主よ。あなたは私を探り、
私を知っておられます。
あなたこそ私のすわるのも、
立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、
御手を私の上に置かれました。
そのような知識はは私にとって
あまりにも不思議、
あまりにも遠くて及びもつきません。
私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ、
私がよみに床を設けても、
そこにあなたはおられます。
私が暁の翼をかって、海に住んでも、
そこでも、あなたの御手が私を導き、
あなたの右の手が私を捕えます。
たとい私が、
「おお、やみよ。私をおおえ。
私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、
あなたにとっては、やみも暗くなく
夜は昼のように明るいのです。
暗やみも光も同じことです。
それはあなたが私の内臓を造り、
母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。
あなたは私にくすしいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが書きしるされました。
私のために作られた日々が、
しかも、その一日もないうちに。
(旧約聖書・詩篇139篇1節~16節)
神さまは、私たちひとりひとりを知っておられる。
受胎したばかりのその日から、
私たちの成長を
だれもが見ることのできないすべてを、見ておられ、
神様の書物に書きとめられた 、
と言うのです。
そうして、もちろん、それは今も、
いくつになっても、
どこにいても、
なにをしていても、
変わらないのです。
私たちをごらんになって、
私が座るのも、立つのも、眠るのも、はしゃぐのも、
つぶさに見ておられるのです。
まるで、影のように?
いえいえ、まるで、空気のように私を包んで下さって、
たとえ、「大きなお世話」だと、部屋の明かりを消して見られまいとしても、
頭を抱えて小部屋に隠れようとも、
神様にとっては、真っ暗闇も暗くないと言うのです。
不思議であり、感謝です。