用いられました。すべて、自分の考えで動くのではなく、
神からの声を受けて(召命)、使命感を持って行うものでした。ときには、
自分に不利益なことも言わなければならず、いのちの危険もありました。
聖書では、実に多くの有名無名の預言者が登場します。
そんなわけで、サウル王は、イスラエル初代の王として指名を受けました。
神は、イスラエル初代の王の王冠を、
イスラエルで一番ハンサムで背の高い青年にさずけられたのです。
これは、いったいどのような意味があったと、考えるべきなのでしょうか。
続きは、明日!!