そういえば、昨今、ほとんど聞かれない言葉に、「ひきょう」があります。
「ずるい」は、生きているようですが、「ひきょう者」って言いませんよね。
やまゆり園で大量殺人を行った男に対して、一番ピッタリな言葉、
それが、ひきょう者だと思います。
彼が逮捕されたとき、悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべていたことを
「不敵な笑い」と形容する向きもありましたが、それは買いかぶりすぎというものです。
一番弱い、一番傷つけやすい者を傷つけるなんて、「ひきょう」そのものです。
行きずり殺人などを見ていても、切り付けやすい女子供を狙っている。
いかにも強そうな「おにいさん」なら、腰をかがめて避けて通るのに、
ちゃんと相手の強さや大きさを測れる。
そのような者に心神喪失なんてあてはまらない!
と思うのは、私だけでしょうか。
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「ひきょう者は弱虫だ!」
そんな言葉が、広がればと思います。
たとえ、全身に入れ墨があっても、
銃や刃物で武装していても、
おおぜいで群がっていても、
「ひきょう者は弱虫だ!」
しかし、逆は真ならずです。
「弱虫は、ひきょう者」では、ありません。
パウロも言っています。
「私は、弱い時にこそ、私は強いのです!」(新約聖書・Ⅱコリントへの手紙12章10節)
これはもちろん、弱さをみとめて神の前にひざまずくとき、神が味方になって下さるからです。
「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(同9節)