ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

相模原殺傷事件4

2016年08月01日 | 聖書


      そういえば、昨今、ほとんど聞かれない言葉に、「ひきょう」があります。
     「ずるい」は、生きているようですが、「ひきょう者」って言いませんよね。

     やまゆり園で大量殺人を行った男に対して、一番ピッタリな言葉、
     それが、ひきょう者だと思います。
     彼が逮捕されたとき、悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべていたことを
     「不敵な笑い」と形容する向きもありましたが、それは買いかぶりすぎというものです。
     一番弱い、一番傷つけやすい者を傷つけるなんて、「ひきょう」そのものです。

     行きずり殺人などを見ていても、切り付けやすい女子供を狙っている。
     いかにも強そうな「おにいさん」なら、腰をかがめて避けて通るのに、
     ちゃんと相手の強さや大きさを測れる。
     そのような者に心神喪失なんてあてはまらない!
     と思うのは、私だけでしょうか。

     
            

     「ひきょう者は弱虫だ!」

          そんな言葉が、広がればと思います。
          たとえ、全身に入れ墨があっても、
          銃や刃物で武装していても、
          おおぜいで群がっていても、

           「ひきょう者は弱虫だ!」

      しかし、逆は真ならずです。
     「弱虫は、ひきょう者」では、ありません。

      パウロも言っています。

      「私は、弱い時にこそ、私は強いのです!」(新約聖書・Ⅱコリントへの手紙12章10節)

      これはもちろん、弱さをみとめて神の前にひざまずくとき、神が味方になって下さるからです。

      「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
       むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(同9節)