ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

あなたは私を知っておられます

2015年12月05日 | 聖書



     主よ。あなたは私を探り、
     私を知っておられます。

     あなたこそ私のすわるのも、
     立つのも知っておられ、
     私の思いを遠くから読み取られます。

     あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
     私の道をことごとく知っておられます。

     あなたは前からうしろから私を取り囲み、
     御手を私の上に置かれました。

     そのような知識はは私にとって
     あまりにも不思議、
     あまりにも遠くて及びもつきません。


     私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
     私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

     たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ、
     私がよみに床を設けても、
     そこにあなたはおられます。

     私が暁の翼をかって、海に住んでも、
     
     そこでも、あなたの御手が私を導き、
     あなたの右の手が私を捕えます。

     たとい私が、
     「おお、やみよ。私をおおえ。
     私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、

     あなたにとっては、やみも暗くなく
     夜は昼のように明るいのです。
     暗やみも光も同じことです。


     それはあなたが私の内臓を造り、
     母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

     私は感謝します。
     あなたは私にくすしいことをなさって
     恐ろしいほどです。
     私のたましいは、それをよく知っています。

     私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、
     私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。

     あなたの目は胎児の私を見られ、
     あなたの書物にすべてが書きしるされました。
     私のために作られた日々が、
     しかも、その一日もないうちに。
                      (旧約聖書・詩篇139篇1節~16節)



        神さまは、私たちひとりひとりを知っておられる。

        受胎したばかりのその日から、
        私たちの成長を        
        だれもが見ることのできないすべてを、見ておられ、
        神様の書物に書きとめられた
       、
        と言うのです。

        そうして、もちろん、それは今も、
        いくつになっても、
        どこにいても、
        なにをしていても、
        変わらないのです。

        私たちをごらんになって、
        私が座るのも、立つのも、眠るのも、はしゃぐのも、
        つぶさに見ておられるのです。


        まるで、影のように?
        いえいえ、まるで、空気のように私を包んで下さって、
        
        たとえ、「大きなお世話」だと、部屋の明かりを消して見られまいとしても、
        頭を抱えて小部屋に隠れようとも、
        神様にとっては、真っ暗闇も暗くないと言うのです。

        不思議であり、感謝です。